佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第30回

「群れることについて」岸井大輔(劇作家)× 佐藤研吾  記録
(2018年12月14日(金)@ときの忘れもの)


 近ごろありがたいことに、集まりに呼んでいただいて講義というか、話をする機会を度々得ることができている。自分の活動と近況について話すのであるが、細微は変えているが、ほぼ毎回、「歓藍社」について、インドについて、北千住BUoYについて、そして昨年末の個展「囲い込みとお節介」での制作物について話している。それぞれがどのように繋がっていくか、毎回糸を手繰り寄せるような危なかしさがあるのだけれども、その度に新たな発見(特に言葉の発見)が何かしらある。即興、その場しのぎは新規なモノを得るのに適した状況であるから、今後も呼ばれれば、何処へでも出かけて行きたい。
 そして、遅々たるものだが、昨年末の個展での連続トークイベントの記録をせっせと文字起こしをして、反芻を試みている。今さら、ではなく、半年経ったからこそこの反芻作業は自分にとって重要である。特に、劇作家の岸井大輔さんとのトークは、「複数性」というものをキーワードとして、そこからヒトヒト、ヒトモノ、モノモノの複数性とレンジを広げたときに、上記した自分の活動を結びつける一つのベルトのようなものを提示してくれている。



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佐藤:今日は外が寒いと思うんですけど、お集まりいただきありがとうございます。
 この展覧会の展示で作ったものは3種類あって、ドローイングと木工品と撮影した写真です。どうやったらモノを群れさせられるか、群体の在り方ということにすごい興味があって、それを3つの媒体で実践してみました。紙を描いて、木で写真機を作って、それで写真を写す。そして写真の構図で良いなって思ったものがあれば、またその構図を考えながら紙で描き直す、という無限のルーティーンワークを目標にしてやってみた感じです。
 そもそも、僕は平日、福島県の大玉村というところの教育委員会にいて、そこで地元の文化財を調べたり、小・中学生の郷土学習を推進する教材を作ったりしています。

岸井:福島のどこでやってるの?

佐藤:中通りの方です。
 そんな農村部では、古いものがけっこう集まってくるんですよね。農機具だったり、解体された民家の古材だったり。そして、それを眺めてみると、かなりモノの作り方、組みあわせ方がわかるんです。木で作られた民具といわれるようなものの作り方を、できるだけ自分が作るものにフィードバックさせて、学んで作ろうとしたのが、今回の木製カメラです。
 民具についてはやはり渋沢敬三のアチックミュゼアムなんかはとても空間的にも興味深いのですが、それはともかく、民俗学っていう時間のスケールをどうすれば建築の制作の中に取り込めるか、ということを考えています。そのとき、モノの複数性というか、モノがどうやって群れて歩くのか、だったりを避けて通れないんじゃないかと思っています。
 「モノの複数性」を今回扱おうとしている一方で、その制作環境はーー作っているのは僕だけなんですけどーー僕が所属している歓藍社っていう藍染めをやっている集まりの拠点の中でやっています。歓藍社は、何人かが東京からはるばる福島に来て、滞在しながら藍染めしたり、家の修復をしたり、同時多発のそれぞれ勝手気ままな工作の群があります。その中で僕は作業しています。作る人間が複数いる、群居している状況と、モノが群在している状況について、何かこだわる意味のようなものがあるのではとも思っています。そして、人が複数いれば演劇である、と言う岸井さんの演劇とどこかで繋がらないかなと勝手に思いまして、今日の岸井さんとのトークを企画させていただきました。


複数性を扱う

岸井:岸井です。大きな話ですね。一時間でできないな。
 僕は現代劇作家です。現代芸術は、素材を考える癖があるのですが、僕は演劇の素材を「複数」と考えています。複数を扱うジャンルが演劇。なので、群れっていうお題に興味を引かれ、今日は来ました。
 最近、佐藤さんが福島でされているような場作りがなされる機会はますます増えてきていると思います。僕は90年代から日本のアートプロジェクトの現場に関わって来ました。複数に興味があるからです。というのも、佐藤さんが言うとおり、場があると複数のモノや人が集まり、複数の工作が生まれる。僕はそういう場を演劇としてみているわけです。このとき、まとまりがないことが重要です。人と人が違う、モノとモノが違うことでドラマが生まれる。まとまってしまうと複数は消える。
 ですが、複数がありドラマがあるということは諍いやトラブルもあるということです。揉め事は、複数があること、自由があること、遊びがあることが、払わねばならないコストです。僕は最近の場作りの現場が面白くなくなってきたと感じるのですが、それは、問題を避けようとしすぎ、複数が発生しないからではないか。複数よりも、まとまりや盛り上がりなど、一つになることをよしとするわけですね。

