今から25年前の1991年秋、茨城県北部に1,340本の青い傘、アメリカ西海岸のカリフォルニアに1,760本の黄色い傘を立てるという一大プロジェクトを回顧した展覧会が、磯崎新先生設計の水戸芸術館で開催されています。
「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」
会期:2016年10月1日[土]~ 2016年12月4日[日]
会場:水戸芸術館現代美術ギャラリー
休館日:月曜日
日本人スタッフとして参加し、今もクリストを支える柳正彦さんからオープニングにお招きを受けたので水戸まで出かけてきました。

何年ぶりかの水戸芸術館(1989年開館)

磯崎新設計
正面の噴水が、夏になるとプールに間違われ子ども達が殺到するとか(噂)。

コンサートホール、劇場、現代美術ギャラリーの3つの専用空間で構成された複合文化施設。

芝生の広場をとり囲む形で、東側には水戸市制百周年(1989年)を記念する高さ100mのタワー。

美術館入り口

ロビーにて社長

二階展示室への階段

会場入り口

展示スナップ

18日間だけ展示されたクリストとジャンヌ=クロードの作品の全容を回顧する展示。

記録写真

記録写真

地権者たちと交わした書類



カリフォルニアのオフィスから日本のオフィスへ電話をしている柳正彦さん、若いね。

常陸太田市から旧里美村へ至る長さ約19kmのエリアの田んぼや川の中、神社の境内、林や道の脇、さまざまな場所に傘が立てられた。


日本側で立てられたアンブレラの実物(6m)

高さ6m、直径8.66m
こんなに大きなものだとは思いませんでした。

日本では水を連想させる青色の傘、乾燥したカリフォルニアの丘陵地帯では黄色の傘がたてられた。

日本サイドの模型

西海岸の大きな模型

ドキュメンタリー映像


レセプション

本展を企画した学芸員の井関悠さん
クリストとジャンヌ=クロードが1991年10月に行った「アンブレラ」は、茨城県常陸太田市から旧里美村に横断する水田地帯に1,340本の青い傘を、カリフォルニア州南部のカーン郡からロサンゼルス郡一帯の丘陵地帯に1,760本の黄色い傘を18日間にわたって設置したプロジェクト。
太平洋をはさんだ2つの地域に支柱は高さ6メートル、傘布は直径8.7メートルという巨大な傘を出現させた。
クリストのプロジェクトは「あまりにも大きすぎる」という性質上、誰も所有することができない。また、恒久的に存続させることが困難なため、必ず消えてしまう運命にある。僅かな期間にもかかわらず、当時日本では50万人、アメリカでは200万人もの人が現地に赴き、鑑賞した。
本展では当時の様子をおさめた写真を展示するほか、クリストによるドローイングやコラージュ作品、傘本体のほか実際に使用された資材やスケールモデルなどが展示されています。
スピーチするクリストと通訳する柳正彦さん。
夫人のジャンヌ=クロード(Jeanne-Claude 、1935年生まれ)は2009年に亡くなりましたが、81歳になったクリストはいまも精力的で、今年6月にはイタリアで湖の上にオレンジ色の桟橋を浮かべた《ザ・フローティング・ピアーズ》を実現したばかり。
次なる企画はコロラド州アーカンサス川の上を数kmに渡ってシルバーの布で覆うプロジェクト。
アラブ首長国連邦では数万ものドラム缶をピラミッド状に積み上げるプロジェクトが進行中です。
担当学芸員の井関悠さん(左)と社長
柳正彦さん(右)とかつての同僚である社長
柳さんは中学生のときから現代版画センターに出入りし、やがて高校、大学時代にはスタッフとして活躍。
その頃から、布を使った大掛かりなプロジェクトで注目を集めていたクリストに共感し、渡米後、クリストのスタッフになりました。
《アンブレラ》は日本とアメリカの2か所で同時に行われたプロジェクトで、柳さんも参加しています。
ここで大昔の写真を。
1976年12月5日
渋谷・東邦生命ビル21階で開催された現代版画センターのオークション。
フリ師は尾崎正教先生(現代版画センター事務局長、後に「わたくし美術館運動」を展開)、後ろの長髪の少年が柳正彦さんです。
因みに今年2月に亡くなったツァイト・フォトの石原悦郎さんの追悼記事で再録した1978年の石原さんのインタビューは柳さんの仕事です。

