柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」第16回

マルセル・デュシャンの最晩年の仕事、一冊の挿絵本


 12月に引き続き、アーティスト自身が深くかかわった案内状を紹介するつもりでいましたが、ちょっと面白い「挿絵本」を入手したので、予定を変更させていただきます・・・と書いたところで、「挿絵本」って何なのだろうと考え始めてしまいました。
 挿絵が入った本ならば、どんなものでも、「挿絵本」と呼ぶこともできるでしょう。もちろん、子供向けの絵本も、挿絵本に含めてです。とはいっても、美術に関係する本を紹介するこのコラムとしては、もう少し意味を絞り、画家や彫刻家による、リトグラフやエッチング、ポショワールなどの「版画技法」による挿絵が挿入された本として、技法面でのオリジナル性を基準にしてもよいかも知れません。しかし、オフセットや凸版印刷による挿絵でも、高いクオリティをもっている場合も少なくありません。むしろ、内容構成で考えた方が良いかもしれません。挿絵本と呼ばれるからには、まず詩や小説、エッセイといった文章も収められているのが大原則です。神話や古典文学の場合もあれば、同時代の詩人の作品の場合も、また、画家自身によるエッセイの場合もありますが、文章と絵が、本という一つの世界に融合されるものこそ、挿絵本と呼ぶに相応しいものでしょう。
 さて、ようやく本題です。今回紹介させて頂くのは、マルセル・デュシャンによる挿絵本です。ほぼ同世代のピカソシャガールといった作家と異なり、デュシャンの挿絵本と聞くと、違和感を覚える人も少なくないと思います。
 現代美術の父ともみなされるこの作家の創作が、既存の美術の常識に挑戦するものであり、また「絵」と離れていたからでしょう。確かに、アメリカに展示された、最初の現代美術作品の一つであった、「階段を降りる裸婦、No.2」(1912)は絵画作品でしたが、それ以降の代表作、既成の陶器製便器にサイン(しかも偽名のサイン)を入れただけの“彫刻”作品「泉」(1917)、製作を途中放棄したことを明言し、永遠の未完成作品となった「《彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも》(通称:大ガラス)」(1915-23)そして、長年秘密裡に制作をつづけ、死後、遺言に従ってフィラデルフィア美術館に寄贈されて、人々の知るところとなった、「《1.水の落下、2.照明用ガス、が与えられたとせよ》(遺作)」(1944-1966)などの美術の概念そのものに挑戦するような作品は、どれも、絵画ではありませんでした。
 そんなデュシャンですから、世を去る前年の1967年に出された「挿絵本」は、かなり変わった趣のものです。ギリシア神話にシャガールが極彩色の挿絵を添えた「ダフニスとクローエ」やパリの歴史学者ルネ・エロン・ド・ヴィルフォスと藤田嗣治による「魅せられたる河」のような、大型の豪華本を想像しないでください。
 ノーベル文学賞を受賞したメキシコの作家、オクタビオ・パズによる、「マルセル・デュシャン、純粋の城」に16枚の挿絵を添えた、限定606部の出版物は、僅か24×18㎝の小型本で、表紙も厚手の紙製、つまりペーパーバックに近い形態のものです。

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 本の中には、デュシャンの絵画作品、レディ・メイドなどの白黒写真図版も多数載せられていますが、このを“挿絵本”としているのは、シルクスクリーンで刷られた、計16枚の版画作品です。が本文中の何か所かに分かれて綴じ込まれていますが、それほど眼を惹くものではありません。というのも、挿絵は白い紙の上に白のインクで刷られているからです。インクが厚いので、近づき、斜めから光を当てればイメージが明確に判りますが・・・それが何のイメージかを理解するのはまだ大変なことです。

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 挿絵には、「透き通る影」というタイトルが付けられています。何の影かといいますと、デュシャンの代表的なレディ・メイド、二作品、「自転車の車輪」(1913)と「瓶乾燥器」(1914)のものです。二つのオブジェが、影となることで、二次元のレベルで融合されたわけです。それだけでも、美術の世界を刺激し続けてきたこの作家らしさを見せますが、デュシャンは、そこで止めてはいませんでした。このイメージを縦横それぞれ四等分して16枚に分割してしまったのです。つまり、それぞれの挿絵は、16分の1のイメージなのです・・・実際、白い紙の上に、太かったり、細かったりする線が、何本か刷られているだけなのです。

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 上の画像は、16枚を元のように並べ、背景を黒にしたものです。このような参考図版がなければ、いったい何が描かれていないか探ることもできません。自らの代表作で遊んだ作品と考えるべきか、あるいは、鑑賞者への挑戦なのか、どちらにしても、一筋縄ではいかぬ、デュシャンらしい挿絵であることは間違いないでしょう。
やなぎ まさひこ

柳正彦 Masahiko YANAGI
東京都出身。大学卒業後、1981年よりニューヨーク在住。ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院修士課程終了。在学中より、美術・デザイン関係誌への執筆、展覧会企画、コーディネートを行う。1980年代中頃から、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして「アンブレラ」「包まれたライヒスターク」「ゲート」「オーバー・ザ・リバー」「マスタバ」の準備、実現に深くかかわっている。また二人の日本での展覧会、講演会のコーディネート、メディア対応の窓口も勤めている。
2016年秋、水戸芸術館で開催された「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」も柳さんがスタッフとして尽力されました。

●柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は毎月20日の更新です。

●本日のお勧め作品は瀧口修造です。
takiguchi2015_selected_words瀧口修造 Shuzo TAKIGUCHI
《マルセル・デュシャン語録》
1968年
本、版画とマルティプル
外箱サイズ:36.7×29.8×5.0cm
本サイズ:33.1×26.0cm
サインあり
A版(限定部数50部)
発行:東京ローズ・セラヴィ
刊行日:1968年7月28日
販売:南画廊
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