花田佳明のエッセイ「建築家・松村正恒研究と日土小学校の保存再生をめぐる個人的小史」第9回(最終回~今後は著者のnoteへ~)

2005年:鈴木博之先生と重要文化財という言葉の登場~シンポジウム「八幡浜の文化資産を考える-日土小学校の再生を目指して-」

花田佳明(神戸芸術工科大学教授)


 2005年8月に第2回目の夏の建築学校は何とか実施できたものの、日土小学校をめぐる状況は厳しいままだった。
 八幡浜市は同年9月に、行政・議会・商工会・学校の関係者、日土小学校の保護者、日土地区の地元関係者などからなる「八幡浜市立日土小学校再生計画検討委員会」を立ち上げた。しかし、これまでの保存活動を担ってきたメンバーからは、建築の専門家として愛媛大学の曲田清維先生と地元関係者として木霊の学校日土会の菊池勝徳さんが委員に採用されただけで、正直言って不安は募るばかりだった。
 そこで、保存活動のやり方やその組織のあり方の再検討が急務となった。9月から11月末までの間に、手元に残る資料によれば7回の検討会が松山で開かれている。メンバーは、曲田先生を筆頭に、最終的に改修設計の実務を担うことになる愛媛県の建築家の和田耕一さんと武智和臣さん、賀村智さんをはじめとする愛媛県のJIAの関係者、建築学会四国支部の事務局も兼ねる建築関係者、木霊の学校日土会の方などで構成され、もちろん私も可能な範囲で出席した。
 詳しく記す紙幅はないが、そこではさまざまなことがらについて議論が交わされた。改修方針と具体的な改修案、改修のための補助金の仕組み、建て替えを希望する方々への説明の仕方、地元の状況報告等である。また10月29日の会議では、この集まりを「日土小学校を考えるネットワーク」と命名して、委員長が曲田先生、事務局長がJIAの賀村さん、連絡先はJIA四国支部事務所とし、建築学会、JIA、木霊の学校日土会、松山の建築家のグループ(松山建築楽会)等で緊密に連携していく体制へと再構築することが決定された。
 そしてこの3ヶ月間の集中的な議論と調整の成果を示す機会として、2005年12月10日(土)に八幡浜市において、市民の皆さん、行政関係者、日土小学校関係者など多くの方々に向けたシンポジウムを開き、日土小学校の価値を訴え、具体的な改修案も提示しようということになったのである。
 シンポジウムの名称は「八幡浜の文化資産を考える—日土小学校の再生を目指して—」、会場は八幡浜商工会議所と決まり、プログラムの検討、改修案の検討、チラシ作成、広報計画など、さまざまな準備が進んでいった。

009・001・・51210蜈ォ蟷。豬懊す繝ウ繝帙z縺。繧峨@シンポジウムのチラシ


 このシンポジウムは、日土小学校の保存活動のその後の流れを決定づけるきわめて重要なものになった。その主な理由は以下の3点である。
(1)新たなメンバーの参加
(2)重要文化財指定の可能性の指摘
(3)具体的な改修案の提示
 まずは(1)について。このシンポジウムで状況を変えるためにはメンバーの強化が必要であるという判断から、登壇者として、学校建築が専門の吉村彰先生(東京電機大学教授)、木構造が専門の腰原幹雄先生(当時東京大学助教授、現在教授)、故・鈴木博之先生(当時東京大学教授、ドコモモジャパン代表)をお呼びした。そしてこの3名の方々には、後に結成された「日本建築学会四国支部日土小学校保存再生特別委員会」のメンバーとして保存再生活動の最後までご協力いただき、鈴木先生にはその委員長を、腰原先生には耐震設計をお願いしたのである。
 鈴木先生と吉村先生は曲田先生や私からお声がけできたが、木構造分野のことはわからず、連載5回目に書いた「木の建築フォラム」でご縁ができた東大の坂本功先生に相談した。そしてご推薦いただいたのが腰原先生だった。腰原先生は、青木淳さんなどの建築家とも仕事をしている構造家で、デザインにも一家言あり、耐震設計の打ち合わせは実に楽しいものになった。後に坂本先生は、「私が日土小学校の保存にお役に立ったことがあるとしたら、腰原さんを紹介したことですね」とおっしゃった。
 どなたも日土小学校を実際にはご覧になっていなかったので、シンポジウム当日の午前中に現地へお連れした。ドコモモジャパンから建築家の桐原武志さんも同行された。とくに鈴木先生がどういう感想をもたれるか心配で、たいへんに緊張した。私は12月の午前中に校舎を見るのは初めてで、低い角度で冬の光が差し込み、あちこちの空間がやけに神々しく見えたことをよく覚えている。

