リレー連載
建築家のドローイング 第1回
ジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージ〔1720_1778〕
彦坂 裕
それが何期(いつ)の時代であるかにかかわらず、優れた建築家の描くドローイングというものにもまた、どこかしら広告的機能が宿っている。
もまたといったのは、実際の建築がこの機能をはらんでいるからにほかならない。しかし、とはいうものの、ドローイングに宿る広告的機能というものは実際の建築の場合と異なり、何ものかを宣伝する―そしてときとして自分自身を宣伝する―ことを指しているのではなく、むしろ自らの神話化を希求しようとする意志をそこに垣間見ることができるという意味においてである。神話、それは既成の価値とは差異付けられた価値の体系であり、建築家は紙片の上にこれを捏造する。それは空間ではないが、かぎりなく空間化しようとする虚構そのものではないだろうか。そして、虚構とはいうまでもなく、己れの繰り広げる説得性という効果によって背後の意図を曖昧化し、その不在証明(アリバイ)を打ち立てようとする営為そのもの、したがってその技術(レトリック)はまた同時にブーアスティンの広告に関する一節とも見事に対応しているといえるだろう。すなわち、「広告の技術は、真実でも虚偽でもない説得力のあるコピーをつくることにかかっている」
この価値のでっち上げが時代のはらむ危機と過激=本質(ラディカル)的に結びついたとき、ドローイングはすこぶるスリリングなものになっていく。そして、我々を魅了して止まないのはそんなドローイングだ。啓蒙の時期にそれらが多く輩出したのも周知のことだろう。
ジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージ
Giovanni Battista Piranesi
〈Capriccio grottesco〉シリーズより
"The Skeletons"
エッチング
39.0×54.5cm
(PIRANESI -The Complete Etchings-)掲載No.105
だが、ひるがえって、現代の建築家のドローイングはどうだろうか。
彼は、今日、とりたてて世界に何かを訴えるためのみにドローイングを描くわけではない。そして受け手であるあなたも、そこに時代の判じ絵を見なくとも楽しみを享受することができる。大げさな身振りはなくても、ちょっとした個性としての新鮮さがあればいい。新規の商品を世に出すファッショナブルなセンスに近い新鮮さだ。こういってよければ、今日の建築家のドローイングの大半は大衆消費の窓口拡大と共犯の関係にあり(だが何とブルジョワ的な業(カルマ)であることよ!)、それなくしてほとんど永続的な存在理由を見出すのに困難なものなのである。
啓蒙(エンライトメント)の時期における建築ドローイングと享楽(エンターテインメント)の時期におけるそれとは、本質的に異っている。前者は批評意識に裏打ちされたフィロソフィーの唱導であるのに対して、後者はテイスト(趣味性)の仲裁とでもいえようか。だが、と同時にいずれの場合も虚構をして効果的に語らしめること、その広告的機能が際立っているごとにかわりがないのだ。
エンターテインメントの世界では、内的必然性を欠いた神話が繁茂し、高速度でその生産・消費がくり返される。そして現代とはそんな時代だ。この時代の建築家のドローイングはあからさまに自己回帰的な神話化の構造をもち、その担い手である建築家個人を擬似イベント化しようとする。インタレストがそそられているのは描く主体であるのだ。一方、エンライトメントの時代のそれはむしろ描かれた主題にあり、同時にそれは啓蒙のコミュニケーション形態でもあったはずである。
私は享楽期の建築ドローイングが堕落し、断罪されるべきであることを主張したいのではない。おそらく、重要なことはいずれの場合であれ、神話を透明化し、のみならずそれを支える虚構のメカニズムを浮き彫りにすること以外ではありえないだろうということである。そこで語られているものが世界であるか個人であるか、ただそれだけのちがいがあるだけだ。
実作を前提とした習作ドローイングは、結婚を前提とした恋愛にも似て、当事者以外の興味をそそるものではないだろう。むしろドローイング自体が一つの価値体系にまで高められたもの、実作すらその補完物・注釈にしかすぎぬ、いわば通例的な視点からすれば倒錯性に充ちたヴィジオネール(幻視家)の資質をもつ建築家たちがここでは選ばれるべきだ。彼らのドローイングは建築のある局面を過剰なまでに昂進することによって、建築という制度にひそむ怖るべき陥穿を覗きこむことを可能にし、かつその制度自体を一挙に批評の荒野へと投げ出してしまうのである。
