土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」

15.『マルセル・デュシャン語録』To and From Rrose Sélavy~後編

続いて本書刊行の経緯を見ていきましょう。この連載第10回(『点』)でも触れましたが、1958年の欧州旅行から帰国して以降の瀧口の活動は、根本的に変化していました。すなわち、注文に基づく評論が次第に減少する一方、私信の形で自発的に贈呈する詩や序文が増加していきました。さらに自らもドローイングや水彩の制作を開始し、3年ほどの間に、デカルコマニー、バーント・ドローイング(注1)、ロトデッサン(注2)などの多彩な手法を展開しました。美術評論家から造形作家へと大きく姿を変えたともいえるでしょう。こうした変貌のなかで63年頃に着想したのが、引用で触れられている「オブジェの店」をひらく構想であり、この構想と表裏一体となって刊行されたのが本書です。本書の「あとがく」に相当する<Rrose Sélavy考>のなかで、次のように述べています。
注1) バーント・ドローイング:炎で焼け焦がした水彩。周囲を焦がしたもの、平面の内部を焦がしたもの、焦げ穴の下にあてがわれた色紙や銀紙をのぞかせたものなど、いろいろなヴァリエーションがある。デカルコマニーを焦がした作品もある。
注2)ロトデッサン:盤面に固定された紙を盤面ごとモーターで回転させ、その紙に鉛筆などで線を描いて回転運動を視覚化させた作品。装置の改良に伴い螺旋状のものから同心円状に変化した。デュシャンの「回転半球」「ロトレリーフ」、ティンゲリーの「メタマティック」(自動デッサン機)などとの関連性を思わせる。店名への使用許可に対するデュシャン宛て礼状にも、ロトデッサン1葉が同封されていた。

「この《マルセル・デュシャン語録》の出版についてはひとつの物語がある。/数年前からオブジェの問題を考えていた私に、ある日ふとオブジェの店をひらくという考えが浮かんで、それがひとつの固執観念になりはじめていたのである。[中略]ところで私はその店の命名をマルセル・デュシャンに請うたところ、1964年3月4日附の手紙で快く「ローズ・セラヴィ」Rrose Sélavyを使うことを許されたのである。ローズ・セラヴィとはいうまでもなく、デュシャンが1920年以来、しばしばオブジェや言葉のしゃれの署名に使った女名前の偽名であって、私の店はまだ架空のままであるにしても、この命名そのものはデュシャン的事件といわなければならない。私はまずデュシャンへの感謝と敬意のしるしにこの語録を私家版として刊行することを思いたち[後略]このようにしてマルセル・デュシャン語録はまた一個の記念のオブジェであり、英文の題名To and From Rrose Sélavyはそこから由来している。」

さらにローズ・セラヴィという架空の人格の誕生と、以降の経歴の概略に触れた後、次のように<Rrose Sélavy考>を締めくくっています。

「いままた彼女は不思議ともいうべき機縁によって東京にまで転身したのである。しかし私のオブジェの店《ローズ・セラヴィ》は果たしていつ街のなかに実現するのだろうか。あるいは可能性のみにとどまるだろうか。あるいはこの意想そのものがローズ・セラヴィとともにすでにひとり歩きをしはじめて、どこかで何事かを企てているのではなかろうか。」

なお、瀧口とデュシャンとの交流の経緯、とりわけ、店名に「ローズ・セラヴィ」の使用を依頼できるほどの親しい関係を、どのようにして築き上げたかについての詳細は、このブログの連載「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第6回以降に述べましたので、ご参照ください。

発行元である東京ローズ・セラヴィについても触れておきます。東京ローズ・セラヴィは、オブジェの店「ローズ・セラヴィ」の出版部門という位置付けのようで、その後も少数の友人に贈られた<扉に鳥影>(図15,16)や、岡崎和郎との共作<檢眼圖>(図17,18)など、デュシャンに関連した手作り本やマルチプルが、刊行されています。出版社としての実体は、「オブジェの店」の正体が不明なのと同様、定かではありません。いわゆる私家版よりも、友人との関わりが反映されるようにも思われ、本書の制作者として記されている海藤日出男によれば、本書の制作・刊行の際は、瀧口と海藤日出男の二人の工房だったそうです。

図15図15

図16図16

図17図17

図18図18 撮影:山本糾

本書については瀧口自身による紹介文が2つあります。ひとつは本書の内容見本に掲載された「マルセル・デュシャン語録について」、もうひとつは「藝術新潮」1968年10月号(図19~21)に掲載された「本・もうひとつの本」です。後者のなかで本書について、次のように述べています。