タワーの夜景

夜の美術館をあとに帰京
記憶だけが残る
帰りの車中で今日見たクリストのプロジェクトの構想から実現までにかけた膨大な労力と時間を思い、呆然としました。
展示されていた数百人にものぼる地権者との契約書を見るだけで、気が遠くなります。
よく知られていることですが、クリストの壮大なプロジェクトにかかる巨額な費用はすべて自前です。
スポンサーや寄付を一切受けず、経費は構想ドローイングやコラージュ作品等の販売でまかなっているのです。
昨今、日本中で雨後の筍のごとく生まれ、開催されているトリエンナーレなどが「地域おこし」という大義名分で少なからぬ税金を当てにして組織されているのとは根本的に違います。
上映されているドキュメンタリーの中で台風の襲来で傘を閉じるかどうかの判断を迫られたとき、ジャンヌ=クロードが電話口で「決められるのはクリストだけ」と叫んでいるのが印象的でした。
実現まで何年も何十年もかけ、多くの政治的交渉や経済問題、そこで出会う人々との交流など、その全過程をも作品と見なすクリスト。そしてそこに関わる多くのボランティアたちに実に優しくフレンドリーに接するクリストですが、最終的には「自分たちがその“美”を見たいから」という個の視点が原点です。
実に潔いではありませんか。
●カタログ
クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91
2016年
水戸芸術館現代美術センター発行
83ページ
22.5x21.2cm
翻訳:柳正彦
写真:ウォルフガング・フォルツ
デザイン:中村遼一、川野直樹
サインあり

目次:
ドキュメンテーション展について、この出版物について 柳正彦
1960年のインタビューより
2016年のインタビューより
アンブレラ日本=アメリカ合衆国 1984-91
ファクト・シート
アンブレラ日本=アメリカ合衆国 1984-91
インタビュー
アンブレラの意味と影響 クリストとジャンヌ=クロードから学んだこと 清水敏男
クリストの言葉に勇気をもらったからこそ、進んでこられた タムラサトル
現代美術への入り口を開き、開眼させてくれたクリスト 山口ゆかり
年譜
「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」
会期:2016年10月1日[土]~ 2016年12月4日[日]
会場:水戸芸術館現代美術ギャラリー
休館日:月曜日
日本人スタッフとして参加し、今もクリストを支える柳正彦さんからオープニングにお招きを受けたので水戸まで出かけてきました。

何年ぶりかの水戸芸術館(1989年開館)

磯崎新設計
正面の噴水が、夏になるとプールに間違われ子ども達が殺到するとか(噂)。

コンサートホール、劇場、現代美術ギャラリーの3つの専用空間で構成された複合文化施設。

芝生の広場をとり囲む形で、東側には水戸市制百周年(1989年)を記念する高さ100mのタワー。

美術館入り口

ロビーにて社長

二階展示室への階段

会場入り口

展示スナップ

18日間だけ展示されたクリストとジャンヌ=クロードの作品の全容を回顧する展示。

記録写真

記録写真

地権者たちと交わした書類



カリフォルニアのオフィスから日本のオフィスへ電話をしている柳正彦さん、若いね。

常陸太田市から旧里美村へ至る長さ約19kmのエリアの田んぼや川の中、神社の境内、林や道の脇、さまざまな場所に傘が立てられた。


日本側で立てられたアンブレラの実物(6m)