こうしたヴィジオネールたちのドローイングの出生時を我々は18世紀に求めることができる。そしてこの世紀こそは、あらゆる位相において、虚構を仕組む情熱に充たされた世紀でもあった。
ジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージ
Giovanni Battista Piranesi
"Part of a spacious and magnificent harbor"
エッチング
40.0×55.0cm
(PIRANESI -The Complete Etchings-)掲載No.127
ジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージ
Giovanni Battista Piranesi
〈Carcere VII〉シリーズより
"The Drawbridge" (2nd state)
エッチング
55.0×41.0cm
(PIRANESI -The Complete Etchings-)掲載No.116
すでに建築家というより版画家としてその名を知られているジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージは、建築ドローイングにおける最高に総合的な天才の一人でもあった。著名な牢獄シリーズにみられるその暗示力は、19世紀のロマンチストたち、バルザック、ユーゴー、マラルメ、ボードレール、それにドゥ・クインシーらによって執拗に語られる一方、今世紀にはいるや彼の描く機械仕掛の如き形態言語上の統辞術は、エイゼンシュタインの映画理論やヌーヴェル・クリティークの恰好の素材にされている。
彼の同時代にはルソーやディドロ、あるいはサド公爵といった人たちの名が見える。来たるべき市民社会への道が大きく開かれ、歴史や自然に対しても新たな見方が形成された時期でもあった。建設上のテーマもそれ以前のバロック期の教会とか宮殿に代わり、公共建築や市民建築がその主役として登場し始める。ピラネージの図版によく見かけるローマの公共土木事業の風景にもこうした背景が大きく左右しているとみてよいだろう。この時代にはあらゆる事象に<理性>が適用され、従来の神話とか象徴が解体されつつもあった。当時興った考古学も、この理性の手続きを経た歴史の構築にほかならず、一方、虚飾を排除した明るい古代生活のイメージへの憧れともこれは連帯していったのである。
考古学者でかつ旧約聖書の尋常ならざる崇拝者でもあったアタナシウス・キルヒャーや、著名なエッチング集『歴史建築の計画』を描いたフィッシャー・フォン・エルラフッハ、幻想画集や舞台デザインで知られるユヴァーラやビビエーナといった先達者たちに比べ、ピラネージのドローイングに顕著なのは、一見して、その画面自体がもつ説得力がすこぶる強いということだろう。建設科学の知識にもとづくディテールや考古学的に考証された(ように見える)建築言語の配列、それらが架空のコンポジションの中で迫真の演技を見せる。
本来同居不能な建築要素――たとえばエジプトの壺とギリシアの柱頭、それにローマのトルソや東洋の樹木――が廃墟と化しながら自然に還元されつつあるもの、あるいは構造的に不可能な情景を遠近法の修辞で合理化してしまうもの(エッシャーよりもはるかに控え目に!)、そして現実の都市風景を写生したはずの市街図(ヴェドウータ)にいたっては、ありうべからざる視点から風景の微小な改作もなされているのである。カナレットのコラージュのように、これらは知識人たちのグランドツアーの際には、観光図として売られたのだった。
ピラネージのエッチング図版の前頁には、必ず文字によるテクストが添えられている。それ以下に展開する図版の、これはイントロダクションでもありまた正当化する意見書でもあった。彼の捏造した虚構を支える至上のイデオロギーは、もちろん、古代ローマの讃美とその優越性のプロパガンダでもあったわけだが、当時、建築の起源をめぐるギリシア/ローマ論争の渦中、版画という複製技術でこの党派的姿勢はきわめて効果的に流布していったのである。
この虚構をより有効なものにするために、ピラネージは過去のさまざまな建築をばらばらにして再構築する。それは建築を構成する慣習に与えた破壊であり、ドローイングの中においてのみそれは可能だった。なぜなら彼の構想はきわめて都市的なシチュエーションの上で展開されたためである。そして彼の描く建築断片の混淆性は、この時代の建築の様式を支える規範の曖昧さと表裏をなす現象でもあった。それは建築の言語体系を司る絶対者の死の光景をも演出したともいえるドローイングであったのだが、にもかかわらず実は表層を彩る建築の壮麗さをもって、新たな歴史のパースペクティヴによって明らかにされた絶対者の不在を隠蔽する試みにほかならなかったと思われる。
