関根伸夫資料をめぐって 3

鏑木 あづさ

 世田谷美術館のある砧公園入口のモニュメント《風景の門》(1986)は、ステンレス製の三角柱を横に3本連ねた屋根と、質感そのままの白御影石の柱でつくられたゲートである。木々に囲まれた公園のなかで、シンプルな素材と構造ゆえその力強さが際立つ、環境美術研究所中期の代表作のひとつと言ってよい。
 関根伸夫資料に見られる《風景の門》のプロポーザルは、どれも現在の完成作とは異なっている。なかでも手書きのイメージが遺されているB案は大胆不敵で、もしこの案が実現していたなら、公園や美術館の印象が今とは随分違っただろう、と思わずにいられない。
 《風景の門》B案は、あたかも公園の先にそびえる清掃工場の煙突や、環八の喧騒へと対抗するかのように、高さ18mもの鉄鋼板のアーチを構想していた。赤と黒で塗装され、直線と曲線を組み合わせた形象のゲートは、それまでの環境美術研究所の仕事には類型がない。この形象の起源はおそらく、スケッチブックにたびたび見られる人体のデフォルメにある。スチールに塗装というつくりは、想定された大きさに反してどこか軽やかでもある。

202104鏑木あづさ_1_風景の門202104鏑木あづさ_2_風景の門(メモ)
環境美術研究所《風景の門》(B案)1986年(部分)

 先頃まで開催した埼玉県立近代美術館のMOMASコレクション(収蔵品展)における「リサーチ・プログラム:関根伸夫と環境美術」は、資料、スケッチブック、映像の3つのパートで構成した。このうち資料のパートは紙資料を中心に、関根の環境美術の仕事を概観しようとするものである。ここでは環境美術研究所設立の際に発行された、ステイトメントともいえる会社案内『われわれの広場 空間・環境・美術』(1973)にならい、彼らのプロジェクトを広場・公園計画、モニュメント、噴水計画、ファニュチュアに大別し、それぞれの仕事にまつわる資料を関根の発言とともに展示した。
 一昨年の「DECODE / 出来事と記録:ポスト工業化社会の美術」展は、関根資料そのものの概要を可視化することを主眼としたが、今回は環境美術に焦点をあて、写真とともに図面、プロポーザル、スケッチなど制作の過程がわかる資料を紹介した。なお本企画のスケッチブックと映像パートの詳細は、前回の記事を参照されたい。

 それにしても、資料の展示はなんと難しいことだろう。作品は展示方法ひとつで見え方が大きく左右されるが、これは資料についても同じである。ケースに並べる、額装するなどして展示室に置くことはたやすいが、それだけでは往々にして陳列の域を出ず展示、すなわち “展(ひろ)げて・示す”ことにならない。展覧会で、漫然と展示ケースに入れられた資料をどのように見れば(もしくは読めば)よいかわからず、困惑した経験はないだろうか。
 資料は主として閲覧されるものであり、必ずしも展示・鑑賞されなくてもよい。それでもなお展示するのであれば、資料がもつ資料らしさを損なわず、しかも見る人へそれとなく働きかけるようにしたい。なぜなら資料は、多くを語らない。だからときには、資料に語らせなければならないのである。
 そもそも資料と作品は成り立ちの異なる、それぞれに独立した存在である。それゆえ作品と同じ方法で展示しては、うまくいかないこともあるだろう。資料の“作品化”によって資料を資料たらしめるもの、ひとつひとつの資料に備わるリアリティともいうべきものが損なわれてしまっては、元も子もない。

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リサーチ・プログラム:関根伸夫と環境美術(会場風景)2021年

 そのように思案し続けてたどりついたのが、いつもは保存箱を収納しているスチールラックを用いた展示だった。奇をてらったつもりはなく、もちろん、しばし見かけるアーカイブズを擬態した美術作品のつもりもない。今回展示されるのは現在整理中の資料であるため、それを見せるのにふさわしいのは、このラックなのではないか。そう結論したときは、ようやく正鵠を射られたように感じた。
 先の《風景の門》は、写真資料は他のモニュメントと相対的に見ることができるように上段へ、図面やプロポーザルは箱のなかの資料を棚板に広げたまま、時間を忘れてつい見入ってしまうときのように、細部まで見ることができる下段に配した。

