笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」 第19回
「コレクションの失敗を少なくするために」
寄り道をしながらも、趣味として、自分に合ったユックリとした歩調で現代美術コレクションも、飽きずに半世紀。この間に、多様な思い出も、かなり堆積した。数え切れない程の失敗。この大部分は眼力の未熟さ、そして知識や体験の不足に起因。又、コレクションの過程では、迷いに迷った試行錯誤も、「イヤッ」と言う程味わった。だが、これだけではない。成功体験もある。不思議な程、「ツキ」に恵まれた時期もあった。
しかし、世に言う“成功体験”とは、非常に曖昧としたものである。ある目的を見事に達成したその方法論やロジックをシッカリと固め、次のケースでその通りにしても、社会情況、景気、流行、価格……などの変異の中で、それらが効力を発揮できないことが多い。例えば、'80年代の前半、現代美術作家のデュビュッフェは〔仏:1901-1985〕は人気もなく、多くのコレクターは興味の対象から外していた。作品の価格も極めて安い。なによりな事は、「売れてない」ので、市場に沢山の作品が存在していて、好みの作品をよりどりみどりで選択ができた。さらに、あのピエール・マティスも存命していたのである。
当時、世界で最高の画廊のひとつと言われ、特にデュビュッフェでは「この上なし」とまで言われたピエール・マティス画廊で、1949年に制作されたデュビュッフェの作品に偶然にあたり、この作品獲得のために全力をあげて動いた。自分の安月給でも買える程、「今、思えばタダのような価格」で購入できたのだ。
しかし、今、希代の目利きピエール・マティスもこの世にいない。デュビュッフェの人気は極めて高く、価格が高騰している。作品も各所に吸収されてしまい、一流画廊に行っても、作品は数える程しか見ることができない。質の良い作品はめったにない。従って、選択の余地などまったくない。こう見てくると、非常に良い時期に作品を入手できたことは、その“偶然な時の流れ”が強く味方したとしか思えない。おそらく、このような成功体験は、現在の状況に適応させても無力である。
特定の成功体験にあまりにこだわると、多様なケースで行動や思考に柔軟性が欠けてくる。ややもすれば、逆に失敗への道を辿らせるかも……。一方、“時”は状況や条件をドンドン変化させてゆく。これに対応するには、よりしなやかな適応力が重要である。作品だけでなく、社会状況とも密接な関連をもつコレクション行為も、このようなケースを幾つか体験すると、その奥深さを感じ、興味も一層増してくるものだ。
やがて、“成功体験”への依存から一定の距離をとり、コレクション行為の中での<失敗>や<試行錯誤>からの“反省”より得られた≪教訓≫を重視するようになっていった。これの方が、より実戦的に思えたからだ。
だからと言って、<失敗>ばかりしてもいられない。一人の人間に与えられた時間には限りがあり、財力にも限界がある。従って、失敗を極小化する為に、多方面で、多様な知識を採集し、それらを基に、瞬発的な判断力を、自分自身で工夫して鍛えることにも注力した。≪そのような知識≫を得るのに利用した“場”や“道具”を幾つか記述してみたい。
まずは画商である。“知識採集”のために、立ち寄って良好な関係をつくる努力を重ねたのは、多種のデータを参考にして、「目筋が非常に良い」と判断した画廊だった。特に、「自分がコレクションしよう」と思っている作家を主力に扱っている画廊は大切にした。換言すれば、コレクション作家別に画商のグループを自分なりにつくった。
この中で≪古書店≫も“道具”として、利用価値があった。パリの古書店で買い求めた、かなり以前に出版されたある展覧会のカタログの中には非常に大切な情報が隠れていた。それは、ある作家を扱っている“画商の眼力”そのものを暗示する一種の指標となるようなものだった。これまでは、画商間やコレクター間の<評価>や<噂>で、「あの作家については、どこそこの画廊が良い」となんとなく判断していた。
しかし、これには曖昧さが常に伴う。人間関係による“友情”とか“仲間意識”、ある場合は“妬み”までも、それにまとわりついている事がある。従って、正確な情報でない場合も考えられる。だが、この古書店で見つけたものには、「冷徹に、これだ」と判断できるデータが入っていた。
1966年、ロンドンの≪テート・ギャラリー≫で開かれた“ジャン・デュビュッフェ回顧展”のカタログだった。高い水準で世界的な評価をとるイギリスを代表する美術館である。さらに、ここの学芸員〔研究員〕の程度の高さでも有名である。
