柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」第19回
いまだに信じられない気持ちが続いています。
余りに突然で、全く予期していなかったことなので・・・。
それは、クリストの突然の死でした。
アートと本についての連載ですが、今回から数回は、クリストとジャンヌ=クロードとの想い出を書かせていただきます。といっても、連載の趣旨から余り離れるのはと思い・・・本やカタログに纏わる話を中心にしていくつもりです。
今日、紹介させていただきたいのは、1977年9月に東京の南画廊で開かれた展覧会のカタログとそれにまつわるエピソードです。日本で初めての個展を期してのもので、クリスト一人に関する出版物としては、日本で最初の一冊でした。

手元40余年、大切に保管してきたカタログには、2か所にクリストのサインが入っています。

入手したのは、展覧会の初日ではなく、二日目だったと記憶しています・・・大学生の身には、オープニングは敷居の高いものだったからです。クリストが居たらいいな、と思いながら京橋にあったビルのロビー奥の画廊に足を踏み入れると、クリストが一人でソファーに腰かけているのが目に入りました。
他に観客もおらず・・・ラッキーと思い、すぐにカタログを購入していそいそとソファーへ向かいました。カタログを差し出すと、クリストはすぐに表紙を開き、サインをしてくれました。この時には、何か一言でも会話をしたか・・・覚えていません。多分「サンキュー」位は言ったと思いますが。
その後、壁面のドローイング作品や、アクリルケースに飾られた「包まれた缶」などを興奮気味に眺めていきました。その合間にカタログのページもめくっていくと、見慣れたイメージが目に入りました・・・パリの凱旋門を包む計画のフォトモンタージュでした。
ちょっと、時間を遡らせてもらいます。他のところにも、また、この連載でも書かせていただいたかと思いますが、クリストの名前とその創作を知ったのは、テレビ番組からでした。1970年代中頃に、評論家の峯村敏明氏がレギュラー出演する現代美術紹介番組がありました。そこで「ヴァレー・カーテン」の記録映画が放映されたのです。
スケールの大きさ、土木作業のような制作過程などにかなりの刺激をうけたのは、今でもはっきりと覚えています。そして芽生えたクリストへの関心をより大きなものにしたのは、実は、ときの忘れものの綿貫さんの一言でした。当時、綿貫さんが運営していた現代版画センターには、高校生のころから頻繁に出入りさせて貰っていましたが、前述の記録映画を見た数日後にも訪れ、綿貫さんにその興奮を伝えたのでした。。
その時、綿貫さんからとても重要な情報を貰ったのでした。それがなかったならば、これほどクリスト(クリストとジャンヌ=クロード)にのめり込むことはなかったかも知れません。それは、「自由が丘にある画廊で、クリストの版画を売っているよ」でした・・・その時まで、クリストが版画を作っていることは、知る由もなかったのです。
その日だったか、あるいは後日だったかは覚えていませんが、自由が丘に向かいました。多分、綿貫さんが連絡を入れてくれてあったのだと思います、画廊主さんが2点の版画をみせてくれました。ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチ像を包んだ作品と、パリの凱旋門を包んだ作品でした。ダヴィンチ像の方は、紙の上に布が貼られたコラージュ付き版画で、私に手が出せる値段ではありませんでした。一方の凱旋門の方は、コラージュもなく、またエディションも300部だったので比較的廉価で、当時すでに収集していた、アイ・オーや吉原英雄などと同程度の価格でした。その場で購入、丸めてもらい持ち帰りましたが、これが、私にとって最初のクリスト作品コレクションとなったわけです。
クリスト、「包まれたポートレート、マサ・ヤナギの肖像」1991年 ©Christo, 1991
話を1977年9月の南画廊に戻します。カタログの中に見つけたのは、そうです、先に購入した版画と同じイメージだったのです。この発見が、私に勇気を与えてくれました・・・クリストに話しかける勇気をです。話したのは多分「この版画を持っているので、ここにもサインをして貰えませんか」程度のことだったと思います。MASAHIKO という献辞は、僕が頼んだのか、クリストが訊いてくれたのか覚えていません。また1963年という年代を入れてくれたのは、クリストのサービスでした。
この時の会話としては、「この版画は、パリの何某が出したものだけど、どこで入手したのか?」と聞かれ、「東京の画廊だけど、ここではありません。」と答えたのを覚えています。それ以外に何か話ができたかは思い出せません。

