「瀧口修造をもっと知るための五夜」第3夜レポート

土渕信彦


第3夜「瀧口修造と瀧口綾子」(8月24日)のレポート

続いて第3夜をレポートします。大谷さんは早くから画家としての瀧口綾子に注目し、作品図版の発掘・収集に努めて来られたそうで、「25年かけて発掘した図版を今夜はすべてご覧にいれます」とレクチャーが始められました。さっそく瀧口綾子の略歴と作品図版が、配布資料にそって紹介されました(図10、11)。この配布資料はA4一枚に現在判明している鈴木(瀧口)綾子についての基本情報が網羅された、大変貴重なものです。今回のレポートはその再録ないし転載のようなものですが、といっても配布資料そのままではなく、内容の変更や省略も若干あることを、お断りしておきます。

図10 第3夜レクチャー風景図10 第3夜 レクチャー風景

図11 第3夜配布資料図11 第3夜 配布資料


1.略歴
1911年9月20日、山形県米沢市に生まれる(岡本太郎と同年生まれ)。
父・鈴木寛也は商工省の官吏(染色関係の技官)。9人兄弟姉妹の長女。父方の祖父は南画家の鈴木蘭崖、叔父(父の弟)は俳優の伴淳三郎、母キクの妹は日本画科の吉池青園女。熊谷高等女学校卒。その後、東京杉並に住む。
1932年から独立美術協会の展覧会に作品を出品(詳細は下記参照)。
1934年3月、仲間たちと「独立不出品同盟」を組織。4月、「新造型美術協会」を結成に加わる。以降、同協会の展覧会を中心に作品を出品(詳細は下記参照)。
1935年9月、雑誌「セルパン」(図12)の瀧口修造訳アポリネール「暗殺された詩人」の挿図を担当(図13)。同年12月14日、瀧口修造と結婚。

図12 セルパン図12 雑誌「セルパン」1935年9月号

図13 アポリネール「暗殺された詩人」図13 瀧口修造訳「暗殺された詩人」と鈴木綾子のカット


1939年5月、「美術文化協会」の結成に参加。
1941年4月5日、瀧口修造が治安維持法違反の嫌疑で検挙される(11月釈放)。その後、美術文化協会を退会か。
1945年5月25日、空襲により自宅と作品を焼失。父の赴任先金沢で終戦を迎える。
1972年、瀧口修造訳アポリネール『暗殺された詩人』刊行(湯川書房の叢書「融ける魚」の1冊)。綾子のカットも再録されている。
1979年7月1日、瀧口修造逝去。同年9月、雑誌「みすず」(瀧口修造追悼。図14)に「終焉の記」を寄稿(図15)。
1998年8月15日逝去。

図14 みすず図14 「みすず」233号(瀧口修造追悼。1979年9-10月号)

図15 瀧口綾子「終焉の記」図15 瀧口綾子「終焉の記」


2.主な出品歴など
以下、作品の図版が年代順に紹介されました。
1932年3月、第2回独立展で「静物」が初入選(鈴木阿耶子名義)
1933年3月、第3回独立展で「風景」が入選(同上)
1934年3月、第4回独立展で「羊歯たち」が入選(福沢一郎に絶賛される)。
1935年1月、第1回新造型展に10点ほど出品。以降、1937年に同協会が(第6回展に当たる名古屋展を最後に)活動を休止するまで、毎回出品。特に37年3月の第5回展には作品2点、フォトデッサン6点、瀧口修造と共作のデカルコマニー8点を出品。
1937年10月より雑誌「蝋人形」にカットを寄稿。
1938年1月、パリの国際シュルレアリスム展の際に刊行された『シュルレアリスム簡約辞典』(図16)に「風景」(図17)が掲載される。
1940年4月、第1回美術文化展に2点出品
1941年12月、美術文化第2回小品展に1点出品。
出品作品だけでなく、雑誌に提供した数多いカットの図版も紹介されました。戦後は制作をしていないようです。

図16 シュルレアリスム簡約辞典図16 『シュルレアリスム簡約辞典』(1938年1月)

図17 鈴木綾子「風景」(右上)図17 鈴木綾子「風景」(右上)


3.まとめ
最後に「瀧口綾子は1930年代に期待の若手画家として活躍していたが、戦争で作品が失われた。再評価すべき」とまとめられ、「現存作品をご存じの方はご連絡ください。また他にも当時の雑誌の挿絵やデザインの仕事があるはずです。情報提供をお願いします」という呼び掛けで、この夜のレクチャーは終了しました。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦の連載エッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

「瀧口修造と彼が見つめた作家たち」
会期:2018年6月19日~9月24日
会場:東京国立近代美術館
[開催概要]
 美術評論家・詩人の瀧口修造(1903-1979)は日本にシュルレアリスムを紹介し、また批評活動を通して若手作家を応援し続けたことで知られています。そして彼自身もドローイングやデカルコマニーなどの造形作品を数多く残しました。この小企画では、当館コレクションより、瀧口自身の作品13点に加え、彼が関心を寄せた作家たちの作品もあわせてご紹介します。とはいえ、これはシュルレアリスム展ではありません。瀧口が関心をもって見つめた作家たちが、どのように「もの」(物質/物体/オブジェ)と向き合ったかに着目しながら、作品を集めてみました。彼らの「もの」の扱い方は実にさまざまです。日常の文脈から切り離してみたり、イマジネーションをふくらませる媒介としたり、ただ単純にその存在の不思議をあらためて見つめなおしたり……。そうした多様な作品のどのような点に瀧口は惹かれたのかを考えながら、彼の視線を追体験してみましょう。そして、瀧口自身の作品で試みられている、言葉の限界の先にあるものに思いを巡らせてみましょう。

連続ミニレクチャー 瀧口修造をもっと知るための五夜
第一夜 7月27日(金)「瀧口修造と“物質”」
第二夜 8月10日(金)「瀧口修造とデカルコマニー」
第三夜 8月24日(金)「瀧口修造と瀧口綾子」
第四夜 9月 7日(金)「瀧口修造と帝国美術学校の学生たち」
第五夜 9月21日(金)「瀧口修造と福沢一郎」

講師 大谷省吾(美術課長・本展企画者)
時間 各回とも18:30-19:00
場所 地下1階講堂
入場無料・申込不要(先着140名)
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●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
takiguchi2014_II_08瀧口修造
"Ⅱ-8"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:11.0×8.5cm
シートサイズ :13.7×9.8cm
※Ⅱ-7(sold)と対

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●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
ただし9月20日[木]―9月29日[土]開催の野口琢郎展は特別に会期中無休です
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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