Follow-up review on collected Dubuffet work

笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第14回

「画廊での事後検証について」


 前回〔5月8日〕のエッセイで詳述した“美術館での事後検証”は、「頭だけであれやこれや考える一種のバーチュアルな世界で、浅薄な自己満足に浸っている」ことはないか?、と同時に、美術館の展示作品と自分のコレクション作品との比較に於ても、「自分に都合の良いような勝手な解釈に走っていないか……」、ある時こんな事をフーッと思ったことがある。注意すべきことだ。
 このような事をなるべく避けるため、よりリアルな状況をつくり、自分の主観や視覚に異なったクールな風をあて、事後検証での誤差値をより極小化する≪仕掛け≫を造って見る必要があるように思えた。
 そこで考え出したのが、市場で、独得の眼で動いている≪画商≫での事後検証である。ここでの結論には、曖昧さはなく至極現実的だ。というのは、最終的には血も涙もない≪数値≫で、それが提示される。このようなドライな状況の中に自分を放り込み、絵画界の厳しい一面に触れることも悪いことではないと思った。
 これを行う時、最大の注意を払ったことは、画商の選定だ。事が事だけに、いいかげんなところではできない。その画商の信頼性、眼力、そして体質を重視した。まず、選定の基準をつくった。
 第1に、その作家を少なくとも15年は扱っていて、かつ眼力やその作家に対する知識に高い評価が、市場で与えられている事。この条件を満していれば、小さな画廊でも是とした。
 第2に、先に「その作家の作品を購入するために選定」した画商と異なっていること。なぜなら、このような超一流画廊は客の扱いにも長けていて、顧客の所有している作品に対し、思っている本音は絶対口にしない。「こんな良い作品をお持ちでさすがですね」など、歯の浮くような世辞をよく耳にする。又、“価格”を聞くと、近い将来ありうる“商売”のことを配慮し、バイアスをかけたものを言う。一筋縄ではいかない。こんな事に振り回されると、何んのたしにもならず、事後検証どころではない。

■  ■

 デュビュッフェに関しては、3画廊を選定した。
≪ロバート・エルコン画廊≫〔ニューヨーク。癌で若くして逝去、従ってロバートの存命中のみ〕
ロバートの眼は鋭敏だった。この眼力で確認した好みの年代以外は扱わない。デュビュッフェでは、1945年前後から1950年代までの作品が主。今でも強く記憶に残っているのは、顧客に嫌われようが、思っている事をズバズバ言う人だった。従って、事を真剣に正面から話し合える人だった。ニューヨークでも、小さな画廊ながら、“個性の強い”画廊として、注目されていた。早世されたのは残念だった。
≪ジェームズ・グッドマン画廊≫〔ニューヨーク〕
ジェームズは紳士的な常識人。デュビュッフェの扱い歴は長かった。全時代につき、作家の特性から市場情報まで、満遍無く知識を備えていた。一言で言えば、オールラウンド・プレーヤーだ。安定感があった。
≪ボードアン・ルボン≫〔パリ〕
彼は学者肌。チャラチャラしたところもなく、世辞など聞いたこともない。画商とは思えない堅さがあった。
 ヨーロッパでのデュビュッフェのスペシャリストとして、美術館でのデュビュッフェ展の企画にも携わり、そして、デュビュッフェの作品集の編者にもなっている。彼独得の細かな分析力と知識、そして眼力は注目に値いする。
 これらの3画廊を訪れる時、必ず持参するものがあった。
 <検証>する作品の写真。これは、〔4”x 5”〕のカラーのトランスパランシー。これをつくる時、可能な限り、作品の色彩に近いものをつくるように努めた。そして、作品のサイズ、制作年、技法を記述したカード。来歴の調査が完了していたなら、そのデータもこのカードに記述しておいた。
 検証の現場では、「その画商がどんな視角で、そして、何に重点を置き作品の特徴や価値を分析するのか?」この1点は、いつも注視していた。とりもなおさず、これらが市場の論理を反映し、価値を決めるkeyとなるものと思ったからだ。