ピラネージの稠密な表現の背後にはそんな空虚がぽっかりと黒い口を開けており、それはまた間近に迫った「建築の死」を告知するものでもあったというべきものだっただろう。
(ひこさか ゆたか)
*現代版画センター 発行『PRINT COMMUNICATION No.90』(1983年3月1日発行)より再録
*作品画像は全て『PIRANESI -The Complete Etchings-』(TASCHEN発行)より
■彦坂 裕 Yutaka HIKOSAKA
建築家・環境デザイナー、クリエイティブディレクター
株式会社スペースインキュベータ代表取締役、日本建築家協会会員
新日本様式協議会評議委員(経済産業省、文化庁、国土交通省、外務省管轄)
財団法人茂木本家美術館評議委員 日本SC協会会員、イベント学会会員
千葉大学講師(関東学院大学、芝浦工業大学、筑波大学、東京芸術大学等を歴任)
日本SC協会SCアカデミー指導教授/華東師範大学(上海)特招教授
北京徳稲教育機構(DeTao Masters Academy)大師(上海SIVA-CCIC教授)
東京大学工学部都市工学科・同大学院工学系研究科修士課程卒業(MA1978年)
<主たる業務実績>
玉川高島屋SC20周年リニューアルデザイン/二子玉川エリアの環境グランドデザイン
日立市科学館展示演出設計/NTTインターコミュニケーションセンターの構想と現実化
高木盆栽美術館稲取離宮構想、東京分館設計/レノックスガレージハウス設計
さいたま市しましま公園レストギャラリー設計/茂木本家美術館(MOMOA)設計
福井県嶺南こども家族館展示設計
相生アクアポリスグランドデザイン/早稲田大学本庄キャンパスグランドデザイン/香港オーシャンターミナル改造計画/豊洲IHI敷地開発グランドデザイン/六本木防衛庁跡地開発(東京ミッドタウン)グランドデザイン/聖蹟桜ヶ丘駅周辺エリアグランドデザイン
*
2017年アスタナ万博日本館基本計画策定委員会座長
2015年ミラノ万博日本館基本計画策定委員会座長
BIEパビリオンジュリーメンバー(愛知、麗水)
2010年上海万博日本館プロデューサー
2005年愛・地球博日本政府館(長久手・瀬戸両館)クリエイティブ統括ディレクター
1990年大阪花博大輪会出展総合プロデューサー
つくば博、瀬戸大橋架橋博、ならシルクロード博等の会場計画、テーマ館出展デザイン
ポンピドゥーセンター「前衛芸術の日本」展キュレーション(戦後ゾーン及び会場計画)
*
他に建築設計、都市設計、文化施設プロデュース実績、R&D、フォーラム、執筆多数
著書:『シティダスト・コレクション』(勁草書房)、『建築の変容』(INAX叢書)、『バロック的』(洋泉社)、『空間のグランド・デザイン』(作品社)、『二子玉川アーバニズム』(鹿島出版会)、『音の百科事典』(丸善)、『彦坂裕大師作品集』(中国発展出版社)、『夢みるスケール』(彰国社)ほか
*画廊亭主敬白
<最近、建築家のドローイングが興味をもって眺められることが多くなりました。勿論、建築家のドローイングといっても実際の設計図面のことではなくして、それ以前、あるいはそれ以後の図像としてのドローイングです。建築には例えズブの素人であっても、それをひとつの図像、一人の建築家の抱く宇宙図として眺めれば、建築というものの人間的側面、美術や絵画と同じ営々とした人間の行為の内部表現としての建築の一側面が、理解されてくるように思われます。今号より彦坂裕、八束はじめ両氏のリレー執筆でスタートするコーナーは、古くから絵画とは密接な関係を持ちながら展開して来たそんな建築におけるドローイングの意味とその周辺をみつめ直そうというものです。第一回目は彦坂氏によるピラネージ。筆者の彦坂裕(ひこさか・ゆたか)氏は1978年東大大学院卒。環境設計研究所勤務の後、現在はフリー。建築設計、アーバンデザイン、建築評論、プロデュースと活動も幅広い。>
上掲< >内の文章は今から32年前、亭主が主宰していた現代版画センター の機関誌『PRINT COMMUNICATION No.90』(1983年3月1日)に、彦坂裕さんと八束はじめさんのリレー連載「建築家のドローイング」を開始するにあたり掲載したものです。
32年前には、お二人とも若かった。
15回まで交代で書きついでいただいたものを、今回再録させていただくことになりました(毎月24日に更新)。どうぞご愛読ください。