佐藤:複数が群れる時、人と人が違う、モノとモノが違うことでドラマが生まれるっておっしゃってましたが、最近、岡倉天心の著作を読んでいると、『茶の本』に、禅が入ってきた以降の日本美術の特色として均斉性を避けてきた趣があると言っている。茶室において、意匠の均斉性、均等性、あるいは重複というものが想像の清新さを破壊するぞという、ある種の指標・価値観が述べられている。違ったモノとモノが複数あることへの思考が100年前にもありえていたのだなと。

岸井:ヨーロッパの近世以後、複数を複数「人」と考えるのが主流ですよね。ところが、それ以外、たとえば日本では複数について考えるとき人以外も含めて考えるのが普通です。
 たとえば九鬼周造。彼は偶然性を考えた哲学者ですが、「偶」は複数のことだ、と九鬼はいいます。そして偶然の美として”いき”をとらえる。九鬼によると、”いき”は3つの要素でなりたっていて、まず性欲のようなひとつにまとまろうとする力がある、でも、くっついちゃったら”いき”じゃない。性欲があるにも関わらずいっしょになることをあきらめる。ここに複数が発生します。しかし、だからといって、関係を無にしない。くじけず群れる。あきらめと、くじけないことを同時に行うのが”いき”であり、そのような条件がなければ、偶々の出会いである偶然、複数の群れは発生しない。
 九鬼は”いき”を茶屋建築に求めなければならないといっている。茶屋とは、芸者さんのいるお店ですね。性が目的の場なのに、ヤらずに通うのが”いき”だ、と。この思想には岡倉天心の影響が大きいのです。九鬼は『茶の本』を構想中の岡倉天心に父子のように育てられた。九鬼の実父は芸大を作る時のパトロンなんです。岡倉天心にお金を出している。ところが、岡倉天心と九鬼周造の母波津子さん、この人は芸者をやっていた、が同棲しちゃう。芸大のそばの下谷ってところで家を借りて、お母さんが三味線を教え、岡倉はその家から芸大に通うわけです。九鬼は小学校から中学校にかけそこで育った。岡倉天心は帰ってくると、子供時代の九鬼を膝に乗せ、東洋のアートとはこういうものだ、とずっと説いていた。この不倫で岡倉は芸大の学長をクビになり、九鬼の実父は腹いせに妻を精神病院に軟禁し、九鬼は死ぬまで2人と話せなくなるのです。
 九鬼は留学先で若き日のサルトルやハイデッガーたちに「なんで日本人は関東大震災で地下鉄つぶれたのに、また作ってるんだ」って質問されて「それが”いき”だから」って答えるんだけど、わかってもらえない。で、そのレスが『いきの構造』に結集する。だから『いきの構造』はそもそも建築についての思想なのです。地震があっても崩れないように建てる、っていうのが建築の理念でしょう。けれど、崩れないものを作るのは不可能とあきらめていてもくじけない態度に規定された建築の美もある、と。だから九鬼は”いき”は茶屋建築に求めなければならないという。岡倉天心が言うところの均斉性を避ける価値観・思考を九鬼周造が形式的に考えた結果、”いき”になったといえる。

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(「囲い込みとお節介」で制作した木製写真機の複数同時撮影の風景)


並列と間隔

佐藤:いま聞いた話で思いついたのは、民俗学の宮本常一のオシラ様研究ってあるじゃないですか。あれって2体で1組なんですよね。そういう、何かのシンボルだったり、それは魔除けのような神様みたいなモノでもあり、また時には雑に扱われることもあるわけですけど、複数いるということに何か必然めいたことがあるのかもと思いました。オシラ様だとオスメスも無く同居している。仏教美術言えばチベットとか、あるいはヒンドゥー教とかはオスとメスが合体して荘厳されているところがあるけど、そうではない両性具有なのか、どっちもサヤなしなのか、っていう造形感覚が日本の東北の方にある。その辺の「複数ある」っていうことと、九鬼周造の言う付かず離れずの感じが似ているな、と。

