我が家の一汁一菜を支えているのは美味しい味噌なのですが、熊本から取り寄せています。
ちょうどそれが一昨日宅急便で届いたのですが、宅配の方が「ぎりぎりセーフでしたが、もう物流がストップしてしまいました」と言っていました。
作品などのお届けにも支障をきたすことになるのではと心配しています。
九州地方を襲った大雨で多くの方が亡くなり、各地で被害が増しています。
お亡くなりになった方々のご冥福を祈るとともに、被災された皆さんにお見舞いを申し上げます。
被災地の復旧、救出作業に国が全力で取り組んで欲しいと心から願います。
私たちも何かできることがあればと考えています。
コロナウイルス禍ですっかり予定が狂ってしまいましたが、2020年の後半に向けて、ブログでは新しい連載もいくつか開始しました。
6月14日からは新連載<平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさき>が始まりました。
執筆者の平嶋彰彦は亭主と毎日新聞の同期でした。
1969年4月入社直後の社員研修期間中に親しくなりました。
あの頃の研修は今思い出してものんびりしていて、なかなか面白く、内容豊かでした。
確か60数人の同期生(東大だけはこの年、卒業が遅れ入社が半年ずれた)は、編集はじめ各部門の幹部から講義を受けるのですが、編集局長が「経済部の記者が株をやってはいけないことは君らもわかるだろう。しかるに学芸部の連中ときたら月末になると社旗を立てたハイヤーで銀座を回り画廊主が差し出す金一封を受け取っている。画廊は展覧会を紙面で紹介して欲しいからだ。他の部の記者はそれぞれの記事に鎬を削っているのに、決まった枠を持っている学芸部なんてのは新聞記者とは言えん」などと平気で言うものだから新入生も驚いたものです(今から半世紀も前の話で、今はそんなことはありません)。
国会や首相官邸、警視庁などを次々に見学に回るのですが、まだ新聞社の古き良き時代だったのでしょう、どこでも歓待(?)されました。
羽田空港では社機(ヘリコプター)にくじ引きで乗り(籤運のない亭主は外れた)、空から東京を眺め、朝毎読(ちょうまいよみ)の一角として全国の新聞社で最古の歴史(明治5年創刊)と誇りを叩き込まれたのでした。
最後は、新聞販売店に泊まり込み、新聞配達の手伝いもしました。
社員食堂で昼食をとった後の昼休みは、パレスサイドビル(林昌二設計の名建築です)一階の流水書房で立ち読みするのが日課でしたが、ちょうど刊行されたばかりの「つげ義春作品集」を手にとり、降りしきる雨の中、青年がひとり海を泳ぐ「海辺の叙景」の見開き頁を見せて<写真じゃあ表現できないんだよな>と教えてくれたのが平嶋でした。
写真部の平嶋は九州の西部本社に赴任して行きましたが、亭主は東京本社の販売局勤務となり、昼休みに神田の古本屋街に通い、青林堂に押しかけ、それまで無縁だったつげ義春の漫画を買い求めました。
入社5年後の1974年、子会社の事業として「現代版画センター」を設立したのも、平嶋の教えてくれた「つげ義春」に源があります。1977年の「’77現代と声」企画ではつげさんに版画制作を依頼したのですが、あっさりふられました。
平嶋は東京本社に戻ってからは出版写真部で活躍し、宮本常一の写真集などを編集しています。
エッセイ冒頭に出て来る『昭和二十年東京地図』は筑摩書房から刊行されましたが、文庫にもなっているので、ぜひお読みください。

新編「昭和二十年」東京地図
西井 一夫 著 , 平嶋 彰彦 写真
ちくま文庫 352ページ
昭和20年8月15日を境として分かたれた戦前と戦後。その境を越えて失われたものと残されたものとを、現在の東京のなかに訪ね歩く。
ときの忘れものは、この秋に平嶋彰彦のポートフォリオの刊行(15点組、限定10部)と個展を開催します。どうぞご期待ください。

