柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」第23回
アンブレラ・プロジェクトの全記録
クリスト、ジャンヌ=クロードとの、本にまつわる想い出は、先月までのつもりでしたが・・・一番大切な本のことを忘れていまいした。ですので、今月も昔話しにさせていただきます。

その一冊は、1999年にドイツのタッシェンから出版された、「アンブレラ、日本=アメリカ合衆国、1984-1991」。1991年に茨城とカリフォルニアを結んで実現した、アンブレラ・プロジェクトの全記録集とも呼べるものです。34×39センチ、2巻本で、合計1422ページ、厚さは約11センチもあります。




以前にも書いたと思いますが、クリストとジャンヌ=クロードは、1968年の「5600立方メートルのパッケージ」を皮切りに、実現した大規模なプロジェクトの大半で、記録集を出版しました。その中でも最大規模のものが、この「アンブレラ」でした。


この本では、私はジャンヌ=クロードと共に、共同執筆者とさせて貰いました。といっても、論文的なテクストや、エッセイを執筆したわけではなく、書いたのはプロジェクトの各段階を記録したドキュメント写真のキャプションでした。


といっても、単に何時、何処、誰だけではなく、関連する様々な情報も含めた記述的なキャプションを書き、それを追っていくとプロジェクト実現までの足取りが、細かく辿れることを目指しました。
共同執筆の作業は、多分、1996年の前半にスタートし、数か月にわたったと思います。ただ、この記録集のための作業には、その数年前から参加していました。
まず、実現したプロジェクトを捉えた写真の分類作業でした。本のレイアウトは、それまでの記録集同様に、その細部までクリスト一人で行いましたが、その下準備でした。クリストが選びやすいように、アングルや、天候、クローズアップ、遠景などで分類したり、傘の下で食事をする人々、連なる車と傘・・・といったグループをつくっていきました。
ちなみに、専属の写真家、フォルツとそのスタッフが、何枚の写真を撮影したか、今は思い出せません。ただ、茨城で使用するためのフィルムを、東京の量販店まで買い出しに行った時、支払額が150万円ほどだったことは覚えています。
さて写真選びは、まず撮影されたポジをプロジェクションしながら、クリスト、ジャンヌ=クロード、フォルツの3人で荒選びをすることから始まりました。そこで選ばれたイメージは、全てがサービスサイズにプリントされました。それらを、前記のように分類するのが、私のこの本に関係する最初の仕事だったわけです
次のステップは、書類の選択と分類でした。カリフォルニア、茨城、東京のオフィスから段ボールで送られてきた無数の書類、それに、ニューヨークのオフィスに保管してあった書類。その中から、記録集に掲載するに値するものを選ぶ作業でした。茨城から送られてきた書類の中には、当然、日本語だけのものも多く、それらに関しては、ジャンヌ=クロードに口頭で内容を伝え、彼女が余白にメモを書き入れていきました。
これらの写真と書類の束が、クリストのスタジオに送られ、レイアウト作業が始まったわけです。そして、出来上がったのがクリストによるダミー本です。クリストとジャンヌ=クロード用、出版社用、そして私用と、3冊だけつくられた希少本です。
そして、キャプション書きが始まりました。ジャンヌ=クロードのオフィスで、コンピュータの前に隣同志に座り、ダミー本のドキュメント写真をみながら、内容を検討し、思い出し、説明を書いていったわけです。正確を期するために、エンジニアへ電話をしたり、また、私が日本に一時帰国した際に、茨城県庁まで向かって事実確認をしたこともありました。
オフィスでの作業は、ジャンヌ=クロードのタバコの煙との闘いでもありましたが、夕刻になると、クリストが特製のブラディマリーを作ってきてくれました・・・どちらも、とても、とても懐かしいも思い出です。
ドイツのタッシェンが刊行したこの本ですが、文章は英語と日本語です。はい、最後の仕事は、文章の翻訳でした。自分自身で書いたキャプションなので、内容の把握は問題なかったのですが、一つ難問がありました。日本で撮影されたドキュメント写真には、撮影したフォルツのメモをもとに、写された人たちの名前が記されていました。が、それは全てローマ字表記。名前の漢字を確定するために、またも多数の電話をあちらこちらにかける必要がありました。


