「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第20回
Shuzo TAKIGUCHI and Marcel Duchamp Vol.20

土渕信彦


1.米国旅行(その3)

今回は瀧口修造が、1973年の米国旅行中に綾子夫人に宛てて出した手紙や絵葉書を見ていくことにしたい。4通が確認されており、いずれも慶應義塾大学アート・センターに所蔵されている。同センターが2012年12月に開催した「東京ローズ・セラヴィ―瀧口修造とマルセル・デュシャン」展に展示された(図20-1)。以下、日付順にその内容を見ることとする。

図20-1 慶應アートセンター図録図20-1
慶應義塾大学アート・センター
「東京ローズ・セラヴィ―瀧口修造とマルセル・デュシャン」展図録、2012年



(1)9月22日スタンプの手紙(英文。瀧口がフィラデルフィアで宿泊したフランクリン・モーターインの封筒・便箋が使用されている)。

図20-2 英文手紙図20-2
9月22日スタンプの手紙、封筒とホテルの鍵
(上記の「東京ローズ・セラヴィ―瀧口修造とマルセル・デュシャン」展図録より転載。以下同じ)


文面は以下のとおりと思われる。
My dear Ayako
I’m quite well here.
Are you well, too?
Even though separated,
We are one always.
Love
Shuzo


(2)9月22日スタンプの絵葉書

図20-3 絵葉書図柄図20-3
9月22日スタンプの絵葉書
(図柄はフィラデルフィア美術館)


図20-4 絵葉書文面図20-4
絵葉書の文面と宛名


文面は以下のとおりと思われる。(読み易さを考慮して、改行個所の表示を省略し、句読点を適宜補った。以下同様)

今日まで忙しく書けませんでした。無事ニューヨーク着。荒川、マデリン、ギンズバーグが空港まで来てくれました。ニューヨークで一泊、翌日マックレーと一緒にフィラデルフィアまで車で急行。夕刻のオープニングに結局堂々と出席することになって終った! ティニー夫人に久しぶりに会い、感慨無量。日曜に改めてニューヨークの家に招かれました。こちらで三泊。明日午後汽車でニューヨークへ。フィラデルフィアでも荒川夫妻と終始一緒、すっかり世話になっています。仲々書く暇がないので、必要な人にはよろしく伝えて下さい。くれぐれも気をつけて下さい。ぼくの体の方は至って快調ですが、安心して下さい。Shuzo

なお、文中の「マデリン、ギンズバーグ」は「マデリン・ギンズ」1人を指しているのかもしれないが、「、ギンズバーグ」と記してあるのは確かなので、別人と解しておいた。詩人アレン・ギンズバーグだろうか?


(3)9月26日スタンプの絵葉書
図柄はマルセル・デュシャン「大ガラス」のモノクロ写真
宛名欄は漢字ではなくローマ字で書かれている。

文面は以下のとおりと思われる。

切手を買ったりポストへ入れることが案外面倒なので、なかなか便りができません。22日夜、汽車でNew York着。23日(日)にティニー夫人に招待され、感慨深い午後をすごしました。24日ようやくマックレー氏を事務所に訪ね、そこで細かいスケジュールをつくってくれたのだけれど、折角来たのだからとかなりきつい予定で、どうしても2週間よりのびてしまうようです。今のところ、ぎりぎりの線で10月2日(火)か3日になりそう(日附は日本の4日着)。吉村ケートにはまだ連絡つかず。明○[晩か。判読できず]、池田夫妻、奈良原夫妻がホテルに訪ねてくるとのこと。飛[代尾飛Hew Shioo(アーティスト浅岡慶子が当時名乗っていた名前)]にもまだ会わず。ベッツィもフィラデルフィア以来会う機会なし。山繭の原稿、もし少し待てるようでしたら、帰ってすぐ書きたい旨伝えて下さい。以上の日より遅れないよう、絶対つとめるつもりです。くれぐれも体に気をつけて下さい。ぼくの健康はふしぎに快調です。

なお、文中の「山繭の原稿」とは、1974年1月に刊行された日本近代文学館『山繭』復刻版の付録に掲載された「追想」(『コレクション』8巻)のことと思われる。

余談ながら、この「追想」の中では「小樽時代に書いた感傷的な旧稿も[「山繭」誌に]載った記憶がある」と述べられている。つまり、慶應義塾大学文学部予科を中退し、小樽に住んでいた当時も執筆を続けていたと、自ら証言していることになる。従来、初期の詩「雨」「月」「冬」の3篇の執筆時期は、例えば『コレクション』1巻の解題などのように、「山繭」に発表された1926年と考えられてきたが、上の証言に注目すると、この「冬」こそ小樽在住当時の23~25年頃に書かれた「感傷的な旧稿」であり、「雨」「月」の2篇の執筆時期は、さらに遡って小樽への移住前の22~23年頃と見ることもできるだろう。詳細は、拙稿「初期詩篇の再検討 「雨」「月」「冬」は、いつ執筆されたか」(「橄欖」第1号、瀧口修造研究会、2009年7月)をご参照いただきたい。


(4)10月3日スタンプの絵葉書(図柄は自由の女神)

図20-5 自由の女神絵葉書図20-5
10月3日スタンプの絵葉書


宛名欄はローマ字で記載され、文面欄にはCARTE BLANCHEとだけ記載されている。
図柄欄の右上には“Greetings from The Wonder City”と印刷され、図柄には瀧口によって、次のような一種の数式が書き込まれている。

自由の女神像の左側に「Rrose Sélavy ±」が、また独立宣言書の右側あたりに等号の「=」が書き込まれ、そこから右側の空や雲に、ボールペンで青色と赤色の線が放射状に各5本程度引かれている。

「自由の女神」の正式な名称は「Liberty Enlightening the World」(世界を照らす自由)であるので、青色・赤色の線は「世界を照らす」ことの視覚化と考えることもできるだろう。数式全体では、Rrose Sélavyと「自由の女神」とが相互に入れ替わって(化身となって)、帰国後の日本を含む世界を照らす様を讃える趣旨と解されるかもしれない。

付記:今回の執筆に当たり(今回に限らずいつものことだが)、慶應義塾大学アート・センターの森山緑さん、山越亮介さんに大変お世話になった。感謝申し上げたい。
つちぶちのぶひこ

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
20160413_takiguchi2014_II_08瀧口修造
「II-8」
デカルコマニー、紙
Image size: 11.0x8.5cm
Sheet size: 13.7x9.8cm
II-7と対


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 ・「瀧口修造の世界」は造形作家としての瀧口の軌跡と作品をテキストや資料によって紹介します。土渕信彦のエッセイ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」、「瀧口修造の箱舟」と合わせてお読みください。