こんにちわ、スタッフMです。
皆様お元気でお過ごしでしょうか。
さて、現在ときの忘れものでは、「銀塩写真の魅力Ⅶ 20世紀の肖像」を開催しております。
今回はその出品作品の中から細江英公先生の作品をご紹介いたします。
1933年に山形県に生まれた細江先生は、日本を代表する写真家の一人です。
87歳の現在でも精力的に活動されています。

細江英公_薔薇刑細江英公
《薔薇刑 作品32》
1961年(printed later)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:36.7×54.8cm
シートサイズ:50.8×60.9cm(20×24インチ)
サインあり
あまりにも有名なこちらの写真。
被写体は作家の三島由紀夫。
ご存じのとおり小説『仮面の告白』や『金閣寺』など多数の代表作をもち、政治運動や文学界に大きな影響を与えました。
本作「薔薇刑」については、打林俊先生に本展のために書いていただいたテキストに詳しく書かれていますので、「怒号にさざめく現像液-細江英公の〈薔薇刑〉をめぐって」をぜひお読みください。

1961年9月、細江先生は当時28歳。
当時36歳だった三島由紀夫氏から突然撮影の依頼があったそうです。
依頼以前は一度会ったことがあるというだけの関係だったそうですが、三島氏が細江先生の「おとこと女」の写真が気に入っていたそうで、依頼してきたそうです。

「「それでは、ぼくの勝手で撮ればいいのですね?」と確認すると、氏は「そうですよ、ぼくは細江さんの被写体になるのですからね」と言った。「被写体」という言い方に私は驚いた。通常ならば「モデルになる」「撮ってもらう」とでも言うところを「被写体」という写真家側の用語を氏の口から聞いたときは「これで俺の勝ちだ」と思った。」
(『なんでもやってみよう●私の写真史』2005年、(株)窓社、p.194~195より引用)

「私が三五ミリカメラで二本(三六コマ×二本=七二コマ)撮影しても、「目を見開いてレンズを凝視してください。もっと強く、もっと強く」という無理な注文をつけても、氏は眼を大きく見開いたまま、まばたき一つしないで私の要求に応えてくれた。」
(『なんでもやってみよう●私の写真史』2005年、(株)窓社、p.195より引用)

20210213194725_00001 のコピー『薔薇刑』撮影風景
(『なんでもやってみよう●私の写真史』2005年、(株)窓社、p.197より引用)




細江英公_鎌鼬8細江英公
鎌鼬 作品8
1965年(printed later)
ゼラチンシルバープリント
30.6x20.3cm
サインあり
こちらの作品は、写真家・細江英公と舞踏家・土方巽のコラボレーションによる連作「鎌鼬」の中の1点。
土方巽さんは「舞踏」という新たなメソッドを構築した世界的な舞踏家です。
(詳しくは、 慶應義塾大学アート・センターが設立した「土方巽アーカイヴ」のHPをご覧ください。)

1965年、細江先生は当時32歳。
目黒にある土方巽(当時37歳)さんのところへ遊びに行ったとき、
細江先生は「今までにない土方巽を撮りたい衝動」に駆られていたようで、飲み交わしているうちに、「田舎へ行こう」となったそうです。1965年9月中旬。向かった先は、土方巽の生まれ故郷である秋田県雄勝郡羽後町田代でした。
当時のことを振り返って細江先生は以下のように語っています。

「撮影はすべてハプニングの連続だった。稲を干す「はさ」にはまだ稲は干されていなかった。「そうだ、あそこに上ってよ」「よし、わかった」。電光石火の早さで柵を登る土方巽、もうてっぺんまで登った。「ああ、雲が素晴らしい。遠くを見ようよ」もうこれだけの会話のうちに土方巽は空に飛び立つ鳥になった。鳥は鷹になり、鴉になり、雲は私のカメラから離れようとしていた。今がシャッターチャンスだ。おっ、傑作が一枚できた。」
(『なんでもやってみよう●私の写真史』2005年、(株)窓社、p.184~185より引用)