昨日、久しぶりにこの本を開いてみました・・・まだまだ若々しいクリストとジャンヌ=クロード。プロジェクトが実現した時、二人は56歳でした。今の私より若い時に、あのプロジェクトを実現した二人、やはりスーパーアーティストだったのだと、改めて思っています。
(やなぎ まさひこ)
■柳正彦 Masahiko YANAGI
東京都出身。大学卒業後、1981年よりニューヨーク在住。ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院修士課程終了。在学中より、美術・デザイン関係誌への執筆、展覧会企画、コーディネートを行う。1980年代中頃から、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして「アンブレラ」「包まれたライヒスターク」「ゲート」「オーバー・ザ・リバー」「マスタバ」の準備、実現に深くかかわっている。また二人の日本での展覧会、講演会のコーディネート、メディア対応の窓口も勤めている。
2016年秋、水戸芸術館で開催された「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」も柳さんがスタッフとして尽力されました。
●柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は毎月20日の更新です。
*画廊亭主敬白
本日11月20日は私たちが敬愛する駒井哲郎先生の命日です(1920年6月14日生 - 1976年11月20日没)。
上掲の柳さんの文章にある通り、あの歴史的なクリストとジャンヌ=クロードの「アンブレラ」プロジェクトが実現したのが二人が56歳のときとあります。不思議な符合ですが、56歳の若さで逝った駒井先生の最後の新作展の時代を柳さんも亭主も現代版画センターで共有しています。今年は駒井先生の生誕100年にあたりますが、亭主の「駒井哲郎を追いかけて」のブログ連載第1回~第68回の総目次をご参照ください。
●本日のお勧め作品は駒井哲郎です。
駒井哲郎「時間の玩具」
1970年 アクアチント(カラー)
イメージサイズ:38.5×23.0cm
シートサイズ:49.0×32.3cm
Ed.30 Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
アンブレラ・プロジェクトの全記録
クリスト、ジャンヌ=クロードとの、本にまつわる想い出は、先月までのつもりでしたが・・・一番大切な本のことを忘れていまいした。ですので、今月も昔話しにさせていただきます。

その一冊は、1999年にドイツのタッシェンから出版された、「アンブレラ、日本=アメリカ合衆国、1984-1991」。1991年に茨城とカリフォルニアを結んで実現した、アンブレラ・プロジェクトの全記録集とも呼べるものです。34×39センチ、2巻本で、合計1422ページ、厚さは約11センチもあります。




以前にも書いたと思いますが、クリストとジャンヌ=クロードは、1968年の「5600立方メートルのパッケージ」を皮切りに、実現した大規模なプロジェクトの大半で、記録集を出版しました。その中でも最大規模のものが、この「アンブレラ」でした。


この本では、私はジャンヌ=クロードと共に、共同執筆者とさせて貰いました。といっても、論文的なテクストや、エッセイを執筆したわけではなく、書いたのはプロジェクトの各段階を記録したドキュメント写真のキャプションでした。


