塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」

第6回  フルクサスの美学と手法  

endlessbox_05山城大督撮影エンドレス・ボックスが一つずつ開けられては、画面の左右へ消えていく映像作品の一コマ。
演奏:藤井亜紀  
制作:東京都現代美術館
写真提供:山城大督

理論家でもあったマチューナスは、亡くなる2か月ほど前の或るインタヴューで、彼の出したエディションやフルクサスの作家達の作品について美学的な分析をし、具体主義、機能主義、オートモーフィズム(自己同形)という三つの主義を挙げています。最後の単語は彼の造語だそうですが、これは作品を、それ自身についての情報で成り立たせるやり方を指します。例えば、一冊の本の内容をその本についての事柄、つまり、使用している紙の製造過程や特質、本のサイズやページ数や重さ、活字の属性などだけに限定すれば、これは完全にオートモーフィズムと言えるでしょう。フルクサスの作家エリック・アンダーセン(Eric Andersen)のパフォーマンス作品にも、その手法による面白い例があるのでご紹介しましょう。ステージ上に演奏者AとBが立ち、AがBの耳元で何か囁くと、Bはその都度、囁かれたことばを大きな声で反復するのです。全てを繋ぎ合わせるとこうなります。「この作品は/もっぱら増幅する/というだけのものです/なんの意味もありませんし/決して面白いものではありません/ただそれは次の人によってのみ/演奏されることができます/その人の名は/(B自身の名を告げる)」 つまりBは人間拡声器を自ら演じていたという訳です。Bが大声で自分の名前を叫ぶと、聴衆は一斉に笑い出します。見事な自己同形であり全くのナンセンスなので、下手な漫才よりも可笑しいのです。
実は私も昔、作品の中に余計な要素を持ち込みたくないという意図から、作品のタイトルをモールス・コードに変換して、その長短のリズムで演奏全体をコントロールしたり、声楽曲のタイトルをシラブルに分解して組み替え、それをテキストとして使用したことなどもあるのですが、この作品を知ったとき、フルクサスに吸い寄せられる作家達は、みんな似たような傾向を持っていたのだな、と思わず苦笑してしまいました。

2012年に東京都現代美術館が、コレクション展で私の作品群を展示して下さることになったとき、レクチャー・コンサートのような会を持って欲しいとの依頼を受けました。そこで、あらためて自分がそれまでやってきたことを振り返ってみたのです。以前から一つの作品を作った際に、それをもっと他の作品に展開できないか、ということは常々考えていました。例えば、スペイシャル・ポエムの中で<方向のイヴェント>というのを行ないましたが、その「方向」という概念をピアノ演奏に結び付けて、ピアニストがカード状に分かれた楽譜の短いフレーズを弾いては、そこに書かれている方向を読み上げ、実際にそちらの方向へ楽譜を投げ飛ばす、という曲を連作として作曲し、ニューヨークと北上市では自演したこともあります。
かつてディック・ヒギンズがインターメディアという概念を提唱しましたが、それを発展させる意味で、そのレクチャーは「インターメディア/トランスメディア」と題してお話しすることにしました。トランスメディアは私の造語ですが、丁度、人々が乗り物を乗り換えて(transferして)旅をしていくように、一つの概念を次々に異なった媒体で作品化していくという意味です。そこでこの会でも、新作<方向のイヴェント:ヴァージョン2012>を書いて、8人の演奏者で12分間、あらかじめ決めたそれぞれの方向へ向かってパフォーマンスを行なって頂きました。
一方、その展示会ではオブジェクトが映像作品となった例もあります。美術館側からはドキュメントとして、エンドレス・ボックスと作家を一緒に撮影したい、との申し出があったのですが、それよりも、もっと客観的に新たな映像作品を作った方が面白いと思ったので、真っ暗な画面の中に、一つずつ開けられては画面の左右に消えていく白い箱と、それを行なう手だけが映っているという演出で撮って頂きました。学芸員の藤井亜紀さんのパフォーマンス、山城大督さんによる撮影でしたが、しばらく眺めていると、次第に小さくなっていく箱から、時間の経過だけが聞こえてくるようにも感じられる独特の映像作品となりました。驚いたことに、それは50年前にエンドレス・ボックスを発想したときのイメージそのものだったのです。

