植田実のエッセイ「手紙 倉俣さんへ」第2回
手紙 倉俣さんへ 2
倉俣史朗が設計した、山梨・山中湖の「山荘T」は1975年竣工となっている。たぶんそれからまもなくだった。そこに10人ほどが集まって話していた。写真家・小川隆之、建築家・曽根幸一は笑っている表情と声をよく覚えている。美術家・三木富雄はずっと物静かで、肝心の倉俣史朗は私の記憶のなかでは気配を断っている。あと誰がいたか今はまだ思い出せない。建築家は曽根さんひとりで、それも自分の山荘を近くに建てたばかりだったせいかもしれない。建築関係の人以外には会って話す機会が尠い私は、高名な「耳」の三木さんが近くにおられて緊張が解けないままに若い人たちの動きはよく見えていた。
この山荘は傾斜地のコンターラインに直交して東西にやや長い矩形の箱を置いたかたちで、東端に突き出た玄関を入るとすぐ、1段ごとに踏板が左右に伸びる末広がりの階段を降りて、西に開けたスタジオとバルコニーに達する。この1、2階を一体とする空間には壁と床と天井、それだけしかない。階段と接する壁の内側に、2階は左右に寝室と客室、1階はやはり同様に北側に浴室・便所、南に台所・食堂。末広がりの階段の壁に削られたかたちで4室とも同寸同形の、2等辺3角形に近い平面であり、階段室を中心軸としたシンメトリカルな構成になっている。
私たちは階段を降りてきてそのまま床につながるスタジオで、適当に坐ったり寝ころんだりしていたが雑談ばかりで過ごしたわけではない。話すテーマがあり多少の準備もされていた。このところ目立ってきた古い建物の消滅の意味をそれとなく話し合おうと言われてそこに来たのである。私は丸の内の煉瓦街について話したらしい。かつての街のその一部を簡単にスケッチしていたものをスライドで説明した恥ずかしさを今も忘れようがない。そのあと床でうたた寝し、目がさめたら小川さんがすぐそばにいて、いますごい映画を見ていた。植田さんにもぜひ見てもらいたい。もう1回やるから、と言う。そんな準備も周到だったのだ。パリのたぶん国立図書館の、30分ほどの詩的演出によるドキュメントで、ひとりの来館者が、ある稀覯本の閲覧を申し込む。同館のいちばん深いところに保管されているその大きく重い本が係りの手から手へ、手車やダムウエイターなどで運ばれて、待っている男のデスクに届けられるまでの、ただそれだけの過程がすなわち図書館の建築空間と機構の紹介になっている。狙いすませたシナリオがよくできている。モノクロの画面がすばらしい。漆黒のインクと古い紙の束が、名を呼ばれて地上に上がってくるあいだに生来の本の姿を取り戻しはじめる。その環境自体も、混然とした石と闇が強靭な建築に還り姿を現わしてくる。さいごには宙を漂っていた人類の本の魂がドーンと建物の核心に打ちこまれ、図書館として開眼する、みたいなシーンまでつくっている。深刻かつじつに面白い映画で、監督は異色作家の名を聞いたはずだが忘れてしまった。もちろんこれは建築解体を追った映画ではない。建物が古いほど底知れない力を行使する、その記録だった。
撮影:植田実
撮影:植田実
2枚の写真は、その後日、銀座の裏あたりだったか神田のはずれだったかいかにも東京の、スタイルは和洋それぞれ好き勝手だが、ある丹念さが行きとどいた、そんな一画にあった小さなオフィスビルが建て替えられるという情報を得て、こんどは文字どおりの建築解体現場を同じメンバーが訪ねたときのスナップである。1枚の写真にはいくつかのヘルメット姿が見える。現場の人が立ち会っているようだがあとは見学者たちのヘルメットにちがいない。けれど誰がいたのかその名をきれいさっぱり忘れている。しかもそこに倉俣さんが混じっていたとはさらにありえない気さえする。
だがとくにもう1枚の、かつての出入口と覚しい黒い縦長の孔と床を覆う廃材と、白い壁のなかに消えてゆく時計と柱の痕跡だけが見える、つまり建築そのものがすでに建築の自覚をもたなくなっている光景は、倉俣さんこそしっかり見ていたにちがいないと、この写真を手にするたびにそう思っていた。倉俣さんだけではなく、山中湖に集まっていた写真家、美術家、デザイナーが観測したいと考えていたのは、建築というその多くが不分明なものに包まれた対象が解体によって一瞬見せる裂け目、その濃い色彩層の表れではなかったか。映像に記録されたパリの国立図書館もそれと同じで、重い黒のしたたる画面は、機能と空間の分節がほどけてしまうまでに古い履歴が建築計画の層を突き抜けた色の映発として現れている。その束の間の現象を観測したのではないか。
