王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」第11回

「分離派建築会100年展 建築は芸術か?」を訪れて

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 パナソニック汐留美術館で2020年10月10日から12月15日まで「分離派建築会100年展 建築は芸術か?」が開催されています。分離派建築会の結成から100年を迎えることを記念し、8年間にわたり研究とシンポジウムを重ねてこられた「分離派100年研究会」の学術協力による展覧会です。

 学生時代に書籍などで山田守、堀口捨己、山口文象らの名前を見て以来、筆者が分離派建築会に”再会”したのは、埼玉県立美術館「インポッシブル ・アーキテクチャーーもうひとつの建築史ー」展(*1)で展示された瀧澤眞弓「山の家」、山口文象「丘上の記念塔」、分離派建築会第6回展の公募で入選した川喜田煉七郎「霊楽堂(或る音楽礼拝堂の設計)」の白い模型でした。それらの、粘土を練って手で考えられたような量塊感ある模型は、アンビルトの幻の建築が集められた展示会場の中であっても、明らかな異質さ、生命感を発していました。今回の展覧会では、「SYMPHONY OF VOLUMES」(*2)にそういった分離派建築会の造形的な作品が収められています。

 メンバー個々の作風も異なり、グループとして捉えどころのない印象のある分離派建築会ですが、本展を通して、彼らの二面性とその移行を見ることができると感じました。つまり、内面的で情緒的な側面と、分析的で即物的な芸術的側面を孕んでいた彼らが、大正半ばから昭和初期にかけて、自己表現の世界から社会的な役割へとシフトしていった姿を映した展覧会だったと考えます。

*1:「インポッシブル ・アーキテクチャー」展については、当ブログで富安玲子さんと、石原輝雄さんが執筆されていらっしゃいます。
ブログ2019年3月20日『富安玲子のエッセイ「インポッシブル・アーキテクチャー」2月2日 - 3月24日』
ブログ2020年1月30日『新連載・石原輝雄のエッセイ「美術館でブラパチ」第1回』

*2:「SYMPHONY OF VOLUMES」は、本展のために制作された映像。岩波書店「分離派建築会の作品第三」(1924)に収められた作品の中から”彫刻とも見間違える”8点をCGにしたもの。山田守「父の墓」、石本喜久治「composition」、瀧澤眞弓「公館」(早稲田大学講堂設計競技案)、蔵田周忠「停車場案」(大連駅の設計案)、堀口捨己「船川氏の住宅」、矢田茂「ある土地の記念館」(宇宙の交響楽)、森田慶一「公館」(京都帝国大学 同窓会館「楽友会館」)、山口文象「住宅」(オーケストラ建築)が含まれる。


1、展覧会の構成
 本展は9つのパートからできています。各パートの副題は作品リスト(*3)にあるため割愛し、おおまかには、第一章が分離派結成の背景となった様式建築と分離派建築会の先輩にあたる野田俊彦と後藤慶二の紹介、第二章が分離派建築会発足とメンバーの卒業設計、トピック1として平和記念東京博覧会のパビリオン設計、第三章に”彫刻”への関心、第四章に”田園”への関心、トピック2として関東大震災からの復興、第五章は鉄筋コンクリート造の意匠、第六章は”構成”としての建具と家具、第七章はそれぞれのその後、といった内容でした。

 分離派建築会は、1920(大正9)年の夏に卒業を間近に控えた東京帝国大学建築学科3年生の石本喜久治、瀧澤眞弓、堀口捨己、山田守、森田慶一、矢田茂の6人が、様式建築の模倣的使用をしていた過去建築圏からの分離を掲げて結成されました。その活動は、作品とテキストを展覧会と作品集を通じて発表され、途中に大内秀一郎、蔵田周忠、山口文象が加わり、1928(昭和3)年まで続きました。それぞれが独自の建築の創作を行い、個性が尊重された穏やかなつながりだったようです。

 本展の会場構成は京都の木村松本建築設計事務所が手掛けられ、上記9つのパートを横軸とし、縦軸には分離派建築会作品展と作品集の流れを追っています。個々の作品に対し、会としての全体の遷移が掴める効果的な配置でした。

*3:https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/20/201010/pdf/list.pdf