でも振り返ってみると、実はこのトランスメディアはマチューナスがずっと以前から既に行なっていたことなのです! 1963年の<顔のための消える音楽>という作品は、本来はパフォーマンスとして行なう為のものだったのですが、彼はそれをフィルム作品にしました。私がニューヨークから帰国して間もなく、小野洋子さんの演奏でピーター・ムーアに撮影して貰うつもりだという手紙が来たことを覚えています。しかも何年か後になって、フィルムの中から何十コマかを印刷し、今度はそれでフリップブックを作ろうとしていたのです。ただ、実際にそれを綴じて形にしたのは、マチューナスが残したエディションや未完成の素材を引き継いだRefluxのバーバラ・ムーアでしたが・・・・・。考えてみれば、ジャンルに拘る必要なんて元々ないのですよね。フルクサスの作家たちは芸術の在り方を、いつも原点に立ち戻って考えていたように思います。
フルクサス結成から60年近くが経ち、メンバーの7、8割が他界している現在、こうした美学は現代では既にフルクサクなっているとは思いますが、私はメンバー達との長年の交流で多くのことを学ばせて貰いましたし、共同作品を作るためのネットワークとして、多くの方々の協力を得ることも出来ました。現在も何人かの作家や関係者の方々とは、時に親密なメールのやり取りも続けています。この集団とは、そもそもの出会い方からして何とも不思議なご縁でしたが、少なくとも私にとっては、フルクサスと自分とは幸福な関係にあった、と感謝と共に実感しています。
しおみ みえこ


塩見允枝子先生には2020年11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきました。塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」は今月で最終回です。

●塩見允枝子エッセイ連載記念特別頒布作品

032) Endless Boxエンドレス・ボックス 1963/2011
オープン・エディション

採用A_0303
ディミヌエンド(音の減衰)という音楽的なコンセプトを視覚的に具現化しようとした作品で、これがフルクサスへの橋渡しとなりました。1963年にマチューナスへ送って以来、全部で30個余りを作成したでしょうか。これは、2011年に美術館へ納める際に、自分用に作った2個の内の1つです。
本体サイズ:13 x 13 x 6.5cm 木箱サイズ:16 x 16 x 9cm サイン入り


033)Flipbook <Disappearing Music for Face> 1960s/2002
フリップブック <顔のための消える音楽> Reflux Edition
エディションA、エディションB

AAA_0876AAA_0873AAA_0882
39~41枚の写真と1枚の解説頁が閉じられていますが、パラパラとめくると、口元の微笑みがスーッと消えていきます。  演奏:小野洋子  撮影:ピーター・ムーア
Edition A: 41 photos, Edition B: 39 photos
このプラスチック・ケースは、作品保護のために私が用意したものです。 
作品サイズ:4 x 6.1 x 0.4cm   ケースのサイズ:10 x 6.5 x 2.1cm   Ed.79
ケースの裏面にサインあり


034)Piece for Fluxorchestra by Albert M. Fine 1966
AAA_0918AAA_0917
フルックスオーケストラのための作品 / アルバート M.ファイン
24人の演奏者の為のインストラクションが1枚ずつのカードに印刷されています。読みながら実際に演奏されている場面を想像するだけでも楽しめる作品です。
プラスチック・ボックス・サイズ:12 x 10 x 1.4cm
紙箱サイズ:14.6 x 11.7 x 2.5cm

●お申込み方法
お問合せ、お申込みはこちらから、またはメール(info@tokinowasuremono.com)にてお願いします。
※お問合せ、ご注文には、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