東京・日比谷にフランク・ロイド・ライトが設計し実現した帝国ホテルは1967年に解体された。国内のみならず世界に大きな衝撃だった。その衝撃が近代建築遺産への意識を建築関係者に逃れようもなく働きかけ、保持のための戦略を統合しつつ現在に至る時代を私も生きていた、という気持がある。一事例を基点のごとくに決めつけているのは旧帝国ホテルの体験と喪失はそのほかの建築界での(50年ぶんの)見聞き関わりと等価になっているほどの事件だったからだが、一方、山中湖の集いは1本のドキュメント映画を見ることと、小さなオフィスビルの解体現場を訪ねることだけで終わった。と勝手に済ませているのは、その後の会の活動の消息がないからだ。だがそれで十分なのだった。すなわち建築の裂け目、その瞬間の色合いの観測が、半世紀以上に及ぶ地道な建築遺産保持活動と、どこかで比肩するほどの現実となっている。それは今回、この頃のことを書こうとしてはじめてふいに分かったのである。
社会性の視角から建築を見なくてもよい。それは結局は建築専門からの理解が優位となり、ならばまたも一般にたいして閉ざされてしまう。山中湖の人たちは、建築の至近距離に身を置き、いいかえれば建築の裂け目、切断面に入りこむことで全体をよびおこそうとしていた。自分たちの眼で見える建築の一瞬を予感していたのである。見えた以上はその力が永続することを知っていたのである。そのようなシンプルで永続的なイメージは端的にたとえば倉俣史朗の「硝子の椅子」(1976)を思い浮かべると、これは観念としては透明ガラスに接着剤以外の付加物が一切ない仕事である。いわば見えない椅子である。その完全な不可視は、ガラスの裂け目、切断面において突然、現実の事物性に接する。家具は建築の補完ではなく、それ自体が完結した世界である。その完結体が誰にもよく見えるのならば、1脚の椅子は建築を超えている。安易な比喩ではない。それを信じる者はどこにもいないからだ。
追伸1
「山荘T」については、前に触れた「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展カタログのなかで建築家・西沢大良がとりあげています。知るかぎり、建築家サイドからのこれ以上の解読はない。外観・内部の写真、平断面図も十全に紹介されているし、そのほかの倉俣さんの建築の仕事にも言及されています。私も次の「手紙3」で「山荘T」の周辺的事柄に関してもうすこし書き足すつもりです。
追伸2
「山荘T」で見たパリの国立図書館のドキュメント映画について。40年も前、しかも起き抜け状態での半ば夢の記憶そのままに書いたのでしたが、ときの忘れものの尾立麗子がフランス映画に詳しい井上真希さんの御教示によりそのフィルムを突き止め、メールで送ってくれたのを昨日確認しました。
井上真希さん、情報提供をありがとうございました。思いがけない贈りものをいただきました。
タイトルは「世界の全ての記憶」(1956)、監督・アラン・レネ、撮影現場は記憶通りパリの国立図書館、上映時間は21分。フランス語のナレーションに英語の字幕。モノクロームの深い陰影や本が運ばれてゆくシーンは変わっていないけれど、稀覯本1冊の扱いに集中していたと思うのは記憶が大きく傾いでいるのかもしれない。そして本の魂が建築内に嵌入するシュルレアルなシーンは、なぜかない。ここは小川さんたちとも話題にしてもりあがったので勘違いではない。ヴァリアントがつくられたと思うほかはないのですが、それで図書館と本のイメージは変わらない。どころか私の記憶を補強するもので、だから前に書いていたその部分は直さないママに残しました。
パリの国立図書館といえば多くの方は1995年に竣工したドミニク・ペローの、開いて机の上に立てた4冊の本の形が4本のガラスのタワーとなって地下の中庭を囲う新国立図書館に馴染みがあるのかもしれません。ペローさんがその設計コンペティションに勝ち抜き、実施設計による模型が出来上がったころに彼にインタヴューしたことがあり、そのほかの仕事も含めて、それまでのフランス前衛とはまた違う、ソフトな感じのままに思い切ったことをやってしまうような新世代の印象を受けましたが、映画が撮っているのはアンリ・ラブルーストによる国立図書館(1868)のほうです。有名な閲覧室では細い鉄骨柱に支えられた9連の天窓つきクーポラが当時はこれも超前衛デザインで、この映画にも出てくる。ところがほんの一瞬でしかない。建築と見られるのを避けているかのようです。アラン・レネはこの短編映画の1年前に「夜と霧」、3年後6年後に「二十四時間の情事」「去年マリエンバートで」の代表作を立て続けにつくっている。彼も建築が建築という距離を奪われるまでに対象に迫っていたにちがいありません。
(2020425 うえだ まこと)
●植田実のエッセイ「手紙 倉俣さんへ」は毎月29日の更新です。
