小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」第27回
『私はあなたのニグロではない』
(図1)
『私はあなたのニグロではない(I AM NOT YOUR NEGRO)』
今回紹介するのは、ドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない(I AM NOT YOUR NEGRO)』(ラウル・ペック監督(1953-)、2016年 日本公開2018年)です(図1)。この映画は、アメリカの作家ジェームズ・ボールドウィン(1924-1987)が、暗殺された公民権運動の指導者たち、メドガー・エヴァーズ(1925-1963) 、マルコム・X(1925-1965)、マーティン・ルーサー・キング・Jr (1929‒1968)について執筆した回想録「Remember This House」(1979年から着想され準備が進められたが、未完に終わった)の原稿を元に、アメリカでの人種差別の歴史に対する考察が描かれています。公民権運動を主題にした映画としては、マルコム・Xの生涯を描いた『マルコム・X』(1992)や、マーティン・ルーサー・キング・Jr が先導したアラバマ州セルマからモンゴメリーまでの選挙権獲得をめざす大行進(1965)を描いた「グローリー 明日への行進」(原題:SELMA, 2014) が知られていますが、本作品は、彼らの人生や公民権運動の動向を描くことよりも、現代もブラック・ライブズ・マター(Black Lives Matter)運動が展開するように、根深く残る人種差別とその歴史的背景に対して、ボールドウィンの言葉を通して洞察を深めることに重点が置かれています。
ジャンルとしてはドキュメンタリー映画という形式を取っていますが、時間軸上に沿って進むのではなく、様々な時代、種類の映像ーーボールドウィンが出演したテレビ番組や講演の映像、公民権運動の記録映像、ニュース映像、広告、人種差別的な色濃く反映された娯楽映画、写真、現在の人種差別や暴行に端を発するデモの映像、記録写真などーーを入念にコラージュのように縒りあわせて構成されています。公民権運動の最中に公的な場所で熱弁を振るうボールドウィンの肉声と、公民権運動から10数年以上を経た1970年代末に、当時のことを振り返り、銃弾に倒れた3人の同世代の指導者のことを内省するボールドウィンの言葉(ナレーションは、俳優のサミュエル・L・ジャクソンが担当)は相互に響きあい、映画の中に時間的な重層性をもたらしています。エンドロールでは、ラッパーのケンドリック・ラマー(1987-)が人種差別や社会的な不正を激しく糾弾する「The Blacker the Berry」(2015)が流れ、ボールドウィンの言葉と精神が現代を生きるラッパーの中に引き継がれていることが示されています。
(図2)
ダグラス・マーティン「ハリー・ハーディング高校に入学する女子学生ドロシー・カウンツ」(1957)
先にも述べたように、映画の中には、人種差別には公民権運動に関わるさまざまな写真が使われており、その中のいくつかを発表された背景を交えて紹介します。(図2)は、ノースキャロライナ州、シャーロットのハリー・ハーディング高校に入学する女子学生ドロシー・カウンツを捉えたもので、(ノースキャロライナ州では、1956年に教育機関での人種統合を目的とするピアソール計画が実施された)、周囲を白人たちに取り囲まれ、唾を吐かれ、嘲笑を浴びています。彼女は白人の通う学校に初めて転入する黒人生徒の一人でしたが、壮絶な迫害に遭い、程なく退学を余儀なくされました。この写真は1957年の世界報道写真賞を受賞しました。ボールドウィンは生まれ育ったニューヨークを、人種差別から逃れるために1948年に離れ、パリに渡って執筆活動を行なっていましたが、新聞でこの写真を見て衝撃を受け、人種差別の最も激しい地域、アメリカ南部への旅に出ることを決意します。つまり、この写真はボールドウィンに、公民権運動家として活動する契機を与えたものと言っても良いでしょう。