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左 リサーチ・プログラム:関根伸夫と環境美術(会場風景)2021年
右 環境美術研究所 弁天橋親柱彫刻《海に向かう帆》1977年(2点とも。撮影=2021年)

 機会があれば、環境美術研究所が手がけた仕事を、現地に赴き実見するのもいい。資料で眺めていただけの広場や公園に出向き、周囲の環境やひとびとの様子などと合わせ見ることによって、気づくこともある。実をいえば、関根の仕事を一目見ようと出かけたものの、いざ到着してみると、どこにでもありそうな広場や公園で拍子抜けしたこともあった。しかしこれは、関根の「知られざる作品」を「鑑賞」しようと気構えていた、こちらが間違っている。広場や公園が街の一部となっていたのなら、それは環境美術本来の姿である。遺された写真には作品図版ともいうべきもののほかにも、ひとびとが遊び、語らい、くつろぐ姿が多くとらえられており、今回制作した映像では、その“場”の雰囲気が伝わってくる。これはおそらく記録のみならず、雑誌や書籍へ掲載するために撮影されたからだろう。仮に演出が含まれていたとしても、それが彼らの望んだ姿ということである。
 現地で見ることによって、その意義をあらためて確認することもある。弁天橋親柱彫刻《海に向かう帆》(1977)は、桜木町駅付近に流れる大岡川のほとりにある。制作時の写真とくらべると街の様子は様変わりしていたが、彫刻は変わらず、ひとびとの往来とともにあった。全長50m、幅30mの橋梁の四隅に設置された黒御影の石彫は、台座を含めれば3.5mほどもあり、遠くからでもすぐにそれとわかる。正面から見るとクジラの背中のように丸みを帯びた三角形だが、角度を変えれば風を受けた帆がピンと張り、鋭利な弓状の曲線が独特の緊張感をはらんでいる。
 「(記念碑のように)特定の目的のためのモニュメントというのはできない」と語った関根は、広場や公園と同様に、潜在的な求心力を包含しうる現代のモニュメントの可能性を見ていた。弁天橋親柱彫刻は、橋の架け替えに合わせて設置されている。写真を見るだけではわからなかった存在感を前にして、これはあらたな時代のモニュメントとして制作されたのだろうと腑に落ちた。
かぶらき あづさ

関根伸夫資料をめぐって 1(鏑木あづさ)
関根伸夫資料をめぐって 2(梅津元)

鏑木あづさ
1974年東京都生まれ。司書、アーキビスト。2000年より東京都現代美術館、埼玉県立近代美術館などに勤務し、美術の資料にまつわる業務に携わる。企画に「大竹伸朗選出図書全景 1955-2006」(東京都現代美術館、2006)、「DECODE / 出来事と美術―ポスト工業化社会の美術」の資料展示(埼玉県立近代美術館、2019)など。最近の仕事に『中原佑介美術批評選集』全12巻(現代企画室+BankART出版、2011~刊行中)、「〈資料〉がひらく新しい世界ー資料もまた物質である」『artscape』2019年6月15日号、「美術評論家連盟資料について」『美術評論家連盟会報』20号(2019)など。

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『DECODE/出来事と記録―ポスト工業化社会の美術』展カタログ
DECODE出来事と記録―ポスト工業化社会の美術『DECODE/出来事と記録―ポスト工業化社会の美術』展カタログ
B5変形・95ページ+写真集47ページ
主催:埼玉県立近代美術館、多摩美術大学
図録執筆編集:梅津元石井富久平野到鏑木あづさ、多摩美術大学、小泉俊己田川莉那
発行:2020年/多摩美術大学
価格:税込2,400円 
*ときの忘れもので扱っています。
*この展覧会に関しては、土渕信彦さんのレビューをお読みください。


●本日のお勧め作品は関根伸夫です。
関根伸夫「空相-虹」関根伸夫《空相-虹
1983年  W131.5×H67.0×D23.0cm  サインあり
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埼玉県立近代美術館で「コレクション 4つの水紋」が5月16日(日)まで開催され、倉俣史郎の名作「ミス・ブランチ」が出品されているほか、ときの忘れものが寄贈した瑛九(コラージュ)や靉嘔の版画も展示されています。
リサーチ・プログラム:関根伸夫と環境美術」は 4月18日(日)までですが、関根伸夫(1942-2019)による環境美術の仕事が、写真、図面、スケッチブック、映像等で紹介されています。
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●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
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