カタログを見ていて、最後のページを見ると、展示作品を貸し出した世界各地の<美術館>・<コレクター>・<画商>の実名が列挙されている。しかも作品ごとに、その所有者も記述した細かなリストも添えられている。粒よりの優秀な学芸員の鋭敏な眼によって選び抜かれた作品の内容にも注目したが、さらに強い関心を持ったのは“選ばれたその作品の所有者名”だった。
リストの中に貸し出し作品数が図抜けて多い画廊があった。美術館、コレクター、他画廊、総てを見比べても、ダントツに多い。9点もの作品を貸し出していた。それはピエール・マティス画廊だった。画廊では第2位はニューヨークのシドニー・ジャニスで3点、第3位はスイスのバーゼルにあるバイエラー画廊で1点。これらは、世界で超一流と言われている画廊だが、この事象で、デュビュッフェに関しての≪画商の眼力≫は、理屈なしに、把握できたのだ。
このような特殊な画商を重視した、第一の理由は「その画廊主の独得の眼力」で選ばれた作品を見るためだった。コレクターにとって、これは非常に重要なこと。次に、その作品を見ながら、作品についての画廊主の見解を聞くこと。作品内容、そして画廊主の知識は、自分のコレクション作品に多大な影響を与えていった。
「その作家の“独得な個性”が作品に最もよく出た時期はいつ頃か?」
「その作家の将来性は……?」〔前もって採集しておいた市場での一般的な見方とこの画商の見方を比較し差異があると、その根拠などもさぐる〕
「眼力のあると言われている有名コレクター〔例えば、デュビュッフェだと、コーリンやバンシャフト〕が眼をつける作品の特徴は……? そして、その作品の制作時期は……?」〔この作家に対する最上級コレクターの視角を知るため〕
「この作家を主として扱っている、評価のある画商はどこの国の、何という画廊?」〔この作家を扱う勢力の分布状況を見るため。これはやがて、その作家の評価にもハネかえってくる〕
こんなことを、その画廊の現場での対話から、聞きとることに注力した。選択した画廊は超一流のそれだけではなかった。なぜなら<上質の眼力>と<市場の熟知>を尺度に選択したからだ。例えば、デュビュッフェであると、ニューヨークではピエール・マティス画廊〔超一流〕、シドニー・ジャニス画廊〔超一流・初代が存命中のみ〕、ロバート・エルコン画廊〔小さな画廊・ロバートが存命中のみ〕、パリではジャン・ブッシェ画廊〔超一流〕。これら4画廊からは、<作品の質>の件で、特に強い影響をうけたことが記憶に残っている。
次に、作家である。作家と画商では、その立ち位置が違うので、“ある一人の作家”を見ることにおいても、その視点が明らかに異っていた。従って、双方の見方を聞き、それを咀嚼(そしゃく)すると、その作家が立体的に見え、興味ある見方が出てくる。
'70年代の作家をたくさん生み出し世界にその名を轟かせたポーラ・クーパーと河原温のある一人の作家についての見方を偶然に聞けた時があった。視点の違いが分り参考になった。今、執筆中の≪河原温の思い出≫の中で記述している。興味ある方は、一読いただきたい。
非常に理論的に他作家を分析できる作家もいる。親しかった'70年代の現代美術を代表する作家の一人、ジョエル・シャピロ〔米:1941-〕がその典型である。切れ味が抜群だった。彼は若い時、名門プリンストン大学で、2年程、教壇にたっている。彼からは、<作品>に対しての善し悪しについてのサゼスチョンをよくうけた。何回も助けられている。しかもその判断を出した論拠を必ず論理的に話してくれた。この内容が、今でも作品選択時の自分の見方の中で生きている。
一方、河原はマクロの流れを実にたくみに把握していた。これは彼のつきあっている美術関係者からの情報が飛びきりハイ・グレードだったのではないか……。それだからある作家の将来性などのマクロの予測〔予言に近い〕は正確度があった。彼は一流好みで、超一流の美術館長、学芸員、作家達としかつきあってないようだった。ニューヨークにいる日本人作家とはまったく交流がなかったと聞く。彼が避けていたように感じる。ニューヨークの画廊であった日本人作家に、河原の話を少しでも出すと、「無視する雰囲気」が漂った強烈な記憶がある。とにかく、個性の異った数人の作家から、主として“作品の質”について、“作家の素質”について、多様なサゼスチョンをうけた。やはり、これらに画商と異った視点を感じ参考になった。