建築家のドローイング 第1回
ジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージ〔1720_1778〕
彦坂 裕
それが何期(いつ)の時代であるかにかかわらず、優れた建築家の描くドローイングというものにもまた、どこかしら広告的機能が宿っている。
もまたといったのは、実際の建築がこの機能をはらんでいるからにほかならない。しかし、とはいうものの、ドローイングに宿る広告的機能というものは実際の建築の場合と異なり、何ものかを宣伝する―そしてときとして自分自身を宣伝する―ことを指しているのではなく、むしろ自らの神話化を希求しようとする意志をそこに垣間見ることができるという意味においてである。神話、それは既成の価値とは差異付けられた価値の体系であり、建築家は紙片の上にこれを捏造する。それは空間ではないが、かぎりなく空間化しようとする虚構そのものではないだろうか。そして、虚構とはいうまでもなく、己れの繰り広げる説得性という効果によって背後の意図を曖昧化し、その不在証明(アリバイ)を打ち立てようとする営為そのもの、したがってその技術(レトリック)はまた同時にブーアスティンの広告に関する一節とも見事に対応しているといえるだろう。すなわち、「広告の技術は、真実でも虚偽でもない説得力のあるコピーをつくることにかかっている」
この価値のでっち上げが時代のはらむ危機と過激=本質(ラディカル)的に結びついたとき、ドローイングはすこぶるスリリングなものになっていく。そして、我々を魅了して止まないのはそんなドローイングだ。啓蒙の時期にそれらが多く輩出したのも周知のことだろう。
ジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージGiovanni Battista Piranesi
〈Capriccio grottesco〉シリーズより
"The Skeletons"
エッチング
39.0×54.5cm
(PIRANESI -The Complete Etchings-)掲載No.105
だが、ひるがえって、現代の建築家のドローイングはどうだろうか。
彼は、今日、とりたてて世界に何かを訴えるためのみにドローイングを描くわけではない。そして受け手であるあなたも、そこに時代の判じ絵を見なくとも楽しみを享受することができる。大げさな身振りはなくても、ちょっとした個性としての新鮮さがあればいい。新規の商品を世に出すファッショナブルなセンスに近い新鮮さだ。こういってよければ、今日の建築家のドローイングの大半は大衆消費の窓口拡大と共犯の関係にあり(だが何とブルジョワ的な業(カルマ)であることよ!)、それなくしてほとんど永続的な存在理由を見出すのに困難なものなのである。
啓蒙(エンライトメント)の時期における建築ドローイングと享楽(エンターテインメント)の時期におけるそれとは、本質的に異っている。前者は批評意識に裏打ちされたフィロソフィーの唱導であるのに対して、後者はテイスト(趣味性)の仲裁とでもいえようか。だが、と同時にいずれの場合も虚構をして効果的に語らしめること、その広告的機能が際立っているごとにかわりがないのだ。
エンターテインメントの世界では、内的必然性を欠いた神話が繁茂し、高速度でその生産・消費がくり返される。そして現代とはそんな時代だ。この時代の建築家のドローイングはあからさまに自己回帰的な神話化の構造をもち、その担い手である建築家個人を擬似イベント化しようとする。インタレストがそそられているのは描く主体であるのだ。一方、エンライトメントの時代のそれはむしろ描かれた主題にあり、同時にそれは啓蒙のコミュニケーション形態でもあったはずである。
私は享楽期の建築ドローイングが堕落し、断罪されるべきであることを主張したいのではない。おそらく、重要なことはいずれの場合であれ、神話を透明化し、のみならずそれを支える虚構のメカニズムを浮き彫りにすること以外ではありえないだろうということである。そこで語られているものが世界であるか個人であるか、ただそれだけのちがいがあるだけだ。
実作を前提とした習作ドローイングは、結婚を前提とした恋愛にも似て、当事者以外の興味をそそるものではないだろう。むしろドローイング自体が一つの価値体系にまで高められたもの、実作すらその補完物・注釈にしかすぎぬ、いわば通例的な視点からすれば倒錯性に充ちたヴィジオネール(幻視家)の資質をもつ建築家たちがここでは選ばれるべきだ。彼らのドローイングは建築のある局面を過剰なまでに昂進することによって、建築という制度にひそむ怖るべき陥穿を覗きこむことを可能にし、かつその制度自体を一挙に批評の荒野へと投げ出してしまうのである。
