花田佳明のエッセイ「建築家・松村正恒研究と日土小学校の保存再生をめぐる個人的小史」第8回

2005年:悪化する状況の中で開いた第2回「夏の建築学校」

花田佳明(神戸芸術工科大学教授)


 前回書いた通り、2004年9月7日の台風18号の強風によって校舎に被害が出たことから、日土小学校の保存活動は窮地に立たされた。保護者や地域の方々が校舎の安全性に疑問を感じ、建て替えを望む声が強くなったからだ。しかし校舎に愛着を持たれている方も多く、地元の皆さんによる検討委員会が作られはしたが、保存か建て替えかの意見は平行線のままだった。八幡浜市はとりあえず地元の意向を尊重するとして静観の姿勢をとり、早急な結論が出ることだけは回避されていた。2005年になると新聞でそういった事態が報じられるようになり、愛媛大学の曲田清維先生からファックスで送られてくるたびに私は気を揉んだ。

001愛媛新聞2005年1月17日の記事。

 そして2005年3月には、日本建築学会の本部とDOCOMOMO Japanから、八幡浜市長、市議会議長、教育長、教育委員会委員長の4氏宛に保存要望書が提出された(日本建築学会の保存要望書はこれ)。危機感の象徴と言えるだろう。


 そのような状況の中、「夏の建築学校」の2回目を開催したいという思いは保存活動関係者の間に強くあったが、初回のようには日土小学校や地元の協力を得ることが難しいことは容易に想像できた。
 ちょうどその頃、三晃金属の広報誌『Sanko』から曲田先生と私で日土小学校のことを語ってほしいという依頼があり、4月16日(土)に八幡浜で対談をした。その内容は、「対談「生きつづけるモダニズム建築-八幡浜市立日土小学校」」として『Sanko』No.278に掲載された。
 翌日、曲田先生と、松村正恒が市役所時代に設計した中津川公民館へ行ってみようということになった。この建物は、松村の設計原図の状況を確認するため2003年3月21日に市役所を訪れた際、初めて見に行ったと思うのだが、広い座敷があったので夏の建築学校の会場になるのではないかと考えたのである。
 八幡浜市の中心部から南東へ3.5キロほど入った山間部。竣工は1956年で、中津川地区の蜜柑農家のための集会場や選別場として建てられた。日土小学校の中校舎と同じ年の完成で、よく見ると似たようなモチーフは散見されるが、後の調査によると松村は数日間で設計をまとめたらしく、日土小学校ほどのシャープさはない。

008・003荳ュ豢・蟾晏・豌鷹、ィ縺ョ蜻ィ蝗イ中央の淡紅色の建物が中津川公民館(2003年3月21日撮影)。

008・004荳ュ豢・蟾晏・豌鷹、ィ豁」髱「中津川公民館正面(同上)。

008・005荳ュ豢・蟾晏・豌鷹、ィ蛛エ髱「中津川公民館側面(同上)。

008・007荳ュ豢・蟾晏・豌鷹、ィ2髫主コ・俣中津川公民館2階広間(同上)。

 建物の前でさてどうしたものかと思っていたら、たまたま居られた地域の方が、中津川地区区長・菊池久さんが公民館長でもあるので、そこへ行ってみてはどうかと教えてくださった。さっそく曲田先生とご自宅を訪れ、中津川公民館の使われ方などを伺いつつ、夏の建築学校の会場にさせていただけないかとお願いし快諾を得たのである。
 映画会・カラオケ・詩吟の会などで土日はほとんど使っている、毎月1回清掃し住民でできる修理は行なっている、建て替えになると地元の負担も必要になるので大切にしている、松村さんの設計であることは住民に伝えてある、日土小学校の状況は知っている、残せるといいなあと思っている、といったお話も嬉しかった。
 ふとした思いつきだったが、やってみるもんだねと曲田先生と二人、胸をなでおろしたのであった。
 
