王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」第7回

「没後10年 瀬川康男 坦雲邸日乗ー絵と物語のあわい」展を訪れて

 ちひろ美術館・東京で2020年3月1日から6月21日まで開催(予定)の「没後10年 瀬川康男 坦雲邸日乗ー絵と物語のあわい」展を訪問しました。

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 本展覧会に興味を持ったのは、昨年絵本を扱う企画のリサーチをしていたところ、1967年の初版以来ベストセラーであり続けている赤ちゃん向けの絵本『いいおかお』、『いないいないばあ』と再会したからです。これらは絵本画家の瀬川康男が30代に挿絵を手掛けた仕事で、乾くと耐水性を発揮するアクリル絵具で下絵を描き、その上に典具帳という極薄い和紙を載せ、水で薄めた不透明水彩絵具(グワッシュ)で着彩してから典具帳を剥がすという工程で描かれました。その結果、典具帳を滲み出てアクリル絵具にはじかれた水彩絵具の効果による独特の風合いが印象に残っていたのです。

王聖美の画像3いいおかお絵本・童心社『いいおかお』より

 展覧会は瀬川康男の半生を記した日記『坦雲邸日乗』とノートに綴ったことばが、作品とともに展示されています。サブタイトルは瀬川のことば「絵からものがたりが生まれる ものがたりから絵が生まれる そのあわいのところで おれは生きていたい」からとったもので、精力的に画風を進化させ続けた画家の探究心と日常への深い慈しみが表現された展覧会でした。

1、瀬川康男について
 瀬川康男(1932-2010)は愛知県岡崎市に生まれ、10代前半から絵を描き始めます。イラスト制作を経て絵本画家として活躍しました。20代後半から絵本画家として高い評価を受けますが、1977年(45歳)に仕事に追われる日々から逃れ群馬県北軽井沢へ転居、植物写生を通じて自然の形と向き合う日々を過ごしました。1982年(50歳)に長野県小県郡青木村の藁葺き屋根の家を借り「坦雲邸(たんうんてい)」と名付け、アトリエで観音像、女人像、不動明王像を連続して何枚もの絵をかきあげる「早描き」を通じて絵を掘り下げていきました。その後も77歳に亡くなるまで長野県小県郡青木村で暮らし、現在は油画、日本画やリトグラフが刈谷市美術館に所蔵されています。古今東西の美術を吸収し、絵本の挿絵にさまざまな画材や技法を取り入れ、作品によって意欲的に画風を変えた画家だったといえます。本展覧会で挙げられた作品の数々は、山郷で絵の技術と感性を磨き、鍛錬を積み重ねた時間がその後の更なる豊かな作品の源泉となったことを物語っています。

2、展覧会について
 1階展示室では、山郷に越してから描かれた植物写生8点、“早描き”10点、『虫のわらべうた』(1986)、『ぼうし』(1983)、『だれかがよんだ』(1989)、『かっぱかぞえうた』(1993)など絵本6作品の原画、アトリエにあった画材や画集が展示されています。絵本原画の素材は顔彩、墨、膠テンペラ、マーカーなどさまざまで、瀬川が一緒に暮らしていた犬たちや近所から遊びに来る女の子などがモデルになっています。

 『ちょっときて』(1996)は、細いマーカーで描かれ、雲型定規を用いて引いたような曲線と細かい紋様が使われた表現で、ねずみがねこに「もってきて」「もっていって」「いかないで」と甘える姿が描かれています。ねずみは再婚した妻がモデルだそうですが、恋人・子弟・親子関係にもあてはまり、見守る者の深い情愛と見守られる側の信頼が感じられます。

王聖美の画像4ちょっときて絵本・小学館『ちょっときて』より

 『ひなとてんぐ』(2004)は、瀬川が最後に手がけた絵本で、天狗のたろうと子犬のひなの話です。心地よいことばのリズムで進行する物語は、飼っていた子犬の無邪気さと天狗の器の大きさに心が温まります。画材には石膏、テンペラ、墨が使われ、着物の柄として装飾の紋様が随所に施されています。

王聖美の画像5ひなとてんぐ絵本・童心社『ひなとてんぐ』より

 2階展示室では、絵巻平家物語22点と、河童、観音、女人を含む生き物8点が展示されています。中でも2005年に完成した《緋にとぶ》、《夢にとぶ》、《月にとぶ》の3点は、洋画の画材であるアクリルとグワッシュ、そして日本画の画材である顔彩と墨を併用した作品です。いずれもパウル・クレー《新しい天使》を思わせるような神秘的な作品で、羽や足下に動きのあるフクロウが視線を正面に向け、無数の紋様に埋められています。

