東洋文庫ミュージアム「東洋文庫の北斎展」レビュー~2019年10月3日(木)~2020年1月13日(月・祝)
中尾美穂
秋晴れの平日、文京区駒込の東洋文庫ミュージアムへ。館内はほどよく賑わっている。北斎人気を実感するが、こちらは他展と一味違う楽しみ方があるようだ。普及展示部運営課課長の池山洋二氏に案内していただいた。

まず広々とした吹き抜けの「オリエントホール」と階上の「モリソン文庫」へ。三方の高い壁を埋め尽くす24,000冊の本、本、本。まさに夢の書棚である。東洋文庫は三菱第三代当主岩崎久彌の出資で1924年に設立された国内最古の東洋学専門図書館および研究機関だが、ミュージアムの開館は2011年と新しい。デジタル機器を併用した人目をひく鑑賞方法が随所に取り入れられている。
そもそも東洋学の東洋とは? 広くアジア全域・アフリカまでもが対象という。およそ80言語もの書物があるそうだ。資料の数々は岩崎が買い上げたもので、その核になるのが『タイムズ』特派員を務めたオーストラリア出身の旅行家、G・E・モリソンが中国滞在中に収集した書物である。ちらりと見た背表紙に「皇帝」「健康」とあったが、どんな文献だろうか。激動の極東情勢にも深く関与したというモリソンの足跡が気になりつつ、文庫を抜けて北斎展へ向かう。
「東洋文庫の北斎展」会場
落ち着いた色調で統一された展示室。池山氏によると、今展のハイライトは大判錦絵「諸国瀧廻り」オリジナル全8点(11月末をめどに4点ずつの入替)で、青のグラデーションに注目くださいとのこと。いずれも初摺と聞く。展覧会のキャッチコピー「あの絵はないけど、これがある!!」の「これ」が、同作全点とは嬉しい驚きである。
版元は北斎の代表的な錦絵「富嶽三十六景」でベロ藍と藍摺(藍を主色に、主版も墨でなく藍で刷ること。版木が消耗するとしてほどなく中止)をおおいに宣伝したといわれる永寿堂西村屋与八で、「諸国瀧廻り」もこの延長にある。浮世絵版画(錦絵)の冴えた藍(青)色を出すのに、一時期、西洋や中国からもたらされた西洋の合成顔料プルシャンブルー(ベルリンブルー、通称ベロ藍)が流行した。従来の露草や藍の植物から抽出する顔料より発色がよく、退色しにくかったからである。北斎はぼかしによる濃淡で空や水面の遠近を、線や点の明暗で水流や水しぶきの勢いを演出した。特殊なレンズで捉えたかのような大胆な造形。一瞬の表現への探求がみてとれる。そして人物の仕草の細やかさ。旅支度や着物の紋には時代の文化風俗や出版元を示す、ときに茶目っ気のある情報が盛りこまれていると池山氏にうかがいながら観た。この日は「下野黒髪山きりふりの滝」を含む4点がオリジナル。2017年にロンドンの大英博物館で開催され、話題となった葛飾北斎展「Hokusai: beyond the Great Wave」には同点と「木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧」が貸し出されたそうだ。展示替後は躍動感のある「和州吉野義経馬洗滝」などが観られる。
前北斎為一(葛飾北斎)画「諸国瀧廻り」(1832-33年頃)全8点うちオリジナル4点
「東都葵ヶ岡の滝」「下野黒髪山きりふりの滝」「東海道坂ノ下清滝くわんおん」「美濃ノ国養老の滝」
「下野黒髪山きりふりの滝」(一部)
東洋文庫には北斎の所蔵品が約50点ある。しかもその名声の伝搬を裏づける国内外の文献が豊富だ。鎖国時代、複数の経路で浮世絵や絵本が海外に持ち込まれ、北斎の名と作品が古今の絵師に先んじて広まり、欧米の日本美術ブーム「ジャポニスム」で多くの画家に影響を与えた経緯が想像できる。
