新連載・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」第1回
皆さん、はじめまして。藤本貴子と申します。建築事務所勤務の後、1年間建築アーカイブについての海外研修・調査に出かけ、現在は近現代建築資料の保存と活用に関わる仕事をしています。建築事務所で働いていた際にお世話になった綿貫さんからご依頼をいただき、この度連載を持たせていただくことになりました。いわゆる建築の枠からは少し外れる話題が多くなると思いますが、展覧会などのトピックを取りあげながら、1年間の海外研修で見聞きしてきたこともお伝えしていきたいと思います。
月に一度、しばしのおつきあいをお願いいたします!
さて、連載第一回目の今回は、没後50周年という記念の年を迎えた建築家ル・コルビュジエの資料に関するお話をしたいと思います。
今年4月から8月にはパリのポンピドー・センターで大規模な回顧展が開かれ、日本でも7月から8月には早稲田大学會津八一記念館で〈写真家としてのル・コルビュジエ〉展、7月から11月まで近現代建築資料館で〈ル・コルビュジエ×日本〉展が開催されています。
ル・コルビュジエの残した資料はパリにあるル・コルビュジエ財団が管理していますが、元々この財団はル・コルビュジエ本人の意思で存命中の1960年に設立されたものです。子供がおらず相続人もいなかったル・コルビュジエは、晩年の15年をかけて自身の遺産を後世に伝えるための財団構想を固めたそうです。写真や映画といった複製芸術の発展と大量生産の時代を身をもって経験し、牽引もしたル・コルビュジエは、自分を発信することに極めて意識的だったと言えるでしょう。自身の資料を分散させない形で残すことで、後世への影響力を確保したわけです。多くの建築家や芸術家が制作のみに没頭し、その試行の過程を残すことに無頓着である場合が多いことを考えると、著作や作品集を通してその思想を発信し続けたル・コルビュジエという人物がよく現れていると言えます。
建築資料に関わる者としては、資料を作成した本人の強い意図のもとに“残された”ものよりも、図らずも“残されてしまった”資料に魅力を感じますが、とはいえ誰かしらの“残そう”という意思なしには、資料が残ることは難しい。
筆者は2014年春、研修の一環としてル・コルビュジエ財団に2ヶ月ほど滞在していました。資料室の担当者に「ル・コルビュジェは財団に資料を残すにあたって、自分に都合の悪いものは処分してしまったと思う?」と聞いたところ、そんなことはないと思うとの返事がかえってきました(財団にしてみれば、当然の答えですね)。が、勿論今となっては誰ぞ知る。今年のポンピドー・センターでの展示には、フランスがドイツに占領されていた期間の作品が出展されておらず、物議を醸したと聞きます。確かに、カタログには該当期間の建築作品は掲載されていません。ル・コルビュジエがヴィシー政権に近づいていた時のことを、敢えて展示から外したのかどうかは分かりません。しかし、資料は「無い」ことでもその存在を知らしめるものです。
興味深かった財団の活動のひとつは、ル・コルビュジエ設計の建物の壁面を一層ずつ剥がして塗装の変遷を辿り、竣工当時の色を明らかにする調査でした。財団本部のあるラ・ロッシュ/ジャンヌレ邸の外壁は、昨年の改修工事の際に竣工当時の色に復元されましたが、驚いたことにその色は黄味がかったクリーム色でした。その色を見て、筆者のル・コルビュジエ=真っ白なモダニズム建築、という定型化されたイメージは完全に覆されました。改修の際に図面が使用されるのはもちろんのこと、こうした調査は竣工当時の写真を検証することでも進められており、また、オリジナルの部材もアーカイブしようとしているそうです。
Villa La Roche(ラ・ロシュ邸、1925)のオリジナル塗装
© Fondation Le Corbusier、筆者撮影
資料さえ残っていれば、建築がどんなに改修され、時に壊されてしまっていても、その意図を後世へ伝えることができる。むしろ建物そのものを通じてよりも、純粋な形で継承されることすらあると言えます。残す側からみれば、いつか誰かに届くはずの、投瓶通信のようなものかもしれません。そう考えると、我々はル・コルビュジエからのメッセージを受け取り続けているわけであり、更に考えると今なおル・コルビュジエの手のひらで踊らされているのでは・・・という気持ちにすらなります。
●リンク
・〈写真家としてのル・コルビュジエ〉(早稲田大学會津八一記念博物館、会期終了)
https://www.waseda.jp/top/news/27912
・〈Le Corbusier Mesures de l’homme〉(ポンピドー・センター、会期終了)
https://www.centrepompidou.fr/cpv/resource/coy8gny/rzyodRb
・〈ル・コルビュジエ×日本―西洋美術館を建てた3人の弟子を中心に〉(文化庁国立近現代建築資料館、~11/8迄開催中)
http://nama.bunka.go.jp/kikak/
※近現代建築資料館では、展覧会に加え、坂倉準三資料(一部)の試験的閲覧公開を始めました。こちらもどうぞご利用ください!