第3に美術館。片寄りの少ない正統的な「これこそ代表作」というような作品が展示されている。しかも、その作家がピークをつけた最も良い時期の作品が多い。従って、ここでは、コレクションしたい作家をつぶさに調査し、その作家の標準となる作品のイメージをしっかりと眼に焼きつける場所となった。と同時に、ここでも“画商のケース”と同様に、コレクションする作家別に、日頃立ち寄る美術館を分類した。例えば、デュビュッフェだと、パリのポンピドゥー・センターとニューヨーク近代美術館。美術館によって特徴がある。この2館は、特にデュビュッフェの収蔵作品の内容では抜きんでて充実している。
美術館ではコレクションしたい作品の目安はつけられるが、それと同類のものを入手するにはハードルが高すぎる。がしかし、コレクターは貪欲である。美術館での学習を参考に、「これはどうしてもほしい」と思えるような作品を捜す工夫を重ねる。
そこでも、意外と効果があったのは、パリやニューヨークの<古書店>だった。目的とする作家を扱う有力画廊でのその作家の個展のカタログをあさった。これには、作品集や美術館の展示では眼にできない個性の強い、しかも全盛期の小品がのっているケースがある。コレクターにとって、たまらない程ひきつけられるものが、けっこう存在していた。これらの作品イメージをコピーして、データも書き入れ、ファイルして小冊子をつくった。この小冊子を手づくりする時の楽しみは、おそらく、コレクターでなければ分らない。いつか、ここにあるような作品を入手する夢をみながら……。画廊にゆく時は、必ずこれを携帯し、その時のチャンスを待った。
さて、地道にコツコツと画廊や美術館をつぶさに見てまわっていると、思わぬものに出会う。この〔資料1〕を見て何を思うか……? 「あっ、吉原治良の出来のよいサークル・ペインティングだ」と気の利いたシャレを言う人がいるかも知れない。吉原がこのタイプの作品に向って手探りを始めた1963年のさらに5年も前に、既にこの作品を制作した作家がいた。その名はEllsworth Kelly〔米:1923-〕。1958年に制作した<Study for "White Ring">〔21.3x20.6〕cm。偶然にも、このような興味ある事象にも当る。やはり画廊や美術館での日頃のたゆまぬ研鑽が大切なように思えた。
〔資料1〕
次回は<コレクター>・<自分の日記(コレクション日記)>をどのように利用し、それらをツール化していったか、記述してみたい。
(ささぬま としき)
■笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号~12月号、毎月連載)他。
※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。
●書籍のご紹介
笹沼俊樹
『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』
2013年
三元社 発行
171ページ
18.8x13.0cm
税込1,944円(税込)
※送料別途250円
舞台は、現代美術全盛のNY(ニューヨーク)。
駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは…
“作品を売らない”伝説の一流画廊ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには…。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者がコレクションの醍醐味をお届けします。(本書帯より転載)
目次(抄):
I コレクションは病
II コレクションの基礎固め
III 「売約済みです」―ピエール・マティスの想い出
IV 従来のコレクション手法を壊し、より自由に―ジョエル・シャピロのケース
V 欧米で日本の美を追う
---------------------------
●今日のお勧めは、辰野登恵子です。
辰野登恵子
「作品」
1982年
パステル・紙
70.0x51.0cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●埼玉県立近代美術館で「辰野登恵子ーまだ見ぬかたちを」(特集展示)が開催されています(会期:2015年10月10日~2016年1月17日)。
◆ときの忘れもののブログは下記の皆さんのエッセイを連載しています。
・大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・frgmの皆さんによるエッセイ「ルリユール 書物への偏愛」は毎月3日の更新です。