009・002・乗律蝨溷ー丞ュヲ譬。函日土小学校のテラスに立つ鈴木先生

009・003・乗律蝨溷ー丞ュヲ譬函教室の椅子に座る鈴木先生

009・004・丞承縺九i閻ー函右から腰原先生、桐原さん、曲田先生、鈴木先生

009・005・丈クュ譬。闊弱・髫取ョオ冬の光が射す中校舎の階段

 13時から八幡浜商工会議所でシンポジウムが始まった。(2)と(3)はそちらでの話である。
 コーディネータ役が私で、愛媛大学の曲田先生とJIAの賀村智さんの3人で司会席に座った。パネリストは、鈴木先生、吉村先生、腰原先生、そして和田耕一さんと武智和臣さんも改修案の説明役で登壇した。会場には様々な資料も展示され、A4で20数頁の資料も配られた。約200人の人が集り、会場は満席。テレビカメラも入っていた。

009・006・丈シ壼エ縺ョ讒伜ュ撰シ域聴蠖ア・晏セウ・会場の様子(撮影:菊池勝徳)

009・007・丈シ壼エ縺セウ・会場の様子(撮影:菊池勝徳)

009・008・丈シ壼エ縺聴蠖ア・夊所豎蜍晏セウ・会場に展示された資料(撮影:菊池勝徳)

 まず私から、日土小学校と松村正恒の概要、そして今回のシンポジウムを開くに至った経緯を説明した。また、ドコモモジャパンがドコモモ本部や世界各地の支部へ日土小学校が危機的状況にあることを発信して支援を求めたところ、オランダ、イスラエル、ブルガリア、トルコ各支部からメッセージが届き、資料集に原文と訳文を収めたのでその紹介も行った。
 最初に鈴木先生が「ドコモモと日土小」と題して講演をされた。午前中に見た日土小学校の印象を「子供たちのための教室を一番中心に考えた設計だということがよくわかった」といった言葉で語られ、素晴らしい建築であると評価された。そして、現在、1950年代の近代建築をどうするかということが大きな課題になっているが、神奈川県立音楽堂(設計:前川國男)や高崎の井上邸(設計:アントニン・レーモンド)は保存され、国際文化会館(設計:前川國男、坂倉準三、吉村順三)は専門家の提案を受け入れて改修工事中であるといった事例を紹介された。さらに、木造建築には解体修理という道があり、日土小学校は八幡浜の文化性や1950年代の理想を形にした建物といえるので、ぜひ残すべきであると熱く語られた。

009・009隰帶シ比クュ縺・夊所豎蜍晏セウ・講演中の鈴木博之先生(撮影:菊池勝徳)

 吉村先生からは、国内外の優れた学校事例、国内の学校改修事例、そして学校の安全を守るさまざまな方法と考え方の紹介などが行われた。
 腰原先生からは、メンテナンスをしながら建築を使い続けて行くことの重要性が語られた。そして、日土小学校は工学的に考えられた木構造であり、耐震性能の「量」は今の基準からすると少ないかもしれないが耐震設計上必要な「要素」は十分に備えており、それらを補強する方法はいくらでも考えられると言っていただいた。午前中に現地を見たが、床下換気口や鉄筋の水平ブレースもあり、耐震補強の可能性は十分にあると判断できたので、今は気分が楽になっているともおっしゃった。
 そして和田さんと武智さんから、「日土小学校を考えるネットワーク」で考えた改修案の説明が行われた。中校舎は職員室の上に吹き抜けを作りメディアセンターとする、東校舎は普通教室として使い続けるが昇降口まわりには図書コーナーを追加する、さらに西校舎を壊して新しく地域交流センターを作るといった内容で、今から思うといささか大胆すぎる改修案だ。しかし、各所の使われ方を描いたパースや類似事例の写真なども示し、こんなふうに蘇らせることもできるのだということをアピールする役割を十分に果たしたと思う。

009・010・乗署遉コ縺輔z繝提示された改修案のコンセプト

009・011・乗署遉コケウ髱「蝗ウ提示された改修案の1・2階平面図

 そして、どのタイミングだったか正確な記憶がないのだが、鈴木先生から重大発言が出た。それは、「戦後50年を過ぎた現在、戦後建築の重要文化財指定の気運は高まりつつある。その動きのなかで日土小学校が重要文化財に指定される可能性は極めて高いということをくれぐれも銘記しておいて頂きたい」というものである。
 このような発言をされることは鈴木先生から事前に聞かされておらず、私は大変に驚き、隣に座る曲田先生と顔を見合わせたことをよく覚えている。「え、そんなこと言って大丈夫なの?」「保存どころかさらに大きな宿題を抱えることになるぞ」、そんな心配が頭をよぎったわけである。
 しかしいうまでもなくこの発言は、行政から市民までの多くの人々や新聞等各種メディアの日土小学校に対する評価に変更を迫る力を発揮することになっていった。
 最後に、会場に来られている方にも発言をお願いした。1932年に建設された校舎の旧双海町立翠小学校の保存問題を抱える伊予市教育長の上田稔さんからは、「ぜひ互いにネットワークをつくりましょう」という提案が出て、会場は拍手の渦に包まれた。ちなみに同校はその後、環境省の「学校エコ改修と環境教育事業」に選ばれ、武智さんらの設計で保存再生され、現役の校舎として使い続けられている。
 それ以外に、有形登録文化財の建物を有する八幡浜市の梅美人酒造の社長・上田さん、松村正恒が松山で独立後に本社屋(現存)を設計した株式会社キクノの常務取締役・菊野先一さんなどからも、それぞれ建物を大切に使っているとのお話をいただいた。
 13時から始まって気がついてみると17時半。4時間半もの長丁場に途中退席者はほとんどなく、シンポジウムは熱い熱気に包まれたまま終了したのであった。


