土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

9.瀧口修造『幻想画家論』

瀧口修造『幻想画家論』
新潮社
19.7×13.5㎝(四六判)
口絵(カラー):ボッシュ「悦楽の園」部分
本文236頁、あとがき15頁
図版(モノクロ)48頁

奥付の記載事項
幻想画家論
昭和三十四年一月二十五日 印刷
昭和三十四年一月三十日 発行
定価四八〇円 地方売価四九〇円
著 者 滝口修造
発行者 佐藤亮一
    東京都新宿区矢来町七一
発行所 新潮社
    東京都新宿区矢来町七一
    電話東京(34)七一一一~九
振替東京八〇八
活 版 東光印刷
写真版 学術写真製版
原色版 半七写真工業
製 本 牛込加藤製本

図1 『幻想画家論』図1 『幻想画家論』

『幻想画家論』は、『16の横顔 ボナールよりアルプへ』に続く、瀧口4冊目の評論集で、雑誌「藝術新潮」1955年1月~12月号(図2)に掲載された「異色作家列伝」を単行本化したものです。

図2 藝術新潮図2 「藝術新潮」1955年1月~12月号

タイトルが「幻想画家論」に変更されたのは、おそらく出版社側の意向によるもので、瀧口としては元の「異色作家列伝」の方を採りたかったのではないかと思われます。これは「あとがき」の次のような書きぶりからも窺えます。

「〈幻想画家論〉という改まった名に多少ふさわしくない作家もあるだろうし、当然含められて然るべき作家を逸していることもあろう。雑誌の意図としては、これまでのオーソドックスの美術史や絵画論ではわき道に置かれてきたり、あるいは多少知られていても案外その重要な一面が知られていないといった、漠然としてはいるが雑誌としては〈異色〉で意を尽くした狙いであったと思われるが、たまたま筆者の関心がこのような顔ぶれをえらばせたのである。[中略]筆者は幻想画家という名で、特殊な画家の種族を規定しようというつもりはない」

図3 あとがき図3 あとがき

採り上げられているのは以下12名の作家で、ほぼ生年順に編集されています。()内は「藝術新潮」の掲載月です。

ボッシュ(1月)、グリューネウァルト(6月)、ピエロ・ディ・コシモ(9月)、ジョルジュ・ラ・トゥール(7月)、ルドン(10月)、ゴーギャン(8月)、アンソール(2月)、ムンク(5月)、スーティン(4月)、クレー(3月)、エルンスト(11月)、デュシャン(12月)。

12名のうち、ルドン、ゴーギャン、ムンクは、1910年代初頭に雑誌「白樺」などで紹介されていましたし、福沢一郎の『エルンスト』(1939年。図4)が、アトリヱ社「西洋美術文庫」で、また、土方定一の『クレー』(1955年。図5)が、みすず書房「原色版美術ライブラリー」で刊行されていました。瀧口自身もクレー、エルンスト、デュシャンについて、戦前から何度か論じていたのですから、「それまでの日本における西洋美術史の欠落を補う意図」(「自筆年譜」1955年の項)という言葉が、そのまま全員に当てはまるか、疑問の余地もあります。

図4 『エルンスト』図4 福沢一郎『エルンスト』

図5 『クレー』図5 土方定一『クレー』

とはいえ、例えば1951~53年に、マチスピカソ、ブラック、ルオーの展覧会が読売新聞社主催で開催され、その記念画集『現代絵画の四巨匠』(読売新聞社、1956年。図6)が連載の翌年に刊行されたように、一般の関心は主にこうした「巨匠」たちに向けられていたのですから、上記の作家たちが、当時はまだそれほど注目を集める存在でなかったのも事実でしょう。本書が日本語で書かれた西洋美術の文献のなかで、おそらく初めて「異色作家」に絞って採り上げた、ユニークな一冊であることは確かと思われます。

図6 『現代絵画の四巨匠』図6 『現代絵画の四巨匠』(図6)

「あとがき」の別の個所には「もとめた資料が整わず機会を逸した場合もある」と記されていますので、12名いずれについても、当時入手・参照可能な文献を渉猟して執筆されたのは、間違いないと思われます。といっても、例えば西洋美術史の古典と誰もが認めるジョルジョ・ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』も、後世の研究により修正され続けているように、本書もその後の研究の進展に応じて訂正すべき個所が出てくるのは、やむを得ないでしょう。ただ、48頁にも及ぶ図版(図7)は、モノクロとはいえ、現在でも充実しているように見えます。まして当時では貴重な資料だったに違いありません。

図7 図版頁図7 『幻想画家論』図版頁

実際に本書は、連載中からかなり後年まで、西洋美術に関心を持つ読者や作家の間に、かなりのインパクトを与えたようです。例えば美術評論家の東野芳明が『マルセル・デュシャン』(美術出版社、1977年。図8)の「あとがき」で、「〈異色作家列伝〉で、デュシャンについてのまとまった論文を読んだときの驚きはいまでも忘れられない」と記しています。

図8 東野芳明『マルセル・デュシャン』図8 東野芳明『マルセル・デュシャン』

実は筆者もそうした一人です。1977年春に西武美術館で開催された「マックス・エルンスト」展(図9)よりも後の、確か1970年代末か80年代初頭だったと思いますが、エルンストの章の末尾の一節、すなわち、1955年のヴェネチア・ビエンナーレでの大賞受賞を理由として、エルンストがシュルレアリスムから除名された事件に触れた一節に突き当って、言葉で言い表しにくい不思議な衝撃を受けたのを覚えています。以下に引用します。

