尾崎森平のエッセイ「長いこんにちは」第11回
『絵画について・前編』
お陰様でこのブログもとうとう十一回目を迎えました。思えば遠くへ来たもんだ。コラ、森平なんばしよっと。
こんにちは、尾崎 森平です。
昨年の9月から始めた ときの忘れもの さんのブログの連載も、遂に残すところ二回となりました。他の執筆者さまのような読み応えのあるブログを書けたとは露程も思いませんが、本ブログのタイトル通り、長い長い自己紹介として受け止めて頂き、少しでも面白がっていただけたらという想いで執筆させて頂きました。
今回と最終回の二回を使い、最後にわたくし尾崎森平がペインターとして「絵画」という表現媒体をどう考えているか、ということについて、なるべく分かりやすく伝わるよう語ってみようと思います。
それでは、早速。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
前回は〝自作について語ることは難しい〟という口下手アーティストの弁明(本音)を書かせていただいたのだが、よくよく考えてみれば絵画はポスターではないのだから、そりゃそうなのだ。
ポスターの本質はキャッチコピーと同じく、具体的な行動を促すメッセージの伝達手段だ。だからこそ、そのポスターを構成するひとつひとつを分解してみせ、その組み合わせがどれだけ効果的であるかをクライアントに提示できなくてはならない、そもそも他者に説明をすることを含んだ構造をしている。しかし、近代以降の絵画は極めて私的な動機によって作られる能動的なものだ。よって他人からみれば首を傾げる動機であっても、描かれたものが不条理非合理極まりなくても、それは一向に構わないわけで、そういった作品を説明というロジックに落とし込む場合、商業デザインであるポスターのそれとはまったく異なったものになる。説明しにくく、伝わり辛いのは当然だ。それに僕だって、未だに過去の偉大な芸術家たちの作品に対する満足のいく解説文を読んだことなど一度もない。
おっと、前回のブログの長い注釈のようになってしまった。ご無礼。平たく言えば、ポスターがキャッチ・コピーなら、絵画は詩のようなものだ。ポスターやキャッチ・コピーとは違い、絵画の放つ弾丸は詩と同じで時代を超える長い射程距離が求められる。ターゲットの対象は現代人からまだ見ぬ未来人をも含んでいる。ゆえに時の流れに身を任せ、時代の色に染められ、そのまま流れて消えてしまってはいけないのだが、その時代の生き字引として、後の世でも当時の残り香を、画家の生の影が立ち現れる装置として機能しなくてはならない(アンフラマンス)。それに引き換えポスターは、むしろ時の流れに身を任せるどころか、進んで時代の大波をテイクオフし、近距離で確実に現代人のハートを撃ち抜くことが至上命題なのだ。バン!
とまぁ、ここまでポスターと絵画の違いを論じてきたのだが、今やこれら静止画媒体は危機に瀕している。広告業界ではポスターから電子広告が主流となり、出版業界においても雑誌や書籍の発行部数は右肩下がりだ。美術界に於いても、今や国際芸術展に於けるペインターの占める割合は少ない。美術史に名を刻んだ作家を振り返れば殆どがペインターであるにも関わらず。
その大きな理由は「情報量の違い」だ。絵画やポスターなどの静止画と比べ、動画やインスタレーションの方が情報量は圧倒的に多い。静止画は媒体が限定され、動画のように時間軸も無い。この差は圧倒的だ。だからポスターは細かい情報の伝達より、イメージを伝えることに専念する(居酒屋さんに貼ってあるキャンペーン・ガールが南国のビーチでビールジョッキ片手にポーズをキメている酒造会社のポスターに、どれ程のビールの情報があるだろう)。
しかし、しかしである。では僕ら人類はそんな時代遅れで役立たずの低スペックな静止画が〝嫌い〟なのか?いや、断じてそれは無い。寧ろ僕らは静止画が〝大好き〟なのだ!!