 このシンポジウムは、さまざまな新聞やテレビで報道された。当時、木霊の学校日土会の菊池勝徳さんから送られてきた画像を貼っておく。

009・012・上す繝ウ繝・0譌・螟懊・蜊玲オキ謾セ騾シンポジウム当日・12月10日夜の南海放送でのテレビ報道

009・013・・005蟷エ12譛・1譌・縺ョ譛晄律譁ー閨2005年12月11日の朝日新聞

009・014・・005蟷エ12譛・4譌・縺ョ蜈ォ蟷。2005年12月14日の八幡浜新聞

009・015・・005蟷エ12譛蜈ォ蟷。豬懈眠閨2005年12月15日の南海日日新聞

009・016・・005蟷エ12・蜈ォ蟷。豬懈眠閨2005年12月20日八幡浜新聞

 そしてシンポジウムから10日後の12月20日に、シンポジウムで提案した日土小学校の改修案を、学校関係者や住民との今後の調整を前提にした「試案」として、JIA四国支部長の賀村智さんらが八幡浜市の高橋英吾市長に提出した。その後、今回の冒頭に書いた「八幡浜市立日土小学校再生計画検討委員会」にも提示されたが、建て替えを希望する地元の皆さんの意見はあいかわらず強く、2006年の前半は厳しい状況がそのまま続いたのであった。

009・017・乗隼菫ョ帛ェ帶オ懈眠閨槭・險倅コ改修試案の提出を伝える2005年12月21日愛媛浜新聞の記事

009・018・冗ャャ莠悟屓繧・譛・3譌・諢帛ェ帶オ懈眠閨槭・險倅コ第二回の「八幡浜市立日土小学校再生計画検討委員会」の様子を伝える2005年12月23日愛媛浜新聞の記事

 しかし、これは次回以降の予告になるが、2006年中頃に八幡浜市はついに日土小学校の保存再生を決定し、日本建築学会四国支部へ現況調査と基本計画の策定を正式に依頼する。今回のシンポジウムは、そこへの道筋をつけたきわめて重要なものであったとあらためて感慨深く思った次第である。

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【お知らせ】
今回でほぼ1年間、連載を続けてきました。これで私が想定している全体構成からすると三分の一まで来た感じです。次の三分の一が改修工事完了までのプロセス、最後の三分の一が改修工事完了後の出来事(WMFの賞の受賞や重文指定など)です。
この間、ギャラリー「ときの忘れもの」の皆様には、ネット上の場所をご提供いただき、そこへの記事掲載作業をお願いしてきたわけですが、これ以上ご迷惑をおかけするわけにもいかないと判断し、次回からは自分のnoteへ移行して書き続けていくことにいたしました。これまでの原稿もそこへ移します。
「ときの忘れもの」の皆様には感謝の言葉しかありません。誠にありがとうございました。
noteの記事をアップしたら私のツイッターでお知らせしますので、引き続きご愛読いただければ幸いです。
はなだ よしあき

♦花田佳明のエッセイ「建築家・松村正恒研究と日土小学校の保存再生をめぐる個人的小史」は毎月14日に掲載しました。
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花田佳明 Yoshiaki HANADA
1956年生まれ。1980年東京大学工学部建築学科卒業、1982年同大学院修士課程建築学専攻修了。日建設計を経て、1997年神戸芸術工科大学環境デザイン学科助教授、現在同教授。博士(工学)。著書に『植田実の編集現場』(ラトルズ、2005年)、『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』(鹿島出版会、2011年)、『日土小学校の保存と再生』(共編著、鹿島出版会、2016年)、『老建築稼の歩んだ道 松村正恒著作集』(編、鹿島出版会、2018年)。

●本日のお勧め作品は、アントニン・レーモンドです。
raymond_01_workアントニン・レーモンド Antonin RAYMOND
「作品」
1957年
水彩・紙
21.0x27.5cm
サインあり
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2018年05月04日|「中心のある家」阿部勤邸を訪ねて
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