小林美香のエッセイ「写真歌謡論」第8回(最終回)
写真歌謡論 Nightswimming / R.E.M.

今回紹介するのは、アメリカのロックバンドR.E.M. (活動時期、1980年~2011年)の「Nightswimming 」(1992年発表のアルバム、『Automatic For the People』の中に収録されています)です。この曲は、MVの映像にも捉えられているように、夜間に人のいないプールにこっそりと忍び込んで、一人の世界に浸り込んで内省するような体験のあり方を描き出しています。
昨今では、ライトアップされた夜のプールで泳ぐことが一種の華やかなレジャーのように取り上げられることもありますが、この歌の中では、「夜泳ぐこと」はあくまでも個人の密やかな、そして少し向こう見ずな行為として描かれています。
歌い出しはプールへと向かう車の中の情景を描くように、次のように始まります。
Nightswimming deserves a quiet night
The photograph on the dashboard
taken years ago,
turned around backwards so the windshield shows.
Every street light reveals a picture in reverse
Still it's so much clearer
夜泳ぐには 静寂の夜がふさわしい
ダッシュボードに置かれた写真は
もう何年も前に撮られたもので
それがフロントガラスに反転されて映し出され
街灯を通り過ぎるたび 浮かび上がる
今でも ずっと鮮明に
この歌の中で、「写真」という言葉が登場するのは冒頭のこの部分と、曲の最後のリフレインの部分です。暗い夜道を車を運転してプールに向かう道程の中で、時折通り過ぎる街灯の明かりに照らされてフロントガラスに一片の写真の図像が反射して見えるという視覚的な体験が丁寧に描出されています。「何年も前に撮られた写真」は、アルバムのような写真を収める器の中に収められているのではなく、ダッシュボードの上に、無造作に、いつから置かれているのかも定かではないかのようです。また、写真を手に取って眺めるのではなく、ガラスに反射する光が、写真のイメージを浮かび上がらせること、つまり自分が自発的に写真を見ようとするのではなく、イメージが視界の中に飛び込んで「鮮明に」見えていることが、この歌の中の視覚的な経験のありようを強く印象づけます。
運転する車が前へ前へと進む道中で、写真のイメージが視界の中でフラッシュバックするように立ち現れるということは、写真に捉えられたできごとが、イメージとして現れつつも、終わってしまったこととして、過去という手の届かない場所へと押し流されていくことに対峙する時の切なさが入り混じった感情を喚起します。
静かな夜に泳ぐ感覚は次のように語られています。
Nightswimming deserves a quiet night
I'm not sure all these people understand
It's not like years ago
The fear of getting caught
The recklessness in water
They cannot see me naked
These things they go away
Replaced by every day
夜泳ぐには 静寂の夜がふさわしい
みんなが理解してるのか 僕には分からないけれど
遠い昔のこととは思えない
つかまるかもしれない怖さを抱きながら
水の中では 向こう見ずで
誰も 裸の僕には気づかない
こういったものは消え去っていく
訪れる日々と引き換えに
夜のプールに裸で身を浸すこことは、つかまってしまうかもしれないという怖れを感じるような、スリルに満ちた向こう見ずな行為ではあるのですが、その高揚したような感覚も、日々が経過する中でいずれは忘れ、消え去ってしまうもの、として儚む気持ちが込められています。この歌詞の部分を、前述の写真について歌った部分に照らし合わせてみると、写真が「何年も前に撮られた」のに対して、夜泳ぐことが「遠い昔のこととは思えない」と、いずれも過去のことでありながら、現在との時間の距離を測るような視線で捉えられており、写真のイメージが街灯の光の通過とともに目の前に立ち現れることと、夜泳ぐという行為に伴う感覚が日々の経過とともに薄れていくこと、相対する関係にあるものとして位置づけられています。
「Nightswimming」を通して聴いていると、写真を通した過去への思いを交えつつ、「夜泳ぐこと」に象徴されているような、怖さを抱きつつも向こう見ずな行為に没頭することが、いずれは過ぎ去ったこととして思い返されること、たとえそれが写真という形では残されないとしても、イメージとしていつまでも歌い手と聞き手の中に蘇ることへの希望が託されているようにも思います。「訪れる日々と引き換えに消え去っていく」ことと「ダッシュボードの写真が鮮明に浮かび上がる」ことは、実際には表裏一体の関係にあるのかもしれません。