といっても、単に何時、何処、誰だけではなく、関連する様々な情報も含めた記述的なキャプションを書き、それを追っていくとプロジェクト実現までの足取りが、細かく辿れることを目指しました。
共同執筆の作業は、多分、1996年の前半にスタートし、数か月にわたったと思います。ただ、この記録集のための作業には、その数年前から参加していました。
まず、実現したプロジェクトを捉えた写真の分類作業でした。本のレイアウトは、それまでの記録集同様に、その細部までクリスト一人で行いましたが、その下準備でした。クリストが選びやすいように、アングルや、天候、クローズアップ、遠景などで分類したり、傘の下で食事をする人々、連なる車と傘・・・といったグループをつくっていきました。
ちなみに、専属の写真家、フォルツとそのスタッフが、何枚の写真を撮影したか、今は思い出せません。ただ、茨城で使用するためのフィルムを、東京の量販店まで買い出しに行った時、支払額が150万円ほどだったことは覚えています。
さて写真選びは、まず撮影されたポジをプロジェクションしながら、クリスト、ジャンヌ=クロード、フォルツの3人で荒選びをすることから始まりました。そこで選ばれたイメージは、全てがサービスサイズにプリントされました。それらを、前記のように分類するのが、私のこの本に関係する最初の仕事だったわけです
次のステップは、書類の選択と分類でした。カリフォルニア、茨城、東京のオフィスから段ボールで送られてきた無数の書類、それに、ニューヨークのオフィスに保管してあった書類。その中から、記録集に掲載するに値するものを選ぶ作業でした。茨城から送られてきた書類の中には、当然、日本語だけのものも多く、それらに関しては、ジャンヌ=クロードに口頭で内容を伝え、彼女が余白にメモを書き入れていきました。
これらの写真と書類の束が、クリストのスタジオに送られ、レイアウト作業が始まったわけです。そして、出来上がったのがクリストによるダミー本です。クリストとジャンヌ=クロード用、出版社用、そして私用と、3冊だけつくられた希少本です。
そして、キャプション書きが始まりました。ジャンヌ=クロードのオフィスで、コンピュータの前に隣同志に座り、ダミー本のドキュメント写真をみながら、内容を検討し、思い出し、説明を書いていったわけです。正確を期するために、エンジニアへ電話をしたり、また、私が日本に一時帰国した際に、茨城県庁まで向かって事実確認をしたこともありました。
オフィスでの作業は、ジャンヌ=クロードのタバコの煙との闘いでもありましたが、夕刻になると、クリストが特製のブラディマリーを作ってきてくれました・・・どちらも、とても、とても懐かしいも思い出です。
ドイツのタッシェンが刊行したこの本ですが、文章は英語と日本語です。はい、最後の仕事は、文章の翻訳でした。自分自身で書いたキャプションなので、内容の把握は問題なかったのですが、一つ難問がありました。日本で撮影されたドキュメント写真には、撮影したフォルツのメモをもとに、写された人たちの名前が記されていました。が、それは全てローマ字表記。名前の漢字を確定するために、またも多数の電話をあちらこちらにかける必要がありました。


昨日、久しぶりにこの本を開いてみました・・・まだまだ若々しいクリストとジャンヌ=クロード。プロジェクトが実現した時、二人は56歳でした。今の私より若い時に、あのプロジェクトを実現した二人、やはりスーパーアーティストだったのだと、改めて思っています。
(やなぎ まさひこ)
■柳正彦 Masahiko YANAGI
東京都出身。大学卒業後、1981年よりニューヨーク在住。ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院修士課程終了。在学中より、美術・デザイン関係誌への執筆、展覧会企画、コーディネートを行う。1980年代中頃から、クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして「アンブレラ」「包まれたライヒスターク」「ゲート」「オーバー・ザ・リバー」「マスタバ」の準備、実現に深くかかわっている。また二人の日本での展覧会、講演会のコーディネート、メディア対応の窓口も勤めている。
2016年秋、水戸芸術館で開催された「クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本=アメリカ合衆国 1984-91」も柳さんがスタッフとして尽力されました。
●柳正彦のエッセイ「アートと本、アートの本、アートな本、の話し」は毎月20日の更新です。
*画廊亭主敬白
本日11月20日は私たちが敬愛する駒井哲郎先生の命日です(1920年6月14日生 - 1976年11月20日没)。
上掲の柳さんの文章にある通り、あの歴史的なクリストとジャンヌ=クロードの「アンブレラ」プロジェクトが実現したのが二人が56歳のときとあります。不思議な符合ですが、56歳の若さで逝った駒井先生の最後の新作展の時代を柳さんも亭主も現代版画センターで共有しています。今年は駒井先生の生誕100年にあたりますが、亭主の「駒井哲郎を追いかけて」のブログ連載第1回~第68回の総目次をご参照ください。
●本日のお勧め作品は駒井哲郎です。
駒井哲郎「時間の玩具」1970年 アクアチント(カラー)
イメージサイズ:38.5×23.0cm
シートサイズ:49.0×32.3cm
Ed.30 Signed
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●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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