2、分離派建築会作品展から見えること
 分離派建築会は、在学中に行った秀作展、7度の作品展と2度の関西展に加え、関東大震災後の帝都復興創案展覧会に出展し、計6冊の作品集を残しました。展覧会はおそらく戦略的に、主に東京、京都、大阪の百貨店で行われ、第4回と第7回の展示風景写真から盛況だった様子がうかがえます。話が逸れますが、分離派建築会作品展に限らずこの頃の展覧会場の写真資料にはカンカン帽を被った鑑賞者が実に多く、当時の流行に驚きます。ともあれ、外出時に帽子を被る習慣は素敵だと思います。話を元に戻しますと、作品展第1回(1920年)は卒業制作と授業の課題、1922・1924年の関西展を含む第2回(1921年)から第4回(1924年)までは、創案ドローイングと勤務先での計画案が展示されました。そして、第5回(1926年)、第6回(1927年)は勤務先の計画案が顕著になり、病院、レストラン、浴場、集合住宅など都市社会で生活を支える建築物、第7回(1928年)では家具/インテリア空間と、公共性を持つ大規模建築物の創案が展示されたとのことです。
 これらの内容から、彼らの芸術性が個人的な関心ごとから徐々に社会ニーズへの応答に繋がっていった流れが見られるのではないでしょうか。(もちろん、両者に明確な線を引くことはできませんし、瀧澤眞弓、森田慶一らのように後に研究職に進んだ者や、山口文象が「創宇会」として両者を継続的に両立したことは断っておかなくてはいけませんが。)その理由のひとつとして、怒涛だった時代背景に目を向けてみたいと思います。

2-1、個人の関心に注力した時期
 分離派建築会が活動を始めた頃、ヨーロッパではダダやデ・ステイル、ロシアでは構成主義が始まっていました。1919年にバウハウスが設立され(エッセイ第9回)、1924年にシュルレアリスムが宣言されました。日本では、1920年代前半に未来派美術協会、尖塔舎、アクション、マヴォ、山口文象を中心とする創宇社、岸田日出刀を中心とするラトー、今井兼次・佐藤武夫を中心とするメテオールなどの美術/建築グループが次々と誕生し、1923年の関東大震災で壊滅した東京で、木造仮設建築を舞台に美術活動を行なったり、帝都復興創案展覧会に出展したりしました。このように大正時代は、さまざまな思想が文学や芸術に影響を及ぼし、混沌としつつも自由で多様な時代だったと言われています。その中で生命、個人、理想も重要な主題でした。
 そうした時代を背景として、初回から第4回作品展には、森田慶一の「屠場」、山田守「国際労働協会」などの各卒業設計、作品集の表紙となった堀口捨己の「斎場の試案」、前述の「SYMPHONY OF VOLUMES」(*2)に含まれる作品などが展示されました。分離派建築会としては、個や内面性を打ち出すタイプの作品が惜しげなく発表され、自己と建築の芸術性を同時に追求した時期だったのではないでしょうか。分離派建築会の序盤の魅力のひとつはこうした自己表現にあり、アンビルトや創案の独創性だったと考えます。

2-2、社会の要求に応答した時期
 関東大震災後の仮設建築期間を経て、都市の復興と新興住宅地の開発とともに鉄筋コンクリート造が普及します。1920年代後半にはモダン・ムーブメントが流入し、1927年にインターナショナル建築会が発足しました。ヨーロッパでは、1925年にパリ万博でル・コルビュジエのエスプリヌーヴォー館(エッセイ第1回)が発表されました。
 第5回から第7回作品展には、山田守「岩槻受信所」(1924)、森田慶一「北野病院」(1927)、石本喜久治「東京朝日新聞社」(1927)、蔵田周忠「京王閣」(1927、家族向け娯楽施設)などが展示されました。加速と転換の時代を背景に、彼らは都市機能を支える環境整備や新興住宅地の開発に伴う実務を通して、社会に求められた新しい機会に応答し、鉄筋コンクリートを用いた建築の芸術性を追求していったのではないでしょうか。

3、”彫刻”について
 本展では、”田園”や”構成”といったキーワードも上がっているのですが、分離派建築会の活動の早い段階でメンバーが影響を受けたのは近代彫刻でした。石本喜久治の卒業設計「納骨堂(涙凝れりーある一族の納骨堂)」では、表現主義彫刻への関心が立面図と作品集内の内観パースに確認できます。
 展覧会場では、1910年代に熱狂的に愛されたロダン作品の他に、カリグラフィを思わせる流麗で伸びやかな作品のオズヴァルト・ヘルツォーク、細長に伸びた人物表現が特徴のヴィルヘルム・レームブルック、人間の悩みや喜びに浸る姿を表したエルンスト・バルラッハ、人体を再構成して表現したジャック・リプシッツ、同じく人体を再構成し、その中に空洞を考案したアレクサンダー・アーチペンコの彫刻が展示されています。これらは抽象に向かっていった量感の表現としては一括りかもしれませんが、内面性を表現したドイツ表現主義彫刻と、対象の本質を抽出し幾何学形態に還元するキュビズム彫刻では対照的とも言え、分離派建築会のメンバー自身が孕んでいた二面性のように感じました。つまり、自己や主観を表現する手法と、冷静で分析的で即物的なアプローチ、という異なる傾向を彼らが関心を持った彫刻が暗示しているのではないでしょうか。