■塩見允枝子 SHIOMI Mieko
1938年岡山市生まれ。1961年東京芸術大学楽理科卒業。在学中より小杉武久氏らと「グループ・音楽」を結成し、即興演奏やテープ音楽の制作を行う。1963年ナム・ジュン・パイクによってフルクサスに紹介され、翌年マチューナスの招きでニューヨークへ渡る。1965年航空郵便による「スペイシャル・ポエム」のシリーズを開始し、10年間に9つのイヴェントを行う。一方、初期のイヴェント作品を発展させたパフォーマンス・アートを追求し、インターメディアへと至る。1970年大阪へ移住。以後、声と言葉を中心にした室内楽を多数作曲。
1990年ヴェニスのフルクサス・フェスティヴァルに招待されたことから欧米の作家達との交流が復活。1992年ケルンでの「FLUXUS VIRUS」、1994年ニューヨークでのジョナス・メカスとパイクの共催による「SeOUL NYmAX」などに参加すると同時に、国内でも「フルクサス・メディア・オペラ」「フルクサス裁判」などのパフォーマンスや、「フルクサス・バランス」などの共同制作の視覚詩を企画する。
1995年パリのドンギュイ画廊、98年ケルンのフンデルトマルク画廊で個展。その他、欧米での幾つかのグループ展への出品やエディションの制作にも応じてきた。
2012年東京都現代美術館でのトーク&パフォーマンス「インターメディア/トランスメディア」で、一つのコンセプトを次々に異なった媒体で作品化していく「トランスメディア」という概念を提唱。
音楽作品やパフォーマンスの他に、視覚詩、オブジェクト・ポエムなど作品は多岐にわたり、国内外の多くの美術館に所蔵されている。現在、京都市立芸術大学・芸術資源研究センター特別招聘研究員。

●塩見允枝子さんのオーラル・ヒストリーもぜひお読みください。

●ブログ2020年04月08日『後藤美波、塩見允枝子「女性の孤独な闘いを知る10分 SHADOW PIECE」ジェンダー差別「考えたことがない」―― 世界的”女性アーティスト”が背負ってきたもの』
映画監督の後藤美波さんによる短編ムービーをご紹介しましたのでぜひご覧ください。
https://creators.yahoo.co.jp/gotominami/0200058884

●書籍のご案内
「スペイシャル・ポエム」
special1塩見允枝子
「SPATIAL POEM スペイシャル・ポエム」(自家版)サイン入り

1976年刊 英文
21×27.5cm 70ページ
発行者:塩見允枝子


「A FLUXATLAS(フルックスアトラス)」
1546059811182塩見允枝子
「A FLUXATLAS(フルックスアトラス)」
1992年
19.0×21.6cm
発行者:塩見允枝子


●塩見允枝子『パフォーマンス作品集 フルクサスをめぐる50余年』のご案内
『塩見允枝子パフォーマンス作品集 フルクサスをめぐる50余年』塩見允枝子
『パフォーマンス作品集 フルクサスをめぐる50余年』サイン本

2017年
塩見允枝子 発行
60ページ
21.4x18.2cm

*画廊亭主敬白
昨秋11月から始まった塩見允枝子先生のエッセイ「フルクサスの回想」が遂に最終回を迎えてしまいました。
全6回を通じて、塩見先生の歩みとフルクサスの世界的な規模でのムーブメントの一端をご紹介できたことを光栄に思っています。私たち自身が学ぶことの多い連載でした。
AAA_0898合わせて連載記念の特別頒布会を開催しています。稀少な作品群は塩見先生の自選の優品ばかりです。ぜひこの機会にコレクションしてください。

昨日お知らせした通り、明日4月29日(木曜、祝日)から、5月5日(水曜、祝日)まで、7日連続で「一日限定! 破格の掘り出し物/写真特集」を開催します。
出品予定は、濱谷浩、深瀬昌久、五味彬、風間健介、赤瀬川原平、ホンマタカシ、澤田知子、細江英公、尾形一郎 尾形優 など、一日限りの特別価格にてご案内します。連休中はこのブログを一日一回はのぞいてください。

●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
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