吉原英里のエッセイ「不在の部屋」第6回

作家は技法に育てられる 2


版画の特色は複数性にあります。それに引かれて版画を選んだということはまったくありませんが、後に東京で発表していても別の場所、名古屋や九州あるいは海外で同時に同じ作品を見せる事が出来るというのは、素晴らしい事だと思いました。
また「イタリアの風シリーズ」他、私の初期作品は大変人気があり、毎日、地下の版画室に籠って刷っていました。エディションを刷り上げて沢山のベニヤ板に水張りし、作品に囲まれていたある日、あたり前ですが、イメージが繰り返され増殖して行く不思議さに気づきます。その結果、自分の版も一つの素材として考える様になります。たとえば版には一つしか描かれていないバイオリンを一度和紙に刷って、本刷りの時に版画用紙と雁皮紙の間に挟み込んで刷るといった「イメージの増殖」へ興味が移っていきます。そうなって来ると、版を作る時間より刷りに莫大に時間がかかり、自分で自分の首を絞めているかのような気になってくるのですが、そうする事により、他の方法では達成し得ない「レイヤー(層を重ねる)感覚」というものの虜になってしまいました。それは、いわば版で表現したものと、雁皮を透して見えて来る柔らかな下の世界が付きつ離れつハーモニーを作るような感覚なのです。つまり異素材あるいは異なる技法を、一つの画面に持ち込む事により生まれる不思議な空気を求めるための表現です。普通、版画をつくるときは製版が90%を占めますが、私の場合50%有るか無しかで全くの未知数のまま、版は単なる一素材として完了させます。その後、新たな視点で多様な方法で刷りながら、半ば強引に作品を作り上げていきます。不安と期待でいっぱいの中、和紙と版で格闘し直すのです。なんでこんな版をつくったのかと怨めしくなったりしても、刷り方やあとの版の操作で名誉挽回というか、なんとかしなくてはならない訳です。そのようにして、製版した私自身や出来上がっている版を、客観的に判断できるのです。製版した私と、それをなんとか作品に仕上げなくてはならない刷り師としての私、二つの視点です。同じ私ではあるけれど、そういった距離感が版画の面白さだと思います。

202102吉原英里011. 個展案内状《ボイスの遺産》45×75cm エッチング、ラミネート 1986年

1986年、その面白さを表現するのにもってこいのテーマを見つけました。ヨーゼフ・ボイスが1986年1月23日に亡くなります。ボイスは世界的な作家であると同時に、トレードマークが私のモチーフに多い帽子とサスペンダーだったため、いつか作品に使いたいと思っていたので、すぐに尊敬を込めて「ボイスの遺産」という作品を作りました。そして帽子もサスペンダーや新聞も、版では一つづつしか描いていないのに、それを一旦グラフ用紙にオーカー色で刷り、少しずらして雁皮紙と版画用紙の間に挟むようにして、その上に、本刷りは黒のインクで刷り重ねました。すると黒い帽子、サスペンダー、新聞の下に薄く柔らかな色調で同じモチーフが重なり、見え隠れしながらハーモニーを奏でます。これが、つい先程までいたはずのボイスがするりと居なくなった哀しみと、それでも尚、確かに存在したという軌跡を残してくれているように感じました。また「After the Rain Ⅱ」と「Lesson」の色版では、同じ版を向きを変えて使っています。あるいは、「月曜日のバラ」と「火曜日のバラ」は、同じバラの版を使っていますが、ちょっとした版の扱い方や刷り方で構図もイメージの数も変えられる面白さに惹かれました。
そして気がつくと、1983年に本物の荷札やティーバッグのラベルなどを挟むことから生まれた私の「ラミネート技法」は、86年頃から自分の版画を挟んでイメージを繰り返す方法へ変わっていました。

202102吉原英里022.《After the rain Ⅱ》75×45cm エッチング、ラミネート 1988年

202102吉原英里03.Lesson3.《Lesson》75×45cm エッチング、ラミネート 1988年

202102吉原英里04.4.《月曜日のバラ》30×45cmエッチング、ラミネート 1986年

202102吉原英里05.5.《火曜日のバラ》30×45cmエッチング、ラミネート 1986年

よしはら えり

吉原英里 Eri YOSHIHARA
1959年大阪に生まれる。1983年嵯峨美術短期大学版画専攻科修了。
1983年から帽子やティーカップ、ワインの瓶など身近なものをモチーフに、独自の「ラミネート技法」で銅版画を制作。2003年文化庁平成14年度優秀作品買上。2018年「ニュー・ウェイブ現代美術の80年代」展 国立国際美術館、大阪。

作品集のご案内
1577262046841『不在の部屋』吉原英里作品集 1983‐2016
1980年代から現在までのエッチング、インスタレーション、ドローイング作品120点を収録。日英2か国語。サインあり。
著者:吉原英里
執筆:横山勝彦、江上ゆか、植島啓司、平田剛志
翻訳:クリストファー・スティヴンズ
デザイン:西岡勉
発行:ギャラリーモーニング
印刷、製本:株式会社サンエムカラー
定価:3,800円(税込)
*ときの忘れもので扱っています。

塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」第3回を掲載しました。合わせて連載記念の特別頒布会を開催しています。
3ad6a9d3塩見允枝子先生には11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきます。1月28日には第3回目の特別頒布会を開催しました。お気軽にお問い合わせください。

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