アメリカ南部の州では、1876年から1964年にかけてジム・クロウ法(黒人による一般公共施設の利用を禁止制限した州法の総称)が存在し、1950年代後半以降に州が支援する人種統合学校が登場した後も、統合に反対して人種隔離を保持することを主張する白人たちの運動が続きます。(図3)
(図3)
テネシー州クリントンのクリントン高校で、人種統合に反対する白人の少年たち。首から「ニグロ(黒人の蔑称)とは一緒に学校に行かない」というプラカードを下げている。(1956)
(図4)
ゴードン・パークス、「ウィンドウ・ショッピングをする オリンダ・タナーと彼女の祖母 アラバマ州モービル」(1956)
(図5)
ゴードン・パークス「デパートの黒人用入口 アラバマ州 モービル」(1956)
人種隔離政策が布かれていたアメリカ南部を捉えたゴードン・パークス(Gordon Parks, 1912-2006)のカラー写真は、黒人たちのおかれている状況を、鮮明に描き出しています。1950年代当時は、フォトジャーナリズムでは白黒写真が主流でしたが、カラー写真による描写は、奴隷制の後に長らく続いた人種隔離の状況が遠い過去のことではなく、現在と地続きのことであることを伝えています。(図4、5)これらの写真は、グラフ雑誌「LIFE」 1956年9月24日号で、“The Restrained: Open and Hidden”というフォトストーリーとして掲載され、近年は写真集『Segregation Story』(2014)としてまとめられるています。
(図6)
レオナード・フリード「ノーベル平和賞を受賞後、凱旋パレードで歓待を受けるマーティン・ルーサー・キング・Jr . メリーランド州、ボルティモア」(1964)
公民権運動を記録した写真は映画の中に数多く挿入されていますが、(図6)は、1964年に当時史上最年少でノーベル平和賞を受賞したマーティン・ルーサー・キング・Jr .が、ボルティモアで帰国後の凱旋パレードで黒人市民から熱狂的な歓待を受ける場面を捉えており、苦闘の末に人種差別を禁じる公民権法が成立した時代を象徴する一枚と言えます。
車上で警護をする男性たちに囲まれながらも、なんとかキング牧師と握手をしたいと手を伸ばす黒人女性たちと、背後に居並ぶ白人警官が画面の中に捉えられており、黒人たちの熱狂と、それを見つめる白人の視線という関係の中に、当時の状況が凝縮されています。
雑誌や新聞のようなマスメディアで報道に用いられた写真だけではなく、私的な家族写真、司法写真、公民権運動が展開する以前の19世紀から20世紀初頭に撮影された写真も用いられています。中でも、強烈な印象を残すのが黒人奴隷をリンチして殺害し、その遺体を木の枝に吊るして、地域の白人たちがその様子を見世物のように楽しんでいる様子を捉えた写真です。20世紀初頭から数多く撮影されたこれらの残酷極まりない写真は、写真絵葉書として販売され、土産物のように扱われていました。これらの絵葉書を、骨董コレクターのジェームズ・アレン(James Allen)は蒐集し、写真集『Without Sancuary』としてまとめ、白人たちが繰り返し行っていた残虐行為を証しだてています。
(図7)
写真集『Without Sanctuary』より リンチされ、木から吊るされた黒人の遺体(1930年)
監督のラウル・ペックが、ボールドウィンの遺族の協力を得て、何年もかけて調査を行って集めた資料や映像、写真は、映画の中で過去の出来事の記録としてだけではなく、現在をかたち作る「歴史」の相貌を浮き上がらせます。映画の終盤で、ボールドウィンは次のように語りかけます。
"History is not the past.
It is the present.
We carry our history with us.
We *are* our history.
If we pretend otherwise, we literally are criminals."
