小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」 第24回
絵本『ちいさいおうち』とアメリカ写真史
(図1)
『ちいさいおうち』表紙
娘を寝かしつける時に、何度も読んでいる絵本の一つに『ちいさいおうち』(作:ヴァージニア・リー・バートン(Virginia Lee Burton, 1909-1968)、訳:石井桃子(1907-2008)原作は1942年、日本語訳は1954年刊行)があります。この絵本を元に、ディズニーの短編アニメ『The Little House』(1952)も作られており、古典的な名作絵本として長きに渡って読み継がれています。私自身も子どもの頃にこの絵本が好きで、明るい水色の表紙に描かれたピンク色の小さなかわいいお家(窓とドア、戸口の階段が目、鼻、口に見立てられていて、お日様に照らされてニコニコと笑っているように見えます)に、親しみを感じていました。
(図2)
『ちいさいおうち』絵の抜粋
(図3)
『ちいさいおうち』見返し
物語のあらましは次のようなものです。(図3)のどかな田園を見下ろす丘の上にある人が「ちいさいおうち」を建てました。おうちはめぐりゆく季節、時代の移り変わりを見つめていきます。時代が進む中で、静かだった田園にも、次第に家や建物が増えてゆき、いつしか賑やかな都会へと変わってしまいます。車や電車がひっきりなしに行き交い、人々が慌ただしい生活を送る都会の中で、空き家になったちいさいおうちの窓ガラスは壊れ、外壁のペンキは剝がれて荒れ果ててゆきます。やがて、ちいさいおうちを建てた人の孫の孫の孫にあたる人が都会のビルの間に残されたおうちを見つけます。ちいさいおうちは、のどかな田園の丘の上に移されて、修繕を施した後に再び人が中に住むようになるところで物語は終わります。
「ちいさなおうち」を画面の中心に据えて刻々と進行する工業化、都市化の過程を周辺の環境の変化として描き出す物語の展開は、結末として自然豊かな環境を取り戻したいという願いや、自然と人間の関係を見つめ直すべきではないだろうかという、現代社会にも通底する普遍的なメッセージへと繋がっていきます。また、時代を経て引き継がれ、大切に使われる「ちいさなおうち」は、ささやかで小さな存在のかけがえのなさや、尊厳の感覚に響き合うものだと言えるでしょう。
この物語は、作者のバートン自身が1910年代から30年代にかけて体験したアメリカ社会の変化、とくに第一次世界大戦後に急速に進行したモータリゼーション(車社会化)をベースに描かれています。絵本の見返し(図2)には、 ストーリーの流れをコマ送りで展開するように、ちいさなおうちとその周辺の環境と乗物の進歩(馬から馬車、自転車、自動車、路面電車、トラック)が連続するように描かれています。描かれている自動車が、ワゴン車のようなスタイルから、流線型のデザインへと変わっていくところに当時のデザインの状況が反映されています。
ヴァージニア・リー・バートンと同時代にアメリカで活躍した写真家たちの作品を参照しながら、『ちいさいおうち』を読むと、物語の中に描かれた建物の特徴、アメリカ社会の変化のありようを、より具体的に把握することができます。言い方を変えれば、『ちいさいおうち』は、1930年代前後のアメリカの写真史の展開を把握する本としても優れた作品でもあるのです。
まず、主人公の「ちいさいおうち」として描かれている屋根葺きの一軒家ですが、ウォーカー・エヴァンズ(Walker Evans 1903-1975)が1930年代にアメリカ各地で撮影していた、地方独特のスタイルで建てられた家屋や教会の写真(エヴァンズはとくに19世紀に流行したヴィクトリア様式の建物を緻密に記録していました)を思い起こさせます。(図4)
(図4)
ウォーカー・エヴァンズ
「農場の家 ニューヨーク州ウェストチェスター郡」(1936)
(図5)
煉瓦の建物に囲まれるちいさいおうち
(図6)
ベレニス・アボット
「ニューヨーク市 パイク通りとヘンリー通り」(1936)
ちいさいおうちの周囲が、次第に都会へと変貌を遂げていく過程で立ち並ぶのが、外壁に非常階段が備え付けられた煉瓦造りの4、5階立ての建物です(図5)。このような様式の建物は、現在もニューヨークなど都市部で見られますが、19世紀から20世紀初頭にかけて一般的なものでした。1930年代に連邦美術計画に参加して、ニューヨークの街を撮影したプロジェクト『Changing New York(変わりゆくニューヨーク)』を手がけたベレニス・アボット(Berenice Abbott, 1898-1991)の写真野中にも、非常階段のついた煉瓦造りの建物が精緻に写し取られたものを見て取ることができます(図6)。 (アボットのニューヨークの写真は、ニューヨーク公共図書館のサイトで閲覧することができます。
(図5)と(図6)を見比べると、バートンが、当時の街の情景や車や人の様子をかなり忠実に描いていたことがわかります。
さらに都市化が進み、鉄道が路面だけではなく、高架線や地下鉄にまで拡張していくようになると、煉瓦造の建物を押しのけるようにして、1910年代後半以降急増したセットバックの摩天楼が表れます。絵本の中では、摩天楼の上層階の部分にクレーンが設置され、建設中の様子も描かれていますが、このような情景は、ドキュメンタリー写真の先駆者として知られるルイス・ハイン(Lewis W. Hine 1874-1940)がエンパイア・ステート・ビルディングの建設中に、脚が竦むような高所の現場で働く工夫たちをとらえた『Men at Work: Photographic Studies of Modern Men and Machines(働く男達:現代人と機械の写真による調査)』(1932)の写真に照らし合わせてみると、より臨場感を持って、当時の様子を感じ取ることができます。