このカタログの、このサインのページ。私にとっては、本当にスペシャルなものです。単に、最初に直接貰ったサインであるだけではなく、「包まれた凱旋門」が、クリストが死の直前まで取り組んでいたプロジェクトとなったからです。
1963年にクリストとジャンヌ=クロードによって構想された「包まれた凱旋門」ですが、ずっと二人の心の中だけのプロジェクトで、具体的な交渉活動に入ることはありませんでした。それが数年前に復活し、昨年の春に許可を得るに至ったのでした。当初は今年の4月に実現の予定でしたが、凱旋門に巣をつくる鳥を保護するために、今年の秋へと延期されました。その後、新型コロナウィルス蔓延の影響で、来年の9月に再延期されました。
クリストは、死の直前までこのプロジェクトのドローイング、コラージュ作品の制作を続けていました。そしてクリストの意を受け継いで、このプロジェクトは来年9月に実現される予定になっています。
クリストが世を去ってから数日後、旧友がお悔やみのメッセージをくれました。「マサさんにとっては、友人であり、父であり、師であった人・・・」と書いて下さってありました。自分では余り意識してはいませんでしたが、まさにその通りだったと、今更にように思っています。
2016年6月、イタリア・イゼオ湖、「フローティング・ピアーズ」の実行地にて
(やなぎ まさひこ)
■柳正彦 Masahiko YANAGI
東京都出身。大学卒業後、1981年よりニューヨーク在住。ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院修士課程終了。在学中より、美術・デザイン関係誌への執筆、展覧会企画、コーディネートを行う。1980年代中頃から、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして「アンブレラ」「包まれたライヒスターク」「ゲート」「オーバー・ザ・リバー」「マスタバ」の準備、実現に深くかかわっている。また二人の日本での展覧会、講演会のコーディネート、メディア対応の窓口も勤めている。
2016年秋、水戸芸術館で開催された「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」も柳さんがスタッフとして尽力されました。
●柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は毎月20日の更新です。
●本日のお勧め作品は安藤忠雄です。
安藤忠雄 Tadao ANDO
「宇都宮プロジェクト II」
1998年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:53.5×65.5cm
シートサイズ:60.0×90.0cm
A版:Ed.10
B版:Ed.35
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
いまだに信じられない気持ちが続いています。
余りに突然で、全く予期していなかったことなので・・・。
それは、クリストの突然の死でした。
アートと本についての連載ですが、今回から数回は、クリストとジャンヌ=クロードとの想い出を書かせていただきます。といっても、連載の趣旨から余り離れるのはと思い・・・本やカタログに纏わる話を中心にしていくつもりです。
今日、紹介させていただきたいのは、1977年9月に東京の南画廊で開かれた展覧会のカタログとそれにまつわるエピソードです。日本で初めての個展を期してのもので、クリスト一人に関する出版物としては、日本で最初の一冊でした。