■  ■

 前回5月8日のエッセイで記述したように、デュビュッフェの1949年制作の水彩、「動物と子供達」は、ニューヨーク近代美術館のデュビュッフェ・ドローイング展の時に。美術館での事後検証を行った。〔1986年12月28日〕
 これから、約4年半後、≪画廊での事後検証≫を行う機会をもった。
June 7, 1991〔Galerie Baudoin Lebon at Paris〕
今日、立ち寄ると、ボードワン・ルボンが居た。暇のようだったので、早速、用意して来たトランスパランシーとデータを出し、
「この作品、デュビュッフェのスペシャリストとして、どのように見ますか?」
彼は、まず、そのトランスパラシーをライトにかざし、チェックしながら……、
「ピザージュ・グロテスクですか?」とまず一言。次に、「このシリーズでは、水彩が6点しかない。その1点じゃないですか……!」
さすがに知り尽くしている。時期によって異なるシリーズの内容を熟知していた。この言葉を画商から聞いたのは初めてだった。
 「大変、珍しいものだ」とつぶやきながら席を立ち、やがて、カタログ・レゾネの第5巻を持って戻ってきた。その作品が載っている該当ページを開き、フィルムとレゾネ〔総作品目録〕のイメージとを、時間をかけかなり細かく比較していた。
「非常に珍しい」と繰り返し、「色彩は最高。〔デュビュッフェの使用する色彩について〕 構図も良い。どこで買われたのですか?」
「ピエール・マティスから……」
「やはり、そうですか」 一呼吸おき、聞きもしないのに、
「価格を言いましょうか……。作品の質は極上、その上珍しいので、今、100万から120万フラン、いや130万、150万でもいいかも……。これ言い値で売れますよ」〔当時の為替レート¥23.47/フランス・フラン〕
 この時、初めて、この作品の“稀少性”というものが、意識に入ってきた。画商の視角だと思った。
 それにしても、≪価格≫のくだりを聞いていた時、しばしの間、心が揺れた。冷静な事後検証どころではない。
 購入後、約4年半経ち、現在の価格は購入価格の10倍を遙かに超えていたのだ。冷静さを取り戻すと、ここでの体験は貴重だと思った。
 “購入する画廊の選定”“日頃の作家研究”、そして雑念をいれずに、“自分の好み”を徹底的に磨き込んだこと、これらがシッカリ噛み合って、この作品が自分の手元にあるのだ、という事を再確認した。
 これは、≪美術館での事後検証≫より、はるかに迫力のある現実感でもって、自分に迫ってくるものがあった。何んでも、考えたことはやってみるものだ。

■  ■

 次回は、今までのエッセイの文中に、度々出現した≪超一流画廊≫とはどんな内容や形態を備えているものか……? そして、「それはいかなるものか?」 現実の例を記述し、見てみたい。しばしの間、舞台はアメリカから、スイスに移る。

(ささぬまとしき)

笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号~12月号、毎月連載)他。

※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。

●書籍のご紹介
笹沼俊樹『現代美術コレクションの楽しみ』笹沼俊樹
『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』

2013年
三元社 発行
171ページ
18.8x13.0cm
税込1,944円(税込)
※送料別途250円

舞台は、現代美術全盛のNY(ニューヨーク)。
駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは…
“作品を売らない”伝説の一流画廊ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには…。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者がコレクションの醍醐味をお届けします。(本書帯より転載)

目次(抄):
I コレクションは病
II コレクションの基礎固め
III 「売約済みです」―ピエール・マティスの想い出
IV 従来のコレクション手法を壊し、より自由に―ジョエル・シャピロのケース
V 欧米で日本の美を追う

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1980年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
57.0x38.0cm
Ed.150 サインあり
※レゾネNo298(阿部出版)

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