宮森敬子のエッセイ 「ゆらぎの中で」 第3回
中国での仕事 (後編)
新型ウイルスの報道が続いています。このエッセイを書いているニューヨークでも、数日前に第1号の感染者が報告され、ハンドサニタイザー(手指の消毒液)は売り切れ、街のスーパーにも在庫はありません。いつも賑わっている私のスタジオの近くの韓国系カフェにも人影がありませんでした。
エッセイの本題とは少し外れますが、こんな時に、各人の本性というものが出ると思います。本当に必要とする人にマスクが行き渡ることが叶わない、アジア人への差別も行われている、という悲しい報道もあります。 “人間の持つ自然” はやはり 「万人の万人に対する戦い」 なのでしょうか。
前回は、杭州千島湖畔のホテルが運営する “人工島” に設置した作品について書かせていただきました。 今回は(後編)として、ホテルの別館に展示した作品について書きたいと思います。作品のタイトルは 「这里是相聚的地方 (This place we gather together) 」、 「相聚」 の発音はxiāng jù で “集まる” という意味で、 日本語タイトルですと 「ここに集まってきたものたち」 です。

「这里是相聚的地方 (This place we gather together)」 (部分) 和紙、木炭、古道具、瓦、石、木片 2020年 於 Hotel Karen (杭州省、中国)
今回、私に与えられた空間は、本館に囲まれた敷地に建つガラス張りの小さな建物の内部でした。表面がしっとり美しい木製棚が品良く並んでおり、本館、中庭に植林された立派な松や桜などが見えます。無造作な寄せ集めにも見えますが、建築家によって緻密に考えられた空間でもあります。 “ここに集まってくる” のは、主に現代中国の富裕層で、島の周りではクルーズや散策を楽しみ、ホテル内では “美術” も楽しめる、そのような空間が期待されているのでした。
「这里是相聚的地方 (This place we gather together)」 (展示途中) 2020年 於 Hotel Karen (杭州省、中国)
2年前、まだ建設中の同ホテルロビーに設置した作品 「和氏之璧(かしのへき)」 を制作したときは、「土地の歴史に寄り添うように」 という思いがありました。今回も同様に、周辺の村々に出かけて、かつて使われていた農具や家具、瓦、村人が使っていた食器などを集めてきました。数年前と比べて、駅周辺や湖畔周りに、ものすごい数の建物ができ、山村に続く途中にも、高速道路が完成していました。いくつものビルを連動させた、壮大な夜のイルミネーションは政府出資で行われているそうで、規模の大きさには本当に驚かされます。
ホテルの郊外にある村々で集められたもの (2020年 1月撮影)
前回書いたように、千島湖は、今から61年前(1959年)に完成したダムによる浸水で出来ましたが、その地には、都市や農村地区が広がっていました。(建設は毛沢東が国民の土地や財産を取り上げ共有化した「大躍進政策」 に先駆けて、1956年に開始されていました) ダムによって住む場を失った人たちは、周辺の村に移るか、山頭で残った島に住むことになったのだと思います。その後1982年に “国家級風景名勝区” として観光事業の的となり、政府がホテルなどに人工島の “使用権” を売り始めると、島に住んでいた人も島の外に追いやられました。
このような背景があるので、村に私がホテルの従業員と車で乗り付けて 「何か見せてください」 といっても相手にしてもらえなかったでしょう。ホテルにも日本人にも良い感情を持たない人もいたと思います。
材料探しの旅に付き合ってくれた”老爷”lāoyeさんとホテル周辺の村を訪ねる (2020年 1月撮影)
今回、案内役を引き置けてくれた “老爷lāoye(ラオジェ)” さんは、幼少期から人工島に住んでいましたが、今はホテルに雇われて、逆に島に通っています。(親しみと尊敬を持って “老爷(おじいさん)” という名で呼ばれていました) いつもタバコをふかしながら、よく働き、本当にかっこよく年を重ねた方です。
老爷さんが村人の敷地に入ってゆき、タバコをさっと渡して世間話をし、おもむろに後ろに控えている私たちのことを紹介すると、不思議とみんなが協力してくれるのでした。 尊敬されている人柄ということもありますが、昔からの島の住人である彼が 「ホテルに何か村の思い出を持ち込みたい」 という考えを伝えてくれたからだと思います。(ちなみに老爷さんはチップを一切受け取らず、タバコをもらってもらうのがやっとでした。)
村で、古い道具を探しているところ (右上の女性はホテル従業員のSunnyさん) (2020年 1月撮影)
幸い、私には前の訪問で仲良くなった村の家族もいて、彼らも村の人と私を繋いでくれました。(ただし、住所のない彼らの家にたどり着くには、やはり老爷さんの力が必要でした) これらの時間は私にとって、大切な作品の一部となりました。