・石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」は毎月5日の更新です。
・笹沼俊樹のエッセイ「現代美術コレクターの独り言」は毎月8日の更新です。
・芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。
・土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」は毎月13日の更新です。
・野口琢郎のエッセイ「京都西陣から」は毎月15日の更新です。
・森下泰輔のエッセイ「 戦後・現代美術事件簿」は毎月18日の更新です。
・新連載・荒井由泰のエッセイ「いとしの国ブータン紀行」は毎月19日の更新です。
・新連載・藤本貴子のエッセイ「建築圏外通信」は毎月22日の更新です。
・小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」はしばらく休載します。
・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は終了しました。
・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」の再録掲載は終了しました。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」の再録掲載は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
・「現代版画センターの記録」は随時更新します。新たに1974年10月7日の「現代版画センターのエディション発表記念展」オープニングの様子を掲載しました。
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「コレクションの失敗を少なくするために」
寄り道をしながらも、趣味として、自分に合ったユックリとした歩調で現代美術コレクションも、飽きずに半世紀。この間に、多様な思い出も、かなり堆積した。数え切れない程の失敗。この大部分は眼力の未熟さ、そして知識や体験の不足に起因。又、コレクションの過程では、迷いに迷った試行錯誤も、「イヤッ」と言う程味わった。だが、これだけではない。成功体験もある。不思議な程、「ツキ」に恵まれた時期もあった。
しかし、世に言う“成功体験”とは、非常に曖昧としたものである。ある目的を見事に達成したその方法論やロジックをシッカリと固め、次のケースでその通りにしても、社会情況、景気、流行、価格……などの変異の中で、それらが効力を発揮できないことが多い。例えば、'80年代の前半、現代美術作家のデュビュッフェは〔仏:1901-1985〕は人気もなく、多くのコレクターは興味の対象から外していた。作品の価格も極めて安い。なによりな事は、「売れてない」ので、市場に沢山の作品が存在していて、好みの作品をよりどりみどりで選択ができた。さらに、あのピエール・マティスも存命していたのである。
当時、世界で最高の画廊のひとつと言われ、特にデュビュッフェでは「この上なし」とまで言われたピエール・マティス画廊で、1949年に制作されたデュビュッフェの作品に偶然にあたり、この作品獲得のために全力をあげて動いた。自分の安月給でも買える程、「今、思えばタダのような価格」で購入できたのだ。
しかし、今、希代の目利きピエール・マティスもこの世にいない。デュビュッフェの人気は極めて高く、価格が高騰している。作品も各所に吸収されてしまい、一流画廊に行っても、作品は数える程しか見ることができない。質の良い作品はめったにない。従って、選択の余地などまったくない。こう見てくると、非常に良い時期に作品を入手できたことは、その“偶然な時の流れ”が強く味方したとしか思えない。おそらく、このような成功体験は、現在の状況に適応させても無力である。
特定の成功体験にあまりにこだわると、多様なケースで行動や思考に柔軟性が欠けてくる。ややもすれば、逆に失敗への道を辿らせるかも……。一方、“時”は状況や条件をドンドン変化させてゆく。これに対応するには、よりしなやかな適応力が重要である。作品だけでなく、社会状況とも密接な関連をもつコレクション行為も、このようなケースを幾つか体験すると、その奥深さを感じ、興味も一層増してくるものだ。