会場では、1822-29年に商館員として日本に滞在したフィッスヘル著『日本の知識への寄与』(1833年、アムステルダム刊)、イギリスの外交官オールコック著『大君の都』(1860年、ロンドン刊)、フランス外交団の一員シャシロン著『日本、中国、インドに関する覚書』(1861年、パリ刊)など、作者名を記さずに北斎らの絵を掲載した海外の地誌が紹介されていた。さらに、お馴染みの飯島虚心著『葛飾北斎伝』(1893年)のほか、北斎を高く評価した美術コレクターのジャーヴィス著『日本美術瞥見』(1876年、ニューヨーク刊)、主要作品目録付で出されたゴンクール著『北斎』(1896年、パリ刊)、北斎のみに脚光を当ててフェノロサの批判の的となったゴンス著『日本美術』(1883年、パリ刊)などの美術書や、1878年の第3回パリ万博博覧会に通訳として渡仏、そののち北斎紹介に関わった美術商・林忠正の旧蔵品『北斎画譜』があった。気になるのは1823-29年にオランダ商館医として長崎に駐在したドイツ人博物学者シーボルトが絵の購入を通して北斎と直接出会ったかどうかだが、ここでは1826年、商館長(カピタン)とともに江戸参府の際に「前任のカピタンが北斎に発注した絵を受け取った」と解説していて興味深い。シーボルトの著作では『NIPPON』(1852年、ライデン刊)が展示されていた。北斎の名を紹介しているのは同書だろうか。
オリファント著『エルギン卿1857、58、59年の中国、日本への使徒の記』
1860年 エディンバラ刊
*イギリス外交官の記録。名はないが北斎の『富嶽百景』から浅草天文台の図を掲載。
江戸に生まれた葛飾北斎(1760-1849)は役者絵や美人画で知られた勝川春章に入門後、1779年までにデビューしたといわれる。展示は春章の絵本で始まっていた。それと並んで、北斎が「是和斎」の名で手がけた?とされる『本性酷暑有難通一字』(1781年)や「群馬亭」の名で発表した『我家楽之鎌倉山』(1786年)、「勝川春朗」の号では『咸陽宮通約束』(1783年)、戯作者・絵師の山東京伝とコンビを組んだ『貧福両道中之記』(1793年)などの初期黄表紙があり、勢いのある画で頭角を現す経緯がみられる。当時の読み物は「黄表紙」「滑稽本」など多様にあるが、会場のパネル「江戸時代の小説 カンタン!概略図」が幕府の改革のたび出版を禁じられる流れとともに頭に入りやすい。さらに「ゆかいな狂歌ブーム」「北斎の読本挿絵のココが凄い!」をみれば、観るべきポイントが難なく掴める。各作品にも<浮世絵界のトップスター、夢の競演!><ぶらり山の手の名所><江戸時代のブックカバー><淑女は読むべし! お江戸♡ライフスタイルブック>というように、なるほどと思う一言がつく。
勝川春章画『錦百人一首あづま織』1775年
*『百人一首』の歌人の肖像に歌を添えた絵本。
勝川春朗作・画『咸陽宮通約束』1783年
*秦の始皇帝の求めに応じて日本人男が軍師に。歌舞伎役者も登場し…という奇想天外な絵読本。
春章没後に勝川派を離れた北斎は「北斎宗理」「葛飾北斎」「北斎辰政」……と号を変え、世の狂歌ブームに乗って狂歌絵本や摺り物を次々と発表した。複数の絵師が美人画や風景画を担当する趣向で、なかには二大人気絵師・喜多川歌麿と北斎の合作も。読本では曲亭馬琴との名コンビで中国の奇書『水滸伝』を翻案した『新編水滸画伝』が、ページの枠の外まで使った臨場感ある挿画を収めている(のちに登場人物を集めた絵本『忠義水滸伝画本』を出したほどで当時のベストセラー)。東洋文庫が完全な形で所蔵する珍しい展示品には、風流な稽古事の発表会案内・演目リストや、版元の粋をみせる袋(ブックカバー)絵の一覧があった。
錦絵『富嶽三十六景』の後で発表した絵手本『富嶽百景』も必見。『富嶽三十六景』の勢い冷めやらぬまま筆力の行き場を求めたかに思いがちだが、こうして挿画を多数観たあとでは新しい画法・構図・題材の研究本にみえる。73歳にしてようやく鳥獣虫魚の骨格、草木の出生を悟ることができたという刊行の言葉が思い出された。ほかに「画狂老人卍」の号で中国全土を想像で一枚に収めてみせた錦絵『唐土名所之絵』(1840年)等の鳥観図、後進の絵師に向けて油絵や銅版画の技法、顔料の調合のしかた、人物・動植物・建築・風景の描き方を示す絵手本のいくつかがあり、北斎の生きた時代を感じさせる。公家・武家の伝統芸術と庶民の娯楽の境界が薄れかかったところに国外の技術や文化が流れ込んだ江戸中期から後期、庶民の好学志向を牽引したのが浮世絵師だ。北斎も浮世絵師であったから、その需要と人気競争のなかで画境をめざし、他派の画法であろうと西洋の近代画法であろうと吸収していった。1849年に数え年90で没し、1853年のペリー来航もその後半世紀の間に起こった海外の北斎ブームも知らない。だが見識があったし、理知的でリアリティのある画は欧米の画家にとって共鳴しやすかっただろう。
