佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第46回

インド小休止、秋田へ

 先月投稿の、タゴールの手紙についての文章をかいているころ(つまり9月の下旬あた り)から、私のいる福島の方でもようやく人々の動きが出始めているような空気をかんじはじめた。幹線道路は県外のナンバーの車もポツポツと見つけるようになった。
 まだまだ海を超えてのインドにいくことはむずかしいけれども、東北の中で福島の斜向かいくらいにある秋田県を訪れる機会ができた。どうやら来年の半ばころにはじまる予定のある展示にむけた、制作の準備、下調べとしておとずれた。
 文献を元にしたインド・シャンティニケタンに関する調査も細々とーーもっと図太くしなければなのだがーーつづけているが、今回は備忘録をかねて近況の報告、近くの異郷・ 秋田訪問についてかいておきたい。
 秋田について調べてみようと、意気込んで秋田行きを決めてはみたが、いかんせんほとんど何もわからない。ナマハゲとキリタンポくらいしかしらない自分が情けなくなった。 が、実は幸運にも、ある友人が秋田に住んでいることを思い出した。彼、橋本くんは大学院を卒業してから秋田の南の方の秋の宮という集落にいて、そこでマタギの修行をつづけているのを知っていた。早速連絡をとって秋の宮を訪れた。

 秋の宮は古くから温泉郷として知られ、秋田で最も古い温泉地ともいわれている。日本海側から太平洋側の仙台へぬける道は、下道であれば、秋の宮を通る一本道をぬけて、宮城県の鳴子を通り、古川へ着くというルートをとる。最近までは秋の宮と鳴子の間の山道は冬は封鎖されるものだったらしい。秋の宮の集落はその街道ぞいに温泉宿が点在しつつ、その下を流れる谷地の川に沿って田んぼと民家が並んでいる。訪れたころはすでに稲刈りは終わっていた時期だった。籾殻をくん炭している家も多く、香ばしい煙があちらこちらで上がっている。集落を取り囲む山々も少しばかり色づいていた。
202011佐藤研吾_1秋の宮の地図。集落の名前のいくつかを教えてもらったメモ。
202011佐藤研吾_2訪れた時には稲刈りは終わり、向こうの山の木々が色づきはじめている。

 修業中の橋本くんに会う。いまは山のキノコ採りが盛りらしく、とても忙しそうにしている。彼が弟子入りをしているマタギの方が営むキノコ屋では、マイタケ、サワモタケ、ヒラタケ、(他にももっとたくさんあった)など様々なキノコがてんこ盛りになって売られている。それを求めて人もひっきりなしに訪れていた。
 彼はもう6年か7年は同じ山に入り続けているだろうし、山を外からも内からも眺めて視ている風景の細やかさは平場の人間とはまるで違うものなのだろう。同行している山道の途中、「あっ」と急に車を止めて道の脇に生えていたヤマブドウの実を見つけて採ったり、自分とはまったくちがう眼を持っているのを強くかんじる。
 山へ行くにはどんな道具がいるのかと尋ねると、鉈、カゴ、スパイク足袋、くらいだという。猟期となる冬はそれに猟銃、小刀、生ゴムの長靴にカンジキ、と雪道で使うヘラという長い棒くらいだそうだ。道具と荷物が少ない。あとは山で採れる枝なりツタを使って都度つど道具にこしらえるらしい。引っ越しの度に、自分が蓄えてしまった膨大な荷物の移動にヒーヒーと音を上げている自分を恥じる。
 マタギ、と聞けば、なんとなくクマを獲るハンターのことだと思っていた。マタギのクマ獲りについての話や本もたくさんある。けれどもマタギの彼らは自分たちとハンターは違うという。彼らは里で農業もやるし、春は山菜を採りにいって、夏は川でイワナやマスを釣り、秋はキノコを、そして冬はクマや動物を獲りに行く。季節の移り変わりと山がうつろうそのままに、山での仕事は変わる。一年を通じて、目の前の山と共に生きている人たちのことをマタギというようだ。目の前の山、というのがどうも大事なのかもしれない。その緑の塊の中の、見えない内奥のうごめきに我が身を任せることができる人たちだ。

 里の方で暮らしている自分はとにかくモノを作る生業をしている。建築を設計し、新しく空間を設えたりする仕事はまるで飽きない。道具への執拗な愛着があるし、気になる道具や造形物があったら買ったり拾ったりして、作りたいと思いついたらどんどん作ってしまっては、家のあちこちに転がっている。世界の中でモノの量を増やすことに加担しているのは間違いない。
 しかし、はて、自分は一体なにと「共に生きている」のだろうか、と不安に思うこともある。エコロジストは地球、と投げやりにいうだろう。共生主義者は人類をふくむ全ての生命とでもいうかもしれない。だが自分はそんな矜恃はいささかもない。そんな超越的な視点を持つことを信じられないからだ。抽象の中だけで世界を組み立ててしまうことに物足りなさを感じる。
 自分がわかるのは目の前にいる、あるモノたちだけである。今原稿を書いている机に乗ってきたネコ(名はコロという)、近所の人から頂いて今朝食べた野菜(少し早い冬野菜)、半分壊れているけどまだ使える古道具、錆びてしまっていてすこし研がなければいけないナタやノミとカンナ。自分を取り囲む目の前のモノたちと共に自分は生きているのだ、といい切ることはできる。目の前のモノを視て、そのモノたちが抱える世界、背景にある世界を想像してみる。そこまではできる。それ以上はできない。自分と共にある世界におぼろげな、けれども感触のある輪郭をみて、その輪郭から外へと伸びている菌糸のような繋がりをたぐり寄せていこう、という感覚が自分にはある。
 秋田での展示は、そんな心持ちを率直に表してみようと考えている。

202011佐藤研吾_3展示に関する初期スケッチ。秋田で手に入れたナタの刃から、柄の形を考える連続的な実験をしてみようと考えている。

さとう けんご

佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。
現在、福島県大玉村教育委員会地域おこし協力隊。

◆佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。

●本日のお勧め作品は平嶋彰彦です。
hirashima-06
平嶋彰彦 HIRASHIMA Akihiko
《新宿三丁目(角筈一丁目) 御大典広場の飲食店》
1985.9-1986.2(Printed in 2020)
ゼラチンシルバープリント
シートサイズ:25.4x30.5cm
Ed.10   Signed  
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「平嶋彰彦写真展 — 東京ラビリンス」を開催しています(予約制/WEB展)。
会期=2020年11月6日[金]—11月28日[土]*日・月・祝日休廊
無観客ギャラリートーク 平嶋彰彦さん・大竹昭子さん

324_aときの忘れものは平嶋彰彦さんのポートフォリオ『東京ラビリンス』を刊行します。
『昭和二十年東京地図』(写真・平嶋彰彦、文・西井一夫、1986、筑摩書房)の中から、監修の大竹昭子さんが選出したモノクローム写真15点を収録しました。
平嶋彰彦さんがエッセイ「 ”東京ラビリンス”のあとさき 」をブログで連載しています。
森山大道さんの「平嶋彰彦展~写真を支える多様なレイヤー」もあわせてお読みください。

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
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