平嶋彰彦《宇田川町 カクテルバー門》
1985.9-1986.2(Printed in 2020)
ゼラチンシルバープリント
シートサイズ:25.4x30.2cm
Ed.10 Signed
*今秋、刊行予定のポートフォリオに収録します。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
-----------------------------------
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
ちょうどそれが一昨日宅急便で届いたのですが、宅配の方が「ぎりぎりセーフでしたが、もう物流がストップしてしまいました」と言っていました。
作品などのお届けにも支障をきたすことになるのではと心配しています。
九州地方を襲った大雨で多くの方が亡くなり、各地で被害が増しています。
お亡くなりになった方々のご冥福を祈るとともに、被災された皆さんにお見舞いを申し上げます。
被災地の復旧、救出作業に国が全力で取り組んで欲しいと心から願います。
私たちも何かできることがあればと考えています。
コロナウイルス禍ですっかり予定が狂ってしまいましたが、2020年の後半に向けて、ブログでは新しい連載もいくつか開始しました。
6月14日からは新連載<平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさき>が始まりました。
執筆者の平嶋彰彦は亭主と毎日新聞の同期でした。
1969年4月入社直後の社員研修期間中に親しくなりました。
あの頃の研修は今思い出してものんびりしていて、なかなか面白く、内容豊かでした。
確か60数人の同期生(東大だけはこの年、卒業が遅れ入社が半年ずれた)は、編集はじめ各部門の幹部から講義を受けるのですが、編集局長が「経済部の記者が株をやってはいけないことは君らもわかるだろう。しかるに学芸部の連中ときたら月末になると社旗を立てたハイヤーで銀座を回り画廊主が差し出す金一封を受け取っている。画廊は展覧会を紙面で紹介して欲しいからだ。他の部の記者はそれぞれの記事に鎬を削っているのに、決まった枠を持っている学芸部なんてのは新聞記者とは言えん」などと平気で言うものだから新入生も驚いたものです(今から半世紀も前の話で、今はそんなことはありません)。
国会や首相官邸、警視庁などを次々に見学に回るのですが、まだ新聞社の古き良き時代だったのでしょう、どこでも歓待(?)されました。
羽田空港では社機(ヘリコプター)にくじ引きで乗り(籤運のない亭主は外れた)、空から東京を眺め、朝毎読(ちょうまいよみ)の一角として全国の新聞社で最古の歴史(明治5年創刊)と誇りを叩き込まれたのでした。
最後は、新聞販売店に泊まり込み、新聞配達の手伝いもしました。
社員食堂で昼食をとった後の昼休みは、パレスサイドビル(林昌二設計の名建築です)一階の流水書房で立ち読みするのが日課でしたが、ちょうど刊行されたばかりの「つげ義春作品集」を手にとり、降りしきる雨の中、青年がひとり海を泳ぐ「海辺の叙景」の見開き頁を見せて<写真じゃあ表現できないんだよな>と教えてくれたのが平嶋でした。
写真部の平嶋は九州の西部本社に赴任して行きましたが、亭主は東京本社の販売局勤務となり、昼休みに神田の古本屋街に通い、青林堂に押しかけ、それまで無縁だったつげ義春の漫画を買い求めました。
入社5年後の1974年、子会社の事業として「現代版画センター」を設立したのも、平嶋の教えてくれた「つげ義春」に源があります。1977年の「’77現代と声」企画ではつげさんに版画制作を依頼したのですが、あっさりふられました。
平嶋は東京本社に戻ってからは出版写真部で活躍し、宮本常一の写真集などを編集しています。
エッセイ冒頭に出て来る『昭和二十年東京地図』は筑摩書房から刊行されましたが、文庫にもなっているので、ぜひお読みください。

新編「昭和二十年」東京地図
西井 一夫 著 , 平嶋 彰彦 写真
ちくま文庫 352ページ
昭和20年8月15日を境として分かたれた戦前と戦後。その境を越えて失われたものと残されたものとを、現在の東京のなかに訪ね歩く。
ときの忘れものは、この秋に平嶋彰彦のポートフォリオの刊行(15点組、限定10部)と個展を開催します。どうぞご期待ください。

平嶋彰彦《宇田川町 カクテルバー門》
1985.9-1986.2(Printed in 2020)
ゼラチンシルバープリント
シートサイズ:25.4x30.2cm
Ed.10 Signed
*今秋、刊行予定のポートフォリオに収録します。
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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