やがて、“成功体験”への依存から一定の距離をとり、コレクション行為の中での<失敗>や<試行錯誤>からの“反省”より得られた≪教訓≫を重視するようになっていった。これの方が、より実戦的に思えたからだ。
だからと言って、<失敗>ばかりしてもいられない。一人の人間に与えられた時間には限りがあり、財力にも限界がある。従って、失敗を極小化する為に、多方面で、多様な知識を採集し、それらを基に、瞬発的な判断力を、自分自身で工夫して鍛えることにも注力した。≪そのような知識≫を得るのに利用した“場”や“道具”を幾つか記述してみたい。
■ ■
まずは画商である。“知識採集”のために、立ち寄って良好な関係をつくる努力を重ねたのは、多種のデータを参考にして、「目筋が非常に良い」と判断した画廊だった。特に、「自分がコレクションしよう」と思っている作家を主力に扱っている画廊は大切にした。換言すれば、コレクション作家別に画商のグループを自分なりにつくった。
この中で≪古書店≫も“道具”として、利用価値があった。パリの古書店で買い求めた、かなり以前に出版されたある展覧会のカタログの中には非常に大切な情報が隠れていた。それは、ある作家を扱っている“画商の眼力”そのものを暗示する一種の指標となるようなものだった。これまでは、画商間やコレクター間の<評価>や<噂>で、「あの作家については、どこそこの画廊が良い」となんとなく判断していた。
しかし、これには曖昧さが常に伴う。人間関係による“友情”とか“仲間意識”、ある場合は“妬み”までも、それにまとわりついている事がある。従って、正確な情報でない場合も考えられる。だが、この古書店で見つけたものには、「冷徹に、これだ」と判断できるデータが入っていた。
1966年、ロンドンの≪テート・ギャラリー≫で開かれた“ジャン・デュビュッフェ回顧展”のカタログだった。高い水準で世界的な評価をとるイギリスを代表する美術館である。さらに、ここの学芸員〔研究員〕の程度の高さでも有名である。
カタログを見ていて、最後のページを見ると、展示作品を貸し出した世界各地の<美術館>・<コレクター>・<画商>の実名が列挙されている。しかも作品ごとに、その所有者も記述した細かなリストも添えられている。粒よりの優秀な学芸員の鋭敏な眼によって選び抜かれた作品の内容にも注目したが、さらに強い関心を持ったのは“選ばれたその作品の所有者名”だった。
リストの中に貸し出し作品数が図抜けて多い画廊があった。美術館、コレクター、他画廊、総てを見比べても、ダントツに多い。9点もの作品を貸し出していた。それはピエール・マティス画廊だった。画廊では第2位はニューヨークのシドニー・ジャニスで3点、第3位はスイスのバーゼルにあるバイエラー画廊で1点。これらは、世界で超一流と言われている画廊だが、この事象で、デュビュッフェに関しての≪画商の眼力≫は、理屈なしに、把握できたのだ。
このような特殊な画商を重視した、第一の理由は「その画廊主の独得の眼力」で選ばれた作品を見るためだった。コレクターにとって、これは非常に重要なこと。次に、その作品を見ながら、作品についての画廊主の見解を聞くこと。作品内容、そして画廊主の知識は、自分のコレクション作品に多大な影響を与えていった。
「その作家の“独得な個性”が作品に最もよく出た時期はいつ頃か?」
「その作家の将来性は……?」〔前もって採集しておいた市場での一般的な見方とこの画商の見方を比較し差異があると、その根拠などもさぐる〕
「眼力のあると言われている有名コレクター〔例えば、デュビュッフェだと、コーリンやバンシャフト〕が眼をつける作品の特徴は……? そして、その作品の制作時期は……?」〔この作家に対する最上級コレクターの視角を知るため〕
「この作家を主として扱っている、評価のある画商はどこの国の、何という画廊?」〔この作家を扱う勢力の分布状況を見るため。これはやがて、その作家の評価にもハネかえってくる〕
こんなことを、その画廊の現場での対話から、聞きとることに注力した。選択した画廊は超一流のそれだけではなかった。なぜなら<上質の眼力>と<市場の熟知>を尺度に選択したからだ。例えば、デュビュッフェであると、ニューヨークではピエール・マティス画廊〔超一流〕、シドニー・ジャニス画廊〔超一流・初代が存命中のみ〕、ロバート・エルコン画廊〔小さな画廊・ロバートが存命中のみ〕、パリではジャン・ブッシェ画廊〔超一流〕。これら4画廊からは、<作品の質>の件で、特に強い影響をうけたことが記憶に残っている。
■ ■