前回(2018年に尋ねた汪家(wāng jiā)村の女性 (左) と今回(2020年)に訪れた村の方たち (右)
持ち帰ったものは、ホテルの一角に運んでもらって、トリートメントします。日本語からの助っ人(山中七海ちゃん)も私も中国語ができなかったにも関わらず、作業が進むにつれ、現場の作業員の方とも親しくなってゆきました。(中国の作家は自分で作業しない人が多いそうですので、ドロドロになって下準備をする私を見て、親しみを持ってもらえたのかも知れません) 皆の素朴さ、暖かさ、心のこもった食事、そして、毎日見る美しい風景。これが人工であっても、やはり癒されます。
制作に入る前、集めたものは洗浄、アルコール消毒、石灰トリートメント、透明樹脂コーティングされます (2020年1月 撮影)
最後に、日本から持ってきた和紙に “樹拓(じゅたく)” を採る過程を少し書きたいと思います。 “拓” というと、 “魚拓” を思う方が多いのですが、実際は樹の表面に和紙をあて、その上から木炭で擦るので、西洋の “フロッタージュ” 技法、 東洋ですと “乾拓” に近い方法です。村を散策して集めた木炭を使って、ホテル敷地内に植林された樹の表面の拓を採ってゆきました。
ホテル周辺の村々で集められた木炭 (2020年1月撮影)
異なる厚みの和紙上に採集された、ホテル敷地内に植林されている樹の拓 (2020年1月撮影)
このようにして採集された “樹拓” を トリートメントの終了したオブジェに張り込んでゆきます。作品は、オリジナルの表面を一部見せながら包んでゆくことにし、この地の歴史について書いた本を集めて一緒に展示することにしました。タイトルである 「这里是相聚的地方 (This place we gather together)」 の 「ここに集まってきたものたち」 は、この地に住み着いた古代の人から、人工的に作り変えられた場に集まる現代の人たち、そこにあったもの、ここにあるものの総称です。 それらが何かの縁でここに集まっている、と想像する場にできたら、と思っています。
会場で私は、村の納屋に打ち捨てられていたオブジェたちにとって、ここに集まってくる人たちはどのように見えているのかな、と考えていました。丁寧に漉いた和紙で化粧されて上品に並べられ、もっともらしく鑑賞されることは、気恥ずかしい思いと、ちょっと誇らしい気持ちが混ざった感じではないでしょうか?それは、オブジェを譲ってくれた、村の人たちに私が感じたものと少し近い気がしました。
“樹拓”で覆われた古い農具と割れた器、この地の歴史本 2020年 於 Hotel Karen (杭州省、中国)
人口の湖と植林された樹々。人間の強引な力で変化した地形を見ると、自然を(自分が思うように)変えてゆきたい、と願うことが人間の本能(自然)の一部のように思わされます。強いegoに支えられた創造と破壊。善とか悪とかを凌駕した、むき出しの生のエネルギーの強さを、中国で感じました。
ここで冒頭の「人間の持つ自然」の話題に戻りますが、人間が自然の一部であるとすると、それがどのような本性でも、最終的には、大きな意味での “自然” の姿に取り込まれてゆく、という気がします。人間の行いには、(善とか悪とかいう観念を含め)常に多様性があるのが自然ではないかと思います。ちなみに芸術も、「人間の持つ自然」の一部であるからこそ、いつの時代も人はそれを考え、多くの作品を生み出し続けてきました。いつか人類が無くなってしまうということがわかっていても、それは続くのです。
次回は、私が各地で集めた「樹拓」について、書かせていただこうと思います。
『鸟和它的家(A place to perch, if for a moment)』 (前回記) が展示されている小島を望んで (2020年1月 撮影)
(みやもり けいこ)
■宮森敬子 Keiko MIYAMORI
1964年横浜市生まれ 。筑波大学芸術研究科絵画専攻日本画コース修了。和紙や木炭を使い、異なる時間や場所に存在する自然や人工物の組み合わせを、個と全体のつながりに注目した作品を作っている。
●宮森敬子のエッセイ「ゆらぎの中で」は毎月17日に更新します。どうぞご愛読ください。
●本日のお勧め作品はオノサト・トシノブです。
オノサト・トシノブ
「作品(黒とグレー)」
1958 水彩
18.8×28.2cm
Signed
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2012年12月01日|金平茂紀のエッセイ 「異邦のノスタルジア」~大竹昭子写真展
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◆ときの忘れものは版画・写真のエディション作品などをアマゾンに出品しています。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
