王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」第5回

藤元明「陸の海ごみ」展を訪れて

 2019年10月4日から11月14日まで、GALLERY A4(ギャラリー エー クワッド)で藤元明『陸の海ごみ』展が開催された。
 GALLERY A4は、東京都江東区の竹中工務店東京本店の1階にある。2005年からこれまで、毎年5~7回の自主企画の展覧会を行なっている。神社仏閣を建てる大工から出発した大手ゼネコンである竹中工務店のメセナの一環として、建築、都市、空間、大工、現代アートのインスタレーションを扱った展覧会のみならず、『アルピニスト野口健からのメッセージ展ー未来のこども達のためにー』(2007年)、『的川泰宣展 宇宙からの伝言 ーものづくりと冒険の心ー』(2009年)、『中村政夫写真展ー東京の海ー』(2012年)、『今森光彦写真展ー琵琶湖の便り、里山からの贈り物ー』(2017年)などの環境や科学の分野と交わるテーマや、『Maggie’s Centres-生きる喜びを失わないことー』(2015年)、『木下直之全集ー近くても遠い場所へー』(2018年)といった小さな声に焦点をあてるキュレーションが興味深いと感じている。

 藤元明『陸の海ごみ』展は、陸から捨てられ海岸に漂着した海洋ごみを扱った展覧会で作家のフィールドワークの上に成り立つ。ルポタージュやドキュメンタリーが事実を伝える仕事だとすれば、地球規模の問題に対する人類の愚かさ、非力さに直面した時、アートは現状を伝えること以外に何ができるか、に向き合った産物ではなかっただろうか。
 藤元明さんは未成年の時期に、地球温暖化、紙のリサイクル、原子力発電所の増加と事故、衛星やロケットの開発、車やバイクのニューモデルの続々登場、流行商品・食品の大量生産大量消費を少なからず見聞きし、豊かさの消費とその反省の狭間に生きてきた世代だと考えられる。彼のこれまでの作品には、エネルギーとりわけ石油という自由自在に加工される資源に向き合ってきたものが数多くある。本展覧会ではその多くが石油由来のプラスチックである海洋ごみに触れ、ごみを資源(作品のマテリアル)にした作品に変換することで、衝撃と嘆きを提示し、鑑賞者に関心を、驚きを、行動を、諦めを、悲しみを、慰めを、癒しを引き出したことだろう。

 今年11月、ニューズウィーク日本版で「プラスチッククライシス」の特集が組まれた。先立って9月に報じられた原文の記事によると、プラスチックは年間3億トン生産され、800万トンが海へ流れており、海洋ごみの8割は陸から下水管や川を経由して捨てられたもの、2割が船舶からだという。(*1)そのごみが海流や大気の流れによって日本列島の沿岸にも漂着するというわけだ。また、6月のワシントンポストは、日本のレジ袋の浪費や過剰包装の文化と熱心なゴミの分別との矛盾を指摘している。記事によると日本国内で出る年間900万トンのプラスチックゴミのうち86%は「リサイクル」され、そのうち58%はサーマルリサイクル(燃料として燃やされる)、14%は開発途上国へ輸出、14%が再生されるという。(*2)そして、国内では、多国籍企業のプラごみ削減対応が報じられる一方で、先月末、スーパーマーケットで消費者が食品包装を店内で「くるりポイ」と捨てる問題や、海洋プラごみの流出源の特定を中国と日本が共同で行うというニュースが報じられた。