 会場が決まり、中身をどうしようかと曲田先生たちと相談をした。その結果、会場の中津川公民館に宿泊させていただくことができるようになり、合宿制でいくつかの授業と見学会を行うことにした。講師には、話題を広げる目的で、昨年もお願いした岡崎直司さんや私以外に、同潤会のアパートに詳しい建築計画学の大月敏雄先生(当時・東京理科大学准教授、現在・東京大学教授)と、愛媛県歴史文化博物館学芸員の大本敬久先生を加えた。
 日程は、2005年8月6日(土)13時~7日(日)正午まで、主催は木霊の学校日土会と日本建築学会四国支部である。日土小学校の見学と同校体育館での閉校式も予定したが、募集要項には「未定、現在調整中」と書かれており、当時の緊迫した状況が反映されている。結局、閉校式は日土小学校の体育館で行うことはできず、川之内小学校の体育館をお借りした。

 今回も参加者を公募し、結局26名の応募があった。私のゼミ生をはじめとする神戸芸術工科大学の学生さん、他に4つ大学の学生さん、松山建築会という勉強会の社会人の皆さんなどだ。
 神戸芸工大チームは8月5日(金)の朝に大学を車で出発し、NTT高松病院、香川県庁舎、坂出人工土地を見学して八幡浜入りをした。
 翌8月6日(土)午前中はオプショナルツアーということで、八幡浜市内に残る松村が設計した旧・図書館(当時は児童クラブとして使用)や登録有形文化財の梅美人酒造の建物などを見学した。

008・012譌ァ蝗ウ譖ク鬢ィ螟冶ヲウ・域ュ」髱「・旧図書館外観(正面)。

008・015譌ァ蝗ウ譖ク鬢ィ蜀・Κ・・髫取立髢イ隕ァ螳、・旧図書館内部(2階旧閲覧室)。

 13時から受付開始。今回は中津川地区の子供さんとのふれ合いから始まった。事前打ち合わせの際、区長さんから、ぜひ地域の子供たちも参加させたい、彼らに大学生というものを見せたいというお話があったのである。
 会場は2階の大広間。映像上映に備え廊下には農業用と思われる黒いビニールシートが張られ、室内には使い込まれた長机が並べられている。廊下側には地域の歴史を書いた資料が貼られたボードが設置され、地域に残るさまざまなお札も展示されていた。すべて地元の皆さんが準備してくださったもので、事前には全く知らされておらず、感激した。

008・017蟒贋ク句・縺ョ證怜ケ廊下側の暗幕。

008・018蝨ー蝓溘・豁エ蜿イ縺ョ隱ャ譏弱・繧吶・繝医y地域の歴史の説明ボード。

008・019蝨ー蝓溘↓谿九k縺輔∪縺輔y縺セ縺ェ縺頑惆地域に残るさまざまなお札。

 まさに寺子屋であった。前半分に子供たちが座り、後ろ半分が大学生や大人たち。互いに挨拶をして授業が始まった。
 最初は地域の歴史の話をうかがい、子供たちは緊張気味だったが、間もなく参加者全員での七夕飾作りに移り、会場は打ち解けていった。

008・020蟇コ蟄仙ア九・繧医≧縺ェ髮ー蝗イ豌励※繧呎肢讌ュ髢句ァ寺子屋のような雰囲気で授業開始。

 そして1階の選果場で笹に取り付けて完成。かき氷も振舞われ、地域の大人の皆さん、子供たち、そして参加者とでの楽しい時間が過ぎて行った。

008・022 ヲ繧吶・菴懈・ュ縺ィ縺九″豌キ1階の選果場での作業とかき氷。

008・023荳・、暮」セ繧翫・螳梧・七夕飾りの完成。

 そのあと子供たちは解散し、15時半から本格的な授業が始まった。
 1時間目は私。松村正恒と日土小学校の概要、および会場となった中津川公民館のことを話した。
 2時間目は大月先生。同潤会アパートや保存を求める訴訟まで起こされた大塚女子アパートなどを例に、建築を残すことの重要性を話された。
 3時間目は岡崎さん。愛媛県内に残る木造建築の代表的なものを熱く紹介された。
 4時間目は大本さん。ご専門の民俗学的視点から、中津川地区のさまざまな伝承的行為はもとより、今回の行事を通して地域が「外からの眼差し」を感じることの重要性まで、興味深いお話をいただいた。
 4時間目が始まったのは19時10分、空腹と戦いながら授業が終わったのは20時。あたりはすっかり暗くなっていた。