(図7)
建造中のセットバック超高層ビル
(図8)
ルイス・W・ハイン
「Men at Work: Photographic Studies of Modern Men and Machines」(1932)より
完成したセットバックの摩天楼は、上層階が雲に隠れてしまうほど高いものとして描かれています(図9)。このような超高層ビルを捉えた写真として思い浮かぶのが、近代写真の父と称されるアルフレッド・スティーグリッツ(Alfred Stieglitz, 1864–1946)が、当時マンハッタンで居室とギャラリーを構えていたシェルトン・ホテルの窓から撮影された写真です。スティーグリッツは次々に建造される摩天楼を観察し、建物や窓、セットバックの壁面が作り出す影を幾何学的な形、パターンとして画面の中に収めています。
(図9)
上層階が雲に隠れたセットバックの摩天楼
(図10)
アルフレッド・スティーグリッツ
「シェルトンから北西を望む」(1932)
これまで見てきたように、『ちいさいおうち』の中に描かれた建物や街の情景は、ヴァージニア・リー・バートン自身が実際に目の当たりにしてきたものだけではなく、同時代に撮影された写真を通して見たりした街の情景も反映されているのではないでしょうか。また、バートンが、「ちいさないえ」という存在を通して物語を紡ぎ出す姿勢は、建物や変容する街を観察し、記録し続けた写真家たちが撮影に取り組む姿勢とも共鳴するものだったのでは、と思われるのです。
(こばやしみか)
●今日のお勧め作品は、オリビア・パーカーです。作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第24回をご覧ください。
オリビア・パーカー
「羽のあるコンポジション」
1981年
カラー・ダイ・トランスファー
33.7x39.4cm
Ed.75
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。
・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・新連載「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」の再録掲載は終了しました。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」の再録掲載は終了しました。
・森下泰輔のエッセイ「私のAndy Warhol体験」は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
・「現代版画センターの記録」は随時更新します。新たに1974年10月7日の「現代版画センターのエディション発表記念展」オープニングの様子を掲載しました。
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絵本『ちいさいおうち』とアメリカ写真史
(図1)『ちいさいおうち』表紙
娘を寝かしつける時に、何度も読んでいる絵本の一つに『ちいさいおうち』(作:ヴァージニア・リー・バートン(Virginia Lee Burton, 1909-1968)、訳:石井桃子(1907-2008)原作は1942年、日本語訳は1954年刊行)があります。この絵本を元に、ディズニーの短編アニメ『The Little House』(1952)も作られており、古典的な名作絵本として長きに渡って読み継がれています。私自身も子どもの頃にこの絵本が好きで、明るい水色の表紙に描かれたピンク色の小さなかわいいお家(窓とドア、戸口の階段が目、鼻、口に見立てられていて、お日様に照らされてニコニコと笑っているように見えます)に、親しみを感じていました。
(図2)『ちいさいおうち』絵の抜粋
(図3)『ちいさいおうち』見返し
物語のあらましは次のようなものです。(図3)のどかな田園を見下ろす丘の上にある人が「ちいさいおうち」を建てました。おうちはめぐりゆく季節、時代の移り変わりを見つめていきます。時代が進む中で、静かだった田園にも、次第に家や建物が増えてゆき、いつしか賑やかな都会へと変わってしまいます。車や電車がひっきりなしに行き交い、人々が慌ただしい生活を送る都会の中で、空き家になったちいさいおうちの窓ガラスは壊れ、外壁のペンキは剝がれて荒れ果ててゆきます。やがて、ちいさいおうちを建てた人の孫の孫の孫にあたる人が都会のビルの間に残されたおうちを見つけます。ちいさいおうちは、のどかな田園の丘の上に移されて、修繕を施した後に再び人が中に住むようになるところで物語は終わります。
「ちいさなおうち」を画面の中心に据えて刻々と進行する工業化、都市化の過程を周辺の環境の変化として描き出す物語の展開は、結末として自然豊かな環境を取り戻したいという願いや、自然と人間の関係を見つめ直すべきではないだろうかという、現代社会にも通底する普遍的なメッセージへと繋がっていきます。また、時代を経て引き継がれ、大切に使われる「ちいさなおうち」は、ささやかで小さな存在のかけがえのなさや、尊厳の感覚に響き合うものだと言えるでしょう。
この物語は、作者のバートン自身が1910年代から30年代にかけて体験したアメリカ社会の変化、とくに第一次世界大戦後に急速に進行したモータリゼーション(車社会化)をベースに描かれています。絵本の見返し(図2)には、 ストーリーの流れをコマ送りで展開するように、ちいさなおうちとその周辺の環境と乗物の進歩(馬から馬車、自転車、自動車、路面電車、トラック)が連続するように描かれています。描かれている自動車が、ワゴン車のようなスタイルから、流線型のデザインへと変わっていくところに当時のデザインの状況が反映されています。