 ギャラリーでまず目に飛び込むのは《Energy Timer》。原油と海水が入っているのだろうか、この沈黙の作品は砂時計の形状をしていて油が上に溜まっていく。湧き出し続けている石油と石油由来の材料や製品の生産を表しているかのようだ。処理や再生が追いつかないスピードで人類は石油や原子力といった資源を消費している。次に、目を引くのは《Fountain#drift series》、壁一面と10画面から成る一見華やかで装飾的な映像作品だ。それぞれ砂、岩、テトラポットや小石のある海辺を歩き映された像を作品化したもので、地面を覆うプラスチックの破片、漁具、容器や小枝には光も影もなく、コスモロジーを示す曼荼羅のような画面を作り上げている。作品に映りこむ包装ごみの読めない文字は、この映像がどこか遠くのことかもしれない錯覚を呼び、ごみの間を這う蟻はこれが確かな現実だと知らせる。映像の流れる速度の強弱ゆえ、万華鏡のようにも見え、エンドレスに湧き出る石油を想起させる。聞こえてくる砂やプラスチックを踏み砕く音は、ときに呪文のように鑑賞者を現実逃避へと誘う。

陸の海ごみ写真1手前《Energy Timer》、奥《Fountain#drift series》

つづいて《海ごみシリーズ》は、作家が現地で「採取」してきた漁具である浮きや網、縄などが「固定」された生々しい立体だ。アクリルケースの中で、陸からも海からもその役割を絶たれ、土に還ることもなく亡霊となった姿に見える。奥の壁一面に展示された国立研究開発法人海洋研究開発機構の青木邦弘さんの協力による《地球全球の海流と、浮遊、沈降するごみのシミュレーション映像》は、ごみを表す赤と黄の粒子が地球上の海洋を流れて染めているさながら海上のプラゴミベルトを示す映像だ。1970年から2070年が想定されたフィクションであるが、科学は「もっともらしい」力を帯びる。まるで根拠のように展示されている作品を支えている。

陸の海ごみ写真2

《最後の希望》は、「採取」してきた海洋ごみを熱い鉄板でプレスした作品だ。「バーベキューのようにどこでも作ることのできる」と作家は述べており、作家から今回の取材を通して出会った人たちへのコールアンドレスポンスのようでもあり、鑑賞者である私たちの生活の中に寄生する化け物のようにも見える。溶けて形のなくなる途中段階を定着させる「溶解」の表現は、方法は違えど作家が過去に発表している複数の作品も呼び起こす。

陸の海ごみ写真3《最後の希望》

《海のごみたち》、《海の旅人たち》は宮川貴光さんによるドキュメント映像で、《海の旅人たち》では地元住民、海士、五島高校の生徒たちと教師、研究者、伊勢海老漁の漁師、海女へのインタビューと、藤元明さんが長崎県五島列島の島に上陸する様子や作品《最後の希望》をマスクをして制作する姿が撮られている。インタビュー映像では、地元の人にとって海ごみは近年の問題ではなくかつてから当たり前の存在であったこと、観光地の海を優先的に清掃していることなどが語られている。人に選ばれず処理されなかったごみは、地球上を移動し彷徨い続けている。

 この展示を観て、お台場にある日本科学未来館の常設展にあったこんな質問を思い出した。「あなたが子孫に贈りたい地球をひとつ選んでください」、「温暖化がストップした地球」、「いつまでもきれいな水が飲める地球」、「エネルギーで豊かな暮らしができる地球」、「芸術文化に満ち溢れた地球」、「ことばの多様性が守られている地球」、「いつまでも魚を食べ続けられる地球」、「誰もが健康でいられる地球」、「不平等や貧困のない地球」。

*1: https://www.newsweek.com/heartbreaking-images-plastic-pollution-ocean-1459494
*2: https://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/japan-wraps-everything-in-plastic-now-it-wants-to-fight-against-plastic-pollution/2019/06/18/463fa73c-7298-11e9-9331-30bc5836f48e_story.html
おう せいび

■王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ。京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。国内、中国、シンガポールで図書館など教育文化施設の設計職を経て、2018年より建築倉庫ミュージアムに勤務。主な企画に「Wandering Wonder -ここが学ぶ場-」展、「あまねくひらかれる時代の非パブリック」展、「Nomadic Rhapsody-”超移動社会”がもたらす新たな変容-」展、「UNBUILT:Lost or Suspended」展。

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◎昨日読まれたブログ(archive)/2007年09月26日|植田実のエッセイ「わが編集長 平良敬一」
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