毎年12月9日の戸張孤雁の命日を迎えると、短命(昭和2年46歳で没)で逝ったこの彫刻家であり創作版画のパイオニアだった人のことを思い、まだやり残した仕事があるなあと感慨にふける。
亭主と社長の陋屋には孤雁の木版の小品が飾ってある。
孤雁年賀状
戸張孤雁「木版小品(1921年年賀状)」
1921年年賀状として制作、
1976年原版木より後摺り(摺り:五所菊雄)
9×13cm 限定275部
『画譜』第3号特装版に挿入

画商になりたての頃、盛岡第一画廊の上田浩司さんに孤雁のことを初めて教えられてからもう40年が経つ。
美術にはど素人だった亭主はもともと本好きだったから版画の世界が性に会い、やがてH氏という創作版画のコレクターに出会い、10年間に約7,000点をおさめるほどに入れ込み、創作版画を買いまくった。その中心が孤雁だった。とは言っても弧雁が遺した版画作品は10数点に過ぎない。いろいろな経緯があったのだが、その木版の原版木の全てが一時亭主の手元にあった(現在は愛知県美術館が所蔵)。
その版木から後摺りを行ない、「孤雁木版画集」を刊行することが夢だった。中の一点は後摺りも完成し、某所に眠っている。亭主の生きているうちに何とか世に出したいのだが・・・・
1882(明治15年)東京日本橋に生まれた孤雁の本名は志村亀吉。後に母方の戸張家を継いだ。亭主が孤雁を追いかけ始めた頃には、まだ志村家の妹さんがご存命で、兄孤雁のことをいろいろ教えていただいた。
1901(明治34年)渡米し、苦学しつつアート・スチューデンツ・リーグなどで絵画を学ぶ。荻原守衛(碌山)と知り合うが、1906年病のため帰国。碌山の影響で彫刻への関心を深め、1910年太平洋画会研究所彫塑部に入る。1916年からは日本美術院彫刻部に出品し、翌年同人となる。1913年石井柏亭らと水彩画会を創立、1919年には創作版画協会に参加し版画制作を行い、「タンスの前」「玉乗り」「千住大橋の雨」などの傑作を遺す。
1927(昭和2)年12月9日死去。下谷区谷中大泉寺に埋葬された。
戸張孤雁玉乗り「玉乗り」

アトリエの戸張弧雁
アトリエの戸張孤雁(1916年頃)
(愛知県美術館「戸張孤雁と大正期の彫刻」展図録4ページより
同展は1994年1月25日~3月6日まで開催された)

戸張孤雁 《煌く嫉妬》 1924年 ブロンズ
戸張孤雁「煌く嫉妬」
1924年 ブロンズ
35.0×19.0×20.6cm
愛知県美術館蔵
*これはブロンズですが、石膏による原型も一時私が預かり、ギャラリー方寸で展示しました。


さて、創作版画といえば「方寸」そして「山本鼎」である。
山本鼎のゆかりの信州上田に新しい市立美術館ができ、そのオープン記念展が「山本鼎のすべて」だというので、こりゃあ行かずばなるまいと、強引に露天風呂愛好会の秋の例会に合わせて紅葉の信州に行ってまいりました。
池田満寿夫美術館20141026
先ずは、松代にある池田満寿夫美術館(長野市)で生誕80年記念展「東洋の幻影、大陸の記憶」(12月16日まで)を見る。
二階展示室では「池田満寿夫と瀧口修造」を特集展示していました。スフィンクスはじめ池田満寿夫の名作版画を堪能。
遠方なので、しょっちゅうは来られませんが、若い学芸員の皆さんの熱心さにはいつも心打たれます。

角間温泉20141026
その夜の宿は吉川英治はじめ文人達が愛した角間温泉の越後屋旅館。湯田中から少しのぼったひなびた温泉宿で、隣の共同浴場もなかなかでした。

上田市美「山本鼎」展20141027
翌朝、角間温泉から山をかけくだり上田に。新設の上田市立美術館で開館記念特別展「山本鼎のすべて」を見ました。
今回はこれが主目的。

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開館記念「山本鼎のすべて」
会期:2014年10月2日~11月9日
会場:上田市立美術館 企画展示室ほか

先日、町田市立国際版画美術館「鬼才の画人 谷中安規展―1930年代の夢と現実」のすばらしい展示をご紹介しましたが、そのとき<展覧会に松竹梅があるとすれば>、として以下の自己流な基準を書きました。

は、集められた作品がすばらしく、展示に学芸員の「愛」と「熱」がこめられたもの。
は、作品は諸般の事情でベストを集められなかったものの、学芸員の「愛」と「熱」によって観客を魅了したもの。
は、集められた作品がすばらしいにもかかわらず、学芸員の「愛」も「熱」も感じられないもの。