「歴史は過去ではない、現在だ。
我々は歴史を携えている、
我々こそが、歴史だからだ。
この事実を無視するのは、犯罪者であるに等しい。」
『私はあなたのニグロではない』は、アメリカでの人種差別の歴史を主題としていますが、人種差別に限らず、あらゆる差別や暴力がなぜ存在し、存続してきたのかということを、いま私たちが携えている「歴史」の視点から考える上でのヒントを得られる作品です。また、言葉や映像、写真が残されることの意義や、それらが再編纂されることで、そこから何を学ぶことができるか、ということにも想いを巡らせることができるでしょう。
(こばやし みか)
■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。
●今日のお勧め作品は、普後均です。作家については飯沢耕太郎「日本の写真家たち」第9回をご覧ください。
普後均
《〈肉体と鉄棒〉より 4》
2014年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
~~~
●群馬県高崎市のレーモンド建築ツアーを開催します。
日時:2018年6月23日(土)13時高崎駅集合
1952年竣工の旧井上房一郎邸
画像は高崎市役所ホームページより。
1961年竣工の群馬音楽センター、1991年開館の高崎市美術館を見学し、明治14年(1881年)創業の魚仲で会食懇談します。
講師:熊倉浩靖、塚越潤(高崎市美術館館長)
詳しくは、メールにてお問い合わせください。
◆ときの忘れものは「没後70年 松本竣介展」を開催しています。
会期:2018年5月8日[火]―6月2日[土]
11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
ときの忘れものは生誕100年だった2012年に初めて「松本竣介展」を前期・後期にわけて開催しました。あれから6年、このたびは素描16点による「没後70年 松本竣介展」を開催します。

●「没後70年 松本竣介展」出品作品を順次ご紹介します
出品No.1)
松本竣介
《人物(M)》
1947年8月
わら半紙にペン、筆、インク
Image size: 22.0x15.0cm
Sheet size: 27.4x19.2cm
サインあり
※『松本竣介素描』(1977年、株式会社綜合工房)p.121所収
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●本展の図録を刊行しました
『没後70年 松本竣介展』
2018年
ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ
テキスト:大谷省吾(東京国立近代美術館美術課長)
作品図版:16点
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
税込800円 ※送料別途250円
◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

『私はあなたのニグロではない』
(図1)『私はあなたのニグロではない(I AM NOT YOUR NEGRO)』
今回紹介するのは、ドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない(I AM NOT YOUR NEGRO)』(ラウル・ペック監督(1953-)、2016年 日本公開2018年)です(図1)。この映画は、アメリカの作家ジェームズ・ボールドウィン(1924-1987)が、暗殺された公民権運動の指導者たち、メドガー・エヴァーズ(1925-1963) 、マルコム・X(1925-1965)、マーティン・ルーサー・キング・Jr (1929‒1968)について執筆した回想録「Remember This House」(1979年から着想され準備が進められたが、未完に終わった)の原稿を元に、アメリカでの人種差別の歴史に対する考察が描かれています。公民権運動を主題にした映画としては、マルコム・Xの生涯を描いた『マルコム・X』(1992)や、マーティン・ルーサー・キング・Jr が先導したアラバマ州セルマからモンゴメリーまでの選挙権獲得をめざす大行進(1965)を描いた「グローリー 明日への行進」(原題:SELMA, 2014) が知られていますが、本作品は、彼らの人生や公民権運動の動向を描くことよりも、現代もブラック・ライブズ・マター(Black Lives Matter)運動が展開するように、根深く残る人種差別とその歴史的背景に対して、ボールドウィンの言葉を通して洞察を深めることに重点が置かれています。