008・024闖頑ア荵・玄髟キ縺ョ謖ィ諡カ菊池久区長の挨拶。

008・026螟ァ譛亥・逕溘」隱ャ大月先生による同潤会アパートの解説。

008・028螟ァ譛ャ縺輔s縺ォ繧医k荳ュ豢・蟾晏ュヲ隰帷セゥ大本さんによる中津川地区の民俗学講義。

 そして待望の夕食である。今回も地域の皆さんのお世話になった。どっと手料理が運び込まれたかと思うと、会場は一瞬にして地域の皆さんと参加者が入り乱れた談論風発の場へと変身したのであった。

008・029諛・ヲェ莨壹・讒伜ュ懇親会の様子。


 二日目、8月7日(日)は7時起床。地域の方が用意してくださった朝食を食べた後、お礼の掃除を行なった。

008・032謖∝盾縺励◆縺ヲ繧吝推謇€縺ョ諡ュ縺肴祉髯、持参した雑巾で各所の拭き掃除。

 その後、お世話になった中津川公民館長の菊池さんにお礼を言い、日土小学校と川之内小学校の見学へと向かった。
 川之内小学校は、松村の設計で1950年に完成したもので、現在は統廃合で使われていないが、松村の設計による最も古い現存建物である。吹きさらしの廊下上部から教室への採光を取る工夫があり、その後のクラスター型配置による両面採光の萌芽が感じられる。日土小学校とは全く違う雰囲気に、参加した皆さんは驚かれたに違いない。

008・033蟾昜ケ句・蟆丞ュヲ譬。螟冶ヲウ・域ュ」髱「・川之内小学校外観(正面)。入り口の三角庇は後付けである。

008・034蟾昜ケ句・蟆丞ュヲ譬。譏・剄蜿」蜈シ蟒贋ク川之内小学校昇降口兼廊下。

 最後は川之内小学校の体育館をお借りして閉校式を行なった。昨年同様、菊池校長先生からは、レポート提出の宿題がついた「仮修了書」が渡され、その後刊行された今回の活動の記録冊子『夏の建築学校 八幡浜』(日本建築学会四国支部学校建築探求団特別委員会、2005年12月)に、講義内容等とともに全てのレポートが収録された。
 校庭で記念写真を撮影して解散し、私は夢なら醒めないでくれと言いたいほどの幸せな気持ちになると同時に、今度は台風来ないでよと祈りながら学生たちと神戸へ向かったのであった。

008・036蟾昜ケ句・蟆丞ュ。蠑川之内小学校体育館での閉校式。

008・037蜿ょ刈閠・※繧呵ィ伜ソオ蜀咏悄参加者で記念写真。

008・038縲主、上・蟒コ遽牙ュヲ譬。縲€蜈ォ蟷。豬懊『夏の建築学校 八幡浜』の表紙。川之内小学校の階段での記念写真。

はなだ よしあき

♦花田佳明のエッセイ「建築家・松村正恒研究と日土小学校の保存再生をめぐる個人的小史」は毎月14日に掲載します。
他の連載記事はこちら

花田佳明 Yoshiaki HANADA
1956年生まれ。1980年東京大学工学部建築学科卒業、1982年同大学院修士課程建築学専攻修了。日建設計を経て、1997年神戸芸術工科大学環境デザイン学科助教授、現在同教授。博士(工学)。著書に『植田実の編集現場』(ラトルズ、2005年)、『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』(鹿島出版会、2011年)、『日土小学校の保存と再生』(共編著、鹿島出版会、2016年)、『老建築稼の歩んだ道 松村正恒著作集』(編、鹿島出版会、2018年)。

●本日のお勧め作品は、磯崎新です。
isozaki_21_moca_4磯崎新 Arata ISOZAKI
「MOCA #4 銅版」
1983年
エッチング
イメージサイズ:15.0×20.0cm
シートサイズ:29.0×38.0cm
Ed.100
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

-------------------------------------------------
◎昨日読まれたブログ(archive)/2014年03月02日|ピカソ、ミロのオリジナル版画入り・ベルグランのカタログ
-------------------------------------------------

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。