「身近な芸術としての版画について」

光嶋裕介
(建築家)

 期待が大き過ぎた展覧会にがっかりして帰路につくことは多々ある。しかし、埼玉県立美術館にてただいま開催中の『版画の景色~現代版画センターの軌跡』には、すっかり度肝を抜かれてしまった。それは一言でいうと「こんなにも身近にこれほどの芸術があったのか」という「気づき」ということに尽きる。
 美術館に展示されるものは、当たり前だが「芸術」として美しいものである。それが絵画であれ、彫刻、写真、あるいはビデオ映像とその表現方法は多岐に渡っている。この展覧会は、その中でも「版画」というメディアに特化して組まれた稀有な展覧会といえる。
 ひとくちに「版画」と言っても銅版画や凸版、リトグラフ、シルクスクリーンなどこれまた技法はたくさんあるが、世界にたった一枚しかない「絵画」のオリジナル性に比べて、「複数」であるということが版画というメディアが背負ったハンディキャップである。つまり、世界にたった一枚しかないという芸術を担保している部分が「エディションの数だけある」ということで、希少価値という面において、絵画(タブロー)などには敵わないのである。所有者が複数いるから仕方ないのだ。
 しかし、この圧巻の展覧会が示していることは、版画がたとえ複数であっても、まったく芸術としての価値の高さが揺るぎないということだ。美術館という芸術の殿堂にふさわしい一流の作品の数々が複数ある版画にもたくさん存在するということを知らしめたのである。先に「身近に」芸術を感じたと書いたのも、端的に言ってしまうと、いくつもの作品をつい「買いたい」と思うほど、惹きつけられたからである。気がつけばそれほど広くない展示室にもかかわらず、私は3時間弱もの濃密な時間を過ごすこととなっていた。
 なかでも磯崎新安藤忠雄が自身の設計した建物を版画にすることで、三次元の空間が二次元に還元され、純度の高い芸術として結晶化した表現には、分野を越境して活躍する建築家たちの真骨頂を見たように思う。磯崎が自身の建築だけを何もない抽象空間の中で美しい陰影と共に立ち上がらせたのに対して、安藤の作品は自身の建築全体ではなく、その内部空間における光の入り方をもっとも美しい状態で捉えた姿を克明に表現していた。全体と断片、フォルムの有無、素材と色彩、両者の空間における光のあり方について、じつに対照的な表現となっていたのが深く印象に残っている。
 しかし、私の心に響いた作家は他にあった。
 それが、木村利三郎と菅井汲である。
087_木村利三郎《サンフランシスコ》木村利三郎
《サンフランシスコ》1976年
シルクスクリーン(作家自刷り)
Image size: 41.0×54.0cm
Sheet size: 53.7×67.8cm
Ed.50  サインあり
現代版画センターエディションNo.87

133_菅井汲《スクランブルG》菅井汲
《スクランブルG》 1976年
凸版、シルクスクリーン(刷り:石田了一)
Image size: 24.0×35.5cm
Sheet size: 28.5×40.4cm
Ed.150  サインあり
現代版画センターエディションNo.133

 この二人に共通しているのは、版画のモチーフが建築というか、都市というか、空間であることだ。木村はニューヨークにアトリエを構えたこともあり、アメリカの都市をじつに的確にカラフルな色でもってその町の表情を見事に表現していて、つい見入ってしまう。展示されていた都市シリーズは、どれも視点に特徴があり、都市という人間がつくり上げた人工的なものを俯瞰してとらえて抽象化しているところに、彼の版画の強度があるように感じた。つまり、人間の視点から描くのではなく、バーズ・アイ・ビューという神の視点からとらえた都市の姿がシンプルな造形と絶妙な色使いによってその町の特徴がはっきりと浮き上がるのである。
 《57st.&5th Ave. New York》は、格子状の町にあって、多様にうごめく人間のエネルギーが表出する様を上品に描き上げ、《サンフランシスコ》では、海岸都市として海からスプロールするグラデーションがポップに表現されていた。たくさんの色を使うことは、画面の中が賑やかになり過ぎて、うまくいかないことがしばしばあるが、木村の画面にはバラバラのように存在しているそれぞれの色が、個々にはっきりと主張しているにもかかわらず、全体としてある「トーン」が作品を決定付けており、決して色が多いことがうるさくないのである。やはり、色の多さに対して、線としての造形がシンプルに抑制が効いていることで、作品の統一感が整えられているのだろう。
 一方菅井は、《スクランブル》と題された7点シリーズがとにかく輝いていた。版画の表現を拡張しているじつに美しい作品群である。木村のそれとは違うものの、菅井の作品にも独特なタッチがあり、圧倒的な強度を獲得している。明確な幾何学と白黒写真によるコラージュという表現の振れ幅の大きさに版画としての魅力があるのだろう。白黒写真は、空間に奥行きを与え、そこにフラットな幾何学を重ねることで、作品に独自の「トーン」がまたここにも出現する。造形と色による見事な対比と調和が見る者の想像力を自由に開放してくれるのだ。
 芸術は、なにもかもを「同じ」という方向に統合しようとする社会に対して、みんなと「違う」ことが許される分野である。要するに人間が生きることの根源的な部分に芸術はあるのである。なぜなら、みんなそれぞれに違う顔と心と身体をもっているのだから。そんな芸術を自分から遠いものとして鑑賞するのではなく、自分の生活の一部となり得るものとして「身近」に感じてもらうためには、今一度「版画」というものがもっている可能性について考えてもらいたい。その一つの切り口は、本物の芸術は時間に耐えるということだ。そして、この展覧会で紹介されている膨大な作品たちは1974年から85年というたった11年間のあいだに誕生し、すでに「現代版画センター」が倒産して33年も経っている。私が生まれる前に誕生した組織であり、同時代的に体験できなかったことが悔しくもある。しかし、ここに展示されている作品群は、まったく廃れることなく、より輝きを増して美しくメッセージを届け続けている。
 私たちは、そうした作品たちの声に耳を澄ませ、版画について、芸術について、いや、人間が生きることについて、深く考えてみたいと思う。展覧会を見終わった私も、早く絵が描きたくてなんだかウズウズしていた。
こうしま ゆうすけ