こうしたヴィジオネールたちのドローイングの出生時を我々は18世紀に求めることができる。そしてこの世紀こそは、あらゆる位相において、虚構を仕組む情熱に充たされた世紀でもあった。
ジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージGiovanni Battista Piranesi
"Part of a spacious and magnificent harbor"
エッチング
40.0×55.0cm
(PIRANESI -The Complete Etchings-)掲載No.127
ジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージGiovanni Battista Piranesi
〈Carcere VII〉シリーズより
"The Drawbridge" (2nd state)
エッチング
55.0×41.0cm
(PIRANESI -The Complete Etchings-)掲載No.116
すでに建築家というより版画家としてその名を知られているジョヴァンニ・バティスタ・ピラネージは、建築ドローイングにおける最高に総合的な天才の一人でもあった。著名な牢獄シリーズにみられるその暗示力は、19世紀のロマンチストたち、バルザック、ユーゴー、マラルメ、ボードレール、それにドゥ・クインシーらによって執拗に語られる一方、今世紀にはいるや彼の描く機械仕掛の如き形態言語上の統辞術は、エイゼンシュタインの映画理論やヌーヴェル・クリティークの恰好の素材にされている。
彼の同時代にはルソーやディドロ、あるいはサド公爵といった人たちの名が見える。来たるべき市民社会への道が大きく開かれ、歴史や自然に対しても新たな見方が形成された時期でもあった。建設上のテーマもそれ以前のバロック期の教会とか宮殿に代わり、公共建築や市民建築がその主役として登場し始める。ピラネージの図版によく見かけるローマの公共土木事業の風景にもこうした背景が大きく左右しているとみてよいだろう。この時代にはあらゆる事象に<理性>が適用され、従来の神話とか象徴が解体されつつもあった。当時興った考古学も、この理性の手続きを経た歴史の構築にほかならず、一方、虚飾を排除した明るい古代生活のイメージへの憧れともこれは連帯していったのである。
考古学者でかつ旧約聖書の尋常ならざる崇拝者でもあったアタナシウス・キルヒャーや、著名なエッチング集『歴史建築の計画』を描いたフィッシャー・フォン・エルラフッハ、幻想画集や舞台デザインで知られるユヴァーラやビビエーナといった先達者たちに比べ、ピラネージのドローイングに顕著なのは、一見して、その画面自体がもつ説得力がすこぶる強いということだろう。建設科学の知識にもとづくディテールや考古学的に考証された(ように見える)建築言語の配列、それらが架空のコンポジションの中で迫真の演技を見せる。
本来同居不能な建築要素――たとえばエジプトの壺とギリシアの柱頭、それにローマのトルソや東洋の樹木――が廃墟と化しながら自然に還元されつつあるもの、あるいは構造的に不可能な情景を遠近法の修辞で合理化してしまうもの(エッシャーよりもはるかに控え目に!)、そして現実の都市風景を写生したはずの市街図(ヴェドウータ)にいたっては、ありうべからざる視点から風景の微小な改作もなされているのである。カナレットのコラージュのように、これらは知識人たちのグランドツアーの際には、観光図として売られたのだった。
ピラネージのエッチング図版の前頁には、必ず文字によるテクストが添えられている。それ以下に展開する図版の、これはイントロダクションでもありまた正当化する意見書でもあった。彼の捏造した虚構を支える至上のイデオロギーは、もちろん、古代ローマの讃美とその優越性のプロパガンダでもあったわけだが、当時、建築の起源をめぐるギリシア/ローマ論争の渦中、版画という複製技術でこの党派的姿勢はきわめて効果的に流布していったのである。
この虚構をより有効なものにするために、ピラネージは過去のさまざまな建築をばらばらにして再構築する。それは建築を構成する慣習に与えた破壊であり、ドローイングの中においてのみそれは可能だった。なぜなら彼の構想はきわめて都市的なシチュエーションの上で展開されたためである。そして彼の描く建築断片の混淆性は、この時代の建築の様式を支える規範の曖昧さと表裏をなす現象でもあった。それは建築の言語体系を司る絶対者の死の光景をも演出したともいえるドローイングであったのだが、にもかかわらず実は表層を彩る建築の壮麗さをもって、新たな歴史のパースペクティヴによって明らかにされた絶対者の不在を隠蔽する試みにほかならなかったと思われる。
