柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」第9回
封じ込められた本 ~ 若林奮・クリスト
この連載のテーマ、「アートと関わる本」の中には、画集や展覧会カタログなど既存の作品を収録する書物に加えて、アーティストが作品として作るアーティストブックや本の形態をした作品などもあります。前者としては、ミニマルアートや概念芸術の作家、ソル・ル・ウィットやローレンス・ウィナーの作品などがあり、連載でも紹介させて貰いました。後者としては、ドイツの現代美術家、キーファーの鉛製の多数の本を鉄の本棚に並べた立体作品が有名ですが、瀧口修造のリバティパスポートなども含めることができると思います。
それらに加えて、もう一つの別の形で本と結びついたアートがあります。既存の本を取り込んでしまった作品です。本や雑誌を1000度以上の高温で焼いた、西村陽平のオブジェなども惹かれる作品ですが、今回は、私の手元にある二つの作品を紹介させて貰います。

一つ目は、重い鉄の箱、若林奮の「Libre Objet」です。大きさは31㎝×25㎝、深さは10.5㎝と、大判の画集を3冊ほど重ねた程度のものですが、重さは11キロを超えています。
外観は、ふたの両がわに3本ずつのボルトがあり、スプリングのようなものに差し込まれたレンチが付いている以外は、取り立てた装飾もありません。というのも若林による、この作品は、箱の内部で展開されているからです。

ネジを外し、重い蓋をあけると、箱の底では鉛が流し込まれた鉄製の箱、鉄製の棒、ワイヤーなどで若林の世界が展開されています。この作品は、限定35部制作されたマルチプルですが、内部の構成は3パターンあり、同じパターンであっても細部は少しずつ異なっているとのことです。蓋を表紙と見立てると、開くと内部に創作の世界が展開されると、書籍のメタファーとも見なせるでしょうが、このオブジェを取り上げたのは、それだけの理由ではありません。この鉄の塊には、実際に書物が内包されているからです。


重い蓋は、2㎝程度の厚みがあり、4つの蝶ねじがついています。このねじを外すと、蓋の内側部分が取り外せるようになっていて、その中には白い表紙の一冊の本が隠されています。吉増剛造の詩集、「頭脳の塔」です。若林のこの重厚な作品は、詩集のための収納箱でもあるわけです。「Libre Objet」が作られるに至った経緯については、残念ながら聞いたこともなく、また資料も持ち合わせていません。ただ蓋が、詩集をぴったりと内包できるようなサイズであることを考えると、まず、書物ありきの作品だったと推測できるでしょう。どちらにしても、書物と融合した美術作品の傑作の一つであることに、異議を唱える人はまずいないと思っています。
手元にあるもう一つの封じ込められた本は、若林~吉益の無機的な鉄の衣とは正反対、柔らかな布に包まれている作品、「包まれた本」です。ベージュのキャンバス地には、縦横、様々な方向に紐がかかっています。はい、もちろん、クリストの作品です。クリスト・アンド・ジャンヌ=クロードと本との関係は、既に何回も書かせて頂いていますが・・・今回は、クリスト一人による、本を取り込んだ作品です。
(ちなみに、ベルリンの帝国議会議事堂を包んだ「包まれたライヒスターク」、日本とアメリカを結んで実現した「アンブレラ」など、野外空間での一時的なアートプロジェクトは、全てクリストとジャンヌ=クロードの共同作品です。それに対して、プロジェクトのためのドローイングやコラージュといった紙の上の作品、それに、さまざまなモノを包んだ包まれたオブジェや、パッケージといった作品は、クリスト一人の作品になります。)

この作品は、1970年に出版されたクリストに関する最初の作品集を包んだものです。1973年に限定100部が制作されたマルチプルですが、全て、クリスト自身がその手で包んだもので、一つ一つが微妙にことなったものです。
一点モノとマルチプル作品の双方で、クリストは様々な「包まれた本」、「包まれた雑誌」を手がけてきていますが、この、クリスト自身の作品集を包んだ作品には、ユニークな特色があります・・・“キャンバス地”で包まれている点です。
(パリ・レビュー)


