小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第18回
小川康博『Cascade』
(図1)
『Cascade』(蒼穹舎、2017)表紙
(図2)
小口
今回紹介するのは、小川康博(1968-) の写真集『Cascade』(蒼穹舎、2017)です。
この写真集は、小川が撮影した写真と、映写された8ミリフィルムの映像を静止画像としてとらえた写真を織り交ぜるようにして構成されています。水の滲みや揺らめく炎、茫洋とした光彩をそのまま矩形に落とし込んだような表紙で、黒い見返しの紙に続くように、ページの上下に余白を設け、見開きのページで写真がつながるように配置されています。つまり、一点一点の写真を別個のものとして切り離して提示するのではなく、ページ全体の流れ、層の厚みの中で見せることに主眼が置かれた造本になっています。小口が上下の余白を挟んで写真の部分が黒みを帯びた色になっていることも、層の厚みを強く意識させます。(図1、2)
小川は写真集を紹介する映像や写真集のあとがきの中で、この写真集の成り立ちを語っています。2016年4月に母親が他界した後、小川は母親が一人で暮らしていたマンションで押し入れの奥にしまい込まれていた8ミリフィルムと古い映写機を見つけます。家財を引き払い、マンションを売却して明け渡すことになっていた同年の9月に、小川はマンションの室内で、壁に白い布をかけ、映写機を使ってその8ミリフィルムを映写します。
「映写機がさえあればどこでだって映写できるのだが、目の前の8ミリフィルムの束と対峙するのは、私が母親と長い年月を過ごしたこの古びたマンションの一室でなければならないような気がした。」母親との記憶が詰まった空間を手放す前に、8ミリフィルムに捉えられた過去の映像を見るということは、他界した母親と、主のいなくなった長年の住まいとの別れを確かめ、記憶の中に留めておくための儀式のようなものだったのかもしれません。8ミリフィルムを一度映写した後、二度目の映写ではデジタルカメラを手にして、流れてゆく映像を撮影します。「母が写っている。私が笑っている。私は半ば夢見心地でシャッターを切り続けた。あふれんばかりのイメージが滝(カスケード)となって流れ落ち、私の脳裏をさまざまな風景で満たしてゆく。」
(図3)
(図4)
(図5)
(図6)
滝のように流れ落ちるイメージの中に儚く現れる亡き母と幼い自分自身の姿は、ブレてぼやけた静止画像に転換されています。8ミリフィルムの抜き出されたコマではなく、流れ落ちる滝の中から掬い上げられたイメージの断片は、コマとコマの間の動きのブレだけではなく、白い布の表面の皺、映写機と布の間の空間の奥行き、部屋に残る湿気のような、触覚を伴う空間性をも感じさせます。(図3)写真集には、8ミリフィルムの静止画像のシークエンスの隙間に、所々、小川が撮影した写真――花や母親の遺品、アルバムのページ、水面や雲のような断片的な光景――が差し込まれています。(図4、5、6)幼かった頃の自分と母親の遠い記憶と、母親の縁(よすが)となるものや写真とを並び合って強い印象を残すのが、彼岸花、紫陽花、桜や秋桜といった花々をとらえた写真です(図7、8)。季節の巡り、時間の移ろいとともに現れ、姿を変えてゆく花の色は、8ミリフィルムの中から掬い出されたイメージの中の色にも重ね合わせられています。とくに、経年変化したフィルムのなかに強くあらわれる赤や青の色は、母親が着ていたワンピースの青い柄や子どもが運動会で被る赤白帽,花壇の赤い花のような映像の中に現われるディテールとして写真集の中に繰り返しあらわれてきます。(図3、9)
(図7)
(図8)
(図9)
生命の色を宿す花と、遠い記憶の中にあらわれる色が相互に響きあい、時間の層が色味を帯びたイメージの集積として写真集のページの中に立ち現れてきます。イメージの中で色が鮮やかに立ち上がるほどに、そのイメージの中に存在していた人やものがすでに存在しないと感じる、喪失の感覚が見る者の中に強く沁み入ってきます。肉親がこの世を去った後の喪失感が、経年変化した8ミリフィルムの色合い、映写された空間の奥行きのなかに重なり合い、静かに深い余韻を残します。
(こばやし みか)
■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。
◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
●今日のお勧め作品は、ヘレン・レヴィットです。作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第20回をご覧ください。
ヘレン・レヴィット
「メキシコ 1941」
ゼラチンシルバープリント
18.0x21.1cm
1981年 サインあり
※現代版画センターのシール貼付
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