●橋本啓子のエッセイ「倉俣史朗の宇宙」も併せてお読みください。
●「倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier」

『倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier 1』より 《68 ミス ブランチ(1988)》 MISS BLANCHE(1988) シルクスクリーン 15版13色

『倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier 2』より 《74 花瓶(1990)、花瓶》 Flower Vase(1990), Flower Vase シルクスクリーン 12版9色
倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier
各集(1~6集) シルクスクリーン10点組
作者 倉俣史朗
監修 倉俣美恵子
植田実(住まいの図書館出版局編集長)
制作 1・2集 2020年
3~6集 2021年~2024年予定
技法 シルクスクリーン
用紙 ベランアルシュ紙
サイズ 37.5×48.0cm
シルクスクリーン刷り 石田了一工房・石田了一
限定 35部(1/35~35/35)、
《68 MISS BLANCHE》のみ75部
(1集に35部、 3~6集に各10部ずつ挿入予定)
発行 ときの忘れもの
*詳細はお問合せください。
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◆ときの忘れものは新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、当面の間、臨時休廊とし、スッタフは在宅勤務しています。メールでのお問合せ、ご注文には通常通り対応しています。
◆ときの忘れものは版画・写真のエディション作品などをアマゾンに出品しています。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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手紙 倉俣さんへ 2
倉俣史朗が設計した、山梨・山中湖の「山荘T」は1975年竣工となっている。たぶんそれからまもなくだった。そこに10人ほどが集まって話していた。写真家・小川隆之、建築家・曽根幸一は笑っている表情と声をよく覚えている。美術家・三木富雄はずっと物静かで、肝心の倉俣史朗は私の記憶のなかでは気配を断っている。あと誰がいたか今はまだ思い出せない。建築家は曽根さんひとりで、それも自分の山荘を近くに建てたばかりだったせいかもしれない。建築関係の人以外には会って話す機会が尠い私は、高名な「耳」の三木さんが近くにおられて緊張が解けないままに若い人たちの動きはよく見えていた。
この山荘は傾斜地のコンターラインに直交して東西にやや長い矩形の箱を置いたかたちで、東端に突き出た玄関を入るとすぐ、1段ごとに踏板が左右に伸びる末広がりの階段を降りて、西に開けたスタジオとバルコニーに達する。この1、2階を一体とする空間には壁と床と天井、それだけしかない。階段と接する壁の内側に、2階は左右に寝室と客室、1階はやはり同様に北側に浴室・便所、南に台所・食堂。末広がりの階段の壁に削られたかたちで4室とも同寸同形の、2等辺3角形に近い平面であり、階段室を中心軸としたシンメトリカルな構成になっている。
私たちは階段を降りてきてそのまま床につながるスタジオで、適当に坐ったり寝ころんだりしていたが雑談ばかりで過ごしたわけではない。話すテーマがあり多少の準備もされていた。このところ目立ってきた古い建物の消滅の意味をそれとなく話し合おうと言われてそこに来たのである。私は丸の内の煉瓦街について話したらしい。かつての街のその一部を簡単にスケッチしていたものをスライドで説明した恥ずかしさを今も忘れようがない。そのあと床でうたた寝し、目がさめたら小川さんがすぐそばにいて、いますごい映画を見ていた。植田さんにもぜひ見てもらいたい。もう1回やるから、と言う。そんな準備も周到だったのだ。パリのたぶん国立図書館の、30分ほどの詩的演出によるドキュメントで、ひとりの来館者が、ある稀覯本の閲覧を申し込む。同館のいちばん深いところに保管されているその大きく重い本が係りの手から手へ、手車やダムウエイターなどで運ばれて、待っている男のデスクに届けられるまでの、ただそれだけの過程がすなわち図書館の建築空間と機構の紹介になっている。狙いすませたシナリオがよくできている。モノクロの画面がすばらしい。漆黒のインクと古い紙の束が、名を呼ばれて地上に上がってくるあいだに生来の本の姿を取り戻しはじめる。その環境自体も、混然とした石と闇が強靭な建築に還り姿を現わしてくる。さいごには宙を漂っていた人類の本の魂がドーンと建物の核心に打ちこまれ、図書館として開眼する、みたいなシーンまでつくっている。深刻かつじつに面白い映画で、監督は異色作家の名を聞いたはずだが忘れてしまった。もちろんこれは建築解体を追った映画ではない。建物が古いほど底知れない力を行使する、その記録だった。