岸井:”いき”は物理的な壁をたてずに隔てるってことですよね。西山夘三が、1940年代に日本人の住まい方を研究して、ちゃぶ台を置く場所と、布団を敷く場所は違うっていうことを見出した。確かに、日本人は同じ部屋にちゃぶ台を置いて布団を敷く、が、場所は違う。それが戦後の団地デザインに影響を与え、LDKになる。日本の分離の研究。個物が集まっていて、壁はないけど、距離はある。これも、あきらめとくじけないの両立”いき”による群生でしょう。


妖怪と、モノの世界

岸井:これ(佐藤作品)は距離感の研究と感じました。空間はないんだけど、距離がある。

佐藤:作ったカメラで撮影するとき、だいたいそれぞれのカメラを向かい合わせてとるのですが、この撮影現場が一番面白いんですね。場所は福島の森の中だったり、東京の荒川の河川敷や小菅ジャンクションの高架下だったりなんですけど。晴れた日にはおよそ20分くらいの露光時間で撮影ができます。撮影している間、時折ジョギングするおじさんとかもカメラの前を横切ることもありましたが、おじさんはカメラだとは思っていなさそうだけど、「これは何だろう」とジョギングする速さを若干緩め、けど、通り過ぎる、みたいな、そういう状況があったり。
 家具や、謂わゆる公共物と特定できるものとして置かれているのではない。モノであることは確かなのだが何なのかは分からず、何かをやっている、何か動作しているもの、っていうような形で置かれていて、それらが群居しているのかなと。さっき岸井さんがおっしゃったように、確かに、あそこに空間と呼べるものはできていないんだけど、ジョギングのおじさんが通るときに、そこでの視線を感じる、何らかの緊張感を与えてしまっている、という現場の瞬間があった。それは面白かったですね。

岸井:空間が強かったら、おじさんは通り過ぎずによけるはず。入れちゃう。でも妖気を感じるみたいな。

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(東京・荒川河川敷での撮影風景)

佐藤:カメラの形を考えているのに、百鬼夜行(あるいは百器夜行)と付喪神の絵巻に描かれた風景が思い浮かべました。人間が日用品として使い古したものが捨てられ、溜まっていって、そいつらに勝手に足が生えて、勝手気ままに歩き出す。寝ている人のところだったり、木陰の片隅とかで何か群れてワイワイやってる、みたいな。百鬼夜行の絵巻の風景は、モノの集まり方、そして人間とモノの関係に関するある指針を示しているんじゃないかと思っています。

岸井:百器夜行って人間以外にも色んな奴がいるってことでしょう。環境問題とか考えると、もはや人間だけで複数が成立しているといえないという思考も近年ありふれています。たとえばアクターズネットワーク理論でいうハイブリッドって妖怪のことでしょう。しかし、人間以外も含めた複数性を考えるなら、妖怪の権利、つまりモノの権利を考えないとなくなりますよね。これはそう簡単じゃない。例えばラトゥールの言うモノの民主主義は僕にはただの擬人化に感じます。
この展示は百鬼夜行民主主義の提案としても見れますね。けど、なら、人権の更新を経由しなきゃいけないのではないか。どうやって人間を中心にしないか。

佐藤:僕からしたらそれは死活問題で。やっぱり建築って人のためにあるから、そのときに、人を放棄できないんですよ。当然。でも、その中で、ものを放棄するわけにもいかないっていう感覚もあって。
 僕、犬が好きなんですよ。犬を小1からずっと飼っていて、犬は家族みたいだっていうけど、そんな感覚はもちろん持ちつつも、そうはいっても犬は犬っていう現実もあることを、どんな犬好きも知ってるじゃないですか。犬好きっていうからには犬は犬なんですけど。

岸井:『犬と人が出会うとき』だね。犬と我々は対等に生きてきた、とフェミニストのダナ・ハラウェイが言っている。


かわいさと、遊び

佐藤:それはさっきの人権否定側の方ですね。

岸井:そう。人間以外の権利から人間の権利を考える。

佐藤:そっちを捨てがたいな、と僕は思っていて。でも建築の議論の中では、そういうところは余興でしかなくなっちゃうんですよね。結局人でしょ、みたいな。それは界隈の問題なのかもしれないですけど。その辺を組み替えていかないとな、とは思っていて。

岸井:どうするんですか?