ヴァージニア・リー・バートンと同時代にアメリカで活躍した写真家たちの作品を参照しながら、『ちいさいおうち』を読むと、物語の中に描かれた建物の特徴、アメリカ社会の変化のありようを、より具体的に把握することができます。言い方を変えれば、『ちいさいおうち』は、1930年代前後のアメリカの写真史の展開を把握する本としても優れた作品でもあるのです。
まず、主人公の「ちいさいおうち」として描かれている屋根葺きの一軒家ですが、ウォーカー・エヴァンズ(Walker Evans 1903-1975)が1930年代にアメリカ各地で撮影していた、地方独特のスタイルで建てられた家屋や教会の写真(エヴァンズはとくに19世紀に流行したヴィクトリア様式の建物を緻密に記録していました)を思い起こさせます。(図4)
(図4)ウォーカー・エヴァンズ
「農場の家 ニューヨーク州ウェストチェスター郡」(1936)
(図5)煉瓦の建物に囲まれるちいさいおうち
(図6)ベレニス・アボット
「ニューヨーク市 パイク通りとヘンリー通り」(1936)
ちいさいおうちの周囲が、次第に都会へと変貌を遂げていく過程で立ち並ぶのが、外壁に非常階段が備え付けられた煉瓦造りの4、5階立ての建物です(図5)。このような様式の建物は、現在もニューヨークなど都市部で見られますが、19世紀から20世紀初頭にかけて一般的なものでした。1930年代に連邦美術計画に参加して、ニューヨークの街を撮影したプロジェクト『Changing New York(変わりゆくニューヨーク)』を手がけたベレニス・アボット(Berenice Abbott, 1898-1991)の写真野中にも、非常階段のついた煉瓦造りの建物が精緻に写し取られたものを見て取ることができます(図6)。 (アボットのニューヨークの写真は、ニューヨーク公共図書館のサイトで閲覧することができます。
(図5)と(図6)を見比べると、バートンが、当時の街の情景や車や人の様子をかなり忠実に描いていたことがわかります。
さらに都市化が進み、鉄道が路面だけではなく、高架線や地下鉄にまで拡張していくようになると、煉瓦造の建物を押しのけるようにして、1910年代後半以降急増したセットバックの摩天楼が表れます。絵本の中では、摩天楼の上層階の部分にクレーンが設置され、建設中の様子も描かれていますが、このような情景は、ドキュメンタリー写真の先駆者として知られるルイス・ハイン(Lewis W. Hine 1874-1940)がエンパイア・ステート・ビルディングの建設中に、脚が竦むような高所の現場で働く工夫たちをとらえた『Men at Work: Photographic Studies of Modern Men and Machines(働く男達:現代人と機械の写真による調査)』(1932)の写真に照らし合わせてみると、より臨場感を持って、当時の様子を感じ取ることができます。
(図7)建造中のセットバック超高層ビル
(図8)ルイス・W・ハイン
「Men at Work: Photographic Studies of Modern Men and Machines」(1932)より
完成したセットバックの摩天楼は、上層階が雲に隠れてしまうほど高いものとして描かれています(図9)。このような超高層ビルを捉えた写真として思い浮かぶのが、近代写真の父と称されるアルフレッド・スティーグリッツ(Alfred Stieglitz, 1864–1946)が、当時マンハッタンで居室とギャラリーを構えていたシェルトン・ホテルの窓から撮影された写真です。スティーグリッツは次々に建造される摩天楼を観察し、建物や窓、セットバックの壁面が作り出す影を幾何学的な形、パターンとして画面の中に収めています。
(図9)上層階が雲に隠れたセットバックの摩天楼
(図10)アルフレッド・スティーグリッツ
「シェルトンから北西を望む」(1932)
これまで見てきたように、『ちいさいおうち』の中に描かれた建物や街の情景は、ヴァージニア・リー・バートン自身が実際に目の当たりにしてきたものだけではなく、同時代に撮影された写真を通して見たりした街の情景も反映されているのではないでしょうか。また、バートンが、「ちいさないえ」という存在を通して物語を紡ぎ出す姿勢は、建物や変容する街を観察し、記録し続けた写真家たちが撮影に取り組む姿勢とも共鳴するものだったのでは、と思われるのです。
(こばやしみか)
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オリビア・パーカー「羽のあるコンポジション」
1981年
カラー・ダイ・トランスファー
33.7x39.4cm
Ed.75
サインあり
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・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」は毎月25日の更新です。
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・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
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同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
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・新連載「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
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