ジャンルとしてはドキュメンタリー映画という形式を取っていますが、時間軸上に沿って進むのではなく、様々な時代、種類の映像ーーボールドウィンが出演したテレビ番組や講演の映像、公民権運動の記録映像、ニュース映像、広告、人種差別的な色濃く反映された娯楽映画、写真、現在の人種差別や暴行に端を発するデモの映像、記録写真などーーを入念にコラージュのように縒りあわせて構成されています。公民権運動の最中に公的な場所で熱弁を振るうボールドウィンの肉声と、公民権運動から10数年以上を経た1970年代末に、当時のことを振り返り、銃弾に倒れた3人の同世代の指導者のことを内省するボールドウィンの言葉(ナレーションは、俳優のサミュエル・L・ジャクソンが担当)は相互に響きあい、映画の中に時間的な重層性をもたらしています。エンドロールでは、ラッパーのケンドリック・ラマー(1987-)が人種差別や社会的な不正を激しく糾弾する「The Blacker the Berry」(2015)が流れ、ボールドウィンの言葉と精神が現代を生きるラッパーの中に引き継がれていることが示されています。
(図2)ダグラス・マーティン「ハリー・ハーディング高校に入学する女子学生ドロシー・カウンツ」(1957)
先にも述べたように、映画の中には、人種差別には公民権運動に関わるさまざまな写真が使われており、その中のいくつかを発表された背景を交えて紹介します。(図2)は、ノースキャロライナ州、シャーロットのハリー・ハーディング高校に入学する女子学生ドロシー・カウンツを捉えたもので、(ノースキャロライナ州では、1956年に教育機関での人種統合を目的とするピアソール計画が実施された)、周囲を白人たちに取り囲まれ、唾を吐かれ、嘲笑を浴びています。彼女は白人の通う学校に初めて転入する黒人生徒の一人でしたが、壮絶な迫害に遭い、程なく退学を余儀なくされました。この写真は1957年の世界報道写真賞を受賞しました。ボールドウィンは生まれ育ったニューヨークを、人種差別から逃れるために1948年に離れ、パリに渡って執筆活動を行なっていましたが、新聞でこの写真を見て衝撃を受け、人種差別の最も激しい地域、アメリカ南部への旅に出ることを決意します。つまり、この写真はボールドウィンに、公民権運動家として活動する契機を与えたものと言っても良いでしょう。
アメリカ南部の州では、1876年から1964年にかけてジム・クロウ法(黒人による一般公共施設の利用を禁止制限した州法の総称)が存在し、1950年代後半以降に州が支援する人種統合学校が登場した後も、統合に反対して人種隔離を保持することを主張する白人たちの運動が続きます。(図3)
(図3)テネシー州クリントンのクリントン高校で、人種統合に反対する白人の少年たち。首から「ニグロ(黒人の蔑称)とは一緒に学校に行かない」というプラカードを下げている。(1956)
(図4)ゴードン・パークス、「ウィンドウ・ショッピングをする オリンダ・タナーと彼女の祖母 アラバマ州モービル」(1956)
(図5)ゴードン・パークス「デパートの黒人用入口 アラバマ州 モービル」(1956)
人種隔離政策が布かれていたアメリカ南部を捉えたゴードン・パークス(Gordon Parks, 1912-2006)のカラー写真は、黒人たちのおかれている状況を、鮮明に描き出しています。1950年代当時は、フォトジャーナリズムでは白黒写真が主流でしたが、カラー写真による描写は、奴隷制の後に長らく続いた人種隔離の状況が遠い過去のことではなく、現在と地続きのことであることを伝えています。(図4、5)これらの写真は、グラフ雑誌「LIFE」 1956年9月24日号で、“The Restrained: Open and Hidden”というフォトストーリーとして掲載され、近年は写真集『Segregation Story』(2014)としてまとめられるています。
(図6)レオナード・フリード「ノーベル平和賞を受賞後、凱旋パレードで歓待を受けるマーティン・ルーサー・キング・Jr . メリーランド州、ボルティモア」(1964)
公民権運動を記録した写真は映画の中に数多く挿入されていますが、(図6)は、1964年に当時史上最年少でノーベル平和賞を受賞したマーティン・ルーサー・キング・Jr .が、ボルティモアで帰国後の凱旋パレードで黒人市民から熱狂的な歓待を受ける場面を捉えており、苦闘の末に人種差別を禁じる公民権法が成立した時代を象徴する一枚と言えます。
車上で警護をする男性たちに囲まれながらも、なんとかキング牧師と握手をしたいと手を伸ばす黒人女性たちと、背後に居並ぶ白人警官が画面の中に捉えられており、黒人たちの熱狂と、それを見つめる白人の視線という関係の中に、当時の状況が凝縮されています。