北斎展にちなみ、オリエントホールや文庫では18世紀末~19世紀前半の国外事情がわかる周航記、史記、伝記、医学書などを公開していた。これら一点一点を観て半日。興味の尽きない東洋文庫だった。
曲亭馬琴・高井蘭山作、葛飾北斎画『新編水滸画伝』1805-38年
*中国の北宋時代、108人の豪傑が集結して悪徳官軍に立ち向かう「世直し」の人気読本。
画狂人北斎、かつしか北斎画「番組他大型刷物」19世紀前半
*貝殻に江の島が偲ばれる風流な情景に空摺りが使われている。
葛飾北斎画『北斎写真画譜』1814年
*摺りの技巧を凝らした絵手本。シーボルトがオランダに持ち帰ったコレクションの一つという。
画狂老人卍『富嶽百景』1834-35年頃
*優美な描線や近代的な構図で森羅万象・文化風俗を巧みに図案化した。
画狂老人卍『和漢絵本魁』1836年
*中国楚の武人、項羽が名馬を手に入れる場面。見開きを縦にも使って描いた。
画狂老人卍『画本彩色通』1848年
*1842年の天保の改革で出版規制が強まり、しばらく肉筆画に専心したが、亡くなる前年に再び発表した最後の絵手本。
『女重宝記』高井伴覚作、応為栄女画 1847年
*最大の弟子である娘の葛飾応為(阿栄)による、女性のたしなみ書。
東洋文庫ミュージアム「東洋文庫の北斎展」
会期:2019年10月3日(木)~2020年1月13日(月・祝)


「あの絵はないけど、これがある!!」
世界的に知られる浮世絵師、葛飾北斎。生涯にわたり精力的に筆をふるった北斎の作品は膨大かつ多様ですが、代表作として思い浮かべるのはやはり『冨嶽三十六景』の大波の図ではないでしょうか。東洋文庫では北斎の作品を50点ほど所蔵しています。そのなかに冨嶽三十六景や肉筆画はなく、半数以上が墨一色で印刷された絵本です。しかし、キャリアの最初期から晩年まで、幅広い時期の作品がそろい、目にする機会の少ないタイプの作品もあります。
本展では、東洋文庫が所蔵する北斎作品を可能な限り網羅的に公開します。森羅万象を描いた北斎作品の魅力を、「こんな絵も描いていたのか!」という驚きとともに改めて発見していきましょう。(東洋文庫ミュージアムホームページより)
・展示リスト http://www.toyo-bunko.or.jp/museum/hokusai-list.pdf
東洋文庫ミュージアム
開館時間:10:00~19:00(入館は18:30まで)
入場料:一般 900円、65歳以上 800円、大学生 700円、中高生 600円、小学生 290円
※20名以上20%引、障がい者 350円 (付添い1名まで350円)
休館日:火曜日(火曜が祝日の場合開館、翌平日休館)、年末年始、ほか臨時休館の場合あり
住所 〒113-0021 東京都文京区本駒込2-28-21
電話:03-3942-0280(ミュージアム)03-3942-0400(オリエント・カフェ)
交通:JR・東京メトロ南北線「駒込駅」から徒歩8分ほか(駐車場:普通車8台まで)
東洋文庫 http://www.toyo-bunko.or.jp/
・東洋文庫ライブラリの利用方法 http://www.toyo-bunko.or.jp/library3/usingthefacilities.html
ときの忘れものブログ:
2018年08月08日「東洋文庫ってご存知ですか。「悪人か、ヒーローか」~9月5日」
小国貴司のエッセイ「かけだし本屋・駒込日記」第20回
(なかお・みほ)
■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。
●毎月20日は柳正彦さんのエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」の更新日ですが今月は休載です。来月をお楽しみに。
●本日のお勧め作品は、ハナヤ勘兵衛です。
ハナヤ勘兵衛 Kanbei HANAYA
