スタッフSの「松家仁之×光嶋裕介」ギャラリートーク・レポート

 間を置かずしてお目汚しをさせていただきます、今日も今日とてアートフェア準備に四苦八苦、スタッフSこと新澤です。
 本日の記事は、先月末の9月30日に開催された、小説家・松家仁之さんと建築家・光嶋裕介さんのギャラリートークのレポートです。フェアの準備にかまけてまたしても一月間が空いてしまいましたが、ご容赦いただければ幸いです。

20160930_光嶋展ギャラリートーク_05恒例のトーク前の亭主語り。
今回の内容は光嶋さんとときの忘れものの馴れ初めと、今回の新作に至る経緯。
この後の光嶋さんの第一声は「言おうと思ってたこと全部言われました」でした。

 光嶋さんは個展ごとにギャラリートークを行われており、前回の個展時はファッションデザイナーの山縣良和さんとのトークを設けられました。もちろん今回もということで、対談相手は誰にしようと亭主が水を向けると、真っ先に光嶋さんが名前を上げられたのが亭主もファンである小説家の松家仁之さん。簡単にいうものだから面識があるのかと亭主が問えば、「いえまったく」と予想外の返し。何かのパーティで挨拶を交わしたことくらいはあったようですが、連絡先も分からない。ダメ元で二人揃って今回のギャラリートークへのお願い状(亭主曰く「ラブレター」)を用意して新潮社に託してみたらあっさりと話が通じ、しかして結局当事者三人が揃って顔を突き合わせたのはトークの当日。

20160930_光嶋展ギャラリートーク_06左から松家仁之さん、光嶋裕介さんと亭主

20160930_光嶋展ギャラリートーク_32予約の方は、気鋭の建築家と、敏腕編集者にして小説家という組み合わせに人が集まらないはずもなく、20程の席の予約はあっという間に埋まってしまい、それでも参加させてほしいとの要望からついに立ち見までありました。

 松家さんと光嶋さんの最初の接点は2011年にまで遡り、同年4月に松家さんが関わっていた伊丹十三賞を哲学家・思想家である内田樹先生が受賞し、その祝いの席で松家さんに自分の家を作ってもらっていると内田先生が紹介したのが、当時「凱風館」を施工中だった光嶋さんだったそうです。
 光嶋さんの建築第1号である凱風館から話は膨らみ、光嶋さんが幼少時から美術に親しんできたこと、元々は絵描き志望だったが、描き方を指導されることに馴染めず、恩師の助言で建築に転向したこと、大学で講義を受けるだけでは納得がいかず、結果一人旅に出て方々の名建築を訪れて思索するようになったことなど、話は尽きずに時間は過ぎていきました。当然話題も色々と上がったのですが、中には結構な割合で公にはできないオフレコの話題も。口ならぬ筆滑りが怖いので、内容については黙秘させていただきます。

20160930_光嶋展ギャラリートーク_14光嶋さんが大学生時代、一人旅で訪れた先で速描したスケッチを手にコメントする松家さん

 トーク後は画廊での懇親会と打ち上げの食事会と続いたのですが、今回はトークを聞きに来た方にも著名な方が数人おられ、むしろこれらの方もお二人との会話に加わったトーク後の方がメインに思えました。お酒も程よく入っていたため、内容については尚のこと触れるわけにはいきませんので、残りは写真でその様子をご紹介させていただきます。

20160930_光嶋展ギャラリートーク_51懇親会後の集合記念写真。
今回は事前に声をかけておき、大人数での撮影に成功。

20160930_光嶋展ギャラリートーク_57打ち上げの食事会にて。
過去最大の18人もの参加者に急遽レストランの二階を貸し切ることに。
松家さん、光嶋さん、映画監督の周防正行さん、建築評論の大家である植田実先生、作家にして写真家の大竹昭子さん、ミシマ社の三島邦弘さんなどなど、滅多に揃わぬであろう豪華メンバーです。

(しんざわ ゆう)

●松家 仁之(まついえ まさし、1958年12月5日 ~)
1979年、早稲田大学第一文学部在学中に『夜の樹』で第48回文學界新人賞佳作に選ばれ、『文學界』にてデビュー。卒業後の1982年、新潮社に入社。1998年、海外文学シリーズ「新潮クレスト・ブックス」創刊。2002年、季刊総合誌『考える人』を創刊、編集長となる。2006年より「芸術新潮」編集長を兼務し、2010年6月退職。2009年より慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授(2014年春まで)。2010年に新潮社を円満退社した後、2012年の『新潮』7月号に長篇『火山のふもとで』を発表し、小説家として再デビュー。第34回野間文芸新人賞候補に挙がる。2013年、同作により第64回読売文学賞受賞。同年12月、『沈むフランシス』が「キノベス!2014」第4位に選出。2014年、(株)つるとはなの創立に参加する。
20160930周防、光嶋、松家
ギャラリートークの二次会で
左から、周防正行さん、光嶋裕介さん、松家仁之さん
(写真は光嶋さんのtwitterより転載)

●周防 正行(すおうまさゆき、1956年10月29日~)
映画監督、1987年映画『マルサの女』のメイキング『マルサの女をマルサする』を監督。92年『シコふんじゃった。』で日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。
96年『Shall we ダンス?』で第20回日本アカデミー賞13部門独占受賞し、2005年にはハリウッドでリメイク版も公開された。
2007年『それでもボクはやってない』、11年にはバレエ映画『ダンシング・チャップリン』、12年には『終の信託』が公開され各映画賞を受賞している。
14年秋、最新作『舞妓はレディ』公開。
15年 法制審議会特別部会の委員として議論したことをまとめた『それでもボクは会議で闘う』(岩波書店)を上梓。

●和紙に挑んだ光嶋さんの制作記(全4話)をお読みください。
 第1話(6月30日) 予期せぬ混ざり合いからの想像と創造
 第2話(7月30日) インスピレーションの地形
 第3話(8月30日) 描かれる必然性
 第4話(9月30日) 都市の質感を描く

*画廊亭主敬白
通常ギャラリートークの案内は開催日の一ヶ月ほど前からホームページ、ブログで行なうのですが、だいたいが開催一週間前にならないと席が埋まりません。皆さんのんびりしている。
ところが今回はあっという間に定員に達してしまった。
申込みメールの差出人名に「周防正行」とあったのにも驚きました。まさか、同姓同名じゃあなかろうか・・・・
当日のトーク及び打ち上げはときの忘れもの史上最高の盛り上がりでした。松家さんの小説の話題から始まり、周防さん、大竹さん、植田先生たちが繰り広げる映画談義は録音しときゃあよかったと思うほどの面白さでした。

写真家の村井修さんが10月23日に亡くなられました(享年88)。関根伸夫先生の「位相 大地」の有名な写真を撮ったといえば思い出すでしょう。私たちが1983年夏に宇都宮大谷の巨大地下空間で開催したアンディ・ウォーホル展のときにも幻想的な展示風景を撮影していただきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

●本日のお勧め作品は、光嶋裕介です。
cuba17光嶋裕介 Yusuke KOSHIMA
"ベルリン"
 ※画像をクリックすると拡大します。
2016年
和紙にインク
45.0×90.0cm
Signed

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