包まれた本や雑誌の殆どは、その中身が判るように、透明や半透明のビニール素材が使われています。というのも、多くの作品で、その中身が、作品に意味を付加しているからです。たとえば、1982年の「包まれたパリ・レビュー」という作品は、この文芸雑誌の表紙に、「包まれたポンヌフ」のドローイングの絵はがきを貼り付けてからビニールで包んだものです。オブジェ作品も、プロジェクトを実現させるためのプロモーション活動の一環に取り入れたかったのだと想像できます。また、1985年の「包まれたニューヨーク・タイムス」は、1985年6月13日の新聞であることが、ビニール越しに確認できます。これは、クリスト、そして、ジャンヌ=クロードが、共に50歳になった誕生日です(二人は、1935年6月13日、全く同じ日に生まれています)。これらの作品では、中身が確認できることが重要な意味を持つことは間違いないでしょう。
(モダンアート)
包み込まれた、中身の本が特に重要な意味を持つ、もう一つの作品も紹介させてもらいましょう。1978年の「包まれた現代美術の本」です。これはアメリカを代表する美術雑誌、アート・ニュース誌が世界中の現代美術家に送った、「あなたは誰から一番影響を受けましたか?」というアンケートをきっかけに制作された作品です。クリストは、特定のアーティストの名前を挙げる代わりに、サム・ハンターとジョン・ジェイコブス著の大型本、「現代美術」をビニール素材と紐で包み、「私の回答はこの中です」というコメントを添えて編集部に送ったといいます。クリストの遊び心を感じさせるエピソードですが、この作品は、その後120部限定のマルチプル作品として、エブラムス社から発行されました。ちなみに、中身が読めるように、「包まれた現代美術の本」は、包まれていない新本一冊とセットになっていました。
さて、「包まれた本(クリスト作品集)」では、なぜビニールではなく、布で包んだのかとクリストに質問したことがありますが、「多分、謎めいたオブジェにしたかったのだと思います。」という回答でした。この包まれた本も、包まれていない本とセットで販売されました。ただ、手元にあるこのオブジェの中身が、本当にボーデン著の「クリスト作品集」なのか・・・同じ判型の、他の作家の作品集の可能性もあるわけで・・・それを確かめるには、この梱包を解く、つまりアート作品を破壊しなくてはならないわけで・・・その勇気は、僕にはありません。
(やなぎ まさひこ)
■柳正彦 Masahiko YANAGI
東京都出身。大学卒業後、1981年よりニューヨーク在住。ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院修士課程終了。在学中より、美術・デザイン関係誌への執筆、展覧会企画、コーディネートを行う。1980年代中頃から、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして「アンブレラ」「包まれたライヒスターク」「ゲート」「オーバー・ザ・リバー」「マスタバ」の準備、実現に深くかかわっている。また二人の日本での展覧会、講演会のコーディネート、メディア対応の窓口も勤めている。
2016年秋、水戸芸術館で開催された「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」も柳さんがスタッフとして尽力されました。
●柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は毎月20日の更新です。
●本日のお勧め作品は若林奮の〈新100線〉シリーズです。
若林奮
〈新100線〉No.56「1995年5月20日」
木・彩色、真鍮製
H3.7xD10.5cm
Signed
※『若林奮―1989年以後』展カタログ(発行:東京新聞 1997年)P.85掲載
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

封じ込められた本 ~ 若林奮・クリスト
この連載のテーマ、「アートと関わる本」の中には、画集や展覧会カタログなど既存の作品を収録する書物に加えて、アーティストが作品として作るアーティストブックや本の形態をした作品などもあります。前者としては、ミニマルアートや概念芸術の作家、ソル・ル・ウィットやローレンス・ウィナーの作品などがあり、連載でも紹介させて貰いました。後者としては、ドイツの現代美術家、キーファーの鉛製の多数の本を鉄の本棚に並べた立体作品が有名ですが、瀧口修造のリバティパスポートなども含めることができると思います。
それらに加えて、もう一つの別の形で本と結びついたアートがあります。既存の本を取り込んでしまった作品です。本や雑誌を1000度以上の高温で焼いた、西村陽平のオブジェなども惹かれる作品ですが、今回は、私の手元にある二つの作品を紹介させて貰います。

一つ目は、重い鉄の箱、若林奮の「Libre Objet」です。大きさは31㎝×25㎝、深さは10.5㎝と、大判の画集を3冊ほど重ねた程度のものですが、重さは11キロを超えています。
外観は、ふたの両がわに3本ずつのボルトがあり、スプリングのようなものに差し込まれたレンチが付いている以外は、取り立てた装飾もありません。というのも若林による、この作品は、箱の内部で展開されているからです。

ネジを外し、重い蓋をあけると、箱の底では鉛が流し込まれた鉄製の箱、鉄製の棒、ワイヤーなどで若林の世界が展開されています。この作品は、限定35部制作されたマルチプルですが、内部の構成は3パターンあり、同じパターンであっても細部は少しずつ異なっているとのことです。蓋を表紙と見立てると、開くと内部に創作の世界が展開されると、書籍のメタファーとも見なせるでしょうが、このオブジェを取り上げたのは、それだけの理由ではありません。この鉄の塊には、実際に書物が内包されているからです。