「熊本県矢部町白糸にて」
1958年撮影(1960年プリント) ゼラチンシルバープリント
60.7×75.2cm
裏面にシール貼付
額付き
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆『難波田龍起作品史 1928-1996 アトリエに遺された作品による』刊行記念展を開催します
会期:2019年11月29日[金]―12月28日[土] *日・月・祝日休廊

ときの忘れものは、今までにない美術本を作りました。
書名は『難波田龍起作品史 1928-1996 アトリエに遺された作品による』。
近現代絵画史に大きな足跡を残した画家、その生涯にわたる作品139点に解説を付し、
「見て読む鑑賞」を提案します。解説文は難波田龍起研究の第一人者小林俊介氏が執筆。
画家が生前自選した作品群が初めて明らかになります。
今回、版画作品をお買い上げの方に本書を差し上げる機会を設けました。
『難波田龍起作品史 1928-1996 アトリエに遺された作品による』
四六判 上製 2巻構成 ケース入
作品篇 経文折り 作品図版カラー139面仕上げ
解説篇 総200頁 各作品解説平均400字 作品の詳細データを付す
発行 2019年9月30日
著者 小林俊介
編集 三上豊
デザイン 大串幸子
発行 綿貫令子
発行元 ときの忘れもの/(有)ワタヌキ
●ギャラリートークのご案内
11月30日(土)16時より、難波田武男さんと三上豊さん(和光大学教授、本書編集者)を
迎えてギャラリートーク「難波田龍起と遺された作品について」を開催します。
要予約、参加費1,000円
メール(info@tokinowasuremono.com)にてお申し込みください。
■群馬県桐生の大川美術館で「松本竣介 街歩きの時間」が開催されています(会期:2019年10月8日ー12月8日)
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
中尾美穂
秋晴れの平日、文京区駒込の東洋文庫ミュージアムへ。館内はほどよく賑わっている。北斎人気を実感するが、こちらは他展と一味違う楽しみ方があるようだ。普及展示部運営課課長の池山洋二氏に案内していただいた。

まず広々とした吹き抜けの「オリエントホール」と階上の「モリソン文庫」へ。三方の高い壁を埋め尽くす24,000冊の本、本、本。まさに夢の書棚である。東洋文庫は三菱第三代当主岩崎久彌の出資で1924年に設立された国内最古の東洋学専門図書館および研究機関だが、ミュージアムの開館は2011年と新しい。デジタル機器を併用した人目をひく鑑賞方法が随所に取り入れられている。
そもそも東洋学の東洋とは? 広くアジア全域・アフリカまでもが対象という。およそ80言語もの書物があるそうだ。資料の数々は岩崎が買い上げたもので、その核になるのが『タイムズ』特派員を務めたオーストラリア出身の旅行家、G・E・モリソンが中国滞在中に収集した書物である。ちらりと見た背表紙に「皇帝」「健康」とあったが、どんな文献だろうか。激動の極東情勢にも深く関与したというモリソンの足跡が気になりつつ、文庫を抜けて北斎展へ向かう。
「東洋文庫の北斎展」会場落ち着いた色調で統一された展示室。池山氏によると、今展のハイライトは大判錦絵「諸国瀧廻り」オリジナル全8点(11月末をめどに4点ずつの入替)で、青のグラデーションに注目くださいとのこと。いずれも初摺と聞く。展覧会のキャッチコピー「あの絵はないけど、これがある!!」の「これ」が、同作全点とは嬉しい驚きである。