雑誌や新聞のようなマスメディアで報道に用いられた写真だけではなく、私的な家族写真、司法写真、公民権運動が展開する以前の19世紀から20世紀初頭に撮影された写真も用いられています。中でも、強烈な印象を残すのが黒人奴隷をリンチして殺害し、その遺体を木の枝に吊るして、地域の白人たちがその様子を見世物のように楽しんでいる様子を捉えた写真です。20世紀初頭から数多く撮影されたこれらの残酷極まりない写真は、写真絵葉書として販売され、土産物のように扱われていました。これらの絵葉書を、骨董コレクターのジェームズ・アレン(James Allen)は蒐集し、写真集『Without Sancuary』としてまとめ、白人たちが繰り返し行っていた残虐行為を証しだてています。
(図7)写真集『Without Sanctuary』より リンチされ、木から吊るされた黒人の遺体(1930年)
監督のラウル・ペックが、ボールドウィンの遺族の協力を得て、何年もかけて調査を行って集めた資料や映像、写真は、映画の中で過去の出来事の記録としてだけではなく、現在をかたち作る「歴史」の相貌を浮き上がらせます。映画の終盤で、ボールドウィンは次のように語りかけます。
"History is not the past.
It is the present.
We carry our history with us.
We *are* our history.
If we pretend otherwise, we literally are criminals."
「歴史は過去ではない、現在だ。
我々は歴史を携えている、
我々こそが、歴史だからだ。
この事実を無視するのは、犯罪者であるに等しい。」
『私はあなたのニグロではない』は、アメリカでの人種差別の歴史を主題としていますが、人種差別に限らず、あらゆる差別や暴力がなぜ存在し、存続してきたのかということを、いま私たちが携えている「歴史」の視点から考える上でのヒントを得られる作品です。また、言葉や映像、写真が残されることの意義や、それらが再編纂されることで、そこから何を学ぶことができるか、ということにも想いを巡らせることができるでしょう。
(こばやし みか)
■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。
●今日のお勧め作品は、普後均です。作家については飯沢耕太郎「日本の写真家たち」第9回をご覧ください。
普後均《〈肉体と鉄棒〉より 4》
2014年撮影(2016年プリント)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:44.8×35.8cm
シートサイズ:50.8×40.6cm
Ed.15
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
~~~
●群馬県高崎市のレーモンド建築ツアーを開催します。
日時:2018年6月23日(土)13時高崎駅集合
1952年竣工の旧井上房一郎邸画像は高崎市役所ホームページより。
1961年竣工の群馬音楽センター、1991年開館の高崎市美術館を見学し、明治14年(1881年)創業の魚仲で会食懇談します。
講師:熊倉浩靖、塚越潤(高崎市美術館館長)
詳しくは、メールにてお問い合わせください。
◆ときの忘れものは「没後70年 松本竣介展」を開催しています。
会期:2018年5月8日[火]―6月2日[土]
11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
ときの忘れものは生誕100年だった2012年に初めて「松本竣介展」を前期・後期にわけて開催しました。あれから6年、このたびは素描16点による「没後70年 松本竣介展」を開催します。

●「没後70年 松本竣介展」出品作品を順次ご紹介します
出品No.1)松本竣介
《人物(M)》
1947年8月
わら半紙にペン、筆、インク
Image size: 22.0x15.0cm
Sheet size: 27.4x19.2cm
サインあり
※『松本竣介素描』(1977年、株式会社綜合工房)p.121所収
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●本展の図録を刊行しました
『没後70年 松本竣介展』2018年
ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ
テキスト:大谷省吾(東京国立近代美術館美術課長)
作品図版:16点
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
税込800円 ※送料別途250円
◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」は毎月25日の更新です。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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