次に、作家である。作家と画商では、その立ち位置が違うので、“ある一人の作家”を見ることにおいても、その視点が明らかに異っていた。従って、双方の見方を聞き、それを咀嚼(そしゃく)すると、その作家が立体的に見え、興味ある見方が出てくる。
'70年代の作家をたくさん生み出し世界にその名を轟かせたポーラ・クーパーと河原温のある一人の作家についての見方を偶然に聞けた時があった。視点の違いが分り参考になった。今、執筆中の≪河原温の思い出≫の中で記述している。興味ある方は、一読いただきたい。
非常に理論的に他作家を分析できる作家もいる。親しかった'70年代の現代美術を代表する作家の一人、ジョエル・シャピロ〔米:1941-〕がその典型である。切れ味が抜群だった。彼は若い時、名門プリンストン大学で、2年程、教壇にたっている。彼からは、<作品>に対しての善し悪しについてのサゼスチョンをよくうけた。何回も助けられている。しかもその判断を出した論拠を必ず論理的に話してくれた。この内容が、今でも作品選択時の自分の見方の中で生きている。
一方、河原はマクロの流れを実にたくみに把握していた。これは彼のつきあっている美術関係者からの情報が飛びきりハイ・グレードだったのではないか……。それだからある作家の将来性などのマクロの予測〔予言に近い〕は正確度があった。彼は一流好みで、超一流の美術館長、学芸員、作家達としかつきあってないようだった。ニューヨークにいる日本人作家とはまったく交流がなかったと聞く。彼が避けていたように感じる。ニューヨークの画廊であった日本人作家に、河原の話を少しでも出すと、「無視する雰囲気」が漂った強烈な記憶がある。とにかく、個性の異った数人の作家から、主として“作品の質”について、“作家の素質”について、多様なサゼスチョンをうけた。やはり、これらに画商と異った視点を感じ参考になった。
第3に美術館。片寄りの少ない正統的な「これこそ代表作」というような作品が展示されている。しかも、その作家がピークをつけた最も良い時期の作品が多い。従って、ここでは、コレクションしたい作家をつぶさに調査し、その作家の標準となる作品のイメージをしっかりと眼に焼きつける場所となった。と同時に、ここでも“画商のケース”と同様に、コレクションする作家別に、日頃立ち寄る美術館を分類した。例えば、デュビュッフェだと、パリのポンピドゥー・センターとニューヨーク近代美術館。美術館によって特徴がある。この2館は、特にデュビュッフェの収蔵作品の内容では抜きんでて充実している。
美術館ではコレクションしたい作品の目安はつけられるが、それと同類のものを入手するにはハードルが高すぎる。がしかし、コレクターは貪欲である。美術館での学習を参考に、「これはどうしてもほしい」と思えるような作品を捜す工夫を重ねる。
そこでも、意外と効果があったのは、パリやニューヨークの<古書店>だった。目的とする作家を扱う有力画廊でのその作家の個展のカタログをあさった。これには、作品集や美術館の展示では眼にできない個性の強い、しかも全盛期の小品がのっているケースがある。コレクターにとって、たまらない程ひきつけられるものが、けっこう存在していた。これらの作品イメージをコピーして、データも書き入れ、ファイルして小冊子をつくった。この小冊子を手づくりする時の楽しみは、おそらく、コレクターでなければ分らない。いつか、ここにあるような作品を入手する夢をみながら……。画廊にゆく時は、必ずこれを携帯し、その時のチャンスを待った。
さて、地道にコツコツと画廊や美術館をつぶさに見てまわっていると、思わぬものに出会う。この〔資料1〕を見て何を思うか……? 「あっ、吉原治良の出来のよいサークル・ペインティングだ」と気の利いたシャレを言う人がいるかも知れない。吉原がこのタイプの作品に向って手探りを始めた1963年のさらに5年も前に、既にこの作品を制作した作家がいた。その名はEllsworth Kelly〔米:1923-〕。1958年に制作した<Study for "White Ring">〔21.3x20.6〕cm。偶然にも、このような興味ある事象にも当る。やはり画廊や美術館での日頃のたゆまぬ研鑽が大切なように思えた。
〔資料1〕■ ■
次回は<コレクター>・<自分の日記(コレクション日記)>をどのように利用し、それらをツール化していったか、記述してみたい。
(ささぬま としき)
■笹沼俊樹 Toshiki SASANUMA(1939-)
