「瀧口修造をもっと知るための五夜」第1夜レポート
土渕信彦
去る7月27日(金)、東京国立近代美術館の連続ミニレクチャー「瀧口修造をもっと知るための五夜」の第1夜を聴講しました。同館の企画展示「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」(図1)の関連イベントで、レクチャーのレポートに入る前に、企画展示の内容をご紹介します。
図1 企画展示案内板
1.企画展示について
展示点数は合計50点余り(展示替えを含む)。内訳は同館所蔵の瀧口修造作品13点と、瀧口が「見つめた」作家の作品40点ほど(ほかに雑誌などの資料11点あり)。瀧口の作品はデカルコマニー4点、バーント・ドローイング3点、ドローイング・水彩3点、ロトデッサン2点、コラージュ1点。デカルコマニーとドローイング・水彩はそれぞれ密度の高い佳品(図2,3)。バーント・ドローイングはいずれも素晴らしい大作(図4)。珍しいコラージュ「パウル・クレーのモニュメントのためのプロジェクト」も、一目見たら忘れられないでしょう(図5)。点数は多くありませんが、バラエティに富んで良いコレクションと思います。何よりも東近美が作品を所蔵していること自体、瀧口が造形作家として評価されたことを示しており、長年コレクションしてきた者として、感慨を禁じ得ません。
図2 正面の壁面(右3点が水彩・ドローイング、左2点はロトデッサン)
図3 デカルコマニー4点
図4 バーント・ドローイング3点
図5 コラージュ「パウル・クレーのモニュメントためのプロジェクト」
「見つめた作家」の作品では、海外作家ではセザンヌやシュルレアリストからフォンタナ、ミショー、コーネルまで、国内作家では戦前期の前衛画家から戦後の美術家までに及んでいます。各作家とも1~2点、多くても5点止まりですが、選りすぐりの作品が並んでいて、「さすがは東近美」との思いを抱かせます。解説の小冊子も瀧口修造の手づくり本のようなデザインで、ファンでなくても手にしたくなるでしょう(図6)。
図6 冊子
会期は6月19日(火)~9月24日(月・祝)なので、ゴードン・マッタ=クラーク展を観に行かれたら、是非この小展示も忘れずにご覧になるようお勧めします。
2.連続ミニレクチャーについて
5回の連続ミニレクチャーは以下のようなテーマが設定されています。
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」
五夜を通じて講師を務められるのは戦前期の前衛美術の専門家として著名な大谷美術課長です。担当された企画展「地平線の夢」(2003年)は、昭和10年代の前衛絵画の展覧会として今なお記憶に新しいものです。近年は大著『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画一九二八-一九五三』(国書刊行会、2016年5月。図7)も著されています。その大谷課長がまさに満を持して企画されたのが、今回の連続ミニレクチャーです。
図7 『激動期のアヴァンギャルド』
3.瀧口修造と物質
第一夜「瀧口修造と“物質”」(図8)は、昨年11月に大阪大学で開催されたシンポジウム「〈具体〉再考」(第2回)を振り返り、吉原治良、瑛九、瀧口の3人の「もの、物質、物体、オブジェ」を比較することから始められました。瀧口については、まず「詩と実在」(1931年)の「ぼくは詩の運動はそれ自身、物質との反抗の現象であることに注意したい」の一節が紹介され、「超現実主造型論」(1936年9月)の「オブジェ」論にも触れながら、「精神と物質」との系譜が辿られました。北脇昇、鶴岡政男、河原温、荒川修作、吉原治良、白髪一雄、もの派、「人間と物質」展などの作品や言説もスライドで紹介されました。そして1930年代後半の瀧口の「物質」観を示すものとして、『近代藝術』(三笠書房、1938年。図9)冒頭のセザンヌ論の次の一節が採り上げられました。
図8 ミニレクチャー
図9 『近代藝術』
「セザンヌの精神は決して平衡をもったものではなくて、その感覚はたえず物質―人間の把握する空間の媒材として―と闘っている」
すなわち、私たちは言葉によって、花・花瓶・テーブルクロス……等々、自分をとりまく世界=「物質」の一部を認識していますが、言葉によって名付けられないものは、意識からこぼれ落ちてしまいます。つまり、「物質」のうちかなりの部分が、認識できていないことになります。この意識の外にある部分になんとか触れたいという動機こそ、この時期の瀧口の考える人間と物質との関係の根底に横たわるものであると指摘されました。
意識の外にある部分に触れるためのメディアとして写真ほど好適なものはないとされ、配布資料(図10)に記載された瀧口修造の「写真と超現実主義」の次の一節が紹介されました。
図10 配布資料
