小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」 第18回

写真家の仕事を伝える絵本『雪の写真家ベントレー』

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『雪の写真家 ベントレー』表紙


今回は前回に引き続き、写真に関する絵本をご紹介したいと思います。前回取り上げた『FLOTSAM』は、カメラと写真を巡る架空の物語を描き出したものでしたが、今回紹介する『雪の写真家ベントレー』(原題:Snowflake Bentley 作:ジャクリーン・ブリッグズ・マーティン、絵:メアリー・アゼアリアン、訳:千葉茂樹)は、実在したアメリカの写真家ウィルソン・アルウィン・ベントレー(Wilson Alwyn Bentley、1865 - 1931)が主人公の伝記絵本です。タイトルにもあるように、ベントレーは雪の結晶を撮り続けた写真家で、アマチュアの雪の研究者としても知られ、亡くなる直前の1931年に『雪の結晶(Snow Crystals)』を出版しています。
この絵本では、バーモント州のジェリコという豪雪地帯の小さな村で生まれ育ったベントレーの生い立ちや、カメラを手に入れて雪の撮影と研究を続ける過程を辿りつつ、当時の時代背景や写真の技術、エピソードなども交えて物語が展開してゆきます。メアリー・アゼアリアン(Mary Azarian, 1940-)による木版画が、農村の情景や、ベントレーや家族の暖かい人柄を描き出しており、それぞれのページが黒い枠で囲まれていることで、一つ一つの場面や、文章と絵の間の区切りが明快になっているのと同時に、絵本全体のなかで視覚的なリズムを作り出しています。

10933062_10206170618088166_568504060_n(図2)
ベントレーが雪の結晶を撮影する場面


bently(図3)ベントレーの撮影風景


表紙(図1)にも使われている、ベントレーが雪の結晶を撮影する場面(図2)は、実際にベントレーが撮影している様子を捉えた写真を参考にして描かれたようで、カメラや、カメラが設置された木製の台、ベントレーの服装など細部に至るまで忠実に再現されています。このような丁寧なカメラの描き方からもわかるように、ベントレーにとってこのカメラがいかに大切なものだったのかということが、物語の中で重要な要素になっています。

農家に生まれた少年ウィリー(ウィルソン・ベントレーの愛称)は、母親から古い顕微鏡をもらい、身のまわりの植物や昆虫などの自然観察に熱中します。幼少時から雪の美しさに惹かれていたウィリーは、顕微鏡で見た雪の結晶が美しく、また同じものが一つもないことに驚き、その美しさを周りの人に伝えたいと考えスケッチをしますが、スケッチが出来上がる前に雪が溶けてしまいます。顕微鏡付きのカメラがあることを知ったベントレーは、17歳の時に両親に頼み込んで、貯めていたお金でそのカメラを買ってもらいます。

10937704_10206170617288146_1506042602_n(図4)
カメラを買ってもらったベントレーと両親、農場の牛


ベントレーがカメラを買ってもらって喜ぶ場面(図4) では、「子牛よりも背が高く、10頭の乳牛よりも値段の高いカメラでした。ウィリーは世界でいちばんりっぱなカメラを手にいれたのです。」と、カメラの大きさや値段が、牛との対比で語られ、描き出されており、家族の生活との関係のなかからベントレーが手に入れたカメラの存在感が際立たされているのです。
ベントレーは何度も失敗を重ねながら、カメラを手に入れてから2回目の冬にようやく雪の結晶の撮影に成功します。しかし、周囲の人たちのウィリーに対する反応は冷ややかなものでした。「しかし、雪の写真に興味を持つ人などだれもいません。村の人たちは、わらっていいました。「雪なんて、土とおなじで、めずらしくもない。写真なんかいらないよ」でもウィリーは、いつかきっと、世界じゅうの人が、自分の写真をよろこんでくれる日がくるだろうと思っていました。」
ウィリーのカメラはガラス乾板を使うものであり、苦労の末に雪の結晶の撮影に成功した場面(図5)では、ウィリーがガラス乾板を手に喜んで駆け出す様子が描かれています。ウィリーは撮影したガラス乾板を使って、幻灯会を開き、幻灯機(プロジェクターの原型)を使って近所の人たちに一つ一つ形の異なる雪の結晶の写真を見せたりもしていました(図6)。

10937412_10206182464784326_2069571323_n(図5)
雪の結晶の撮影に成功する場面


10887739_10206170618968188_1340127665_n(図6)
幻灯会を開いて、近所の人たちに雪の結晶の写真を見せる場面


640px-SnowflakesWilsonBentley(図7)
ベントレーが撮影した結晶の写真の一部


ベントレーが撮影した雪の結晶の写真(図7)は、(図5)や(図6)に描かれているように、結晶の周辺が黒い状態になっています。これは、ベントレーが結晶の像をはっきりと見せるために、乾板に写った結晶の輪郭をナイフで切り抜いたためです。ガラス乾板に施された作業や、幻灯会の場面は、19世紀末から20世紀初頭当時の、フィルムが一般化する以前の写真のあり方や、写真の楽しみ方の一端を伺わせるものです。

17歳でカメラを手に入れて以来、一つ一つ形の違う雪の結晶の美しさを捉えることに生涯を捧げたウィリーは、50年後晩年になって、雪の研究者として高く評価されるようになりました。当初は周囲の人に「土とおなじで、めずらしくもない」と興味を示されなかったにもかかわらず、ひたむきに雪の結晶を探求し、その形の美しさと神秘を追い求めたウィリーの姿勢には胸を打たれるものがあります。また、このように写真を撮り続ける営みや、写真の見方や価値を、歴史的な背景や写真の技術的な側面も含めて子どもにもわかるように、平易な言葉で語りかけ、描き出している絵本の構成も見事だと感じました。雪降る季節に、写真の歴史を身近に感じられる一冊としてお薦めします。

こばやしみか

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●今日のお勧め作品はラルフ・スタイナーです。
作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第14回をご覧ください。
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ラルフ・スタイナー
「無題(自転車)」
1922年以降
ゼラチンシルバープリント
11.6x9.0cm
サインあり


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