<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第80回
(画像をクリックすると拡大します)
雨が降っている。
まだ暗くはない薄暮のころだ。
雨は降りはじめたばかりかもしれない。
と思ってよく見たら、画面右端の車道に轍の跡がある。
どうやら、雨ではなくて雪らしい。
それも水分をたくさん含んだみぞれのような雪。
大通りでは雪は降り積もらず、絶え間なく走行する車にはね飛ばされたが、
車の少ない横道にはまだうっすらと残っていて、自転車やオートバイがそこに車輪の跡を押していく。
薄暮だと思ったのも雪のせいかもしれない。
雪の日は雨の日よりも明るく感じる。
雪がレフ板の役をして闇に吸い込まれる光を起こし、夜が更けても不思議な明るさがある。
時間感覚がふだんと変わり、時の流れがつかみにくい。
ガードレールの前には人影が立っている。
若い。おそらく10代だろう。
大きなメガネをかけ、フード付きのぶかっとしたダウンジャケットを着て、背中にはリュックを背負っている。
十代の子によく見られるスタイルだ。
はじめはフードに目がいき、髪の毛の長さが顎のあたりまで届いているのに気がつかなかった。
それで少年だと思ったのだが、もしかしたら少女かもしれない。
でも、最近は男の子でもそういう髪形をするから、髪の長さを性別を判断する基準にするのは愚かすぎる。
性別不問の中性的な雰囲気こそがこの子の特徴なのだと思い直す。
彼(または彼女)が立っている歩道と、その先の上空を通っている高速道路とのあいだには、街路樹の植わった中間地帯がある。
反対側の歩道にはビルが並んでいて、窓からもれる明かりはどれも揺れたり、流れたりしている。
高速道路の傍らのサインも、速度制限の標識も、ビルのネオンサインも、ブレていなければ読めるだろうに、どれも判読不可能だ。
ここはどこなのか、推測できる要素はなにひとつ得られない。
唯一、読めるのは彼(または彼女)が立っている横にあるサインの文字である。
そこだけは想像力を駆使すればかろうじてわかる。
「有料自転車駐輪場 Bブロック」とあり、Bの文字がいちばん大きく存在を主張している。
その文字が、ほかならぬBだということが心にひっかかる。
Aならばちがっただろうし、Cでもそうだが、ふたつの中間のBだったという事実に、どっちつかずの凡庸さを感じてしまう。
そう思って画面を見直してみると、雪でもなく、雨でもない気象といい、夜でもなく、昼間でもない時間帯といい、少年でもなく、少女でもないこの子の性別といい、写真に写っているあらゆる要素が揺らいだ状態にあって、定まったものがなにひとつないのに気づく。
確かなものが見いだせない世界のなかで、ただひとつ明快なのは、この子の視線がカメラに向けられていることだ。たまたま撮られているのに気づいたという軽々しさを超えた眼差しで、レンズを見つめていることだ。
少年(あるいは少女)はまだ本気で人生を生きていなくて、なにもかもが意志決定の外にある。
これから運ばれていく時空と、これまでいた時空の隙間に落込んだような、あるいはふたつのあいだに宙吊りになったような、絶対的で本質的な孤独がこの子を覆っている。
これから「わたし」はどんな空間につながり、どんな時間を生きていくのか。
そのつもりなく意志をみなぎらせた両目の奥に、そんな問いかけが蠢いている。
大竹昭子(おおたけあきこ)
●掲載写真のタイトル、クレジット、サイズ
「pipi」 ©Kotori Kawashima 600×900mm
●作家紹介
川島小鳥(かわしま・ことり)
早稲田大学第一文学部仏文科卒業後、2007年に『BABY BABY』を発表、11年に『未来ちゃん』で第42回講談社出版文化賞写真賞を受賞。15年、『明星』で第40回木村伊兵衛写真賞を受賞。その他の作品に『道』、画家・小橋陽介氏との共著『飛びます』、詩人・谷川俊太郎氏との共著『おやすみ神たち』など。
●展覧会のご紹介

川島小鳥写真展 「まだなまえがないものがすき」
開催日程:2019年7月20日(土)~9月9日(月)
開館時間:10時~17時30分
休館日:日曜日・祝日 ※夏季休館:8月10日(土)~8月18日(日)
開催会場:キヤノンギャラリー S(住所:東京都港区港南2-16-6 キヤノン S タワー1階)
交通案内:JR品川駅港南口より徒歩約8分、京浜急行品川駅より徒歩約10分
入場料:無料
■ 展示内容