版元は北斎の代表的な錦絵「富嶽三十六景」でベロ藍と藍摺(藍を主色に、主版も墨でなく藍で刷ること。版木が消耗するとしてほどなく中止)をおおいに宣伝したといわれる永寿堂西村屋与八で、「諸国瀧廻り」もこの延長にある。浮世絵版画(錦絵)の冴えた藍(青)色を出すのに、一時期、西洋や中国からもたらされた西洋の合成顔料プルシャンブルー(ベルリンブルー、通称ベロ藍)が流行した。従来の露草や藍の植物から抽出する顔料より発色がよく、退色しにくかったからである。北斎はぼかしによる濃淡で空や水面の遠近を、線や点の明暗で水流や水しぶきの勢いを演出した。特殊なレンズで捉えたかのような大胆な造形。一瞬の表現への探求がみてとれる。そして人物の仕草の細やかさ。旅支度や着物の紋には時代の文化風俗や出版元を示す、ときに茶目っ気のある情報が盛りこまれていると池山氏にうかがいながら観た。この日は「下野黒髪山きりふりの滝」を含む4点がオリジナル。2017年にロンドンの大英博物館で開催され、話題となった葛飾北斎展「Hokusai: beyond the Great Wave」には同点と「木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧」が貸し出されたそうだ。展示替後は躍動感のある「和州吉野義経馬洗滝」などが観られる。
前北斎為一(葛飾北斎)画「諸国瀧廻り」(1832-33年頃)全8点うちオリジナル4点「東都葵ヶ岡の滝」「下野黒髪山きりふりの滝」「東海道坂ノ下清滝くわんおん」「美濃ノ国養老の滝」
「下野黒髪山きりふりの滝」(一部)東洋文庫には北斎の所蔵品が約50点ある。しかもその名声の伝搬を裏づける国内外の文献が豊富だ。鎖国時代、複数の経路で浮世絵や絵本が海外に持ち込まれ、北斎の名と作品が古今の絵師に先んじて広まり、欧米の日本美術ブーム「ジャポニスム」で多くの画家に影響を与えた経緯が想像できる。
会場では、1822-29年に商館員として日本に滞在したフィッスヘル著『日本の知識への寄与』(1833年、アムステルダム刊)、イギリスの外交官オールコック著『大君の都』(1860年、ロンドン刊)、フランス外交団の一員シャシロン著『日本、中国、インドに関する覚書』(1861年、パリ刊)など、作者名を記さずに北斎らの絵を掲載した海外の地誌が紹介されていた。さらに、お馴染みの飯島虚心著『葛飾北斎伝』(1893年)のほか、北斎を高く評価した美術コレクターのジャーヴィス著『日本美術瞥見』(1876年、ニューヨーク刊)、主要作品目録付で出されたゴンクール著『北斎』(1896年、パリ刊)、北斎のみに脚光を当ててフェノロサの批判の的となったゴンス著『日本美術』(1883年、パリ刊)などの美術書や、1878年の第3回パリ万博博覧会に通訳として渡仏、そののち北斎紹介に関わった美術商・林忠正の旧蔵品『北斎画譜』があった。気になるのは1823-29年にオランダ商館医として長崎に駐在したドイツ人博物学者シーボルトが絵の購入を通して北斎と直接出会ったかどうかだが、ここでは1826年、商館長(カピタン)とともに江戸参府の際に「前任のカピタンが北斎に発注した絵を受け取った」と解説していて興味深い。シーボルトの著作では『NIPPON』(1852年、ライデン刊)が展示されていた。北斎の名を紹介しているのは同書だろうか。
オリファント著『エルギン卿1857、58、59年の中国、日本への使徒の記』1860年 エディンバラ刊
*イギリス外交官の記録。名はないが北斎の『富嶽百景』から浅草天文台の図を掲載。
江戸に生まれた葛飾北斎(1760-1849)は役者絵や美人画で知られた勝川春章に入門後、1779年までにデビューしたといわれる。展示は春章の絵本で始まっていた。それと並んで、北斎が「是和斎」の名で手がけた?とされる『本性酷暑有難通一字』(1781年)や「群馬亭」の名で発表した『我家楽之鎌倉山』(1786年)、「勝川春朗」の号では『咸陽宮通約束』(1783年)、戯作者・絵師の山東京伝とコンビを組んだ『貧福両道中之記』(1793年)などの初期黄表紙があり、勢いのある画で頭角を現す経緯がみられる。当時の読み物は「黄表紙」「滑稽本」など多様にあるが、会場のパネル「江戸時代の小説 カンタン!概略図」が幕府の改革のたび出版を禁じられる流れとともに頭に入りやすい。さらに「ゆかいな狂歌ブーム」「北斎の読本挿絵のココが凄い!」をみれば、観るべきポイントが難なく掴める。各作品にも<浮世絵界のトップスター、夢の競演!><ぶらり山の手の名所><江戸時代のブックカバー><淑女は読むべし! お江戸♡ライフスタイルブック>というように、なるほどと思う一言がつく。