「写真歌謡論」は今回を持ちまして終回となりました。これまでご愛読いただきありがとうございました。
(こばやし みか)
■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。
*画廊亭主敬白
小林美香さんが私どものブログに初めて登場したのは2010年8月11日「ジョック・スタージス新作写真展に寄せて」でした。以来、該博な知識と膨大な写真作品を実際に見て研究されてきた成果を惜しげもなく公開、執筆してきてくださいました。古今の名作写真の背後に迫る論考は多くの写真ファンを魅了してきました。奇しくも今回で通算100回を迎えましたが、長い間のいくつもの連載執筆に心より感謝する次第です。ますますのご活躍を期待しています。
●本日のお勧め作品はソニア・ドローネです。
ソニア・ドローネ Sonia DELAUNAY
「作品」
リトグラフ
65.0x53.0cm
Ed. 75
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●『第28回 瑛九展』カタログのご案内
『第28回 瑛九展』(アートバーゼル香港)図録
2019年 ときの忘れもの
B5版 36頁 作品17点、参考図版27点掲載
執筆:大谷省吾(東京国立近代美術館)
編集:尾立麗子(ときの忘れもの)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
翻訳:Polly Barton、勝見美生(ときの忘れもの)
価格:800円 *送料250円
●瑛九の資料・カタログ等については1月11日ブログ「瑛九を知るために」をご参照ください。
埼玉県立近代美術館では「特別展示:瑛九の部屋」で120号の大作「田園」を公開、「瑛九と光春―イメージの版/層」では山田光春の新収蔵作品とともに、40点以上の油彩、フォトデッサン、版画他を展示しています(4月14日まで)。
宮崎県立美術館でも<瑛九 -宮崎にて>で120号の大作「田園 B」などを展示しています(4月7日まで)。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。
*日・月・祝日は休廊。
写真歌謡論 Nightswimming / R.E.M.

今回紹介するのは、アメリカのロックバンドR.E.M. (活動時期、1980年~2011年)の「Nightswimming 」(1992年発表のアルバム、『Automatic For the People』の中に収録されています)です。この曲は、MVの映像にも捉えられているように、夜間に人のいないプールにこっそりと忍び込んで、一人の世界に浸り込んで内省するような体験のあり方を描き出しています。
昨今では、ライトアップされた夜のプールで泳ぐことが一種の華やかなレジャーのように取り上げられることもありますが、この歌の中では、「夜泳ぐこと」はあくまでも個人の密やかな、そして少し向こう見ずな行為として描かれています。
歌い出しはプールへと向かう車の中の情景を描くように、次のように始まります。
Nightswimming deserves a quiet night
The photograph on the dashboard
taken years ago,
turned around backwards so the windshield shows.
Every street light reveals a picture in reverse
Still it's so much clearer
夜泳ぐには 静寂の夜がふさわしい
ダッシュボードに置かれた写真は
もう何年も前に撮られたもので
それがフロントガラスに反転されて映し出され
街灯を通り過ぎるたび 浮かび上がる
今でも ずっと鮮明に
この歌の中で、「写真」という言葉が登場するのは冒頭のこの部分と、曲の最後のリフレインの部分です。暗い夜道を車を運転してプールに向かう道程の中で、時折通り過ぎる街灯の明かりに照らされてフロントガラスに一片の写真の図像が反射して見えるという視覚的な体験が丁寧に描出されています。「何年も前に撮られた写真」は、アルバムのような写真を収める器の中に収められているのではなく、ダッシュボードの上に、無造作に、いつから置かれているのかも定かではないかのようです。また、写真を手に取って眺めるのではなく、ガラスに反射する光が、写真のイメージを浮かび上がらせること、つまり自分が自発的に写真を見ようとするのではなく、イメージが視界の中に飛び込んで「鮮明に」見えていることが、この歌の中の視覚的な経験のありようを強く印象づけます。
運転する車が前へ前へと進む道中で、写真のイメージが視界の中でフラッシュバックするように立ち現れるということは、写真に捉えられたできごとが、イメージとして現れつつも、終わってしまったこととして、過去という手の届かない場所へと押し流されていくことに対峙する時の切なさが入り混じった感情を喚起します。
静かな夜に泳ぐ感覚は次のように語られています。
