「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢展」レビュー

中尾美穂


 昨年2月に高崎市美術館で始まった同展を、巡回先のパナソニック汐留美術館で観た。
 一巡して感じたのはイサム・ノグチのただならぬエネルギーである。モダンな工芸品とパネルが並ぶ洗練された構成の明るい展示室で、その力強さが異様に思える。そして解説「共同体(ユートピア)への夢」をあらためて読み、考えさせられた。「どこにもない場所(ユートピア)―共同体への夢のほとんどが霧消するのは、果たして時流のためだけだろうか」で始まり「賽の目次第で転落する同時代を見つめる困難を、今こそ思い出すべきかもしれない」と結ばれている文章の、この重苦しさ、不穏さは何だろう。

noguchiIMG_E1890イサム・ノグチ「あかり125F」1971(飛騨・世界生活文化センター蔵)ほか

 展示は7名の人々に絞って展開されている。建築家ブルーノ・タウトとアントニン・レーモンド。アントニンの妻でインテリアデザイナーのノエミ。デザイナーの剣持勇とジョージ・ナカシマ。彫刻から庭園の設計まで幅広く手掛けたイサム・ノグチ。そして高崎市の実業家、井上房一郎である。
 この全員がひとつの潮流を牽引したのではない。剣持はタウトやノグチと、ナカシマはレーモンドと、ノグチはレーモンドと関わったが、各々の時期や場所は異なる。これは1930年代、1940年代末からの戦後復興期およびその後、という第二次世界大戦に分断された長い年月を、「夢」または「旅」というキーワードでたどる展覧会なのだ。それも市井の人々より、むしろ先導者たちがみた夢。解説が特筆するタウトの田園都市のユートピアのように、戦争、災害、アイデンティティの模索、異境での不遇……時代に翻弄されても、彼らが理想としたもの。
 会場を出て、その一端に思いをめぐらせてみることにした。

 汐留から少し歩けば、かつて井上の工芸店ミラテスがあった銀座に着く。タウトが顧問を務めたが、ミラテス自体は先に軽井沢町にあり、そこで井上とレーモンドの親交が始まっている。熊倉浩靖著『井上房一郎・人と功績』が示すようにレーモンドとの出会いの方がタウトとの出会いより古い。店の名もタウト以前に遡る。タウトはレーモンドに二度ほど会っているが、交友関係に至らなかった。
 ミラテスの短い歴史からは、彼らの不思議なめぐりあわせがみえる。
 両建築家の接点となった井上は1930年、家業を継ぐとともに工芸品の製作を迅速に推進した。その販売のために1933年、ミラテスを試験的に軽井沢に開店。レーモンド夫妻が店を訪れる。タウトの下で働いていた水原徳言による「ミラテスの終焉まで」に、店先の写真が掲載されている。「郵便局を中心にその上下二町ばかりがメイン商店通りで私共の店もその旧道といったところの中心、稲垣栄という人の持家」、つまり狭いコミュニティの中心にあった。井上とレーモンドはともに近郊に別荘を持ち、すぐ気心の知れた間柄になったのであろう。
 この年、タウトが故郷ベルリンから日本に来た。ナチス体制下による身の危険を察知しての来日である。国の商工省工芸指導所嘱託となるも4カ月足らずで辞した。翌年、タウトの処遇を相談された井上が工芸品製作の顧問に招き、1935年、銀座に本格的にミラテスを開く。6丁目の瀧山町ビル1F、現在の交詢社通りと並木通りの角で、白黒写真でも華やかさがわかる。しかし1936年、タウトはイスタンブールに発ち、同地で死去。米国国籍のレーモンドも1937年、日米関係悪化を前に日本を離れた。銀座のミラテスは1943年に閉店を余儀なくされた。これも戦況下で消えた夢のひとつだ。

1951yamaha copyright yamahaレーモンド設計の旧ヤマハ銀座ビル(提供:ヤマハ株式会社)

 銀座の中央通りにあるヤマハ東京支店の旧ヤマハ銀座ビルを懐かしく思う人々は多いに違いない。戦後まもなくの、レーモンドによる新しいモダニズム建築である。
 1947年、レーモンドは再来日を図る。この時点で案件があったか不明だが、1949年には東京に仮事務所を構えて次々とビルや住宅を手がける。なかでも米資本による竹橋のリーダーズ・ダイジェスト東京支社は彼の名を一層高めた。庭園設計はレーモンドがノグチに依頼し、竣工1951年。その前にヤマハの仕事が持ち込まれたようである。
 同社によると1950年3月の類焼による新ビルの構想時にレーモンドを起用。当時の川上嘉市社長・次代の川上源一社長のもと、社の理念を託した。ビルは翌1951年12月にオープン。地上5階、地下1階のうち、まず1、2階の店舗が開店した。4、5階のヤマハホール(開設時は山葉ホール)もレーモンド設計で1953年4月に開場した。このとき彼は、

・舞台をみる視線に無理がなく、騒音による障害も受けずに音楽を楽しむことができるよう配慮。
・共鳴音、和音、反響音に対しては、できるだけ慎重な工夫をはらった。
・外観もきわめて簡素に、自然にしてしかも気品のあるものにと設計に苦心した。

と述べている。竣工を機に、1954年から木目調を生かしたレーモンドモデルのグランドピアノ(1967年まで)とアップライトピアノ(1961年まで)も製造された。美術・音楽に通じた建築家ならではだろう。音楽ホールの設計には、代表作である1961年の群馬音楽センターがある。戦後日本の音楽の輝かしい発展を担ったヤマハホールと、終戦直後から高崎市民オーケストラ(群馬フィルハーモニーオーケストラへ移行)の組織づくりを始めていた井上との間にも繋がりがあるかもしれない。
 戦後はミラテスの復活でなく音楽・美術の発展に力を注ぐ井上の先見の明を、同展の背後にみる思いがした。
(文中敬称略)

なかお・みほ

参考文献
*『パトロンと芸術家―井上房一郎の世界―』(群馬県立近代美術館・高崎市美術館、1998年)
*熊倉浩靖著『井上房一郎・人と功績』(みやま文庫、2011年)
*鈴木久雄『ブルーノ・タウトへの旅』(新樹社、2002年)
ほか
(文中敬称略)

■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。

「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢展」
会期:2020年1月11日(土)~3月22日(日)
開館時間:午前10時より午後6時まで(ご入館は午後5時30分まで)
※3月6日(金)は夜間開館 午後8時まで(入館は午後7時30分)
休館日:水曜日
会場:パナソニック汐留美術館
(〒105-8301 東京都港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4階)
*同展(高崎展)については住田常生のエッセイ「どこにもない暮らしと、失われた暮らしをめぐる夢」も併せてお読みください。

●今日のお勧め作品は、アントニン・レーモンドです。
raymond「作品」1957年アントニン・レーモンド Antonin RAYMOND
《作品》 1957
紙に水彩
21.0x27.5cm
Signed
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