営業時間=火曜~土曜の平日11時~18時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

小川康博『Cascade』
(図1)『Cascade』(蒼穹舎、2017)表紙
(図2)小口
今回紹介するのは、小川康博(1968-) の写真集『Cascade』(蒼穹舎、2017)です。
この写真集は、小川が撮影した写真と、映写された8ミリフィルムの映像を静止画像としてとらえた写真を織り交ぜるようにして構成されています。水の滲みや揺らめく炎、茫洋とした光彩をそのまま矩形に落とし込んだような表紙で、黒い見返しの紙に続くように、ページの上下に余白を設け、見開きのページで写真がつながるように配置されています。つまり、一点一点の写真を別個のものとして切り離して提示するのではなく、ページ全体の流れ、層の厚みの中で見せることに主眼が置かれた造本になっています。小口が上下の余白を挟んで写真の部分が黒みを帯びた色になっていることも、層の厚みを強く意識させます。(図1、2)
小川は写真集を紹介する映像や写真集のあとがきの中で、この写真集の成り立ちを語っています。2016年4月に母親が他界した後、小川は母親が一人で暮らしていたマンションで押し入れの奥にしまい込まれていた8ミリフィルムと古い映写機を見つけます。家財を引き払い、マンションを売却して明け渡すことになっていた同年の9月に、小川はマンションの室内で、壁に白い布をかけ、映写機を使ってその8ミリフィルムを映写します。
「映写機がさえあればどこでだって映写できるのだが、目の前の8ミリフィルムの束と対峙するのは、私が母親と長い年月を過ごしたこの古びたマンションの一室でなければならないような気がした。」母親との記憶が詰まった空間を手放す前に、8ミリフィルムに捉えられた過去の映像を見るということは、他界した母親と、主のいなくなった長年の住まいとの別れを確かめ、記憶の中に留めておくための儀式のようなものだったのかもしれません。8ミリフィルムを一度映写した後、二度目の映写ではデジタルカメラを手にして、流れてゆく映像を撮影します。「母が写っている。私が笑っている。私は半ば夢見心地でシャッターを切り続けた。あふれんばかりのイメージが滝(カスケード)となって流れ落ち、私の脳裏をさまざまな風景で満たしてゆく。」
(図3)
(図4)
(図5)
(図6)滝のように流れ落ちるイメージの中に儚く現れる亡き母と幼い自分自身の姿は、ブレてぼやけた静止画像に転換されています。8ミリフィルムの抜き出されたコマではなく、流れ落ちる滝の中から掬い上げられたイメージの断片は、コマとコマの間の動きのブレだけではなく、白い布の表面の皺、映写機と布の間の空間の奥行き、部屋に残る湿気のような、触覚を伴う空間性をも感じさせます。(図3)写真集には、8ミリフィルムの静止画像のシークエンスの隙間に、所々、小川が撮影した写真――花や母親の遺品、アルバムのページ、水面や雲のような断片的な光景――が差し込まれています。(図4、5、6)幼かった頃の自分と母親の遠い記憶と、母親の縁(よすが)となるものや写真とを並び合って強い印象を残すのが、彼岸花、紫陽花、桜や秋桜といった花々をとらえた写真です(図7、8)。季節の巡り、時間の移ろいとともに現れ、姿を変えてゆく花の色は、8ミリフィルムの中から掬い出されたイメージの中の色にも重ね合わせられています。とくに、経年変化したフィルムのなかに強くあらわれる赤や青の色は、母親が着ていたワンピースの青い柄や子どもが運動会で被る赤白帽,花壇の赤い花のような映像の中に現われるディテールとして写真集の中に繰り返しあらわれてきます。(図3、9)
(図7)
(図8)
(図9)生命の色を宿す花と、遠い記憶の中にあらわれる色が相互に響きあい、時間の層が色味を帯びたイメージの集積として写真集のページの中に立ち現れてきます。イメージの中で色が鮮やかに立ち上がるほどに、そのイメージの中に存在していた人やものがすでに存在しないと感じる、喪失の感覚が見る者の中に強く沁み入ってきます。肉親がこの世を去った後の喪失感が、経年変化した8ミリフィルムの色合い、映写された空間の奥行きのなかに重なり合い、静かに深い余韻を残します。
(こばやし みか)
■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。
◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
●今日のお勧め作品は、ヘレン・レヴィットです。作家と作品については、小林美香のエッセイ「写真のバックストーリー」第20回をご覧ください。
ヘレン・レヴィット「メキシコ 1941」
ゼラチンシルバープリント
18.0x21.1cm
1981年 サインあり
※現代版画センターのシール貼付
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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