中国での仕事 (後編)
新型ウイルスの報道が続いています。このエッセイを書いているニューヨークでも、数日前に第1号の感染者が報告され、ハンドサニタイザー(手指の消毒液)は売り切れ、街のスーパーにも在庫はありません。いつも賑わっている私のスタジオの近くの韓国系カフェにも人影がありませんでした。
エッセイの本題とは少し外れますが、こんな時に、各人の本性というものが出ると思います。本当に必要とする人にマスクが行き渡ることが叶わない、アジア人への差別も行われている、という悲しい報道もあります。 “人間の持つ自然” はやはり 「万人の万人に対する戦い」 なのでしょうか。
前回は、杭州千島湖畔のホテルが運営する “人工島” に設置した作品について書かせていただきました。 今回は(後編)として、ホテルの別館に展示した作品について書きたいと思います。作品のタイトルは 「这里是相聚的地方 (This place we gather together) 」、 「相聚」 の発音はxiāng jù で “集まる” という意味で、 日本語タイトルですと 「ここに集まってきたものたち」 です。

「这里是相聚的地方 (This place we gather together)」 (部分) 和紙、木炭、古道具、瓦、石、木片 2020年 於 Hotel Karen (杭州省、中国)
今回、私に与えられた空間は、本館に囲まれた敷地に建つガラス張りの小さな建物の内部でした。表面がしっとり美しい木製棚が品良く並んでおり、本館、中庭に植林された立派な松や桜などが見えます。無造作な寄せ集めにも見えますが、建築家によって緻密に考えられた空間でもあります。 “ここに集まってくる” のは、主に現代中国の富裕層で、島の周りではクルーズや散策を楽しみ、ホテル内では “美術” も楽しめる、そのような空間が期待されているのでした。
「这里是相聚的地方 (This place we gather together)」 (展示途中) 2020年 於 Hotel Karen (杭州省、中国)2年前、まだ建設中の同ホテルロビーに設置した作品 「和氏之璧(かしのへき)」 を制作したときは、「土地の歴史に寄り添うように」 という思いがありました。今回も同様に、周辺の村々に出かけて、かつて使われていた農具や家具、瓦、村人が使っていた食器などを集めてきました。数年前と比べて、駅周辺や湖畔周りに、ものすごい数の建物ができ、山村に続く途中にも、高速道路が完成していました。いくつものビルを連動させた、壮大な夜のイルミネーションは政府出資で行われているそうで、規模の大きさには本当に驚かされます。
ホテルの郊外にある村々で集められたもの (2020年 1月撮影)前回書いたように、千島湖は、今から61年前(1959年)に完成したダムによる浸水で出来ましたが、その地には、都市や農村地区が広がっていました。(建設は毛沢東が国民の土地や財産を取り上げ共有化した「大躍進政策」 に先駆けて、1956年に開始されていました) ダムによって住む場を失った人たちは、周辺の村に移るか、山頭で残った島に住むことになったのだと思います。その後1982年に “国家級風景名勝区” として観光事業の的となり、政府がホテルなどに人工島の “使用権” を売り始めると、島に住んでいた人も島の外に追いやられました。
このような背景があるので、村に私がホテルの従業員と車で乗り付けて 「何か見せてください」 といっても相手にしてもらえなかったでしょう。ホテルにも日本人にも良い感情を持たない人もいたと思います。
材料探しの旅に付き合ってくれた”老爷”lāoyeさんとホテル周辺の村を訪ねる (2020年 1月撮影)今回、案内役を引き置けてくれた “老爷lāoye(ラオジェ)” さんは、幼少期から人工島に住んでいましたが、今はホテルに雇われて、逆に島に通っています。(親しみと尊敬を持って “老爷(おじいさん)” という名で呼ばれていました) いつもタバコをふかしながら、よく働き、本当にかっこよく年を重ねた方です。
老爷さんが村人の敷地に入ってゆき、タバコをさっと渡して世間話をし、おもむろに後ろに控えている私たちのことを紹介すると、不思議とみんなが協力してくれるのでした。 尊敬されている人柄ということもありますが、昔からの島の住人である彼が 「ホテルに何か村の思い出を持ち込みたい」 という考えを伝えてくれたからだと思います。(ちなみに老爷さんはチップを一切受け取らず、タバコをもらってもらうのがやっとでした。)
村で、古い道具を探しているところ (右上の女性はホテル従業員のSunnyさん) (2020年 1月撮影)幸い、私には前の訪問で仲良くなった村の家族もいて、彼らも村の人と私を繋いでくれました。(ただし、住所のない彼らの家にたどり着くには、やはり老爷さんの力が必要でした) これらの時間は私にとって、大切な作品の一部となりました。