【タイトル】林檎の木
【サイズ】1440×1820×50mm
【素材】アクリル、キャンバス、パネル
【制作年】2013~2014年
(おざき しんぺい)
■尾崎森平 Shinpey OZAKI
1987年仙台市生まれ 。岩手大学教育学部芸術文化課程造形コース卒業。現代の東北の景色から立ち現れる神話や歴史的事象との共振を描く。2016年「VOCA 2016 現代美術の展望ー新しい平面の作家たち 」大原美術館賞 。平成27年度 岩手県美術選奨。2019年4月ときの忘れもの「Tricolore2019―中村潤・尾崎森平・谷川桐子展」に出品。2020年2月リアスアーク美術館個展「N.E.blood 21 vol.73 尾崎森平展」、2020年2月ギャラリー ターンアラウンド個展「1 9 4 2 0 2 0」開催。
ホームページ https://shinpeywarhol.wixsite.com/ozaki-shinpey
●尾崎森平のエッセイ「長いこんにちは」は毎月25日の更新です。
●本日のお勧め作品は植田実です。

植田実 Makoto UYEDA
《同潤会アパートメント 江戸川》(3)
ラムダプリント(2014年プリント)
24.4×16.3cm
Ed.7 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
『絵画について・前編』
お陰様でこのブログもとうとう十一回目を迎えました。思えば遠くへ来たもんだ。コラ、森平なんばしよっと。
こんにちは、尾崎 森平です。
昨年の9月から始めた ときの忘れもの さんのブログの連載も、遂に残すところ二回となりました。他の執筆者さまのような読み応えのあるブログを書けたとは露程も思いませんが、本ブログのタイトル通り、長い長い自己紹介として受け止めて頂き、少しでも面白がっていただけたらという想いで執筆させて頂きました。
今回と最終回の二回を使い、最後にわたくし尾崎森平がペインターとして「絵画」という表現媒体をどう考えているか、ということについて、なるべく分かりやすく伝わるよう語ってみようと思います。
それでは、早速。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
前回は〝自作について語ることは難しい〟という口下手アーティストの弁明(本音)を書かせていただいたのだが、よくよく考えてみれば絵画はポスターではないのだから、そりゃそうなのだ。
ポスターの本質はキャッチコピーと同じく、具体的な行動を促すメッセージの伝達手段だ。だからこそ、そのポスターを構成するひとつひとつを分解してみせ、その組み合わせがどれだけ効果的であるかをクライアントに提示できなくてはならない、そもそも他者に説明をすることを含んだ構造をしている。しかし、近代以降の絵画は極めて私的な動機によって作られる能動的なものだ。よって他人からみれば首を傾げる動機であっても、描かれたものが不条理非合理極まりなくても、それは一向に構わないわけで、そういった作品を説明というロジックに落とし込む場合、商業デザインであるポスターのそれとはまったく異なったものになる。説明しにくく、伝わり辛いのは当然だ。それに僕だって、未だに過去の偉大な芸術家たちの作品に対する満足のいく解説文を読んだことなど一度もない。
おっと、前回のブログの長い注釈のようになってしまった。ご無礼。平たく言えば、ポスターがキャッチ・コピーなら、絵画は詩のようなものだ。ポスターやキャッチ・コピーとは違い、絵画の放つ弾丸は詩と同じで時代を超える長い射程距離が求められる。ターゲットの対象は現代人からまだ見ぬ未来人をも含んでいる。ゆえに時の流れに身を任せ、時代の色に染められ、そのまま流れて消えてしまってはいけないのだが、その時代の生き字引として、後の世でも当時の残り香を、画家の生の影が立ち現れる装置として機能しなくてはならない(アンフラマンス)。それに引き換えポスターは、むしろ時の流れに身を任せるどころか、進んで時代の大波をテイクオフし、近距離で確実に現代人のハートを撃ち抜くことが至上命題なのだ。バン!
とまぁ、ここまでポスターと絵画の違いを論じてきたのだが、今やこれら静止画媒体は危機に瀕している。広告業界ではポスターから電子広告が主流となり、出版業界においても雑誌や書籍の発行部数は右肩下がりだ。美術界に於いても、今や国際芸術展に於けるペインターの占める割合は少ない。美術史に名を刻んだ作家を振り返れば殆どがペインターであるにも関わらず。
その大きな理由は「情報量の違い」だ。絵画やポスターなどの静止画と比べ、動画やインスタレーションの方が情報量は圧倒的に多い。静止画は媒体が限定され、動画のように時間軸も無い。この差は圧倒的だ。だからポスターは細かい情報の伝達より、イメージを伝えることに専念する(居酒屋さんに貼ってあるキャンペーン・ガールが南国のビーチでビールジョッキ片手にポーズをキメている酒造会社のポスターに、どれ程のビールの情報があるだろう)。
しかし、しかしである。では僕ら人類はそんな時代遅れで役立たずの低スペックな静止画が〝嫌い〟なのか?いや、断じてそれは無い。寧ろ僕らは静止画が〝大好き〟なのだ!!
最終回に続く、、、
【タイトル】林檎の木【サイズ】1440×1820×50mm
【素材】アクリル、キャンバス、パネル
【制作年】2013~2014年
(おざき しんぺい)
■尾崎森平 Shinpey OZAKI
1987年仙台市生まれ 。岩手大学教育学部芸術文化課程造形コース卒業。現代の東北の景色から立ち現れる神話や歴史的事象との共振を描く。2016年「VOCA 2016 現代美術の展望ー新しい平面の作家たち 」大原美術館賞 。平成27年度 岩手県美術選奨。2019年4月ときの忘れもの「Tricolore2019―中村潤・尾崎森平・谷川桐子展」に出品。2020年2月リアスアーク美術館個展「N.E.blood 21 vol.73 尾崎森平展」、2020年2月ギャラリー ターンアラウンド個展「1 9 4 2 0 2 0」開催。
ホームページ https://shinpeywarhol.wixsite.com/ozaki-shinpey
●尾崎森平のエッセイ「長いこんにちは」は毎月25日の更新です。
●本日のお勧め作品は植田実です。

植田実 Makoto UYEDA
《同潤会アパートメント 江戸川》(3)
ラムダプリント(2014年プリント)
24.4×16.3cm
Ed.7 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
コメント