本展は、写真家 川島小鳥氏による写真展です。 未発表作品を中心に、氏がこれまで撮り溜めてきた「数えきれない世界のカケラ」を写し撮った モノクロ・カラー作品約100点を展示します。 タイトル「まだなまえがないものがすき」は、川島氏との共著もあり親交の深い詩人 谷川俊太郎 氏の詩の一節です。谷川氏の詩約30編も展示することで、写真と詩が混ざり合った展示空間と なっています。 作品は、すべてキヤノンの大判プリンター「imagePROGRAF」でプリントし展示します。
~~~~~~~~
●大竹昭子さんからのお知らせ
大竹昭子×皆川典久
「シモキタで凸凹とスリバチ」
『東京凸凹散歩』刊行記念トーク
日時:9月12日(木)20時~
場所:本屋B&B
東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F
入場料 :前売1,500yen + 1 drink order
当日店頭2,000yen + 1 drink order
予約は 本屋B&B へ。
(以下は大竹さんのwebサイトから、トークイベントの内容のご紹介です)
東京の起伏に富んだ地形を「スリバチ」と名付けて、10年以上の長きにわたって活動してこられたスリバチ学会会長、皆川典久さん。どうやれば東京の地形をトレースできるか、歩行の愉しみを満喫できるかを皆川さんと語り合います。
前半では東京の凸凹のポイントをおさえ、後半は具体的にトーク会場の下北沢周辺の地形を見ていきます。ふだんはお店に気を取られてわからなかったシモキタの起伏が、全身に染み渡ってくるでしょう。
面的な広がりでも、起伏の多さでも、東京ほど街歩きの愉しさに満ちた都市はないはずです。少しばかり想像力を傾ければ、驚くほど魅力が深まっていくのです。歩きたいけれど、どこを歩いたらいいかわからない、おもしろがり方がわからない、地形図を見ても地形がアタマにはいっていかない、という方、必見です!
当日、参加者の方には「シモキタ散歩地図」(自家製)をさしあげます。
次の週末にはきっと靴を鳴らして歩きたくなるでしょう!
●本日のお勧め作品は森村泰昌です。
森村泰昌 Yasumasa MORIMURA
「セルフポートレイト(モノクロ)ガルボとしての私・2」
ゼラチンシルバープリント
43.2x35.0cm
Ed.10
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
(画像をクリックすると拡大します)雨が降っている。
まだ暗くはない薄暮のころだ。
雨は降りはじめたばかりかもしれない。
と思ってよく見たら、画面右端の車道に轍の跡がある。
どうやら、雨ではなくて雪らしい。
それも水分をたくさん含んだみぞれのような雪。
大通りでは雪は降り積もらず、絶え間なく走行する車にはね飛ばされたが、
車の少ない横道にはまだうっすらと残っていて、自転車やオートバイがそこに車輪の跡を押していく。
薄暮だと思ったのも雪のせいかもしれない。
雪の日は雨の日よりも明るく感じる。
雪がレフ板の役をして闇に吸い込まれる光を起こし、夜が更けても不思議な明るさがある。
時間感覚がふだんと変わり、時の流れがつかみにくい。
ガードレールの前には人影が立っている。
若い。おそらく10代だろう。
大きなメガネをかけ、フード付きのぶかっとしたダウンジャケットを着て、背中にはリュックを背負っている。
十代の子によく見られるスタイルだ。
はじめはフードに目がいき、髪の毛の長さが顎のあたりまで届いているのに気がつかなかった。
それで少年だと思ったのだが、もしかしたら少女かもしれない。
でも、最近は男の子でもそういう髪形をするから、髪の長さを性別を判断する基準にするのは愚かすぎる。
性別不問の中性的な雰囲気こそがこの子の特徴なのだと思い直す。
彼(または彼女)が立っている歩道と、その先の上空を通っている高速道路とのあいだには、街路樹の植わった中間地帯がある。
反対側の歩道にはビルが並んでいて、窓からもれる明かりはどれも揺れたり、流れたりしている。
高速道路の傍らのサインも、速度制限の標識も、ビルのネオンサインも、ブレていなければ読めるだろうに、どれも判読不可能だ。
ここはどこなのか、推測できる要素はなにひとつ得られない。
唯一、読めるのは彼(または彼女)が立っている横にあるサインの文字である。
そこだけは想像力を駆使すればかろうじてわかる。
「有料自転車駐輪場 Bブロック」とあり、Bの文字がいちばん大きく存在を主張している。
その文字が、ほかならぬBだということが心にひっかかる。
Aならばちがっただろうし、Cでもそうだが、ふたつの中間のBだったという事実に、どっちつかずの凡庸さを感じてしまう。
