佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第38回

シャンティニケタンの風景について1

 日本での仕事がひと段落し、2月上旬はバングラデシュとインドの西ベンガル州にいた。
 バングラデシュは海沿いのある計画のための視察であった。初めて訪れた国だが、当然ながらインドの西ベンガル州とまったくもって似た雰囲気で、首都ダッカはインド西ベンガル州のコルカタよりも密度が高くなく、水が豊かで穏やかな土地だった。今、北インドでは市民権法(Citizenship Act)改正を巡ってヒンドゥーとイスラムの間で衝突が活発化している。戦後の印パ分離、そしてバングラデシュ独立も含めた宗教的確執からの地域分断とそれに付随する紛争が今も続いている。
 バングラデシュとインド西ベンガル州との地域的分断は、20世紀初頭のイギリス領インド帝国であった頃のベンガル分割令(1906年)から始まっている。当時のインド内での独立運動を抑えるための植民地政府側の戦略であったが、それはむしろ反英感情を高めるものとなった。対して政府側は、イスラムの勢力に働きかけて全インド・イスラム同盟(All-India Muslim League)を発足させ、インド国民会議(Indian National Congress)との対立は戦後の分離独立に至る。1906年のベンガル分割令は1911年に撤回はされたが、1947年の印パ分離の際には同様の境界ラインが用いられている。

20200307佐藤研吾_1バングラデシュの南端に位置するコックスバザールの海岸


 バングラデシュで数日を過ごしたあと、飛行機でコルカタへ行き、到着後そのまま車でシャンティニケタンへ向かった。
 シャンティニケタンのことはこれまでこの連載で何度も書いてきたが、どうもその町の生まれ方、形成のプロセスが気になっている。今回は以前作った「シャンティニケタンの住宅 Kokoro」の同じ敷地での増築のプロジェクトもあったが、基本はその町の歴史調査が目的だった。
 シャンティニケタンは1901年に詩人ラビンドラナート・タゴールがある小さな学校(Brahmacharya Vidyalaya)を創った町として知られている。その学校は今はVisva-Bharati Universityという名の国立大学としてあり、周辺の市街化も進んでいる。この土地はそもそもはタゴール家のものではなく、別の領主(ザミンダールという支配階級層)が所有するものであった。そのおよそ20エーカーの土地をラビンドラナートの父デベンドラナート(Debendranath)・タゴールが1960年代頃購入している。(購入の際にはいくつかの条件があったことが当時の土地権利書(Land Deed)から分かる。詳細は別稿にて記したい。)その土地に一つの建物が建設され、それをシャンティニケタン(平和の館)と名付けたのが、町の始まりである。ラビンドラナートは19世紀末のこの土地の様子を次のように記している。

「ここには、教会の時計塔の響き渡る音もしなければ、近くに人の住む家もない。それゆえ、夕方になっ て小鳥が鳴くのを止めてしまうと、辺りは一面の静けさにおおわれる。」
(「1892 年ジョイシュト(5 月)16 日 ボルブールにて」(『タゴール著作集 第 11 巻 日記・書簡集』 第三文明社、49 頁。))

 当時のシャンティニケタンは荒れ地というべき荒涼とした広大な風景が広がっていたようである。Visva-BharatiのRabindra Bhavana(タゴール博物館)が所蔵する20世紀初頭に撮影されたシャンティニケタンの風景写真がある。

20200307佐藤研吾_2(1922年撮影のシャンティニケタン(北部):Rabindra Bhavana Archive)


20200307佐藤研吾_3(コワイKowaiと呼ばれる川の浸食と堆積が繰り返されることによってできた凹凸ある独特な地形がある地でもある。写真は20世紀初頭のもの。Das Sumit (2012) Architecture of Santiniketan: Tagore's Concept of Space, Niyogi Books.(原資料はRabindra Bhavana Archive))


 こうした荒涼の風景に、20世紀初頭の人間がどのように集まり、どのような学校、町を作っていったのか。残された史料から当時の風景の移り変わりを復元するとともに、人と自然、そして居場所作りの関わり合いを考えたい。
 今回の投稿が38回目と、すでにだいぶ回を重ねてしまっているが、次回以降もしばらくはこのシャンティニケタンの風景の話を記してみたいと思う。
さとう けんご

佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。

◆佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。

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sato-02佐藤研吾 Kengo SATO
《日本からシャンティニケタンへ送る家具1》
2017年
木、柿渋、アクリル
H110cm
Photo by comuramai
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2014年05月18日|駒井哲郎の新発掘の木版画、再び現る~駒井哲郎を追いかけて第56回
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