「シュルレアリスムの写真について書く前に、読者がひょっとして持たれるかもしれない誤解のひとつを解いておきたいと思う。というのは、写真とは文字どおり現実をうつすものであるから、写真の超現実主義というのは、故意に原画を歪曲したり、切り抜いたりすることで終始するものではないという考え方である。これはまた写真とはかならず現実をありのままに再現するものだというような素朴な誤謬にも相通ずるものである。/この意味で超現実主義とは必ずしも実在を破壊加工するものではない。日常現実のふかい襞のかげに潜んでいる美を見出すことであり、無意識のうちに飛び去る現象を現前にスナップすることである。一体、不思議な感動というものは、対象が、極度に非現実的であり、しかも同じほどに現実的であるという、一種の同時感ではないだろうか?」
続いてアジェ、阿部芳文、大辻清司らの写真や論考がスライドも紹介され、瀧口が一貫して取り組んでいたのは、「人間の主観的な意識の外にあるものをどうやったら捉えることができるか」ということではなかったか、と締めくくられました。
30分という限られた時間のなかで、よくこれだけ深い内容を盛り込まれたもので、たいへん感銘を受けました。次回以降も必聴と思います。
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日~9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。
●連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」
講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30-19:00
場所 地下1階講堂
入場無料・申込不要(先着140名)
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●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
瀧口修造
《II-29》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.3cm
シートサイズ :19.4×13.2cm
※II-30と対
瀧口修造
《II-30》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.5cm
シートサイズ :19.3×13.2cm
※II-29と対
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土渕信彦
去る7月27日(金)、東京国立近代美術館の連続ミニレクチャー「瀧口修造をもっと知るための五夜」の第1夜を聴講しました。同館の企画展示「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」(図1)の関連イベントで、レクチャーのレポートに入る前に、企画展示の内容をご紹介します。
図1 企画展示案内板1.企画展示について
展示点数は合計50点余り(展示替えを含む)。内訳は同館所蔵の瀧口修造作品13点と、瀧口が「見つめた」作家の作品40点ほど(ほかに雑誌などの資料11点あり)。瀧口の作品はデカルコマニー4点、バーント・ドローイング3点、ドローイング・水彩3点、ロトデッサン2点、コラージュ1点。デカルコマニーとドローイング・水彩はそれぞれ密度の高い佳品(図2,3)。バーント・ドローイングはいずれも素晴らしい大作(図4)。珍しいコラージュ「パウル・クレーのモニュメントのためのプロジェクト」も、一目見たら忘れられないでしょう(図5)。点数は多くありませんが、バラエティに富んで良いコレクションと思います。何よりも東近美が作品を所蔵していること自体、瀧口が造形作家として評価されたことを示しており、長年コレクションしてきた者として、感慨を禁じ得ません。
図2 正面の壁面(右3点が水彩・ドローイング、左2点はロトデッサン)
図3 デカルコマニー4点
図4 バーント・ドローイング3点
図5 コラージュ「パウル・クレーのモニュメントためのプロジェクト」「見つめた作家」の作品では、海外作家ではセザンヌやシュルレアリストからフォンタナ、ミショー、コーネルまで、国内作家では戦前期の前衛画家から戦後の美術家までに及んでいます。各作家とも1~2点、多くても5点止まりですが、選りすぐりの作品が並んでいて、「さすがは東近美」との思いを抱かせます。解説の小冊子も瀧口修造の手づくり本のようなデザインで、ファンでなくても手にしたくなるでしょう(図6)。
図6 冊子会期は6月19日(火)~9月24日(月・祝)なので、ゴードン・マッタ=クラーク展を観に行かれたら、是非この小展示も忘れずにご覧になるようお勧めします。
2.連続ミニレクチャーについて
5回の連続ミニレクチャーは以下のようなテーマが設定されています。
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」