佐藤:それは結構難しいんですよね。人間ではないものを考えるっていうときに、どういうものの姿があるかっていう。僕は、もののかわいさ、かなって。”かわいい”って感覚が一個ものと人間の、フェミニズムみたいな話も入るのかもしれないけど、そういう形のあり方があるかな、と。

岸井:確かにあのカメラちょっと犬っぽいですもんね。

佐藤:猫でも良いんですけどね。

岸井:ペットってことだよね。
 作品の中に斜めに棒が入ってますが、建築だと嫌われそうな斜めですよね。

佐藤:何で嫌われるかっていうと、作りにくいから。あれを作るのにお金がかかるし、手間がかかるから。けど、これを作ってるのは俺なので、自分自身で作っている。

岸井:工作ですね。

佐藤:工作です。逆にこの難しい斜め線を入れることで、自分が工夫しなくちゃいけないっていう、もう一つの課題が課されて、それの何が良いかっていうと、自分が工作し続けられる素材を新たに与えられるっていう。

岸井:民芸を扱っている哲学者鞍田崇さんが、地震で建物がハードクラッシュするから危険なので、フニャって壊れたら地震は怖くない、だから、日本の建築は柔らかく作ってて、やわらかくこわれるから人はモノを愛おしむのだ、と言っていて。日本建築の仮設性、伊勢遷宮とくっつけてリノベーションとかプロセスの話で扱われてきた特徴を、わざと柔らかく壊れるように作って愛着を発生させるととらえなおしている。

佐藤:民芸の作り方についてそういうこと言っているんですか。

岸井:実はこれハイデガーの読み替え。退隠を”やわらかくこわれる”といってる。民芸的なものが民族・ファシズムと結びつくときに、ハードな軍国主義のイメージになりがちですが、民藝もハイデッガーもやわらかさについていっているんだ、と。愛国は、こわれやすいものを、愛おしむ、かわいがることなんだ、と。
僕は鞍田さんポップで信用できないと思っていたのですが、以上の議論を知って、危ないとは思うけど面白いと興味をもちました。

佐藤:やわらかくこわれるっていう話で、僕がもう一つ興味があるのが、建築の中の遊び、なんですよ。遊びって、木造建築で組む時に隙間をつくっておくととで、逆にそれはバラすのも簡単で、一方で地震に対してのねじれっていうのを許容させる、力を逃すような働きもしていて。そういう遊び、隙間という意味の遊び、っていうのが構造自体のやわらかさと繋がってくる。
 その遊びっていう言葉の語源が気になっていて。浮遊の遊だったり、ものとものの間柄の話をしているのかもしれないし、もしかしたら平安時代のすさびという言葉が荒ぶって書いたり、遊ぶって書いたりする。風流な様として、たゆたうように生きる・過ごすっていうような感覚としてもあり、それって、ものの立ち振る舞い方の話でもあるのではないか。柔らかく壊れるってことと、木造住宅の部材間の遊び・隙間。そのへんに興味があります。

岸井:複数と遊びはセットの概念なんです。複数が何かやる=遊ぶ、複数がある空間には隙間=遊びがあるってことになる。

佐藤:僕が作ったものの話をすると、それらを作るとき、民具みたいなものを真似て作っていました。民具っていうのは、いわゆる指物屋さんが作ったものではなくて、(農民だったりの)農家の人たちが必要に応じて、日頃の農作業の片手間で道具を作る技術の体系だと思うんです。例えばハシゴを作るときも、指物屋さんはホゾを全部貫かずに途中で止めて仕口を見せないようにするんですけど、民具っていうのは大体、貫き通して、それでもブカブカだったら、そこに楔を隙間に入れて締め付けるっていうような、誰でも作れる作り方をしている。作りやすさ、作りの難易度の低さっていうことと遊びってこと、それは隙間をどう調節するかってことなので、その辺、敷居に低さという話と結びつくかな、と。