勝川春章画『錦百人一首あづま織』1775年*『百人一首』の歌人の肖像に歌を添えた絵本。
勝川春朗作・画『咸陽宮通約束』1783年*秦の始皇帝の求めに応じて日本人男が軍師に。歌舞伎役者も登場し…という奇想天外な絵読本。
春章没後に勝川派を離れた北斎は「北斎宗理」「葛飾北斎」「北斎辰政」……と号を変え、世の狂歌ブームに乗って狂歌絵本や摺り物を次々と発表した。複数の絵師が美人画や風景画を担当する趣向で、なかには二大人気絵師・喜多川歌麿と北斎の合作も。読本では曲亭馬琴との名コンビで中国の奇書『水滸伝』を翻案した『新編水滸画伝』が、ページの枠の外まで使った臨場感ある挿画を収めている(のちに登場人物を集めた絵本『忠義水滸伝画本』を出したほどで当時のベストセラー)。東洋文庫が完全な形で所蔵する珍しい展示品には、風流な稽古事の発表会案内・演目リストや、版元の粋をみせる袋(ブックカバー)絵の一覧があった。
錦絵『富嶽三十六景』の後で発表した絵手本『富嶽百景』も必見。『富嶽三十六景』の勢い冷めやらぬまま筆力の行き場を求めたかに思いがちだが、こうして挿画を多数観たあとでは新しい画法・構図・題材の研究本にみえる。73歳にしてようやく鳥獣虫魚の骨格、草木の出生を悟ることができたという刊行の言葉が思い出された。ほかに「画狂老人卍」の号で中国全土を想像で一枚に収めてみせた錦絵『唐土名所之絵』(1840年)等の鳥観図、後進の絵師に向けて油絵や銅版画の技法、顔料の調合のしかた、人物・動植物・建築・風景の描き方を示す絵手本のいくつかがあり、北斎の生きた時代を感じさせる。公家・武家の伝統芸術と庶民の娯楽の境界が薄れかかったところに国外の技術や文化が流れ込んだ江戸中期から後期、庶民の好学志向を牽引したのが浮世絵師だ。北斎も浮世絵師であったから、その需要と人気競争のなかで画境をめざし、他派の画法であろうと西洋の近代画法であろうと吸収していった。1849年に数え年90で没し、1853年のペリー来航もその後半世紀の間に起こった海外の北斎ブームも知らない。だが見識があったし、理知的でリアリティのある画は欧米の画家にとって共鳴しやすかっただろう。
北斎展にちなみ、オリエントホールや文庫では18世紀末~19世紀前半の国外事情がわかる周航記、史記、伝記、医学書などを公開していた。これら一点一点を観て半日。興味の尽きない東洋文庫だった。
曲亭馬琴・高井蘭山作、葛飾北斎画『新編水滸画伝』1805-38年*中国の北宋時代、108人の豪傑が集結して悪徳官軍に立ち向かう「世直し」の人気読本。
画狂人北斎、かつしか北斎画「番組他大型刷物」19世紀前半*貝殻に江の島が偲ばれる風流な情景に空摺りが使われている。
葛飾北斎画『北斎写真画譜』1814年*摺りの技巧を凝らした絵手本。シーボルトがオランダに持ち帰ったコレクションの一つという。
画狂老人卍『富嶽百景』1834-35年頃*優美な描線や近代的な構図で森羅万象・文化風俗を巧みに図案化した。
画狂老人卍『和漢絵本魁』1836年*中国楚の武人、項羽が名馬を手に入れる場面。見開きを縦にも使って描いた。
画狂老人卍『画本彩色通』1848年*1842年の天保の改革で出版規制が強まり、しばらく肉筆画に専心したが、亡くなる前年に再び発表した最後の絵手本。
『女重宝記』高井伴覚作、応為栄女画 1847年*最大の弟子である娘の葛飾応為(阿栄)による、女性のたしなみ書。
東洋文庫ミュージアム「東洋文庫の北斎展」
会期:2019年10月3日(木)~2020年1月13日(月・祝)


「あの絵はないけど、これがある!!」
世界的に知られる浮世絵師、葛飾北斎。生涯にわたり精力的に筆をふるった北斎の作品は膨大かつ多様ですが、代表作として思い浮かべるのはやはり『冨嶽三十六景』の大波の図ではないでしょうか。東洋文庫では北斎の作品を50点ほど所蔵しています。そのなかに冨嶽三十六景や肉筆画はなく、半数以上が墨一色で印刷された絵本です。しかし、キャリアの最初期から晩年まで、幅広い時期の作品がそろい、目にする機会の少ないタイプの作品もあります。
