昨日4月26日は北川民次(1894年1月17日~1989年4月26日)の命日でした。
そして明日4月28日は末松正樹(1908年8月28日~1997年4月28日)の命日です。
ともに画家として生きようとした時期に自ら海外に渡った経歴をもちます。

今でこそ海外に出て行く若者は珍しくありませんが、20世紀前半には余程恵まれているか、あるいは移民というような形でしか海外経験はなかったでしょう。
今日はそんな時代に海外に渡った三人の作家をご紹介しましょう。

北川民次は若くしてアメリカに渡り苦学しアート・ステューデンツ・リーグを卒業。キューバを放浪しメキシコでは聖画行商人となって村々を転々とします。
やがてリベラ、オロスコ、シケイロスらと交際、彼らの推進する野外美術学校に関わることになり、1931年にはタスコの野外美術学校の校長となります。
1936年に帰国し、以後は日本の風土とメキシコの美術・文化を融合した独特の画風を確立し、瀬戸、東京を拠点に二科会の所属しながら制作活動を続けました。
久保貞次郎先生との交友は生涯続き、児童美術教育にも熱心に取り組まれました。
1978年東郷青児の死去のあと二科会会長に推されましたが、「残る人生は、ただ描くために」と会長を辞し、翌年二科会も退会しました。
その少し前ですが、私たちは瀬戸の北川先生を訪ね銅版画のエディションをお願いしたことがあります、そのときの思い出はいつか書いておきたいのですが、まさに「大人」の風格を備えた大画家でした。
20180427_tamiji_03_tekagami北川民次
《手鏡を持つ母子像》
1947年
油彩
92.0×73.0cm
サインあり

20180427_tamiji_10北川民次
《見物人》(表紙図案或ハ口絵)
1941年頃
素描
24.5×17.0cm
サインあり
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ちょうど今年は日本とメキシコの外交関係樹立130周年にあたり、山形県の東根市公共文化施設・まなびあテラスで記念の「北川民次展」が開催されています。
会期:2018年4月7日~6月3日
会場:まなびあテラス
〒999-3730 山形県東根市中央南一丁目7-3
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●北川民次より三歳上が長谷川潔(1891年年12月9日~1980年12月13日)です。
パリに渡り、消滅に瀕していた特殊銅版画技法マニエール・ノワールを復興させ、唐墨の深みをもつ色調による精神性の高い、崇高ともいえる銅版画作品を残しました。
北川民次と違い、1918年の渡仏以来、生涯をパリで過ごし、望郷の念にかられながらも故国日本の土を踏むことはありませんでした。
駒井哲郎はじめ多くの作家たちに与えた影響は大きく、この秋にはゆかりの横浜美術館で関連の展覧会「駒井哲郎―煌めく紙上の宇宙 ルドンを愛した銅版画のパイオニアとその時代」が計画されているので楽しみです。

二人とも国際的にも高い評価を得て、日本でも多くのファンを得た作家ですが、なぜか国家は二人に冷たかった。
毎年秋に文化勲章の発表がありますが、なぜこのお二人に生前国は文化勲章を贈らなかったんだろうと不思議に思います(長谷川潔に対して1966年フランス文化勲章が授与されています)。
hasegawa_11_pigeon長谷川潔
《パリの小鳩嬢》
エッチング
イメージサイズ:11.5x8.5cm
サインあり

hasegawa_12_illustration長谷川潔
『日夏耿之介定本詩集』第1巻挿絵
エッチング
120.0x6.6cm
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末松正樹が亡くなってもう21年経ちました。
10年ひと昔というから、もうふた昔前ですね。
スエマツマサキといっても馴染みのない人でも、名作映画のベストテンに必ず挙げられる1945年のフランス映画「天井桟敷の人々」のことは知っているでしょう。
第二次世界大戦中、ヴィシー政権下にあったフランスで製作され、監督はマルセル・カルネ、脚本はジャック・プレヴェールです。
日本で公開されたのが1952年、原題:Les enfants du Paradis(天国の子供たち)を「天井桟敷の人々」と翻訳したのが、当時フランス美術の紹介や映画字幕の仕事で八面六臂の大活躍をしていた末松正樹でした。少年時代に青森の映画館でこの映画を見て感激した寺山修司が、のちに「演劇実験室 天井桟敷」を結成したことはご存知の通りです。
末松正樹は画家としては異色の経歴の持ち主です。
軍人の子として生まれましたが、ノイエ・タンツなどの前衛舞踏に関心をもち、瀧口修造らの「アヴァンガルド芸術家クラブ」に参加します。
1939年パリに渡る舞踏家に同行して渡欧。翌年、第二次世界大戦がはげしくなり、日本人画家たちが続々と帰国するなかで敢えてパリに留まります。
やがてドイツ軍の進駐を逃れて、マルセイユに移り、日本領事館で働く傍ら多くのデッサンを制作します。マルセイユも危険となり、スペインに逃れようとしますが捕虜として警察に拘留されてしまいます。戦後の1946年復員船で帰国しました。パリ在住時代親しくしていた井上長三郎に再会し、ついで松本竣介、麻生三郎とも親しくなり、その縁から1947年自由美術家協会に参加し、会員となります。当時は大戦中のヨーロッパ美術の動向を知る唯一の画家として、新聞、雑誌にヨーロッパ美術に関する記事を多数寄稿しています。
1954年に再び渡欧し、フランスのプロヴァンス地方を訪れたことが契機となり、それまでの半抽象的な群像表現から、光を意識した色彩による流動的な抽象表現へと画風が変化していきます。
1964年自由美術家協会を退会し、主体美術協会結成に参加。1969年学園紛争時の多摩美術大学で学長代行をつとめ苦労します。1991年新潟市美術館、1992年板橋区立美術館で回顧展開催が開催されました。
suematsu_01末松正樹 無題 (01)
紙に水彩 
37.3x37.2 cm
Signed


suematsu_02末松正樹 無題 (02)
紙に水彩
25.3x29.2 cm

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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。


●明後日4月29日(日)から連休となりますが、ときの忘れものはカレンダー通りの営業となります。
4月29日(日)、30日(月)は休廊
5月1日(火)、2日(水)は普段通り営業します。
5月3日(木・祝日)~7日(火)は休廊

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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