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《囲い込むためのハコ2》
2018年,クリ、アルミ、柿渋,H115cm


いくつかの技術の由来

岸井:宮本常一が「海に生きる人々」で神社とお寺は建築の出自が違うって話をしている。ドアを見ると、平安貴族の家は神社と、武士の家は寺と似ている。貴族=神社は船の様式。高床式倉庫とかも同じで、海民から来ているんだと。鎌倉時代になって、武士=寺の農民の建築に変わったのは支配民族が変わったんじゃないかと言う。たぶん間違っているんだけど何かを言い当てていると思うんです。
 この話をきくと知り合いの宮大工が稲荷を作るときには、あれは指物師がやるものだから、指物師だったらどう考えるかっていう風に考えるって言っていたのを思い出すんだよね。指物師と宮大工も民族が違うということかもしれない、と。

佐藤:指物系っていうのはお寺の宮大工さん?

岸井:そう。宮大工さんが指物師を真似している。農民系の大工の木がそのまま屋根の梁も出自が違うんじゃないか。

佐藤:民家も作るときにほとんど自分たちが裏山を持っていて、そこから(木を)切って、その木材をほぼ乾かさずに、仕口だけ刻んで家を建てて、建前まで終わった状態で2、3ヶ月乾かして、そのあと壁・屋根をはっていくってやり方をしている。その辺と指物のスケールはやっぱり違いますよね。指物は製材をして、乾いた状態の材料を得て、それを加工して、とめていくような形だから。技術の出どころも違うだろうし、技術を取り巻く環境も違っていたんだと思います。それはもちろん、都会と農村っていうところもあるのかもしれないですけど。

岸井:桶の職人さんと話していたら、昔の桶の木の乾燥っていうは貯木場は海だったから海水で、浸透圧の差で抜けているのがあるので狂いが少なかった、塩水に浸けておくのがヤニを抜くのによかった、海まで制作環境の一部なんだと。
 百鬼夜行、神社にくっついている妖怪と、お寺にくっついている妖怪は、違う文化圏からきているものではないか。文化の距離ってことなんじゃないかな。

佐藤:おしら様についての宮本常一の活動の中で、渋沢敬三の倉庫に集まっているおしら様が着ている衣を全部はいでみたらしい。そして、開けてみたら、ただの桑の木だったみたいなやつもあれば、よくみたらお地蔵さんみたいなやつもあって、その辺の異種・異なるものを同居させている一方で、なんのてらいもなく何十年もかけて衣を着せていって全部同化させてしまうっていう。よくみたら馬だったり鶏だったり、そんな顔をしているから、それぞれの差をわかってはいたんだけど、その差自体の出どころっていうのは何も関係なく、干支くらいの交わり方・雑さで差異を作っている。

岸井:十二支も百鬼夜行感あるもんね。

佐藤:分離させつつ、でも一緒くたにしちゃうっていう緩急がおしら様でもあって、面白いなって思った。百鬼夜行についてはちゃんと分析していないんですけれども、、

岸井:ぜひ佐藤さんの分析をききたいですね。


三角地と土地所有

岸井:分離することと集めることの両方の関係が、斜めの木を差し込むって工作に含まれている。遊びを発生させている形。
 都市計画家の人たちは、”有効活用”ってやたら言うでしょう。西荻窪から中央線の高架下を歩いていくと、中央線が一番高くなるところがあるんですよ。その下を”有効活用”するための2階建ての自転車置き場あったり、西友があったり、様々な”有効活用”があるんだけど、”有効活用”ができない場所がある。それが斜めの土地なんですよ。中央線って地図上に引いた直線なんだけど吉祥寺のあたりって元田んぼだから、線路とあぜ道が斜めにまじわってる。その結果、吉祥寺と荻窪の間って、線路の周りに三角形の土地が大量にできて、これが余っちゃって有効に使えない。

