スタッフSの「西村多美子×金子隆一」ギャラリートーク・レポート
"Tamiko NISHIMURA X Ryuichi KANEKO" gallery talk report
読者の皆様こんにちわ。五月も半ばを過ぎ、春の陽気もすっかり初夏の日差しに移り変わった今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか? 先日の季節外れの台風では、傘を差していたにもかかわらず、横殴りの雨に外出30秒で上から下まで濡れ鼠にされたスタッフSこと新澤です。
左)金子隆一さん
右)西村多美子さん
ときの忘れものでは4月24日から5月9日まで、「西村多美子写真展 実存―状況劇場1968-69」を展示していました。2014年2月に開催した「西村多美子写真展-憧憬」と同じく、今回もZEN FOTO GALLERYとの2会場共同開催です。最終日前日の5月8日に写真史家の金子隆一さんと作家の西村多美子さんをお迎えして開催したのが、今回ご紹介するギャラリートークです。
当画廊名物・開始前の亭主語り。
今回のお題は毎日新聞社入社時に同期の平嶋彰彦さんから聞いて知った漫画家・つげ義春について。
元・東京都写真美術館学芸員であり(現在は谷中のお寺のご住職に就いておられます)、日本を代表する芸術写真の研究者である金子さんをお相手に、西村さんに写真家としてのルーツを語っていただきました。
今回の展覧会で展示した状況劇場シリーズは、西村さんが学生時代、まだ写真に触れ始めたばかりの頃の作品で、当時まだカメラを構えてシャッターを切っていただけだった西村さんに、「写真を撮る」というのはそれだけではない、ということを気付かせてくれたのが、「腰巻お仙」の初代お仙役、「由井正雪」の夜桜姐さん役など演じていた藤原マキだったそうです。実際にそのような言葉を交わしたわけではなく、カメラのファインダーに捉えた際、「あんたに写真なんか撮れやしないよ」と言われたように感じるほど、その演技は気が入っており、劇団主宰の唐十郎がプロの役者故に冷静に演じ、四谷シモンをはじめとする他団員が楽しんで役を演じていた事に対し、藤原マキの演技は成り切り、というよりはお仙や夜桜姐さんが乗り移っているかのようで、西村さんはその気迫を通して、ただ漠然と被写体を写すだけは写真とは言えないのだとその一瞬で気付かせてもらったと語りました。この気付きの後に、舞台そのものではなく舞台が表現する「世界」を撮影したのが、今回展示した「実存―状況劇場1968-69」シリーズです。
西村さんが藤原マキを初めて観たのは1968年6月、明治大学の和泉校舎で学園祭の一環として公演された由井正雪だったそうですが、金子さんが学生時代に唯一観た状況劇場の公演もその時だったそうで、お互い驚かれていました。加えて言うと、女優・藤原マキですが、画廊亭主が美術業界に足を踏み入れるきっかけともなった漫画家・つげ義春と後に結婚します。また西村さんご自身も毎日新聞社で働いていた時期があり、亭主の後輩と言えなくもないそうで、世の中どこに縁が繋がっているかは存外分からないもののようで。
10代最後の年でその後の作品に大きく影響を与えられた西村さんでしたが、そもそも状況劇場を知った理由は、当時の同級生に劇団員の一人だった井出情児に誘われたから観に行った、という軽いものでした。後に卒業制作にまで昇華された状況劇場シリーズですが、その際にタイトルである「実存」も至極あっさり、というか、それしか思いつかなかったそうで、劇団主宰の唐十郎に相談した所、「それしかない」と言い切られ、本人達からすれば当然な、初見の人からはやや不思議な言葉がタイトルとなったそうです。ちなみに西村さんにとってこの連作は写真家として活動を始める前、学校の卒業課題以上の考えはなかったそうですが、後年状況劇場に興味のある知人で頼まれてネガから改めて引き伸ばしたところ、「これは意外と面白いのでは」と思って、写真集「実存」の出版に至ったそうです。
この後も卒業制作として提出された「実存」が一度選定から落とされるも、恩師の手により選考を通過したことや、昨年展示した「憧憬」に代表される風景写真に東京以北が多いのは、西村さんの父の出張先がそちら方面に多く、幼少の頃は父から送られてくる絵葉書を並べて見ることが好きであったことに由来するなど、トークが終わった後も懇親会で色々なお話をお聞かせくださったのですが、例に寄って自分にはそれらを簡潔に纏めるだけの腕がないため、今回はこの辺りで終わらせていただきます。
最後は恒例の集合写真。
