ときの忘れものは10日間の夏休みを終え、本日から秋の企画に(でもまだ暑い)突入します。
スタッフも全員リフレッシュして出勤してくるでしょう。
先ずは、24日から「第302回企画◆吉田克朗 LONDON 1975 」を開催します。
会期:2018年8月24日[金]―9月8日[土] 11:00-19:00※日・月・祝日休廊
吉田克朗(1943-1999)は「もの派」の中心作家として物性の強い立体作品を制作する一方、風景や人物のスナップ写真を使ったシルクスクリーン(後にフォトエッチング)による版画を精力的に制作しました。本展では『LONDON II』シリーズなど1975年の作品をご紹介します。

■吉田克朗 (1943-1999)
1943(昭和18)年9月23日 埼玉県深谷生まれ。1968年多摩美術大学絵画科卒。斎藤義重教室で学ぶ。 1968年から70年代にかけて、「もの派」の中心作家として《Cut-off》シリーズをはじめとする物性の強い立体作品を制作。1968年第8回現代日本美術展、69年「現代美術の動向」展、70年「現代美術の一断面」展、71年「パリ青年ビエンナーレ」などに出品した。 また、1969年から風景や人物のスナップ写真を使ったシルクスクリーン(後にフォトエッチング)による版画の制作を始め、70年第1回ソウル国際版画ビエンナーレで大賞受賞。
以後、72年クラコウ国際版画ビエンナーレほか国内外の版画展に出品。1973年-74年文化庁芸術家在外研修員としてイギリスに滞在。さらに1980年代からは絵画の制作を始め、平面的な色彩の《かげろう》シリーズ、黒鉛と指を使った《蝕》シリーズほかを制作した。1982年鎌倉中央公民館の壁画を制作。1997年から武蔵野美術大学教授を務めた。
1999(平成11)年9月5日、鎌倉で死去。周囲から惜しまれた55歳の若すぎる死でした。
1978年7月10日青山ラミアにて
関根伸夫ヨーロッパ巡回展に向けての歓送会
左から、関根伸夫、堀内正和、当日の司会役を勤めた吉田克朗
■作家の言葉
「私が私自身の肉体をことさら強く意識してきたのは、幼い頃から病弱だったことによるのかも知れない。13歳の頃あやうく一命を落すところを救われ、また人生で最も多感な人格形成時の18歳からの2年間の闘病生活。このことが私の私以外のもの(人や物や風景や)を見る目を、ほんのちょっとずらしたのだと思える。幼い頃の臨死体験は肉体の脆さを自覚させたし、あの2年間に及ぶ病院生活が再度自分の肉体の脆さと、闘病に敗れて死んでゆく同じ棟の知人たちの葬儀に臨んだあのむなしさが、私の視覚を常に自分の肉体からしか他を見ざるを得ないような視覚に形作ったのだろうと思える。そんな所から私は作品を作っている。」
(吉田克朗「わたしのかたち」『版画年鑑1999』阿部出版より)
本展では、イギリス留学から帰国後の1975年に制作され、青画廊で発表された吉田克朗銅版画集『LONDON II』(たとう入りフォトエッチング12点組、限定20部)を中心に展示します。
『LONDON II』の12点はいずれもロンドンの街並みの写真を使い、写っている人物はグレーに切り取られています。
Regent Street
Eaton Gate
Trafalgar Square
Fleet Street
Fitzmaurice Place
Wild Street
Lower Marsh
North End Way
Kensington Church Street

Lincoln's Inn Fields
St. Martin in the Fields
Gt. Marlborough Street
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

スタッフも全員リフレッシュして出勤してくるでしょう。
先ずは、24日から「第302回企画◆吉田克朗 LONDON 1975 」を開催します。
会期:2018年8月24日[金]―9月8日[土] 11:00-19:00※日・月・祝日休廊
吉田克朗(1943-1999)は「もの派」の中心作家として物性の強い立体作品を制作する一方、風景や人物のスナップ写真を使ったシルクスクリーン(後にフォトエッチング)による版画を精力的に制作しました。本展では『LONDON II』シリーズなど1975年の作品をご紹介します。

■吉田克朗 (1943-1999)
1943(昭和18)年9月23日 埼玉県深谷生まれ。1968年多摩美術大学絵画科卒。斎藤義重教室で学ぶ。 1968年から70年代にかけて、「もの派」の中心作家として《Cut-off》シリーズをはじめとする物性の強い立体作品を制作。1968年第8回現代日本美術展、69年「現代美術の動向」展、70年「現代美術の一断面」展、71年「パリ青年ビエンナーレ」などに出品した。 また、1969年から風景や人物のスナップ写真を使ったシルクスクリーン(後にフォトエッチング)による版画の制作を始め、70年第1回ソウル国際版画ビエンナーレで大賞受賞。
以後、72年クラコウ国際版画ビエンナーレほか国内外の版画展に出品。1973年-74年文化庁芸術家在外研修員としてイギリスに滞在。さらに1980年代からは絵画の制作を始め、平面的な色彩の《かげろう》シリーズ、黒鉛と指を使った《蝕》シリーズほかを制作した。1982年鎌倉中央公民館の壁画を制作。1997年から武蔵野美術大学教授を務めた。
1999(平成11)年9月5日、鎌倉で死去。周囲から惜しまれた55歳の若すぎる死でした。
1978年7月10日青山ラミアにて関根伸夫ヨーロッパ巡回展に向けての歓送会
左から、関根伸夫、堀内正和、当日の司会役を勤めた吉田克朗
■作家の言葉
「私が私自身の肉体をことさら強く意識してきたのは、幼い頃から病弱だったことによるのかも知れない。13歳の頃あやうく一命を落すところを救われ、また人生で最も多感な人格形成時の18歳からの2年間の闘病生活。このことが私の私以外のもの(人や物や風景や)を見る目を、ほんのちょっとずらしたのだと思える。幼い頃の臨死体験は肉体の脆さを自覚させたし、あの2年間に及ぶ病院生活が再度自分の肉体の脆さと、闘病に敗れて死んでゆく同じ棟の知人たちの葬儀に臨んだあのむなしさが、私の視覚を常に自分の肉体からしか他を見ざるを得ないような視覚に形作ったのだろうと思える。そんな所から私は作品を作っている。」
(吉田克朗「わたしのかたち」『版画年鑑1999』阿部出版より)
本展では、イギリス留学から帰国後の1975年に制作され、青画廊で発表された吉田克朗銅版画集『LONDON II』(たとう入りフォトエッチング12点組、限定20部)を中心に展示します。
『LONDON II』の12点はいずれもロンドンの街並みの写真を使い、写っている人物はグレーに切り取られています。
Regent Street
Eaton Gate
Trafalgar Square
Fleet Street
Fitzmaurice Place
Wild Street
Lower Marsh
North End Way
Kensington Church Street
Lincoln's Inn Fields
St. Martin in the Fields
Gt. Marlborough Street●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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