佐藤:そうなんです。斜めが入ると一気に苦労が増して、それこそ、融通がきくっていう遊びじゃなくて、できちゃう隙間が生まれる。都市空間でいうと、案外、三角形っていうのはいい余剰としてあり得たわけですよね。それはたぶん、いわゆる都市計画家とかの有効活用みたいな具体的なファンクションを入れない使われ方っていうのはされていたと思う。フェンスで囲われてしまう前の、空き地っていう形で。僕が見たことあるのが、切り株みたいなブロックみたいなのが置いてあったら、そこにおばあちゃんが座ってたりする。それだけでもある種の”有効活用”だと思うし。そういう良さがあったりする。
 三角の土地つながりで、今は研究が止まっているんですけど、僕が博士過程で研究していたのは、明治の東京の空き地についてで、具体的にフォーカスしていたのが、死馬捨場っていう農民が飼っていた牛・馬が死んだあとに捨てる場所です。それがあったのは明治より前のことで、農民らが牛馬をその捨て場に捨てた後、近隣のえた非人階層の人たちが、「ーーで牛馬が捨てられたぞ」っていうのを聞きつけて、そこに行って、そこで牛・馬をバラして油をとったり、肉をとったり、皮をとって売ったりするっていうことが日常的にあった。
 この死馬捨場は、明治初期の地租改正の地引図で調べてみれば、だいたいY字路の間、三角地にあるんですよ。つまり、交通の要の場所に牛馬を捨てる場所があった、けれども変形ゆえに田んぼとしては使えない場所(荒れ地)。昔の農業が機械化されていない状況でも、三角形の変形地っていうのはそういう特殊な状況にあった、っていうのが分かった。
 そこでもうひとつ面白いのが、所有の問題。牛馬が捨てられた瞬間、農民のものから、えた・非人たちのものになり、所有が自動的に転換された。その三角形の土地自体は死馬捨場や「捨て場」というような呼ばれ方で、基本的な分類としては誰の土地でもないから、公儀地か入会地になっていたんだとは思います。

岸井:遊んでいる土地が複数に共有されコモンズになるってことですね。

佐藤:そういう所有があやふやな土地で、所有が転換する場面ってのがあって、それが結局明治に入って地租改正だったり、賤称廃止令、えた・非人がなくなる法制度が整備されていき、どんどんそういうのが消えていった。

岸井:日本の行政境界は「前例による」と法律に書いてある。で前例、つまり前の法律に戻ると、やっぱり「前例」って書いてある。最初の法律までさかのぼると、「旧」って書いてあって「いにしえ」による、つまり、境界はいにしえによって決まっている。

佐藤:いにしえって明治より前の江戸ってことですよね。

岸井:そうです。普通近代国家では、土地の所有区域の取り決めの法律は肝になるらしい。

佐藤:農地の分配も含めてですよね。

岸井:うん、資本主義の肝でもあるから。けど、日本はずっと”いにしえ”で押してきた。なぜこんなことになったのかというと明治憲法のときに自由民権運動と明治政府のバーターだったらしい。「土地所有の慣習は守るから、法は国家の好きにさせてくれ」っていう。
 だから、境界の形に古い日本が残っている。良くも悪くも。それを解凍してあげることで、群れを扱う古い知恵にアクセスできるかもしれない。


所有、相互包摂の群れ

佐藤:この展覧会のタイトルを「囲い込みとお節介」としたのは、そういう所有と領有の問題を扱いたいなっていうのが頭の片隅にあったからなんです。この展示だとまだ不完全なんだけど。さっき話した、公共空間で群居している状況についてもそんな問題意識がある。あと、ウチダリナさんっていう蛾を和紙で作るアーティストの友人がいて、その人の作品を撮影している作品があります。本当は虫を撮りたかったんだけど、20分の露光時間の間に虫は飛んでいっちゃうから。なので、ウチダさんが作った人工の蛾を置いて、それを写真におさめてみた。そこでは「ウチダリナ」というアーティストのクレジットは入らない、だけど、作品の材料の情報としては入って、かつ写真の中に彼女の作品が囲い込まれている。
 最初の頃に考えていたのは、そういう人の作品を勝手に囲い込んじゃおうっていうので、お節介をして、作品化させるっていうこと考えていた。僕は美術作品の基準というものについてであったり、キャンバスの平面なのか、何が作品で作品じゃないのかってところは整理ができていないんだけど、その辺のことを考えている人とは違った振る舞いをすべきかな、っていう考えで、なんとなくこのタイトルをつけた。けれども、根っこにあったのは、土地所有だったりの所有の問題なんですよね。
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《虫と都市の関係について》
2018年,印画紙(including Lina Uchida’s work),15.5×15.5cm