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左の7点が菅井汲「スクランブル」シリーズ、使われた写真は菅井汲の愛車ポルシェ、自ら撮影した阪神間の町、線路はもちろん阪急電車です。
2018年1月20日埼玉県立近代美術館にて、撮影:酒井猛

*画廊亭主敬白
今回の展覧会は少しでも多くの人に見ていただきたいので、幾人かの方に原稿をお願いしました。24日に掲載した西岡文彦さんのように版画センターのど真ん中にいた方や、本日の光嶋裕介さんのように生まれてもいなかった若い方もいます。
twitterやfacebookでの感想なども再録させていただいていますが、「ときの忘れものの前身が現代版画センターだった」という記述も散見します。反論するつもりはありませんが、学芸員の皆さんが現代版画センターを「時代の熱気を帯びた多面的な運動体」として捉えてこの展覧会を企画されたことだけは強調しておきたいと思います。
法人の代表者は確かに綿貫不二夫でしたし、その破綻の責任を忌避するものではありません。しかし全国各地の支部、会員の皆さんが繰り広げた版画の普及活動は一企業の事業としてくくるには余りにも膨大で多彩でした。
会場入り口のパネルには1300項目の展覧会・イベント開催記録が掲示されています。その一つ一つの固有名詞こそが、現代版画センターであったと、亭主は思っています。
1063会場入り口の1974~1985年年表  撮影:酒井猛

◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催されています。
会期:2018年1月16日(火)~3月25日(日)
埼玉チラシAY-O600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年~1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、約300点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。同館の広報誌もお読みください。

西岡文彦さんの連載エッセイ「現代版画センターという景色が始まりました(1月24日、2月14日、3月14日の全3回の予定です)。
パンフレット_01
【出品作家 45 名】靉嘔/安藤忠雄 /飯田善国/磯崎 新/一原有徳/アンディ・ウォーホル/内間安瑆/瑛九/大沢昌助/岡本信治郎/小田 襄/小野具定/オノサト・トシノブ/柏原えつとむ/加藤清之/加山又造/北川民次/木村光佑/木村 茂/木村利三郎/草間彌生/駒井哲郎/島 州一/菅井 汲/澄川喜一/関根伸夫/高橋雅之/高柳 裕/戸張孤雁/難波田龍起/野田哲也/林 芳史/藤江 民/舟越保武/堀 浩哉 /堀内正和/本田眞吾/松本 旻/宮脇愛子/ジョナス・メカス/元永定正/柳澤紀子/山口勝弘/吉田克朗/吉原英雄

●BSフジで毎週火曜 に放映される「ブレイク前夜~次世代の芸術家たち~」に光嶋裕介さんが紹介され、ユーチューブでも見ることができます。


◆国立近現代建築資料館で2月4日[日]まで「紙の上の建築 日本の建築ドローイング1970s-1990s」展が開催されています。磯崎新安藤忠雄らの版画作品も出品されています。
展覧会については戸田穣さんのエッセイをお読みください。

◆ときの忘れものは「Art Stage Singapore 2018」に出展しています。
Art_Stage_Singapore_2018_logo2018年1月25日(木)~28日(日)
会場はマリーナベイサンズのコンベンションセンター。3回目の出展となりますが、今回は葉栗剛、安藤忠雄、光嶋裕介の三人展です。


野口琢郎さんが本日の「日曜美術館」に出演します
今週28日(日)放送のNHK Eテレ 日曜美術館のクリムト特集にVTRで出演します。
クリムト関係のテレビ出演は2回目、箔画やってると海外のアートフェアなんかで「まるでクリムトね、あはは」と笑われて通り過ぎて行かれる事もあり悔しい思いは何度もしましたが、クリムトのお陰でテレビに出られるので有り難いかもです 笑
恐らく2~3分のVTRになるかと思いますが、今回は半笑いでモゾモゾ話さないように気をつけたつもりなので 笑 ぜひご視聴くださいませ、どうぞよろしくお願い致します。
NHK Eテレ 日曜美術館 「熱烈!傑作ダンギ クリムト
1月28日(日) 9:00~9:45
2月 4日(日) 20:00~20:45 (再放送)
(野口さんのfacebookより)

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
18駒込庭
新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18~24頁にときの忘れものが特集されています。
ときの忘れものの小さな庭に彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示しています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。