1939年、東京生まれ。商社で東京、ニューヨークに勤務。趣味で始めた現代美術コレクションだが、独自にその手法を模索し、国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い。駐在中の体験をもとにアメリカ企業のメセナ活動について論じた「メセナABC」を『美術手帖』に連載。その他、新聞・雑誌等への寄稿多数。
主な著書:『企業の文化資本』(日刊工業新聞社、1992年)、「今日のパトロン、アメリカ企業と美術」『美術手帖』(美術出版社、1985年7月号)、「メセナABC」『美術手帖』(美術出版社、1993年1月号~12月号、毎月連載)他。
※笹沼俊樹さんへの質問、今後エッセイで取り上げてもらいたい事などございましたら、コメント欄よりご連絡ください。
●書籍のご紹介
笹沼俊樹『現代美術コレクションの楽しみ―商社マン・コレクターからのニューヨーク便り』
2013年
三元社 発行
171ページ
18.8x13.0cm
税込1,944円(税込)
※送料別途250円
舞台は、現代美術全盛のNY(ニューヨーク)。
駆け出しコレクターが摩天楼で手にしたものは…
“作品を売らない”伝説の一流画廊ピエール・マティスとのスリリングな駆け引き、リーマン・ブラザーズCEOが倒産寸前に売りに出したコレクション!? クセのある欧米コレクターから「日本美術」を買い戻すには…。ニューヨーク画商界の一記録としても貴重な前代未聞のエピソードの数々。趣味が高じて、今では国内外で認められるコレクターとなった著者がコレクションの醍醐味をお届けします。(本書帯より転載)
目次(抄):
I コレクションは病
II コレクションの基礎固め
III 「売約済みです」―ピエール・マティスの想い出
IV 従来のコレクション手法を壊し、より自由に―ジョエル・シャピロのケース
V 欧米で日本の美を追う
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●今日のお勧めは、辰野登恵子です。
辰野登恵子「作品」
1982年
パステル・紙
70.0x51.0cm
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●埼玉県立近代美術館で「辰野登恵子ーまだ見ぬかたちを」(特集展示)が開催されています(会期:2015年10月10日~2016年1月17日)。
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・「スタッフSの海外ネットサーフィン」は毎月26日の更新です。
・森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
・植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」は、更新は随時行います。
同じく植田実のエッセイ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は終了しました。
「本との関係」などのエッセイのバックナンバーはコチラです。
・「美術館に瑛九を観に行く」は随時更新します。
・飯沢耕太郎のエッセイ「日本の写真家たち」は英文版とともに随時更新します。
・浜田宏司のエッセイ「展覧会ナナメ読み」は随時更新します。
・深野一朗のエッセイは随時更新します。
・「久保エディション」(現代版画のパトロン久保貞次郎)は随時更新します。
・「殿敷侃の遺したもの」はゆかりの方々のエッセイ他を随時更新します。
・井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は終了しました。
・故・木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り」の再録掲載は終了しました。
・故・針生一郎の「現代日本版画家群像」の再録掲載は終了しました。
・故・難波田龍起のエッセイ「絵画への道」の再録掲載は終了しました。
・ときの忘れものでは2014年からシリーズ企画「瀧口修造展」を開催し、関係する記事やテキストを「瀧口修造の世界」として紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。
・「現代版画センターの記録」は随時更新します。新たに1974年10月7日の「現代版画センターのエディション発表記念展」オープニングの様子を掲載しました。
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