「私はまず手初めに、この架空の東京のローズ・セラヴィからデュシャンの本を刊行し、それには架空の店の看板のようなものを付録としてつけよう、という最初の考えが浮かんだ。デュシャンの本といっても、自分の評論よりも、まず彼の語録をつくりたいと考えた。[中略]興味深い片言隻句を抜粋しようということだったが、この初志を徹底することは私にはとうてい困難であり、ことに彼の有名な言葉のしゃれは異なった語系のゆえもあり大半は断念せざるをえなかった。しかしそれを償うものもないではない。とにかく私がデュシャンを言語の観点から、というのはそこに現われた独立したイデーの観点から直接にデュシャンに近づくことであり、その最初の手がかりになればと願っているのである。」

図19図19

図20図20

図21図21

解題の冒頭で、本書は瀧口の本の中でも代表的な一冊であり、瀧口の生涯を見渡しても、本書の刊行は最も重要な仕事の一つであると述べましたが、最後にその根拠として、次の4点を挙げておきます。

1.1950年代の米国を中心に、あらゆる現代芸術の元祖との評価が固まりつつあったデュシャンに関する、国際的に見ても時期の早い著作・対談集であること。当時、デュシャン自身の著作やデュシャンの関連書籍としては、上の目次で触れられた<グリーン・ボックス>、<不定法で>、<Rrose Sélavy>のほか、ロベール・ルベルの単行本研究書<Sur Marsel Duchamp>Trianon Press,1959(英訳版。図22)、並びにデュシャン自身から瀧口にも贈られたミシェル・サヌイユ篇マルセル・デュシャン『塩の商人』<Marchand du Sel>がある程度でしたから、日本で本書が出版された意義には大きなものがあります。なお、<グリーン・ボックス>の英訳活字化本も(1960年に1000部、63年にも1000部)刊行されていました。

図22図22

2.本書A版にデュシャンによってサインされたチェンジ・ピクチュアの作品《ウィルソン・リンカーン・システムによるローズ・セラヴィ》(図23,24)が含まれている点も、貴重です。

図23図23

図24図24

3. 本書はそれまでの瀧口の経歴や生き方が集約された、まさに結実そのものであり、その意味で瀧口ならではの1冊といえること。すなわち本書が誕生したのは、1958年の訪欧の際に瀧口がダリ宅を訪問した際にデュシャン本人と出会ったからですが、ダリ宅を訪問したのは、瀧口が戦前期にシュルレアリストとして活動し、ダリとパイプを有していたからに他なりません。またヴェネチア・ビエンナーレの日本代表・審査員として訪欧したのは、戦後、美術評論家として活発に活動したからです。ジャスパー・ジョーンズティンゲリー荒川修作加納光於、岡崎和郎らの協力を得ることができたのも、それまでの経歴の積み重ねがあってのことでしょう。

4.瀧口自身の側から見ても、「オブジェの店」をひらく構想は、瀧口のさまざまな活動のなかでも、最も重要なもののひとつであると思われますが、この構想と表裏一体に刊行されている点でも、本署の刊行は意義深いものといえるでしょう。なお、「オブジェの店」をひらく構想については、拙稿「透明な部屋―瀧口修造の「オブジェの店」を開く構想の余白に」(「瀧口修造:夢の漂流物」展カタログ、世田谷美術館・富山県立近代美術館、2005年2月。図25)をご覧ください

図25図25

本書の刊行を記念して、1968年10月31日~11月5日の会期で、南画廊で展示「マルセル・デュシャン語録について」が開催されています(図26,27)。

図26図26

図27図27

その後の1982年には、初版のB版をもとに原寸大で新版普及本が、美術出版社から刊行されています(図28)。

図28図28
つちぶち のぶひこ

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

近況報告
拝見したい展覧会がほとんど臨時休館となってしまい、
4月3日の練馬区美術館の津田青楓展を最後に、東京にも出かけていません。
運動不足にならないよう、なるべく散歩するようにしています。
写真は近所の公園で咲いていた牡丹です。先週からの雨で、かなり散っていましたが

(2020.4.21/土渕信彦)>
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◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。

●今日のお勧め作品は、宇田義久です。
uda_03宇田義久 Yoshihisa UDA
"leafisheed 13-1(blue)"
2013年
板、木綿布、アクリル絵具、ウレタンニス
30.0×17.5×8.5cm
裏面にサインあり
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2011年03月21日|瀬木慎一先生を悼む
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