五夜を通じて講師を務められるのは戦前期の前衛美術の専門家として著名な大谷美術課長です。担当された企画展「地平線の夢」(2003年)は、昭和10年代の前衛絵画の展覧会として今なお記憶に新しいものです。近年は大著『激動期のアヴァンギャルド シュルレアリスムと日本の絵画一九二八-一九五三』(国書刊行会、2016年5月。図7)も著されています。その大谷課長がまさに満を持して企画されたのが、今回の連続ミニレクチャーです。
図7 『激動期のアヴァンギャルド』3.瀧口修造と物質
第一夜「瀧口修造と“物質”」(図8)は、昨年11月に大阪大学で開催されたシンポジウム「〈具体〉再考」(第2回)を振り返り、吉原治良、瑛九、瀧口の3人の「もの、物質、物体、オブジェ」を比較することから始められました。瀧口については、まず「詩と実在」(1931年)の「ぼくは詩の運動はそれ自身、物質との反抗の現象であることに注意したい」の一節が紹介され、「超現実主造型論」(1936年9月)の「オブジェ」論にも触れながら、「精神と物質」との系譜が辿られました。北脇昇、鶴岡政男、河原温、荒川修作、吉原治良、白髪一雄、もの派、「人間と物質」展などの作品や言説もスライドで紹介されました。そして1930年代後半の瀧口の「物質」観を示すものとして、『近代藝術』(三笠書房、1938年。図9)冒頭のセザンヌ論の次の一節が採り上げられました。
図8 ミニレクチャー
図9 『近代藝術』「セザンヌの精神は決して平衡をもったものではなくて、その感覚はたえず物質―人間の把握する空間の媒材として―と闘っている」
すなわち、私たちは言葉によって、花・花瓶・テーブルクロス……等々、自分をとりまく世界=「物質」の一部を認識していますが、言葉によって名付けられないものは、意識からこぼれ落ちてしまいます。つまり、「物質」のうちかなりの部分が、認識できていないことになります。この意識の外にある部分になんとか触れたいという動機こそ、この時期の瀧口の考える人間と物質との関係の根底に横たわるものであると指摘されました。
意識の外にある部分に触れるためのメディアとして写真ほど好適なものはないとされ、配布資料(図10)に記載された瀧口修造の「写真と超現実主義」の次の一節が紹介されました。
図10 配布資料「シュルレアリスムの写真について書く前に、読者がひょっとして持たれるかもしれない誤解のひとつを解いておきたいと思う。というのは、写真とは文字どおり現実をうつすものであるから、写真の超現実主義というのは、故意に原画を歪曲したり、切り抜いたりすることで終始するものではないという考え方である。これはまた写真とはかならず現実をありのままに再現するものだというような素朴な誤謬にも相通ずるものである。/この意味で超現実主義とは必ずしも実在を破壊加工するものではない。日常現実のふかい襞のかげに潜んでいる美を見出すことであり、無意識のうちに飛び去る現象を現前にスナップすることである。一体、不思議な感動というものは、対象が、極度に非現実的であり、しかも同じほどに現実的であるという、一種の同時感ではないだろうか?」
続いてアジェ、阿部芳文、大辻清司らの写真や論考がスライドも紹介され、瀧口が一貫して取り組んでいたのは、「人間の主観的な意識の外にあるものをどうやったら捉えることができるか」ということではなかったか、と締めくくられました。
30分という限られた時間のなかで、よくこれだけ深い内容を盛り込まれたもので、たいへん感銘を受けました。次回以降も必聴と思います。
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日~9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。
●連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」
講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30-19:00
場所 地下1階講堂
入場無料・申込不要(先着140名)
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●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
瀧口修造《II-29》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.3cm
シートサイズ :19.4×13.2cm
※II-30と対
瀧口修造《II-30》
デカルコマニー
イメージサイズ:11.2×7.5cm
シートサイズ :19.3×13.2cm
※II-29と対
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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