高さ6m、直径8.66m
こんなに大きなものだとは思いませんでした。

日本では水を連想させる青色の傘、乾燥したカリフォルニアの丘陵地帯では黄色の傘がたてられた。

日本サイドの模型

西海岸の大きな模型

ドキュメンタリー映像


レセプション

本展を企画した学芸員の井関悠さんクリストとジャンヌ=クロードが1991年10月に行った「アンブレラ」は、茨城県常陸太田市から旧里美村に横断する水田地帯に1,340本の青い傘を、カリフォルニア州南部のカーン郡からロサンゼルス郡一帯の丘陵地帯に1,760本の黄色い傘を18日間にわたって設置したプロジェクト。
太平洋をはさんだ2つの地域に支柱は高さ6メートル、傘布は直径8.7メートルという巨大な傘を出現させた。
クリストのプロジェクトは「あまりにも大きすぎる」という性質上、誰も所有することができない。また、恒久的に存続させることが困難なため、必ず消えてしまう運命にある。僅かな期間にもかかわらず、当時日本では50万人、アメリカでは200万人もの人が現地に赴き、鑑賞した。
本展では当時の様子をおさめた写真を展示するほか、クリストによるドローイングやコラージュ作品、傘本体のほか実際に使用された資材やスケールモデルなどが展示されています。
スピーチするクリストと通訳する柳正彦さん。夫人のジャンヌ=クロード(Jeanne-Claude 、1935年生まれ)は2009年に亡くなりましたが、81歳になったクリストはいまも精力的で、今年6月にはイタリアで湖の上にオレンジ色の桟橋を浮かべた《ザ・フローティング・ピアーズ》を実現したばかり。
次なる企画はコロラド州アーカンサス川の上を数kmに渡ってシルバーの布で覆うプロジェクト。
アラブ首長国連邦では数万ものドラム缶をピラミッド状に積み上げるプロジェクトが進行中です。
担当学芸員の井関悠さん(左)と社長
柳正彦さん(右)とかつての同僚である社長柳さんは中学生のときから現代版画センターに出入りし、やがて高校、大学時代にはスタッフとして活躍。
その頃から、布を使った大掛かりなプロジェクトで注目を集めていたクリストに共感し、渡米後、クリストのスタッフになりました。
《アンブレラ》は日本とアメリカの2か所で同時に行われたプロジェクトで、柳さんも参加しています。
ここで大昔の写真を。
1976年12月5日渋谷・東邦生命ビル21階で開催された現代版画センターのオークション。
フリ師は尾崎正教先生(現代版画センター事務局長、後に「わたくし美術館運動」を展開)、後ろの長髪の少年が柳正彦さんです。
因みに今年2月に亡くなったツァイト・フォトの石原悦郎さんの追悼記事で再録した1978年の石原さんのインタビューは柳さんの仕事です。

タワーの夜景

夜の美術館をあとに帰京
記憶だけが残る
帰りの車中で今日見たクリストのプロジェクトの構想から実現までにかけた膨大な労力と時間を思い、呆然としました。
展示されていた数百人にものぼる地権者との契約書を見るだけで、気が遠くなります。
よく知られていることですが、クリストの壮大なプロジェクトにかかる巨額な費用はすべて自前です。
スポンサーや寄付を一切受けず、経費は構想ドローイングやコラージュ作品等の販売でまかなっているのです。
昨今、日本中で雨後の筍のごとく生まれ、開催されているトリエンナーレなどが「地域おこし」という大義名分で少なからぬ税金を当てにして組織されているのとは根本的に違います。
上映されているドキュメンタリーの中で台風の襲来で傘を閉じるかどうかの判断を迫られたとき、ジャンヌ=クロードが電話口で「決められるのはクリストだけ」と叫んでいるのが印象的でした。
実現まで何年も何十年もかけ、多くの政治的交渉や経済問題、そこで出会う人々との交流など、その全過程をも作品と見なすクリスト。そしてそこに関わる多くのボランティアたちに実に優しくフレンドリーに接するクリストですが、最終的には「自分たちがその“美”を見たいから」という個の視点が原点です。
実に潔いではありませんか。
●カタログ
クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-912016年
水戸芸術館現代美術センター発行
83ページ
22.5x21.2cm
翻訳:柳正彦
写真:ウォルフガング・フォルツ
デザイン:中村遼一、川野直樹
サインあり

目次:
ドキュメンテーション展について、この出版物について 柳正彦
1960年のインタビューより
2016年のインタビューより
アンブレラ日本=アメリカ合衆国 1984-91
ファクト・シート
アンブレラ日本=アメリカ合衆国 1984-91
インタビュー
アンブレラの意味と影響 クリストとジャンヌ=クロードから学んだこと 清水敏男
クリストの言葉に勇気をもらったからこそ、進んでこられた タムラサトル
現代美術への入り口を開き、開眼させてくれたクリスト 山口ゆかり
年譜
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