4、楽しみ方の提案
 最後に、私ごときが僭越ですが、卒業設計を起点に誰か一人に着目する楽しみ方を提案したいと思います。卒計の図面は図録や写真ではわからない実物を見る楽しみが多い資料で、線の太さ、色の濃淡、筆跡、添景などが観察できます。図面は各1枚しか展示がないため、端末で展示されている作品集「分離派建築会宣言と作品」を併せて閲覧すると更に楽しめると思います。

 例えば、瀧澤眞弓の卒計「山岳倶楽部」は、6人の中でも特に美しいモノクロの諧調豊かな図面で、建築形態には躍動感が見られます。展示されている立面図は水平のGL(地盤面の直線)に載っているので、まるで平らな敷地に設計されたように見えますが、作品集の中の立面図から、立地が山間であり、背景の連なる山々と調和する形状が意図された生き生きとした建築であることがわかります。その後の彼の作品として、 反り返った曲面を持つ「山の家」、切妻の茅葺き屋根が載り、三角・四角の窓のある「日本農民美術研究所」が展示されており、「山」が何を意味するのか気になりますし、都会主義には否定的だった気質がうかがえます。実作品と研究を通じて、建築の芸術性を探究した生涯だったようです。

 また、例えば、堀口捨己の卒計「精神的な文明を来らたしめんために集る人人の中心建築への試案」は正直、植栽や外壁の表現に説得力がありませんが、ドーム型の屋根と背後の長方形の枠は何やら気になります。堀口の作品は「斎場の試案」、「ある博覧会の試案」、「紫烟荘」、「吉川邸」、「小出邸」、「岡田邸」が展示されており、初期の作品は、横長プロポーションの長方形の枠の中に立面図が描かれ、建築作品を外の世界から切り取る意思が強く感じられます。更に、作品の多くにドーム、宝形、懸垂曲面といった目立つ形状の屋根が被さっており、作品集「分離派建築会宣言と作品」の「会堂」、「美術館の試案」にも屋根への関心は見られます。「吉川邸」は、鉄筋コンクリート造で水平を強調した陸屋根ですが、展示会場のパネルと図録に掲載された設計段階の立面図では薄らと名残惜しげに”屋根”が描かれているのです。なぜこんなに屋根に執着しているのだろう、と不思議に思います。他にも、「紫烟荘」、「吉川邸」、「岡田邸」に見られる建築と庭の関係は比較して考えられます。

 大正時代は美術展覧会についても、新聞や雑誌への投稿で美術ファンが活発に論じたそうです。本展は京都にも巡回しますし、展覧会に訪れた人が自由に感想を発言して、ちょっとした分離派ブームが起こることを密かに期待したりしています。
おう せいび

分離派建築会100年展 建築は芸術か?
poster会期:[前期]10月10日~11月10日、
[後期]11月12日~12月15日
会場:パナソニック汐留美術館
住所:東京都港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4階
電話番号:050-5541-8600 
開館時間:10:00~18:00 
※入館は閉館の30分前まで 
休館日:水 
料金:一般 800円 / 65歳以上 700円 / 大学生 600円 / 中学・高校生 400円 / 小学生以下無料


王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ。京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。国内、中国、シンガポールで図書館など教育文化施設の設計職を経て、2018年より建築倉庫ミュージアムに勤務。主な企画に「Wandering Wonder -ここが学ぶ場-」展、「あまねくひらかれる時代の非パブリック」展、「Nomadic Rhapsody-”超移動社会”がもたらす新たな変容-」展、「UNBUILT:Lost or Suspended」展。

●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」は偶数月18日に掲載していますが、今回は特別に掲載しました。次回は12月18日です。どうぞお楽しみに。

●本日のお勧め作品は平嶋彰彦です。
hirashima-15平嶋彰彦 HIRASHIMA Akihiko
《九段南一丁目(九段一丁目) 幽霊アパートと呼ばれた官舎》
1985.9-1986.2(Printed in 2020)
ゼラチンシルバープリント
シートサイズ:25.4x30.2cm
Ed.10   Signed  
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◆ときの忘れものは「平嶋彰彦写真展 — 東京ラビリンス」を開催しています(予約制/WEB展)。
会期=2020年11月6日[金]—11月28日[土]*日・月・祝日休廊
無観客ギャラリートーク 平嶋彰彦さん・大竹昭子さん

324_aときの忘れものは平嶋彰彦さんのポートフォリオ『東京ラビリンス』を刊行します。
『昭和二十年東京地図』(写真・平嶋彰彦、文・西井一夫、1986、筑摩書房)の中から、監修の大竹昭子さんが選出したモノクローム写真15点を収録しました。
平嶋彰彦さんがエッセイ「 ”東京ラビリンス”のあとさき 」をブログで連載しています。
森山大道さんの「平嶋彰彦展~写真を支える多様なレイヤー」大竹昭子さんの「東京上空に浮遊する幻の街 平嶋彰彦写真展に寄せて」もあわせてお読みください。

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。