岸井:人間だけでなく、モノも含めた百鬼夜行民主主義といった時、全てのモノが、それぞれ他のモノを内化している清水高志さんのいう相互包摂が使えそうですね。一つにまとまっているか、ただバラバラであるかの二種類しかなかったのに対して、モノは全て他のモノを包み込みあい、それぞれに世界がある、という。ツリーでもリゾームでもない群れ。で、それをどういう風に現実に利用できるかということだね、面白い展開はいろいろありそう。

佐藤:たぶん展開が弱いんですよね、今。

岸井:うん。この展示、投げっぱなし感がある。

佐藤:そうなんですよ。その先をやりたかった。写真を撮った後に名前をつけていて、結局、その写真から生まれる構成だったり、それによって生まれてくる物語みたいなものを、とりあえずタイトルだけでつけているんだけど、その物語の先をまだ作れていないっていう状況がある。

岸井:難しいはずです。なぜなら、それを佐藤さんがやったらダメなんですよ。複数でなくなる。

佐藤:そうですね。

岸井:一人の作家にしちゃうとツリーになっちゃう。

佐藤:今回は人を巻き込もうと思ったんだけど、結局自分一人でやったんですよ。それは次の課題だな、と思っていて。中規模・小規模の複数人の協働性みたいなもので建築だったりなんなりを作るっていうのに興味があって、それを演劇であるとは言わずにどうにかやりたいと思っている状況で、またやらなきゃなって感じです。



【質疑応答】

質問者1:佐藤さんに質問です。カメラなんですけど、制作過程っていうのはパーツごとに図面をひくところからやってらっしゃるんですか。

佐藤:まず、画用紙にドローイングを描いて、なんとなくこうだなってなったらベニヤ板に原寸図を書く。その作業の傍らに、福島で馴染みの製材所さんに帯鋸でひいてもらった45mmかそのくらいの厚い板と24mmのクリ材があって、これからとれる材料何かなって考える。材料を横に置いて寸法に当たりながら、原寸図に書き込んで、作っていくっていう。

質問者1:ひとつひとつの個体の大きさって、カメラとして適した寸法から追ったのかな、って思ったんだけど、そうじゃなくて取れる板材のマックスから?

佐藤:板を横に継いで2枚でとれる幅からカメラの箱の大きさが決まっている。24mm厚でひいてもらった板は150mmと180mm、200mmの三種類の板材で、それの組み合わせでやっている。およそ300mm立方の箱なんですけど、一方で、その寸法はそれより1年前にインドに持って行こうとした家具「日本からシャンティニケタンへ送る家具」の大きさが300mm立方だったので、これに従おうかな、と思った。すでに存在していたスケールを移植したっていう感じです。必ずしも、その大きさの画面で写真を撮りたかったっていうのはないんですけど、実際、印画紙の市場を見てみたら四つ切りの大きさがあれより一回り大きいくらいなので、撮れるのはこれかなっていう算段はあってやっていました。

質問者1:露光の時間も質問しようと思っていたんですけど、今日の話を聞いてなるほど、と思ったんですけど、ああいう風に仕上がるっていうのは最初から想定されていたんですか。

佐藤:光の加減ですか?

質問者1:子供の頃、学研とか科学とかの付録で二口カメラとかあったんですけど、うまく撮れたためしがないんですよ。写ったこと一回もなくて。

佐藤:たぶん写りますよ。

質問者1:よっぽど下手だったのかな。すごいきれいに撮れているのでいいなあ、って思ったんですけど、ああいうものができるっていうのは最初から頭の中にあったんですか。

佐藤:やってみたらけっこうできた、って感じですね。

質問者1:最初の1回目からうまくできたんですか。

佐藤:最初からうまくいきましたね。最初は部屋の中でやってみたんですよ、露光時間を1時間くらいでやったらできました。最初に「ピンホールカメラの作り方」っていう小学館から出しているようなとても簡易な本を買って、調べながらやっったんです。晴れの日は大体20分って書いてあって。
 やっていくと、4つの箱を向かい合わせながら撮影すると、太陽はある一方向にあるので、それぞれの箱の位置に応じて露光時間を変えないといけない。厳密な計算はせずに、それはなんとなくで時間を決めた。感度が弱い印画紙なのでなんとかなるって感じでした。箱それぞれの特性、精度の粗さが若干でてきてもいる。
ある箱なんかは横に若干穴がずれていて、どうしても横に開口部の脇が写り込んでしまってぼやける、みたいなのがあったり。それはそれで面白さがあります。