王聖美の画像6月にとぶポストカード『月にとぶ』


3、ちひろ美術館・東京について
 ちひろ美術館・東京は1977年のまだ絵本がまだ十分に美術として評価されていなかった時代に開館しました。練馬区下石神井のいわさきちひろの自宅兼アトリエ跡から出発し、増改築を経て2002年に内藤廣さんの設計で建て替えられます。内藤廣さんは海の博物館、安曇野ちひろ美術館、牧野富太郎記念館、島根県芸術文化センター、富山県美術館、福井県年縞博物館などの数多くのミュージアム建築も手掛けてこられた建築家で、過去から流れる時間を意識することで立ち現れる「素形」と、人々が過ごした時間や空間の記憶が建築を育むことを一貫して示されてきました。
 ちひろ美術館・東京の建て替えにあたっても、敷地に積み重ねられてきた時間と記憶が未来に継承される建築が目指されました。当時からあった3本のケヤキを含む中庭と「ちひろの庭」を残し、建て替え前の3棟の配置を踏襲した3棟に1棟を増設し、合わせて4棟の多角形状ブロックが二つの庭を囲っています。来館者は4棟の建物の上下階と庭を巡る経路になっており、4つの展示室、カフェ、ショップ、絵本のための図書室と木の玩具で遊べるこどものへやがあります。リニューアル後今年で18年が経ちますが、筆者が訪れた日も多くの地元の乳幼児親子が来館しており、地域住民にとっても滞在型の居場所になっている様子がうかがえました。
 現在、多くの公共施設が臨時休館を余儀なくされ、本来の市民や子どもの居場所・シェルターが機能していないことに心が痛みます。安直な言葉にはなりますが、一日も早く安心して過ごせる場所が戻ってきてほしいと願うばかりです。
おう せいび

■王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ。京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。国内、中国、シンガポールで図書館など教育文化施設の設計職を経て、2018年より建築倉庫ミュージアムに勤務。主な企画に「Wandering Wonder -ここが学ぶ場-」展、「あまねくひらかれる時代の非パブリック」展、「Nomadic Rhapsody-”超移動社会”がもたらす新たな変容-」展、「UNBUILT:Lost or Suspended」展。

●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」は偶数月18日に掲載します。

●展覧会のお知らせ
『没後10年 瀬川康男 坦雲亭日乗―絵と物語の間(あわい)』
会期:2020年3月1日(日)~6月21日(日)
会場:ちひろ美術館・東京 展示室1・2(〒177-0042 東京都練馬区下石神井4-7-2)
今年は瀬川康男の没後10年にあたります。本展では、東京を離れて制作に没頭した1977年以降の作品を、日記につづったことばとともに展示します。『いないいないばあ』で知られる瀬川の、画家としての人生と絵にかけた思いを紹介します。(展覧会サイトより)
※新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、会期、開館情報は変動することがあります。詳しくは公式サイトからご確認ください。

●本日のお勧め作品は百瀬寿です。
momose_02_Square-Y_and_P_by_S_and_G
百瀬寿 Hisashi MOMOSE
"Square - Y and P by S and G"
1984年  シルクスクリーン(作家自刷り)
53.0x53.0cm
Ed.150   サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

*画廊亭主敬白
臨時休廊22日目。
<最優先するべきは、現役生の心情だと思います。
自分たちの代だけ、思うように部活動ができない、というのは、率直に可哀想だなと思います。
大人として、OBとして、手を差し伸べられるところは、手を差し伸べて支援することができたらと思います。それが伝統の継承にもつながると思います。
(高校の後輩Sさんのメールより)>
亭主は高崎高校マンドリンオーケストラのOBです。現役高校生たちとの舞台からは下りましたが毎年夏の定期演奏会には受付で切符のモギリをしています。コロナウイルス感染拡大の事態で新学期になっても部活動は自粛、このままだと文化祭(高崎高校では翠巒祭といいます)はもちろん、夏の定演すら開催が危ぶまれています。コロナウイルス感染拡大の非常事態はどこまで続くのでしょうか。
自宅に籠りきりだとストレスがたまる。たまには映画が見たくなり、パソコン画面で見られる方法はないかとスタッフにメールで尋ねたら、「ワタヌキさんはアマゾンのプレミアム会員なのだからいつでも見られますよ」との返信、でもそこからがわからない。機械音痴は傍に誰かがついててくれないと手も足も出ません(涙)。何とかユーチューブで「命をつなぐバイオリン」(2011年/ドイツ)という字幕入りの映画を見ました。パソコンの設定が悪く肝心の音楽はほとんど聞こえませんでしたが、久しぶりに読書以外の時間を持てました。映画自体は悲劇なので楽しいとはいえませんでしたが・・・

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◎昨日読まれたブログ(archive)/2018年01月08日|戸田穣「紙の上の建築 日本の建築ドローイング1970s―1990s」
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休廊期間中はアポイント制とさせていただき、作品をご覧になりたい方は事前にメールで予約をお願いします。

◆リアルなギャラリー活動がストップした中、ブログでの「一日限定! 破格の掘り出し物」第二弾を4月13日から5月初旬までの奇数日に開催しています。どうぞお見逃しなく。

◆ときの忘れものは版画・写真のエディション作品などをアマゾンに出品しています。

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阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
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