この後は近所の蕎麦屋で盛り上がりました。
(しんざわ ゆう)
西村多美子 Tamiko NISHIMURA
《由比正雪 1968.06.02 明大和泉校舎》 (1)
1968年(プリントは2010年)
ゼラチンシルバープリント/RC paper
イメージサイズ:22.7x34.4cm
シートサイズ:27.9x35.6cm(大四つ切り)
Ed.5
サインあり
※左側が藤原マキ
西村多美子 Tamiko NISHIMURA
《続ジョン・シルバー 1968.11-1969.01》 (8)
1968-69年(プリントは2010年)
ゼラチンシルバープリント/RC paper
イメージサイズ:34.4x22.7cm
シートサイズ:35.6x27.9cm(大四つ切り)
Ed.5
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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●昨日から始まった「第26回瑛九展 光を求めて」、初日の一番乗りは某県立美術館のU先生、夜の最後のお客様は某市立美術館のY先生でした。相変わらず「学芸員に愛される瑛九」ではあります。
出品作品を順次ご紹介しますので、ぜひ皆様のコレクションに加えてください。
出品No.1)
瑛九
「手」
1957年 板に油彩吹き付け
46.4×38.3cm(F8号)
※山田光春『私家版・瑛九油絵作品写真集』(1977年刊)No.286
※宮崎県立美術館他『生誕100年記念 瑛九展』図録所収・油彩画カタログレゾネ(2011年刊)No.346
出品No.2)
瑛九
「風景」
板に油彩
23.7x33.0cm(F4)
サインあり
出品No.3)
瑛九
「ターゲット」
1956年 水彩、鉛筆
23.3×19.8cm
サイン、年記あり
◆ときの忘れものは2015年5月16日[土]―5月30日[土]「第26回瑛九展 光を求めて」を開催しています(*会期中無休)。
1995年の開廊以来、シリーズ企画として取り組んできた「瑛九展」ですが、第26回となる今回は「光を求めて」と題して、フォトデッサンを中心に、油彩、水彩、フォトデッサンの制作材料とした型紙など約30点を展示します。
"Tamiko NISHIMURA X Ryuichi KANEKO" gallery talk report
読者の皆様こんにちわ。五月も半ばを過ぎ、春の陽気もすっかり初夏の日差しに移り変わった今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか? 先日の季節外れの台風では、傘を差していたにもかかわらず、横殴りの雨に外出30秒で上から下まで濡れ鼠にされたスタッフSこと新澤です。
左)金子隆一さん右)西村多美子さん
ときの忘れものでは4月24日から5月9日まで、「西村多美子写真展 実存―状況劇場1968-69」を展示していました。2014年2月に開催した「西村多美子写真展-憧憬」と同じく、今回もZEN FOTO GALLERYとの2会場共同開催です。最終日前日の5月8日に写真史家の金子隆一さんと作家の西村多美子さんをお迎えして開催したのが、今回ご紹介するギャラリートークです。
当画廊名物・開始前の亭主語り。今回のお題は毎日新聞社入社時に同期の平嶋彰彦さんから聞いて知った漫画家・つげ義春について。
元・東京都写真美術館学芸員であり(現在は谷中のお寺のご住職に就いておられます)、日本を代表する芸術写真の研究者である金子さんをお相手に、西村さんに写真家としてのルーツを語っていただきました。
今回の展覧会で展示した状況劇場シリーズは、西村さんが学生時代、まだ写真に触れ始めたばかりの頃の作品で、当時まだカメラを構えてシャッターを切っていただけだった西村さんに、「写真を撮る」というのはそれだけではない、ということを気付かせてくれたのが、「腰巻お仙」の初代お仙役、「由井正雪」の夜桜姐さん役など演じていた藤原マキだったそうです。実際にそのような言葉を交わしたわけではなく、カメラのファインダーに捉えた際、「あんたに写真なんか撮れやしないよ」と言われたように感じるほど、その演技は気が入っており、劇団主宰の唐十郎がプロの役者故に冷静に演じ、四谷シモンをはじめとする他団員が楽しんで役を演じていた事に対し、藤原マキの演技は成り切り、というよりはお仙や夜桜姐さんが乗り移っているかのようで、西村さんはその気迫を通して、ただ漠然と被写体を写すだけは写真とは言えないのだとその一瞬で気付かせてもらったと語りました。この気付きの後に、舞台そのものではなく舞台が表現する「世界」を撮影したのが、今回展示した「実存―状況劇場1968-69」シリーズです。