重い蓋は、2㎝程度の厚みがあり、4つの蝶ねじがついています。このねじを外すと、蓋の内側部分が取り外せるようになっていて、その中には白い表紙の一冊の本が隠されています。吉増剛造の詩集、「頭脳の塔」です。若林のこの重厚な作品は、詩集のための収納箱でもあるわけです。「Libre Objet」が作られるに至った経緯については、残念ながら聞いたこともなく、また資料も持ち合わせていません。ただ蓋が、詩集をぴったりと内包できるようなサイズであることを考えると、まず、書物ありきの作品だったと推測できるでしょう。どちらにしても、書物と融合した美術作品の傑作の一つであることに、異議を唱える人はまずいないと思っています。
手元にあるもう一つの封じ込められた本は、若林~吉益の無機的な鉄の衣とは正反対、柔らかな布に包まれている作品、「包まれた本」です。ベージュのキャンバス地には、縦横、様々な方向に紐がかかっています。はい、もちろん、クリストの作品です。クリスト・アンド・ジャンヌ=クロードと本との関係は、既に何回も書かせて頂いていますが・・・今回は、クリスト一人による、本を取り込んだ作品です。
(ちなみに、ベルリンの帝国議会議事堂を包んだ「包まれたライヒスターク」、日本とアメリカを結んで実現した「アンブレラ」など、野外空間での一時的なアートプロジェクトは、全てクリストとジャンヌ=クロードの共同作品です。それに対して、プロジェクトのためのドローイングやコラージュといった紙の上の作品、それに、さまざまなモノを包んだ包まれたオブジェや、パッケージといった作品は、クリスト一人の作品になります。)

この作品は、1970年に出版されたクリストに関する最初の作品集を包んだものです。1973年に限定100部が制作されたマルチプルですが、全て、クリスト自身がその手で包んだもので、一つ一つが微妙にことなったものです。
一点モノとマルチプル作品の双方で、クリストは様々な「包まれた本」、「包まれた雑誌」を手がけてきていますが、この、クリスト自身の作品集を包んだ作品には、ユニークな特色があります・・・“キャンバス地”で包まれている点です。
(パリ・レビュー)

包まれた本や雑誌の殆どは、その中身が判るように、透明や半透明のビニール素材が使われています。というのも、多くの作品で、その中身が、作品に意味を付加しているからです。たとえば、1982年の「包まれたパリ・レビュー」という作品は、この文芸雑誌の表紙に、「包まれたポンヌフ」のドローイングの絵はがきを貼り付けてからビニールで包んだものです。オブジェ作品も、プロジェクトを実現させるためのプロモーション活動の一環に取り入れたかったのだと想像できます。また、1985年の「包まれたニューヨーク・タイムス」は、1985年6月13日の新聞であることが、ビニール越しに確認できます。これは、クリスト、そして、ジャンヌ=クロードが、共に50歳になった誕生日です(二人は、1935年6月13日、全く同じ日に生まれています)。これらの作品では、中身が確認できることが重要な意味を持つことは間違いないでしょう。
(モダンアート)包み込まれた、中身の本が特に重要な意味を持つ、もう一つの作品も紹介させてもらいましょう。1978年の「包まれた現代美術の本」です。これはアメリカを代表する美術雑誌、アート・ニュース誌が世界中の現代美術家に送った、「あなたは誰から一番影響を受けましたか?」というアンケートをきっかけに制作された作品です。クリストは、特定のアーティストの名前を挙げる代わりに、サム・ハンターとジョン・ジェイコブス著の大型本、「現代美術」をビニール素材と紐で包み、「私の回答はこの中です」というコメントを添えて編集部に送ったといいます。クリストの遊び心を感じさせるエピソードですが、この作品は、その後120部限定のマルチプル作品として、エブラムス社から発行されました。ちなみに、中身が読めるように、「包まれた現代美術の本」は、包まれていない新本一冊とセットになっていました。
さて、「包まれた本(クリスト作品集)」では、なぜビニールではなく、布で包んだのかとクリストに質問したことがありますが、「多分、謎めいたオブジェにしたかったのだと思います。」という回答でした。この包まれた本も、包まれていない本とセットで販売されました。ただ、手元にあるこのオブジェの中身が、本当にボーデン著の「クリスト作品集」なのか・・・同じ判型の、他の作家の作品集の可能性もあるわけで・・・それを確かめるには、この梱包を解く、つまりアート作品を破壊しなくてはならないわけで・・・その勇気は、僕にはありません。
(やなぎ まさひこ)
■柳正彦 Masahiko YANAGI
東京都出身。大学卒業後、1981年よりニューヨーク在住。ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院修士課程終了。在学中より、美術・デザイン関係誌への執筆、展覧会企画、コーディネートを行う。1980年代中頃から、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして「アンブレラ」「包まれたライヒスターク」「ゲート」「オーバー・ザ・リバー」「マスタバ」の準備、実現に深くかかわっている。また二人の日本での展覧会、講演会のコーディネート、メディア対応の窓口も勤めている。
2016年秋、水戸芸術館で開催された「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」も柳さんがスタッフとして尽力されました。
●柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は毎月20日の更新です。
●本日のお勧め作品は若林奮の〈新100線〉シリーズです。
若林奮〈新100線〉No.56「1995年5月20日」
木・彩色、真鍮製
H3.7xD10.5cm
Signed
※『若林奮―1989年以後』展カタログ(発行:東京新聞 1997年)P.85掲載
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