「エルンストはこう語っている。〈私は1939年以来グループを離れてしまっている。[中略]シュルレアリスムにすぐれた発見と業績をのこした連中はみな離れたり除名されたりしている。[中略]シュルレアリスムを代表しているのは、かれら立ち去った詩人たちだと思う。たしかにブルトンはひとりだ。私はかれを気の毒に思っている〉と。[中略]未知の世界の戦慄を大胆に路上に投げつけたかつての芸術家たちが、いまや公認の「巨匠」になろうとしている。これはブルトンにとって心外なことであるかもしれない。なぜならいつも常識を否定した純粋な行為であったシュルレアリスムは、公認であってはいけないものだったからである。シュルレアリスムは無限に否認し続けるだろう。ブルトンがひとりになっても、ブルトンがもう存在しなくなっても。」

図9 マックス・エルンスト展図録図9 マックス・エルンスト展図録

本書刊行前年の1958年5月、瀧口はヴェネチア・ビエンナーレの日本代表審査員として欧州に出かけ、その後4ヶ月ほど滞在して、連載で採り上げていた画家の作品や所縁の土地を訪ねる機会を得ました。この経緯にも「あとがき」で触れられています。

「この本の原稿を印刷に渡してまもなく、筆者は急にヴェニスのビエンナーレ国際展に出かけることとなり、その仕事をすませたあと帰るとすぐにこのあとがきを書くこととなった。
その旅行中、ここに扱われた作家群につい興味が向いたのは自然だった。」

長くなりますのでこれ以上の引用は控えますが、この後の部分には上記の「作家群」などに関する、主な出来事が記されています。帰国直後に書かれただけに具体的かつ生き生きとしており、生涯最初で最後となったこの欧州旅行が、たいへん実り多いものだったことが解ります。本書の魅力ないし価値の半ばは、この「あとがき」にあるといっても決して過言ではありません。なかでもカダケスのダリ宅でのマルセル・デュシャンとの面談録は、パリでのアンドレ・ブルトン訪問記と並んで、ハイライトと言えるでしょう。本書単行本化の際、エルンスト(1891~1976年)とデュシャン(1887~1968年)の、2つの章の順序が連載時のままとされ、デュシャンが最後に置かれているのは、「あとがき」への連続性が考慮されたのかもしれません。

本書の刊行後、瀧口はデュシャンに一冊献呈しています。ここからデュシャンとの文通が始まり、後の『マルセル・デュシャン語録』(東京ローズ・セラヴィ、1968年。図10)刊行に繋がっていきました。こうした経緯の詳細については、このブログの「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第6回以降で述べましたので、ここでは本書のカバー・デザイン(図11)について触れるに止めます。

図10 『マルセル・デュシャン語録』図10 瀧口修造『マルセル・デュシャン語録』(撮影:山本糾)

図11 カバー図11 『幻想画家論』カバー

各作家の肖像を配したカバーは、サジテール版アンドレ・ブルトン『黒いユーモアの選集』(1950年。図12,13)を踏まえたものと思われます。日本語が読めなくても、デュシャンはこのデザインを一目見ただけで、ダリから聞いたとおり、瀧口が「シュルレアリスムに関係した日本の詩人」であることを、即座に了解したと思われます。『黒いユーモアの選集』でも使われていた自分の肖像写真が、わざわざ同じ位置に配されているばかりか、自らの「グリーン・ボックス」(参考図版)に準じてカバーに緑色が用いられているのを見て、大いに喜んだことでしょう。

図12 『黒いユーモアの選集』表紙図12 アンドレ・ブルトン『黒いユーモアの選集』

図13 同裏表紙図13 同裏表紙

参考図版 「グリーン・ボックス」参考図版 マルセル・デュシャン『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』(通称「グリーン・ボックス」)

以上のとおり、本書は西洋美術史のなかの「異色作家」に光を当てたユニークな一冊であり、『マルセル・デュシャン語録』刊行に繋がる契機となった点で、瀧口の著書の中でも、独自の地位を占める一冊ということができるでしょう。1968年にはせりか書房から本書の改訂新版が刊行されますが、これについては稿を改めることにします。
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

●今日のお勧め作品は、瀧口修造です。
takiguchi2014_III_03瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
"Ⅲ-3"
デカルコマニー、紙
イメージサイズ:13.7×9.8cm
シートサイズ :13.7×9.8cm
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

◆ときの忘れものでは「第311回企画◆葉栗剛展 」を開催します。
会期:2019年5月24日[金]―6月8日[土]11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
葉栗展
ときの忘れものは毎年アジアやアメリカのアートフェアに出展し、木彫作家・葉栗剛の作品をメインに出品しています。今回は、2014年以来二回目となる個展を開催し、国内未公開作品11点をご覧いただきます。
初日5月24日[金]17時よりオープニングを開催します。

●『DEAR JONAS MEKAS 僕たちのすきなジョナス・メカス
会期:2019年5月11日(土)~6月13日(木)
会場:OUR FAVOURITE SHOP 内 OFS gallery
〒108-0072 東京都港区白金5-12-21 TEL.03-6677-0575
OPEN 12:00-19:00(ただし展示最終日は17:00まで)
CLOSE: 月・火(祝日を除く)

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。
*日・月・祝日は休廊。