手元40余年、大切に保管してきたカタログには、2か所にクリストのサインが入っています。

入手したのは、展覧会の初日ではなく、二日目だったと記憶しています・・・大学生の身には、オープニングは敷居の高いものだったからです。クリストが居たらいいな、と思いながら京橋にあったビルのロビー奥の画廊に足を踏み入れると、クリストが一人でソファーに腰かけているのが目に入りました。
他に観客もおらず・・・ラッキーと思い、すぐにカタログを購入していそいそとソファーへ向かいました。カタログを差し出すと、クリストはすぐに表紙を開き、サインをしてくれました。この時には、何か一言でも会話をしたか・・・覚えていません。多分「サンキュー」位は言ったと思いますが。
その後、壁面のドローイング作品や、アクリルケースに飾られた「包まれた缶」などを興奮気味に眺めていきました。その合間にカタログのページもめくっていくと、見慣れたイメージが目に入りました・・・パリの凱旋門を包む計画のフォトモンタージュでした。
ちょっと、時間を遡らせてもらいます。他のところにも、また、この連載でも書かせていただいたかと思いますが、クリストの名前とその創作を知ったのは、テレビ番組からでした。1970年代中頃に、評論家の峯村敏明氏がレギュラー出演する現代美術紹介番組がありました。そこで「ヴァレー・カーテン」の記録映画が放映されたのです。
スケールの大きさ、土木作業のような制作過程などにかなりの刺激をうけたのは、今でもはっきりと覚えています。そして芽生えたクリストへの関心をより大きなものにしたのは、実は、ときの忘れものの綿貫さんの一言でした。当時、綿貫さんが運営していた現代版画センターには、高校生のころから頻繁に出入りさせて貰っていましたが、前述の記録映画を見た数日後にも訪れ、綿貫さんにその興奮を伝えたのでした。。
その時、綿貫さんからとても重要な情報を貰ったのでした。それがなかったならば、これほどクリスト(クリストとジャンヌ=クロード)にのめり込むことはなかったかも知れません。それは、「自由が丘にある画廊で、クリストの版画を売っているよ」でした・・・その時まで、クリストが版画を作っていることは、知る由もなかったのです。
その日だったか、あるいは後日だったかは覚えていませんが、自由が丘に向かいました。多分、綿貫さんが連絡を入れてくれてあったのだと思います、画廊主さんが2点の版画をみせてくれました。ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチ像を包んだ作品と、パリの凱旋門を包んだ作品でした。ダヴィンチ像の方は、紙の上に布が貼られたコラージュ付き版画で、私に手が出せる値段ではありませんでした。一方の凱旋門の方は、コラージュもなく、またエディションも300部だったので比較的廉価で、当時すでに収集していた、アイ・オーや吉原英雄などと同程度の価格でした。その場で購入、丸めてもらい持ち帰りましたが、これが、私にとって最初のクリスト作品コレクションとなったわけです。
クリスト、「包まれたポートレート、マサ・ヤナギの肖像」1991年 ©Christo, 1991話を1977年9月の南画廊に戻します。カタログの中に見つけたのは、そうです、先に購入した版画と同じイメージだったのです。この発見が、私に勇気を与えてくれました・・・クリストに話しかける勇気をです。話したのは多分「この版画を持っているので、ここにもサインをして貰えませんか」程度のことだったと思います。MASAHIKO という献辞は、僕が頼んだのか、クリストが訊いてくれたのか覚えていません。また1963年という年代を入れてくれたのは、クリストのサービスでした。
この時の会話としては、「この版画は、パリの何某が出したものだけど、どこで入手したのか?」と聞かれ、「東京の画廊だけど、ここではありません。」と答えたのを覚えています。それ以外に何か話ができたかは思い出せません。

このカタログの、このサインのページ。私にとっては、本当にスペシャルなものです。単に、最初に直接貰ったサインであるだけではなく、「包まれた凱旋門」が、クリストが死の直前まで取り組んでいたプロジェクトとなったからです。
1963年にクリストとジャンヌ=クロードによって構想された「包まれた凱旋門」ですが、ずっと二人の心の中だけのプロジェクトで、具体的な交渉活動に入ることはありませんでした。それが数年前に復活し、昨年の春に許可を得るに至ったのでした。当初は今年の4月に実現の予定でしたが、凱旋門に巣をつくる鳥を保護するために、今年の秋へと延期されました。その後、新型コロナウィルス蔓延の影響で、来年の9月に再延期されました。
クリストは、死の直前までこのプロジェクトのドローイング、コラージュ作品の制作を続けていました。そしてクリストの意を受け継いで、このプロジェクトは来年9月に実現される予定になっています。
クリストが世を去ってから数日後、旧友がお悔やみのメッセージをくれました。「マサさんにとっては、友人であり、父であり、師であった人・・・」と書いて下さってありました。自分では余り意識してはいませんでしたが、まさにその通りだったと、今更にように思っています。
2016年6月、イタリア・イゼオ湖、「フローティング・ピアーズ」の実行地にて(やなぎ まさひこ)
■柳正彦 Masahiko YANAGI
東京都出身。大学卒業後、1981年よりニューヨーク在住。ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院修士課程終了。在学中より、美術・デザイン関係誌への執筆、展覧会企画、コーディネートを行う。1980年代中頃から、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして「アンブレラ」「包まれたライヒスターク」「ゲート」「オーバー・ザ・リバー」「マスタバ」の準備、実現に深くかかわっている。また二人の日本での展覧会、講演会のコーディネート、メディア対応の窓口も勤めている。
2016年秋、水戸芸術館で開催された「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」も柳さんがスタッフとして尽力されました。
●柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は毎月20日の更新です。
●本日のお勧め作品は安藤忠雄です。
安藤忠雄 Tadao ANDO「宇都宮プロジェクト II」
1998年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:53.5×65.5cm
シートサイズ:60.0×90.0cm
A版:Ed.10
B版:Ed.35
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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