本展では、東洋文庫が所蔵する北斎作品を可能な限り網羅的に公開します。森羅万象を描いた北斎作品の魅力を、「こんな絵も描いていたのか!」という驚きとともに改めて発見していきましょう。(東洋文庫ミュージアムホームページより)
・展示リスト http://www.toyo-bunko.or.jp/museum/hokusai-list.pdf
東洋文庫ミュージアム
開館時間:10:00~19:00(入館は18:30まで)
入場料:一般 900円、65歳以上 800円、大学生 700円、中高生 600円、小学生 290円
※20名以上20%引、障がい者 350円 (付添い1名まで350円)
休館日:火曜日(火曜が祝日の場合開館、翌平日休館)、年末年始、ほか臨時休館の場合あり
住所 〒113-0021 東京都文京区本駒込2-28-21
電話:03-3942-0280(ミュージアム)03-3942-0400(オリエント・カフェ)
交通:JR・東京メトロ南北線「駒込駅」から徒歩8分ほか(駐車場:普通車8台まで)
東洋文庫 http://www.toyo-bunko.or.jp/
・東洋文庫ライブラリの利用方法 http://www.toyo-bunko.or.jp/library3/usingthefacilities.html
ときの忘れものブログ:
2018年08月08日「東洋文庫ってご存知ですか。「悪人か、ヒーローか」~9月5日」
小国貴司のエッセイ「かけだし本屋・駒込日記」第20回
(なかお・みほ)
■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。
●毎月20日は柳正彦さんのエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」の更新日ですが今月は休載です。来月をお楽しみに。
●本日のお勧め作品は、ハナヤ勘兵衛です。
ハナヤ勘兵衛 Kanbei HANAYA「熊本県矢部町白糸にて」
1958年撮影(1960年プリント) ゼラチンシルバープリント
60.7×75.2cm
裏面にシール貼付
額付き
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
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◆『難波田龍起作品史 1928-1996 アトリエに遺された作品による』刊行記念展を開催します
会期:2019年11月29日[金]―12月28日[土] *日・月・祝日休廊

ときの忘れものは、今までにない美術本を作りました。
書名は『難波田龍起作品史 1928-1996 アトリエに遺された作品による』。
近現代絵画史に大きな足跡を残した画家、その生涯にわたる作品139点に解説を付し、
「見て読む鑑賞」を提案します。解説文は難波田龍起研究の第一人者小林俊介氏が執筆。
画家が生前自選した作品群が初めて明らかになります。
今回、版画作品をお買い上げの方に本書を差し上げる機会を設けました。
『難波田龍起作品史 1928-1996 アトリエに遺された作品による』四六判 上製 2巻構成 ケース入
作品篇 経文折り 作品図版カラー139面仕上げ
解説篇 総200頁 各作品解説平均400字 作品の詳細データを付す
発行 2019年9月30日
著者 小林俊介
編集 三上豊
デザイン 大串幸子
発行 綿貫令子
発行元 ときの忘れもの/(有)ワタヌキ
●ギャラリートークのご案内
11月30日(土)16時より、難波田武男さんと三上豊さん(和光大学教授、本書編集者)を
迎えてギャラリートーク「難波田龍起と遺された作品について」を開催します。
要予約、参加費1,000円
メール(info@tokinowasuremono.com)にてお申し込みください。
■群馬県桐生の大川美術館で「松本竣介 街歩きの時間」が開催されています(会期:2019年10月8日ー12月8日)
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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