質問者1:極めたらそれで食べていけそうですね。

佐藤:それで食べてはいけないかな。

岸井:写真にしようとしたのは何かきっかけがあるんですか。

佐藤:写真にしようと思ったのは、まずモノというものをどうやって自立させるか、ある種の自我みたいなものを持たせるかを考えたときに、そのモノ自体の視線をどうにか再現できたらいいなと考えて至ったのが、ハコの針穴写真だったんです。

岸井:自我=カメラっていうのは、ヨーロッパ近代ですよね。

佐藤:それはそうかもしれない。

岸井:群れるモノの自我なら、カメラよりもふさわしいモノありそう。

佐藤:そうですね。もしかしたらロボットとかそうなのかもしれない。アルゴリズムでもなんでも使って自我を持って自走しているなって感じられるモノを作ったら、その工作はもうそこで終わりだと思う。しかも、僕一人で作っているのならばなおさら。完結しています。ではなくて、そのもの自体がどう写しているのかっていう、僕が扱えない領域もどうにかいれようと思った。
 実際こいつらを並べてみたんですけど、この画角でなんとなくこれぐらい撮れるだろうっていうのはわかるんだけど、実際にその画面の中に何がどう写りこむかっていうのは良くわからない状態で撮っていたりする。桜がど真ん中に写った写真の作品がありますが、それは桜を撮ろうと思って撮ったんじゃなくて、なんとなく4つの箱を向かい合わせて撮影してみたら、ある写真のど真ん中に桜が出てきて、ギリギリ端っこにハコが写っているみたいな感じで撮れたりしてしまった。「こいつはこういう目で見ているのか」っていう想定外の驚きが、あったりする。そんな感じの展開を次は考えたいな、って思っています。


質問者2:あんまり美術とか建築とか知らないんですけど。写真機もハコですし、建築もハコの中に私たちがいて、ハコの中が写真として出てきて、ハコが入れ子みたいなっていくのかなって。そういう作品は目新しいものではない、よくあるものでしょうけど。

佐藤:入れ子にしていく、みたいな制作の過程ですか? たぶん、映像作品ではけっこうあると思うんですよね。ビデオ作品みたいなので、そういうのが。テレビをメタファーにしたものもあるだろうし。
 ただ、僕はなんとなく、その入れ子の状況を作りたいっていう面白さよりかは、紙で描いて、次に木でやって、次で写真でやるっていう、媒体が二次元・三次元・二次元って入れ替わりながら、モノの取り合い方、モノが複数ある状態をどう作っていけるか、っていうのを考えたいと思っている。そして、特に比重があるのが立体とドローイングの作業なんですよね。ドローイングの中で、どういう重なり方があるかっていうあたりに僕は自分の中に可能性がもっとある気がしていています。もう少し先にいけるかな、やらなきゃな、って感じがある。

岸井:野外インスタレーションにしても良かったってことですね。

佐藤:そうですね。どこか外の現場があったらあったで良かったかも。

岸井:ギャラリーというハコの中に入れちゃってるから、逆にハコの中であることについて展示で苦労されなかったんですか。しかも、このギャラリーもカメラである。

佐藤:そうなんですよね。展示自体は再現をやめていますね。現場の再現っていうのをあんまりしていない。でも、現場があったぞっていう証拠写真が、あの写真。その辺の表現をむしろ控えて組み合わせている。

岸井:野で会った妖怪たちが、教室の中で思い出を語り合っている、みたいなことなのか。
(さとう けんご)

第1回目のトークイベント「都市と農村と郊外と、作ること」 中島晴矢× 佐藤研吾 記録(2018/12/13@ときの忘れもの)はこちらから

佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。

◆佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。

●本日のお勧め作品は、佐藤研吾 です。
sato-02佐藤研吾 Kengo SATO
《日本からシャンティニケタンへ送る家具1》
2017年
木、柿渋、アクリル
H110cm
Photo by comuramai
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。