撮影:植田実
撮影:植田実2枚の写真は、その後日、銀座の裏あたりだったか神田のはずれだったかいかにも東京の、スタイルは和洋それぞれ好き勝手だが、ある丹念さが行きとどいた、そんな一画にあった小さなオフィスビルが建て替えられるという情報を得て、こんどは文字どおりの建築解体現場を同じメンバーが訪ねたときのスナップである。1枚の写真にはいくつかのヘルメット姿が見える。現場の人が立ち会っているようだがあとは見学者たちのヘルメットにちがいない。けれど誰がいたのかその名をきれいさっぱり忘れている。しかもそこに倉俣さんが混じっていたとはさらにありえない気さえする。
だがとくにもう1枚の、かつての出入口と覚しい黒い縦長の孔と床を覆う廃材と、白い壁のなかに消えてゆく時計と柱の痕跡だけが見える、つまり建築そのものがすでに建築の自覚をもたなくなっている光景は、倉俣さんこそしっかり見ていたにちがいないと、この写真を手にするたびにそう思っていた。倉俣さんだけではなく、山中湖に集まっていた写真家、美術家、デザイナーが観測したいと考えていたのは、建築というその多くが不分明なものに包まれた対象が解体によって一瞬見せる裂け目、その濃い色彩層の表れではなかったか。映像に記録されたパリの国立図書館もそれと同じで、重い黒のしたたる画面は、機能と空間の分節がほどけてしまうまでに古い履歴が建築計画の層を突き抜けた色の映発として現れている。その束の間の現象を観測したのではないか。
東京・日比谷にフランク・ロイド・ライトが設計し実現した帝国ホテルは1967年に解体された。国内のみならず世界に大きな衝撃だった。その衝撃が近代建築遺産への意識を建築関係者に逃れようもなく働きかけ、保持のための戦略を統合しつつ現在に至る時代を私も生きていた、という気持がある。一事例を基点のごとくに決めつけているのは旧帝国ホテルの体験と喪失はそのほかの建築界での(50年ぶんの)見聞き関わりと等価になっているほどの事件だったからだが、一方、山中湖の集いは1本のドキュメント映画を見ることと、小さなオフィスビルの解体現場を訪ねることだけで終わった。と勝手に済ませているのは、その後の会の活動の消息がないからだ。だがそれで十分なのだった。すなわち建築の裂け目、その瞬間の色合いの観測が、半世紀以上に及ぶ地道な建築遺産保持活動と、どこかで比肩するほどの現実となっている。それは今回、この頃のことを書こうとしてはじめてふいに分かったのである。
社会性の視角から建築を見なくてもよい。それは結局は建築専門からの理解が優位となり、ならばまたも一般にたいして閉ざされてしまう。山中湖の人たちは、建築の至近距離に身を置き、いいかえれば建築の裂け目、切断面に入りこむことで全体をよびおこそうとしていた。自分たちの眼で見える建築の一瞬を予感していたのである。見えた以上はその力が永続することを知っていたのである。そのようなシンプルで永続的なイメージは端的にたとえば倉俣史朗の「硝子の椅子」(1976)を思い浮かべると、これは観念としては透明ガラスに接着剤以外の付加物が一切ない仕事である。いわば見えない椅子である。その完全な不可視は、ガラスの裂け目、切断面において突然、現実の事物性に接する。家具は建築の補完ではなく、それ自体が完結した世界である。その完結体が誰にもよく見えるのならば、1脚の椅子は建築を超えている。安易な比喩ではない。それを信じる者はどこにもいないからだ。
2020.4.21
植田 実
植田 実
追伸1
「山荘T」については、前に触れた「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展カタログのなかで建築家・西沢大良がとりあげています。知るかぎり、建築家サイドからのこれ以上の解読はない。外観・内部の写真、平断面図も十全に紹介されているし、そのほかの倉俣さんの建築の仕事にも言及されています。私も次の「手紙3」で「山荘T」の周辺的事柄に関してもうすこし書き足すつもりです。
追伸2
