<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第42回

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この写真を見てすぐに頭に浮かんできたシーンがある。60年代のアングラ芝居の観客席の様子である。人が肩を寄せ合って身じろぎもせずになにかのはじまりを待っている、そんな熱気と期待が似ている気がした。だが、よく見ると、「観客」の目の前にあるのは舞台の緞帳ではなくてコンクリートの壁だ。そこには「人民路售票処」と大書されており、切符売り場であるのがわかる。

左に「船票」の文字が見えるから、売り出されるのは船のチケットらしい。いったいどこに行くための船に売り出し前からこんなに列ができるのか。それにしてもこの並び方は尋常ではない。鉄柵の上に一部の隙なくぎっしりと並んでいるさまは、養鶏場のニワトリを想わせる。前屈みになっているのは下の鉄柵に両脚をのせているせいで、接着剤かなにかでくっつけたように全員が一つのかたまりと化していて、だれかの背中をぐいと押したら、全員が前につんのめって落ちてしまいそうだ。

二段目のバーには、つま先の向きが彼らとは反対になっている人たちがのぞき見える。彼らの膝は曲がってなくて伸びている。お尻はどこに据えれているのだろう。見えない場所に腰を下ろせるものがあるとか? それとも背中を向けている人に抱きかかえられているとか? いや、ちがう。上半身を後ろの壁にもたせかけ、宙に浮いた格好で脚だけを柵にのせているのだ。

彼らの足下にもぐって床に腰をおろしている人がいる。もしかしたら、いちばん乗りは彼らだったのかもしれない。しゃがみ込んで場所取りしているうちに、上にどんどん人垣が作られていき、首すら伸ばせなくなったのだ。全身が入り切らずに横向きになって柵にしがみついている人もいるが、彼らは後から横入りしたのかもしれない。この格好から想像できるのは、鉄柵の内側にいることがとても重要だということだ。そうでなくてはチケットを売ってもらえないのだろう。だからきつくてもがまんして、柵のなかに身を忍び込ませ、買う権利を主張しているのである。

券売所が開くのはずっと先で、このままの姿勢でかなり長く待たされるにちがいない。腹を空かせる人が出るのを見込んで露天商が出ていることからわかる。四角いケースのなかにはラップされたサンドイッチが入っている。これをかじりながら、いつ開くとも知れない券売所の窓を忍耐強く待つのだ。小屋に押し込められた家畜のように。

柵の内側にはサンダル履きの人は一人もいなくて、みな靴を履いている。一方、柵の外にしゃがんでいる人のなかには、サンダルをつっかけている男がいる。この差がなにを意味するかわからないが、両者には雰囲気のちがいが感じられる。柵の内側にいる人は「学生」っぽく、対する柵の外の男たちは「おっさん」っぽい。そう思いながら眺めるうちに、内側にいる人たちがスクラムを組んだデモ隊のようにも見えてきた。

思えば、アングラ芝居も学生デモも同時代の出来事で、皮膚をくっつけ合うことは「連体」の証であり、体内の熱が文字どおり集合して場を熱狂させたのだった。ここにいる彼らは熱狂していないが、こうやって待つことをイヤだとも苦しいとも思っていない。比較するものがないから、当然のこととして受け入れているのだ。

そういう心理状態にあるとき、人は家畜に近い姿になる。もっとも、彼らは猛々しいものを内に抱えていて、声も動作も大きく粗暴そうで、姿は家畜に似ていても飼いならされた印象は与えないが、家畜だって怒ったらなにするかわからないのだ。ギリギリのところで耐えているエネルギーの充満を感じる。

大竹昭子(おおたけあきこ)

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●紹介作品データ:
小畑雄嗣
「乗船券予約に並ぶ男たち」
1986年撮影
ゼラチンシルバープリント、アーカイバルピグメントプリント
サイズ:可変
エディション:Sサイズ10、Mサイズ10
サインあり

小畑雄嗣 Yuji OBATA
1962年神奈川県生まれ。1985年日本大学芸術学部写真学科卒業。太陽賞(1987年)、コニカ写真奨励賞(1997年)、日本写真協会新人賞(1998年)を受賞。主な個展に「ヨーロッパの果て-Marginal Land of Europe-」(2001年)がある。主な写真集:平凡社から『Bird of Paradise: MADEIRA』(2001年、平凡社)、『二月 Wintertale』(2007年、蒼穹舍)、『SHANGHAI,SHANGHAI』(2016年、蒼穹舍)など。

●写真集のご紹介
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小畑雄嗣写真集『SHANGHAI,SHANGHAI』特装版(プリント付)
2016年5月15日
蒼穹舎 刊行
A4変型
上製本
モノクロ・カラー
ページ数:136
作品点数:124点
編集:大田通貴
装幀:木村裕治、川崎洋子(木村デザイン事務所)
20,000円(税別)
普及版(限定500部)は5,000円(税別)
※販売については蒼穹舎にお問い合わせください

蒼穹舎では『二月 Wintertale』以来となる小畑雄嗣写真集。1986年と2015年、モノクロとカラー、時代と色数を対象させることで、上海という巨大な都市の移ろいをイメージによって表現した、意欲的な作品集。
(蒼穹舎HPより転載)

◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。