連作「鎌鼬」はこのほかに巣鴨とげぬき地蔵、葛飾界隈で1965年から68年にかけて撮影されました。

細江英公「草間彌生、NYにて」細江英公 
草間彌生、NYにて
1964年(printed later)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:37.0×55.7cm
シートサイズ:50.4×60.7cm
Signed
力強いまなざし。
1964年、細江先生は当時31歳。
被写体は、ニューヨークに活動の拠点を置いていた当時35歳の草間彌生さんです。
水玉で言わずと知られる日本を代表する芸術家です。
細江先生は当時ニューヨークで彼女を撮影していました。

「草間彌生は神秘的な万華鏡のような女性だとぼくは感じていた。だから3面が写るプリズムで彼女を撮った。彼女らしいとぼくは満足した。彼女もまんざらではないようだ」
(『球体写真二元論●私の写真哲学』2006年、(株)窓社、p.170より引用)

「「無限の網ー草間彌生」。一九六四年に久しぶりにニューヨークで彼女に会ったときの印象は逞しくなったと感じると同時に優しさはそのままだった。」
(『球体写真二元論●私の写真哲学』2006年、(株)窓社、p.166より引用)


細江英公_瀧口修造細江英公
瀧口修造
1970年
ゼラチンシルバープリント
20.3×30.4cm
サインあり
こちらの写真は下落合にある瀧口修造氏の自宅で撮影された写真です。
1970年当時瀧口氏は67歳。細江先生は37歳。
詩人・美術評論家・造形作家でもある瀧口修造氏は、細江先生の写真集『鎌鼬』の序文を寄せています。
本が積みあがった自宅の書斎に写る表情は穏やかです。

『鎌鼬』が芸術選奨文部大臣賞を受賞したため、細江先生は関係者を赤坂プリンスホテルのレストランに招いてお礼の宴を開きます。
そのときの記念写真が以下の写真です。
hosoe_03_19700330細江英公
1970年3月30日
1970年
ゼラチンシルバープリント
23.6×29.5cm
サインあり
こちらの写真の詳細はこちらのブログ記事をお読みください。
細江先生自らのコメントによれば、
<土方巽の写真集『鎌鼬』(現代思想社、1969年)が芸術選奨文部大臣賞を受賞した際、その祝賀会の記念撮影ですね。『鎌鼬』の関係者が勢揃いしています。瀧口先生には序文を書いてもらいました。私のディレクトで助手の中島秀雄と成田秀彦が撮影したものです。この時は私以外はカメラの方向を見ないでくれと指示したんですが、やはり応じる人と応じない人がいますねぇ。>

また、1970年は三島由紀夫氏が割腹自殺を遂げた年でもあります。

今回ご紹介した細江先生の銀塩写真は、ぜひ実物をご覧いただきたいのですが、
なかなかそうはいかないウイルスの猛威が続いていますね。
どうか皆様またお会いする日までお元気でお過ごしください。
画廊は予約制としておりますので、ご覧になりたい方は電話かメールでご連絡ください。

スタッフM

◆「銀塩写真の魅力Ⅶ 20世紀の肖像」を開催しています(予約制/WEB展)。
観覧ご希望の方は事前に電話またはメールでご予約ください。
会期=2021年2月12日(金)―3月6日(土)*日・月・祝日休廊
327_a327_bマン・レイボブ・ウィロビーロベール・ドアノーエドワード・スタイケン金坂健二細江英公安齊重男平嶋彰彦の8人の写真家たちが撮った20世紀を代表する優れた表現者た ち(ピカソ、アンドレ・ブルトン、A.ヘップバーン、A.ウォーホル、ブランクーシ、 三島由紀夫、イサム・ノグチ、黒澤明、他)のポートレートをご覧いただきます。
出品全作品の詳細は2月9日のブログをご覧ください。
気鋭の写真史家・打林 俊先生には「怒号にさざめく現像液-細江英公の〈薔薇刑〉をめぐって」をご寄稿いただきました。

●打林 俊先生によるギャラリートークもYouTubeにて公開しております。
映像制作:WebマガジンColla:J 塩野哲也


●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。