「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」

その1 細江英公写真集『鎌鼬』


森下隆(慶應義塾大学アート・センター)

はじめに
 この10月22日に秋田県羽後町田代に鎌鼬美術館が開館しました。このブログの読者の多くは、田代の地名には馴染みがないでしょう。耳にしたこともない、おそらく秋田の僻村であろう地に美術館が開館とはどういうことかと、訝っておられることでしょう。
 土方巽アーカイヴ(慶應義塾大学アート・センター)では、この数年、田代での鎌鼬美術館の設立に関わってきましたので、51年前の田代での「鎌鼬」撮影を序に、美術館設立の経緯、美術館の意義や目的、美術館の今後の運営をめぐってお伝えします。
鎌鼬と田代
「KAMAITACHIとTASHIRO」展(2016年)フライヤー

 今年6月から7月にかけて、慶應義塾大学アート・スペースで「KAMAITACHIとTASHIRO」展が開催されました。細江英公の写真集『鎌鼬』からオリジナルプリントや珍しいコンタクトプリントの展示を始め、写真家秘蔵の「鎌鼬」の写真のコンタクト帳、横尾忠則デザインのポスター、そして田代の今を伝える映像や写真などが展観されました。
 この展覧会は「鎌鼬美術館設立記念」として行われ、鎌鼬美術館の設立を後押しするための展覧会でもありました。『鎌鼬』の撮影地である田代を紹介する初めての展覧会でした。

1.『鎌鼬』と田代
 細江英公の写真集『鎌鼬』は1969年に限定出版されています。被写体となった土方巽の存在感、田中一光の大胆な造本、特殊なグラビヤ印刷などで、この写真集の声価は高く、刊行翌年に芸術選奨文部大臣賞を受賞するなど、高い評価を受けてきました。
受賞記念
細江英公写真集『鎌鼬』の文部大臣芸術選奨受賞記念のパーティー(1969年)

 国際的にも評価され、現在も世界各地の展覧会で作品展示が行われています。今年に入っても、ロンドンのテート・モダンでの “PERFORMING FOR THE CAMERA” 展でも、「鎌鼬」にだけ赤い壁面の独立した展示室が与えられ、写真集に収められた全作品が展示されていました。
 さて、写真集『鎌鼬』の撮影は秋田、茨城、東京都内と各地で行われています。
 最初の撮影は秋田でした。1965年9月26日、細江英公と土方巽は現在の羽後町田代に入りました。ロケハンも予告もなく、稲刈り真っ最中の村里に入ったのです。
 秋田は土方巽の故郷で、細江英公は隣の山形県の生まれです。前衛舞踏家としてダンスに革命を起こした土方巽、『薔薇刑』の写真家として名を馳せた細江英公。同じ東北出身の二人は、満を持して、撮影地を東北、それも土方巽の故郷、秋田と定め、県南の羽後町に向かったのです。
 羽後町は土方巽の父隆蔵の出生地です。父の実家は、盆踊りで知られる西馬音内の隣の地区、郡山の地主で、代々、村長や校長を務める家系でした。
 田代は、羽後町の中心地から七曲峠を登り、山上に開けた盆地状の村です。一見、何の変哲もない農村ですが、峠を越えて里に入ると、なぜか不思議な感覚にとらわれます。なぜ、ここが撮影地に選ばれたかの正確な理由は分かりません。
鎌鼬
『鎌鼬』より。
村人たちと戯れる土方巽(1965年)

 田代での撮影はわずか2日間でした。土方巽は刈り取った稲藁を干す稲架の天辺に上がり鳥のように座ったり、小昼(3時の休憩)で憩う村人たちの輪に入り込んで道化たり、あるいは村人たちに輿を急拵えで作らせ、それに乗って行進するなど、奔放に撮影が行われているのがわかります。
 さらには、飯詰に入っていた赤ん坊を抱きかかえ、稲刈り後の田んぼを走り、少女に浴衣を着せ花冠を着けさせて一緒に撮影するなど、危険な所行での撮影も行われました。
 田んぼや野良ばかりでなく、旧家の蔵に潜り込んで撮影を行い、民家の障子紙を破る狼藉をもって上り込んで撮影しています。
 瀧口修造は写真集『鎌鼬』に寄せた序文「鎌鼬、真空の巣」に書いています。
「土方巽はその舞踏術によって、時間と空間のあいだの真空の真唯中に、突如、介入することによって、われわれの生まれたもっとも近くの土にまで墜ちていった。そこが鎌鼬の里であり、真空の巣でもあろう」
 この真空の巣で何が行われたのか。

 土方巽は道化となり、馬鹿王となり、白痴男となり、狂者となり、村を侵犯しての撮影でした。ストーリーがあったわけではなく、ハプニングの行為の連続でした。 
 田園の風景のあちこちに、土方巽はストレンジャーとして出没し、この2日間、田代の里は鎌鼬の里となったのです。鎌鼬とはよくぞ言ったものです。写真家のレンズも舞踏家の体も鎌鼬となり、二重螺旋を描いて互いの皮膚を裂き肉を切ったのです。
 穏やかな村里に、閃光を走らせ旋風をもたらす肉体があり、そして見るものに眩暈をもたらす写真が生まれました。その写真展は、1968年3月に「とてつもなく悲劇的な喜劇—日本の舞踏家・天才<土方巽>主演写真劇場」として東京・銀座のニコンサロンで行われました。まだ「鎌鼬」ではなかったのです。
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細江英公写真展「とてつもなく悲劇的な喜劇 日本の舞踏家:天才<土方巽>主演写真劇場」(1968年)のフライヤー

もりした たかし

森下隆(もりした たかし)
一九五〇年福井県生まれ。一九七二年から土方巽の舞踏公演の制作に携わる。一九八六年の土方巽の死後、アスベスト館に土方巽記念資料館を設立し、土方巽の資料の収集・保存活動を行う。一九九八年慶應義塾大学アート・センターに土方巽アーカイヴが設立されるにともない、土方巽の舞踏資料を土方巽アーカイヴに移管し、新たにアーカイヴ活動を展開。あわせて、土方巽展の企画・構成や舞踏の海外公演を制作し、土方巽の舞踏を国内外で紹介する活動を行っている。現在、NPO法人舞踏創造資源代表理事、慶應義塾大学アート・センター所員(土方巽アーカイヴ運営)。慶應義塾大学文学部・大学院非常勤講師。著書に『土方巽 舞踏譜の舞踏―記号の創造、方法の発見』、『写真集土方巽——肉体の舞踏誌』、編著書に『土方巽の舞踏』など。秋田魁新報に『不世出の舞踏家土方巽〜秋田から世界へ』を連載中。

●本日のお勧め作品は、細江英公です。
20161121_005細江英公
「鎌鼬 作品17」
1965年(printed later)
ゼラチンシルバープリント
20.4x30.4cm
サインあり

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