http://nama.bunka.go.jp/etsuran/
・ル・コルビュジエ財団
http://www.fondationlecorbusier.fr
(ふじもと たかこ)
■藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。
*画廊亭主敬白
本日より新たなブログ執筆者の登場です(毎月22日更新)。
藤本さんとは磯崎アトリエ時代からのお付き合いですが、ときの忘れものが柱としている「建築家の版画とドローイング」に関連してのエッセイの連載をお願いしました。
建築そのものというより、「建築圏外」にある興味深い話題が取り上げられるでしょう。どうぞご愛読ください。
それにしてもここ数日のブログのアクセスがもの凄いことになっています。「関根光才~関根伸夫」効果と連日大盛況の井桁裕子展の反響が加わっての数字です。藤本さん、関根さん、井桁さん、それぞれの若い才能の未来に期待しましょう。
●今日のお勧め作品は、ル・コルビュジエです。
ル・コルビュジエ
「〈ユニテ〉より#11b」
1965年
カラー銅版画
57.5x45.0cm
Ed.130
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
皆さん、はじめまして。藤本貴子と申します。建築事務所勤務の後、1年間建築アーカイブについての海外研修・調査に出かけ、現在は近現代建築資料の保存と活用に関わる仕事をしています。建築事務所で働いていた際にお世話になった綿貫さんからご依頼をいただき、この度連載を持たせていただくことになりました。いわゆる建築の枠からは少し外れる話題が多くなると思いますが、展覧会などのトピックを取りあげながら、1年間の海外研修で見聞きしてきたこともお伝えしていきたいと思います。
月に一度、しばしのおつきあいをお願いいたします!
さて、連載第一回目の今回は、没後50周年という記念の年を迎えた建築家ル・コルビュジエの資料に関するお話をしたいと思います。
今年4月から8月にはパリのポンピドー・センターで大規模な回顧展が開かれ、日本でも7月から8月には早稲田大学會津八一記念館で〈写真家としてのル・コルビュジエ〉展、7月から11月まで近現代建築資料館で〈ル・コルビュジエ×日本〉展が開催されています。
ル・コルビュジエの残した資料はパリにあるル・コルビュジエ財団が管理していますが、元々この財団はル・コルビュジエ本人の意思で存命中の1960年に設立されたものです。子供がおらず相続人もいなかったル・コルビュジエは、晩年の15年をかけて自身の遺産を後世に伝えるための財団構想を固めたそうです。写真や映画といった複製芸術の発展と大量生産の時代を身をもって経験し、牽引もしたル・コルビュジエは、自分を発信することに極めて意識的だったと言えるでしょう。自身の資料を分散させない形で残すことで、後世への影響力を確保したわけです。多くの建築家や芸術家が制作のみに没頭し、その試行の過程を残すことに無頓着である場合が多いことを考えると、著作や作品集を通してその思想を発信し続けたル・コルビュジエという人物がよく現れていると言えます。
建築資料に関わる者としては、資料を作成した本人の強い意図のもとに“残された”ものよりも、図らずも“残されてしまった”資料に魅力を感じますが、とはいえ誰かしらの“残そう”という意思なしには、資料が残ることは難しい。
筆者は2014年春、研修の一環としてル・コルビュジエ財団に2ヶ月ほど滞在していました。資料室の担当者に「ル・コルビュジェは財団に資料を残すにあたって、自分に都合の悪いものは処分してしまったと思う?」と聞いたところ、そんなことはないと思うとの返事がかえってきました(財団にしてみれば、当然の答えですね)。が、勿論今となっては誰ぞ知る。今年のポンピドー・センターでの展示には、フランスがドイツに占領されていた期間の作品が出展されておらず、物議を醸したと聞きます。確かに、カタログには該当期間の建築作品は掲載されていません。ル・コルビュジエがヴィシー政権に近づいていた時のことを、敢えて展示から外したのかどうかは分かりません。しかし、資料は「無い」ことでもその存在を知らしめるものです。