ピラネージの稠密な表現の背後にはそんな空虚がぽっかりと黒い口を開けており、それはまた間近に迫った「建築の死」を告知するものでもあったというべきものだっただろう。
(ひこさか ゆたか)
*現代版画センター 発行『PRINT COMMUNICATION No.90』(1983年3月1日発行)より再録
*作品画像は全て『PIRANESI -The Complete Etchings-』(TASCHEN発行)より
■彦坂 裕 Yutaka HIKOSAKA
建築家・環境デザイナー、クリエイティブディレクター
株式会社スペースインキュベータ代表取締役、日本建築家協会会員
新日本様式協議会評議委員(経済産業省、文化庁、国土交通省、外務省管轄)
財団法人茂木本家美術館評議委員 日本SC協会会員、イベント学会会員
千葉大学講師(関東学院大学、芝浦工業大学、筑波大学、東京芸術大学等を歴任)
日本SC協会SCアカデミー指導教授/華東師範大学(上海)特招教授
北京徳稲教育機構(DeTao Masters Academy)大師(上海SIVA-CCIC教授)
東京大学工学部都市工学科・同大学院工学系研究科修士課程卒業(MA1978年)
<主たる業務実績>
玉川高島屋SC20周年リニューアルデザイン/二子玉川エリアの環境グランドデザイン
日立市科学館展示演出設計/NTTインターコミュニケーションセンターの構想と現実化
高木盆栽美術館稲取離宮構想、東京分館設計/レノックスガレージハウス設計
さいたま市しましま公園レストギャラリー設計/茂木本家美術館(MOMOA)設計
福井県嶺南こども家族館展示設計
相生アクアポリスグランドデザイン/早稲田大学本庄キャンパスグランドデザイン/香港オーシャンターミナル改造計画/豊洲IHI敷地開発グランドデザイン/六本木防衛庁跡地開発(東京ミッドタウン)グランドデザイン/聖蹟桜ヶ丘駅周辺エリアグランドデザイン
*
2017年アスタナ万博日本館基本計画策定委員会座長
2015年ミラノ万博日本館基本計画策定委員会座長
BIEパビリオンジュリーメンバー(愛知、麗水)
2010年上海万博日本館プロデューサー
2005年愛・地球博日本政府館(長久手・瀬戸両館)クリエイティブ統括ディレクター
1990年大阪花博大輪会出展総合プロデューサー
つくば博、瀬戸大橋架橋博、ならシルクロード博等の会場計画、テーマ館出展デザイン
ポンピドゥーセンター「前衛芸術の日本」展キュレーション(戦後ゾーン及び会場計画)
*
他に建築設計、都市設計、文化施設プロデュース実績、R&D、フォーラム、執筆多数
著書:『シティダスト・コレクション』(勁草書房)、『建築の変容』(INAX叢書)、『バロック的』(洋泉社)、『空間のグランド・デザイン』(作品社)、『二子玉川アーバニズム』(鹿島出版会)、『音の百科事典』(丸善)、『彦坂裕大師作品集』(中国発展出版社)、『夢みるスケール』(彰国社)ほか
*画廊亭主敬白
<最近、建築家のドローイングが興味をもって眺められることが多くなりました。勿論、建築家のドローイングといっても実際の設計図面のことではなくして、それ以前、あるいはそれ以後の図像としてのドローイングです。建築には例えズブの素人であっても、それをひとつの図像、一人の建築家の抱く宇宙図として眺めれば、建築というものの人間的側面、美術や絵画と同じ営々とした人間の行為の内部表現としての建築の一側面が、理解されてくるように思われます。今号より彦坂裕、八束はじめ両氏のリレー執筆でスタートするコーナーは、古くから絵画とは密接な関係を持ちながら展開して来たそんな建築におけるドローイングの意味とその周辺をみつめ直そうというものです。第一回目は彦坂氏によるピラネージ。筆者の彦坂裕(ひこさか・ゆたか)氏は1978年東大大学院卒。環境設計研究所勤務の後、現在はフリー。建築設計、アーバンデザイン、建築評論、プロデュースと活動も幅広い。>
上掲< >内の文章は今から32年前、亭主が主宰していた現代版画センター の機関誌『PRINT COMMUNICATION No.90』(1983年3月1日)に、彦坂裕さんと八束はじめさんのリレー連載「建築家のドローイング」を開始するにあたり掲載したものです。
32年前には、お二人とも若かった。
15回まで交代で書きついでいただいたものを、今回再録させていただくことになりました(毎月24日に更新)。どうぞご愛読ください。
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