あのときは実は別の展覧会を暗に批判したのですが、上田に行ったら、いや見事に今年のワースト1の展覧会でした。
チラシにも大看板にもメインで取り上げられているように山本鼎は「版画」の人です。創作版画運動の文字通りパイオニアでした。
しかしながら鼎が生涯に遺した(確認できる)版画は亭主の記憶に間違いがなければ50数点に過ぎません。
そのいずれもが、日本の近代版画史に輝く名作です。

入場券を買って会場に入ると蜿蜒と凡庸な油彩の展示が続く。
「なんだいこりゃ、鼎の油彩の面白くないのは常識だろうが」とぶーぶー言いながら会場を巡るが行けども行けども「版画」が無い!
「おっ、こんないい油彩あったっけ」と立ち止まったら、なんとセザンヌ。某美術館から借りてきたらしい。
ポールセザンヌ上田初公開ほか、ルノアール・モネなど印象派画家の作品4点も公開します。>とある。
油絵信仰、権威主義もろの品の無さ。

とうとう会場を出てしまった。いったい鼎のあの懐かしい「版画」はどこだ!(怒)
ありました、ありました。
おそらく今後は市民たちに貸し会場として使われるだろう狭くて粗末な別室に、あわれ鼎の版画作品がぎゅうぎゅうに押し込められていました。

<会場:上田市立美術館 企画展示室ほか>というのはこのことだったのか。

若き修行時代の木口木版修作(驚異です!)はじめ、ほぼすべての版画作品、そして希少な版木(現存する3点、残りは生前鼎自ら鉈で割ってしまったと息子の太郎さんからうかがいました)までそろえて出品しているのに、こんな評価しかできないなんて、鼎がかわいそうで泣けてきた。
行っていない方には亭主がなぜ怒っているのかおわかりにならないでしょうが、たとえば「長谷川潔展」で、蜿蜒と長谷川潔の(凡庸な)油絵が続き、(あの神の恩寵のごとき奇跡の)銅版画が隅の方においやられていたとしたら、皆さんどう思います。
あれほど素晴らしい版画をつくった山本鼎がなぜかくも凡庸な油絵を量産したのかを問うのが学芸員の仕事でしょ。
ちょっとできる画商さんに聞いてご覧なさい、鼎の版画ならどこでも100万円以上、ものによっては数百万でも買ってくれるでしょう。しかるに鼎の油彩ときたら10万円でも買う画商さんがいるかどうか。

油彩と版画ということでいえば今春、丸の内の三菱一号館美術館で開催された「ヴァロットン ―冷たい炎の画家」の展示は見事でした。今まで見過ごされてきたヴァロットンの凄みを大きな油彩と小さなモノクロの木版画を同時に展示することによってあきらかにした画期的な展覧会でした。企画した学芸員の見識に拍手したいですね。

かつて上田の山本鼎記念館には小崎軍司先生という鼎の顕彰に生涯をかけた研究者がいました(山本鼎評伝の著者)。何も知らなかった亭主に鼎の版画のすばらしさを教えてくれたのが小崎先生でした。
展示は展覧会のいのちです。
キャプションもおざなりで(町田を見習え)、学芸員の「愛」も「熱」もない、いまどき珍しい展覧会でした。
上田刀屋外観20141027
巨大な建物が空しく感じられる寒々した展覧会をあとに、口直しに上田の名店・刀屋に、ん十年ぶりに行きました。
相変わらず順番待ちの列が。

上田刀屋20141027
お品書きに注目!
「普」通盛なんか頼んだら大変、まして「大」なんか頼んだ日にはわんこそば100杯と同じです。

刀屋の美味しいおそばでも腹立ちは解消せず、さわやかな秋空のもと車を飛ばして軽井沢へ。
20141027軽井沢セゾン美術館
軽井沢セゾン美術館、やっぱりここはいいなあ。
コレクションもいい、ロケーションもいい。
堤さんは事業ではこけたけれど、この美術館を残してくれた、大偉業ですね。

軽井沢セゾン美磯崎版画20141027
亭主がエディションして、露天風呂愛好会会長の石田了一さんが刷ってくれた磯崎新先生の大作「MoCA」の前で。

万平ホテルでお茶をして解散。
池田満寿夫も、温泉も良かったけれどほろ苦い信州の短い旅でした。

*亭主追伸
怒りにまかせて書いたブログを社長が読んで、新橋烏森神社の焼き鳥屋で「あなたの気持ちは分かるけれど、皆さん一所懸命やっているの。少し言い過ぎどころか三言多い!」と懇々と説教されました。
青木茂先生みたいに「全文削除」といえるほど潔くないのですが、加筆修正は一切せず「部分削除」いたしました。お許しください。
21時10分、一部削除いたしました