「山荘T」で見たパリの国立図書館のドキュメント映画について。40年も前、しかも起き抜け状態での半ば夢の記憶そのままに書いたのでしたが、ときの忘れものの尾立麗子がフランス映画に詳しい井上真希さんの御教示によりそのフィルムを突き止め、メールで送ってくれたのを昨日確認しました。
井上真希さん、情報提供をありがとうございました。思いがけない贈りものをいただきました。
タイトルは「世界の全ての記憶」(1956)、監督・アラン・レネ、撮影現場は記憶通りパリの国立図書館、上映時間は21分。フランス語のナレーションに英語の字幕。モノクロームの深い陰影や本が運ばれてゆくシーンは変わっていないけれど、稀覯本1冊の扱いに集中していたと思うのは記憶が大きく傾いでいるのかもしれない。そして本の魂が建築内に嵌入するシュルレアルなシーンは、なぜかない。ここは小川さんたちとも話題にしてもりあがったので勘違いではない。ヴァリアントがつくられたと思うほかはないのですが、それで図書館と本のイメージは変わらない。どころか私の記憶を補強するもので、だから前に書いていたその部分は直さないママに残しました。
パリの国立図書館といえば多くの方は1995年に竣工したドミニク・ペローの、開いて机の上に立てた4冊の本の形が4本のガラスのタワーとなって地下の中庭を囲う新国立図書館に馴染みがあるのかもしれません。ペローさんがその設計コンペティションに勝ち抜き、実施設計による模型が出来上がったころに彼にインタヴューしたことがあり、そのほかの仕事も含めて、それまでのフランス前衛とはまた違う、ソフトな感じのままに思い切ったことをやってしまうような新世代の印象を受けましたが、映画が撮っているのはアンリ・ラブルーストによる国立図書館(1868)のほうです。有名な閲覧室では細い鉄骨柱に支えられた9連の天窓つきクーポラが当時はこれも超前衛デザインで、この映画にも出てくる。ところがほんの一瞬でしかない。建築と見られるのを避けているかのようです。アラン・レネはこの短編映画の1年前に「夜と霧」、3年後6年後に「二十四時間の情事」「去年マリエンバートで」の代表作を立て続けにつくっている。彼も建築が建築という距離を奪われるまでに対象に迫っていたにちがいありません。
(2020425 うえだ まこと)
●植田実のエッセイ「手紙 倉俣さんへ」は毎月29日の更新です。
●橋本啓子のエッセイ「倉俣史朗の宇宙」も併せてお読みください。
●「倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier」

『倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier 1』より 《68 ミス ブランチ(1988)》 MISS BLANCHE(1988) シルクスクリーン 15版13色

『倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier 2』より 《74 花瓶(1990)、花瓶》 Flower Vase(1990), Flower Vase シルクスクリーン 12版9色
倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier
各集(1~6集) シルクスクリーン10点組
作者 倉俣史朗
監修 倉俣美恵子
植田実(住まいの図書館出版局編集長)
制作 1・2集 2020年
3~6集 2021年~2024年予定
技法 シルクスクリーン
用紙 ベランアルシュ紙
サイズ 37.5×48.0cm
シルクスクリーン刷り 石田了一工房・石田了一
限定 35部(1/35~35/35)、
《68 MISS BLANCHE》のみ75部
(1集に35部、 3~6集に各10部ずつ挿入予定)
発行 ときの忘れもの
*詳細はお問合せください。
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◆ときの忘れものは新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、当面の間、臨時休廊とし、スッタフは在宅勤務しています。メールでのお問合せ、ご注文には通常通り対応しています。
◆ときの忘れものは版画・写真のエディション作品などをアマゾンに出品しています。
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阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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