そう思って画面を見直してみると、雪でもなく、雨でもない気象といい、夜でもなく、昼間でもない時間帯といい、少年でもなく、少女でもないこの子の性別といい、写真に写っているあらゆる要素が揺らいだ状態にあって、定まったものがなにひとつないのに気づく。
確かなものが見いだせない世界のなかで、ただひとつ明快なのは、この子の視線がカメラに向けられていることだ。たまたま撮られているのに気づいたという軽々しさを超えた眼差しで、レンズを見つめていることだ。
少年(あるいは少女)はまだ本気で人生を生きていなくて、なにもかもが意志決定の外にある。
これから運ばれていく時空と、これまでいた時空の隙間に落込んだような、あるいはふたつのあいだに宙吊りになったような、絶対的で本質的な孤独がこの子を覆っている。
これから「わたし」はどんな空間につながり、どんな時間を生きていくのか。
そのつもりなく意志をみなぎらせた両目の奥に、そんな問いかけが蠢いている。
大竹昭子(おおたけあきこ)
●掲載写真のタイトル、クレジット、サイズ
「pipi」 ©Kotori Kawashima 600×900mm
●作家紹介
川島小鳥(かわしま・ことり)
早稲田大学第一文学部仏文科卒業後、2007年に『BABY BABY』を発表、11年に『未来ちゃん』で第42回講談社出版文化賞写真賞を受賞。15年、『明星』で第40回木村伊兵衛写真賞を受賞。その他の作品に『道』、画家・小橋陽介氏との共著『飛びます』、詩人・谷川俊太郎氏との共著『おやすみ神たち』など。
●展覧会のご紹介

川島小鳥写真展 「まだなまえがないものがすき」
開催日程:2019年7月20日(土)~9月9日(月)
開館時間:10時~17時30分
休館日:日曜日・祝日 ※夏季休館:8月10日(土)~8月18日(日)
開催会場:キヤノンギャラリー S(住所:東京都港区港南2-16-6 キヤノン S タワー1階)
交通案内:JR品川駅港南口より徒歩約8分、京浜急行品川駅より徒歩約10分
入場料:無料
■ 展示内容
本展は、写真家 川島小鳥氏による写真展です。 未発表作品を中心に、氏がこれまで撮り溜めてきた「数えきれない世界のカケラ」を写し撮った モノクロ・カラー作品約100点を展示します。 タイトル「まだなまえがないものがすき」は、川島氏との共著もあり親交の深い詩人 谷川俊太郎 氏の詩の一節です。谷川氏の詩約30編も展示することで、写真と詩が混ざり合った展示空間と なっています。 作品は、すべてキヤノンの大判プリンター「imagePROGRAF」でプリントし展示します。
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●大竹昭子さんからのお知らせ
大竹昭子×皆川典久「シモキタで凸凹とスリバチ」
『東京凸凹散歩』刊行記念トーク
日時:9月12日(木)20時~
場所:本屋B&B
東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F
入場料 :前売1,500yen + 1 drink order
当日店頭2,000yen + 1 drink order
予約は 本屋B&B へ。
(以下は大竹さんのwebサイトから、トークイベントの内容のご紹介です)
東京の起伏に富んだ地形を「スリバチ」と名付けて、10年以上の長きにわたって活動してこられたスリバチ学会会長、皆川典久さん。どうやれば東京の地形をトレースできるか、歩行の愉しみを満喫できるかを皆川さんと語り合います。
前半では東京の凸凹のポイントをおさえ、後半は具体的にトーク会場の下北沢周辺の地形を見ていきます。ふだんはお店に気を取られてわからなかったシモキタの起伏が、全身に染み渡ってくるでしょう。
面的な広がりでも、起伏の多さでも、東京ほど街歩きの愉しさに満ちた都市はないはずです。少しばかり想像力を傾ければ、驚くほど魅力が深まっていくのです。歩きたいけれど、どこを歩いたらいいかわからない、おもしろがり方がわからない、地形図を見ても地形がアタマにはいっていかない、という方、必見です!
当日、参加者の方には「シモキタ散歩地図」(自家製)をさしあげます。
次の週末にはきっと靴を鳴らして歩きたくなるでしょう!
●本日のお勧め作品は森村泰昌です。
森村泰昌 Yasumasa MORIMURA「セルフポートレイト(モノクロ)ガルボとしての私・2」
ゼラチンシルバープリント
43.2x35.0cm
Ed.10
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
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