前回(2018年に尋ねた汪家(wāng jiā)村の女性 (左) と今回(2020年)に訪れた村の方たち (右)持ち帰ったものは、ホテルの一角に運んでもらって、トリートメントします。日本語からの助っ人(山中七海ちゃん)も私も中国語ができなかったにも関わらず、作業が進むにつれ、現場の作業員の方とも親しくなってゆきました。(中国の作家は自分で作業しない人が多いそうですので、ドロドロになって下準備をする私を見て、親しみを持ってもらえたのかも知れません) 皆の素朴さ、暖かさ、心のこもった食事、そして、毎日見る美しい風景。これが人工であっても、やはり癒されます。
制作に入る前、集めたものは洗浄、アルコール消毒、石灰トリートメント、透明樹脂コーティングされます (2020年1月 撮影)最後に、日本から持ってきた和紙に “樹拓(じゅたく)” を採る過程を少し書きたいと思います。 “拓” というと、 “魚拓” を思う方が多いのですが、実際は樹の表面に和紙をあて、その上から木炭で擦るので、西洋の “フロッタージュ” 技法、 東洋ですと “乾拓” に近い方法です。村を散策して集めた木炭を使って、ホテル敷地内に植林された樹の表面の拓を採ってゆきました。
ホテル周辺の村々で集められた木炭 (2020年1月撮影)
異なる厚みの和紙上に採集された、ホテル敷地内に植林されている樹の拓 (2020年1月撮影)このようにして採集された “樹拓” を トリートメントの終了したオブジェに張り込んでゆきます。作品は、オリジナルの表面を一部見せながら包んでゆくことにし、この地の歴史について書いた本を集めて一緒に展示することにしました。タイトルである 「这里是相聚的地方 (This place we gather together)」 の 「ここに集まってきたものたち」 は、この地に住み着いた古代の人から、人工的に作り変えられた場に集まる現代の人たち、そこにあったもの、ここにあるものの総称です。 それらが何かの縁でここに集まっている、と想像する場にできたら、と思っています。
会場で私は、村の納屋に打ち捨てられていたオブジェたちにとって、ここに集まってくる人たちはどのように見えているのかな、と考えていました。丁寧に漉いた和紙で化粧されて上品に並べられ、もっともらしく鑑賞されることは、気恥ずかしい思いと、ちょっと誇らしい気持ちが混ざった感じではないでしょうか?それは、オブジェを譲ってくれた、村の人たちに私が感じたものと少し近い気がしました。
“樹拓”で覆われた古い農具と割れた器、この地の歴史本 2020年 於 Hotel Karen (杭州省、中国)人口の湖と植林された樹々。人間の強引な力で変化した地形を見ると、自然を(自分が思うように)変えてゆきたい、と願うことが人間の本能(自然)の一部のように思わされます。強いegoに支えられた創造と破壊。善とか悪とかを凌駕した、むき出しの生のエネルギーの強さを、中国で感じました。
ここで冒頭の「人間の持つ自然」の話題に戻りますが、人間が自然の一部であるとすると、それがどのような本性でも、最終的には、大きな意味での “自然” の姿に取り込まれてゆく、という気がします。人間の行いには、(善とか悪とかいう観念を含め)常に多様性があるのが自然ではないかと思います。ちなみに芸術も、「人間の持つ自然」の一部であるからこそ、いつの時代も人はそれを考え、多くの作品を生み出し続けてきました。いつか人類が無くなってしまうということがわかっていても、それは続くのです。
次回は、私が各地で集めた「樹拓」について、書かせていただこうと思います。
『鸟和它的家(A place to perch, if for a moment)』 (前回記) が展示されている小島を望んで (2020年1月 撮影)(みやもり けいこ)
■宮森敬子 Keiko MIYAMORI
1964年横浜市生まれ 。筑波大学芸術研究科絵画専攻日本画コース修了。和紙や木炭を使い、異なる時間や場所に存在する自然や人工物の組み合わせを、個と全体のつながりに注目した作品を作っている。
●宮森敬子のエッセイ「ゆらぎの中で」は毎月17日に更新します。どうぞご愛読ください。
●本日のお勧め作品はオノサト・トシノブです。
オノサト・トシノブ「作品(黒とグレー)」
1958 水彩
18.8×28.2cm
Signed
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2012年12月01日|金平茂紀のエッセイ 「異邦のノスタルジア」~大竹昭子写真展
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