興味深かった財団の活動のひとつは、ル・コルビュジエ設計の建物の壁面を一層ずつ剥がして塗装の変遷を辿り、竣工当時の色を明らかにする調査でした。財団本部のあるラ・ロッシュ/ジャンヌレ邸の外壁は、昨年の改修工事の際に竣工当時の色に復元されましたが、驚いたことにその色は黄味がかったクリーム色でした。その色を見て、筆者のル・コルビュジエ=真っ白なモダニズム建築、という定型化されたイメージは完全に覆されました。改修の際に図面が使用されるのはもちろんのこと、こうした調査は竣工当時の写真を検証することでも進められており、また、オリジナルの部材もアーカイブしようとしているそうです。
Villa La Roche(ラ・ロシュ邸、1925)のオリジナル塗装© Fondation Le Corbusier、筆者撮影
資料さえ残っていれば、建築がどんなに改修され、時に壊されてしまっていても、その意図を後世へ伝えることができる。むしろ建物そのものを通じてよりも、純粋な形で継承されることすらあると言えます。残す側からみれば、いつか誰かに届くはずの、投瓶通信のようなものかもしれません。そう考えると、我々はル・コルビュジエからのメッセージを受け取り続けているわけであり、更に考えると今なおル・コルビュジエの手のひらで踊らされているのでは・・・という気持ちにすらなります。
●リンク
・〈写真家としてのル・コルビュジエ〉(早稲田大学會津八一記念博物館、会期終了)
https://www.waseda.jp/top/news/27912
・〈Le Corbusier Mesures de l’homme〉(ポンピドー・センター、会期終了)
https://www.centrepompidou.fr/cpv/resource/coy8gny/rzyodRb
・〈ル・コルビュジエ×日本―西洋美術館を建てた3人の弟子を中心に〉(文化庁国立近現代建築資料館、~11/8迄開催中)
http://nama.bunka.go.jp/kikak/
※近現代建築資料館では、展覧会に加え、坂倉準三資料(一部)の試験的閲覧公開を始めました。こちらもどうぞご利用ください!
http://nama.bunka.go.jp/etsuran/
・ル・コルビュジエ財団
http://www.fondationlecorbusier.fr
(ふじもと たかこ)
■藤本貴子 Takako FUJIMOTO
磯崎新アトリエ勤務のち、文化庁新進芸術家海外研修員として建築アーカイブの研修・調査を行う。2014年10月より国立近現代建築資料館研究補佐員。
*画廊亭主敬白
本日より新たなブログ執筆者の登場です(毎月22日更新)。
藤本さんとは磯崎アトリエ時代からのお付き合いですが、ときの忘れものが柱としている「建築家の版画とドローイング」に関連してのエッセイの連載をお願いしました。
建築そのものというより、「建築圏外」にある興味深い話題が取り上げられるでしょう。どうぞご愛読ください。
それにしてもここ数日のブログのアクセスがもの凄いことになっています。「関根光才~関根伸夫」効果と連日大盛況の井桁裕子展の反響が加わっての数字です。藤本さん、関根さん、井桁さん、それぞれの若い才能の未来に期待しましょう。
●今日のお勧め作品は、ル・コルビュジエです。
ル・コルビュジエ「〈ユニテ〉より#11b」
1965年
カラー銅版画
57.5x45.0cm
Ed.130
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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