Nightswimming deserves a quiet night
I'm not sure all these people understand
It's not like years ago
The fear of getting caught
The recklessness in water
They cannot see me naked
These things they go away
Replaced by every day
夜泳ぐには 静寂の夜がふさわしい
みんなが理解してるのか 僕には分からないけれど
遠い昔のこととは思えない
つかまるかもしれない怖さを抱きながら
水の中では 向こう見ずで
誰も 裸の僕には気づかない
こういったものは消え去っていく
訪れる日々と引き換えに
夜のプールに裸で身を浸すこことは、つかまってしまうかもしれないという怖れを感じるような、スリルに満ちた向こう見ずな行為ではあるのですが、その高揚したような感覚も、日々が経過する中でいずれは忘れ、消え去ってしまうもの、として儚む気持ちが込められています。この歌詞の部分を、前述の写真について歌った部分に照らし合わせてみると、写真が「何年も前に撮られた」のに対して、夜泳ぐことが「遠い昔のこととは思えない」と、いずれも過去のことでありながら、現在との時間の距離を測るような視線で捉えられており、写真のイメージが街灯の光の通過とともに目の前に立ち現れることと、夜泳ぐという行為に伴う感覚が日々の経過とともに薄れていくこと、相対する関係にあるものとして位置づけられています。
「Nightswimming」を通して聴いていると、写真を通した過去への思いを交えつつ、「夜泳ぐこと」に象徴されているような、怖さを抱きつつも向こう見ずな行為に没頭することが、いずれは過ぎ去ったこととして思い返されること、たとえそれが写真という形では残されないとしても、イメージとしていつまでも歌い手と聞き手の中に蘇ることへの希望が託されているようにも思います。「訪れる日々と引き換えに消え去っていく」ことと「ダッシュボードの写真が鮮明に浮かび上がる」ことは、実際には表裏一体の関係にあるのかもしれません。
「写真歌謡論」は今回を持ちまして終回となりました。これまでご愛読いただきありがとうございました。
(こばやし みか)
■小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者・東京国立近代美術館客員研究員。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。2007-08年にAsian Cultural Councilの招聘、及び Patterson Fellow としてアメリカに滞在し、国際写真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
2010年より東京国立近代美術館客員研究員、2014年から東京工芸大学非常勤講師を務める。
*画廊亭主敬白
小林美香さんが私どものブログに初めて登場したのは2010年8月11日「ジョック・スタージス新作写真展に寄せて」でした。以来、該博な知識と膨大な写真作品を実際に見て研究されてきた成果を惜しげもなく公開、執筆してきてくださいました。古今の名作写真の背後に迫る論考は多くの写真ファンを魅了してきました。奇しくも今回で通算100回を迎えましたが、長い間のいくつもの連載執筆に心より感謝する次第です。ますますのご活躍を期待しています。
●本日のお勧め作品はソニア・ドローネです。
ソニア・ドローネ Sonia DELAUNAY「作品」
リトグラフ
65.0x53.0cm
Ed. 75
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●『第28回 瑛九展』カタログのご案内
『第28回 瑛九展』(アートバーゼル香港)図録2019年 ときの忘れもの
B5版 36頁 作品17点、参考図版27点掲載
執筆:大谷省吾(東京国立近代美術館)
編集:尾立麗子(ときの忘れもの)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
翻訳:Polly Barton、勝見美生(ときの忘れもの)
価格:800円 *送料250円
●瑛九の資料・カタログ等については1月11日ブログ「瑛九を知るために」をご参照ください。
埼玉県立近代美術館では「特別展示:瑛九の部屋」で120号の大作「田園」を公開、「瑛九と光春―イメージの版/層」では山田光春の新収蔵作品とともに、40点以上の油彩、フォトデッサン、版画他を展示しています(4月14日まで)。
宮崎県立美術館でも<瑛九 -宮崎にて>で120号の大作「田園 B」などを展示しています(4月7日まで)。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。
*日・月・祝日は休廊。
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