西村さんが藤原マキを初めて観たのは1968年6月、明治大学の和泉校舎で学園祭の一環として公演された由井正雪だったそうですが、金子さんが学生時代に唯一観た状況劇場の公演もその時だったそうで、お互い驚かれていました。加えて言うと、女優・藤原マキですが、画廊亭主が美術業界に足を踏み入れるきっかけともなった漫画家・つげ義春と後に結婚します。また西村さんご自身も毎日新聞社で働いていた時期があり、亭主の後輩と言えなくもないそうで、世の中どこに縁が繋がっているかは存外分からないもののようで。
10代最後の年でその後の作品に大きく影響を与えられた西村さんでしたが、そもそも状況劇場を知った理由は、当時の同級生に劇団員の一人だった井出情児に誘われたから観に行った、という軽いものでした。後に卒業制作にまで昇華された状況劇場シリーズですが、その際にタイトルである「実存」も至極あっさり、というか、それしか思いつかなかったそうで、劇団主宰の唐十郎に相談した所、「それしかない」と言い切られ、本人達からすれば当然な、初見の人からはやや不思議な言葉がタイトルとなったそうです。ちなみに西村さんにとってこの連作は写真家として活動を始める前、学校の卒業課題以上の考えはなかったそうですが、後年状況劇場に興味のある知人で頼まれてネガから改めて引き伸ばしたところ、「これは意外と面白いのでは」と思って、写真集「実存」の出版に至ったそうです。
この後も卒業制作として提出された「実存」が一度選定から落とされるも、恩師の手により選考を通過したことや、昨年展示した「憧憬」に代表される風景写真に東京以北が多いのは、西村さんの父の出張先がそちら方面に多く、幼少の頃は父から送られてくる絵葉書を並べて見ることが好きであったことに由来するなど、トークが終わった後も懇親会で色々なお話をお聞かせくださったのですが、例に寄って自分にはそれらを簡潔に纏めるだけの腕がないため、今回はこの辺りで終わらせていただきます。
最後は恒例の集合写真。この後は近所の蕎麦屋で盛り上がりました。
(しんざわ ゆう)
西村多美子 Tamiko NISHIMURA《由比正雪 1968.06.02 明大和泉校舎》 (1)
1968年(プリントは2010年)
ゼラチンシルバープリント/RC paper
イメージサイズ:22.7x34.4cm
シートサイズ:27.9x35.6cm(大四つ切り)
Ed.5
サインあり
※左側が藤原マキ
西村多美子 Tamiko NISHIMURA《続ジョン・シルバー 1968.11-1969.01》 (8)
1968-69年(プリントは2010年)
ゼラチンシルバープリント/RC paper
イメージサイズ:34.4x22.7cm
シートサイズ:35.6x27.9cm(大四つ切り)
Ed.5
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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●昨日から始まった「第26回瑛九展 光を求めて」、初日の一番乗りは某県立美術館のU先生、夜の最後のお客様は某市立美術館のY先生でした。相変わらず「学芸員に愛される瑛九」ではあります。
出品作品を順次ご紹介しますので、ぜひ皆様のコレクションに加えてください。
出品No.1)瑛九
「手」
1957年 板に油彩吹き付け
46.4×38.3cm(F8号)
※山田光春『私家版・瑛九油絵作品写真集』(1977年刊)No.286
※宮崎県立美術館他『生誕100年記念 瑛九展』図録所収・油彩画カタログレゾネ(2011年刊)No.346
出品No.2)瑛九
「風景」
板に油彩
23.7x33.0cm(F4)
サインあり
出品No.3)瑛九
「ターゲット」
1956年 水彩、鉛筆
23.3×19.8cm
サイン、年記あり
◆ときの忘れものは2015年5月16日[土]―5月30日[土]「第26回瑛九展 光を求めて」を開催しています(*会期中無休)。
1995年の開廊以来、シリーズ企画として取り組んできた「瑛九展」ですが、第26回となる今回は「光を求めて」と題して、フォトデッサンを中心に、油彩、水彩、フォトデッサンの制作材料とした型紙など約30点を展示します。
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