関根伸夫資料をめぐって 4

鏑木 あづさ

 関根伸夫は1973年10月に環境美術研究所を設立したのち、版画の制作を本格的に開始した。このことは関根の仕事や制作について考える上で、すこし丁寧にたどってみてもよい。1975年、関根は現代版画センターからの依頼を受けて、〈絵空事〉シリーズをはじめとする17点のシルクスクリーンを制作する。10月からはこれらを携え、「島州一・関根伸夫クロスカントリー7,500km」展で日本各地を行脚した。
 関根はこれ以前にも、版画を制作している。ヨーロッパ時代にシルクスクリーンやゼロックスを用いて制作された〈Project〉シリーズ(1970-71)は、その原点だろう。これは大地をアーチ型や筒型に掘る“もうひとつの”《位相―大地》などのペーパー・プランで、のちのエッチングによる〈Project〉シリーズ(1977)の原型となる。翌年には制作中の版画の下絵をもとに『美術手帖』(354号、1972年4月)の表紙を手がけ、コメントで版画の技法を体得しきれないもどかしさを記している。さらに『関根伸夫1968-78』(ゆりあ・ぺむぺる工房、1978)によれば、1973年からはシルクスクリーンによる年賀状も制作している。関根資料に遺されたその一部を「DECODE / 出来事と記録―ポスト工業化社会の美術」展(埼玉県立近代美術館、2019)で展示したところ、複数の関係者から「今でも大切にとってある」、「しばらく部屋に飾っていた」などの話を聞くことができた。これらが前哨となって、現代版画センターとの制作へとつづいていく。

202105鏑木‗1_Project(1971)202105鏑木‗2_スケッチブック(1970-71)
関根伸夫 左:Project(1971年) 右:スケッチブック(1970-71年)

 1970年代は版画が複製手段であることを超え、その概念を拡張させながら、あらたな表現として模索された時代である。展覧会をともにした島州一はその最先鋒のひとりだし、同時期に活動をはじめた李禹煥吉田克朗はそれぞれ、版画を次なる自身の表現として獲得した。関根の作品はその点、版画としてはオーセンティックなもののようにも映る。もっともこれは、作家の余儀に収まることを意味するのではない。
 〈絵空事〉シリーズの、すっきりと鮮やかながらも、シルクスクリーン特有のマットで不透明な色彩。くっきりと単色で刷られた部分と、手描きの筆致を残したかのような多色刷り部分のバランス。空を描いた作品の、美しいグラデーション。これらのなかには、環境美術のプロジェクトの源泉といえる作品もある。《月をよぶ》は、後にたびたび出現するモニュメント案の原風景となっているし、《絵空事―鳥居》は主要なモチーフのひとつである門がテーマとなっている。《円いひも》はいくつかのプロジェクトの素描を背景に、継ぎ目のないロープを描くとともに、「考えるより メモを描く版画として」との独白めいたことばを添えている。背景に素描を用いた作品は後年、表紙や目次、扉絵を1年間担当した『現代詩手帖』(1978)でも散見され、1982年の個展でさらに展開されていく。
 1972年の『美術手帖』には「一連のアイディアをどのような手段で具現するかが困難な点で、エッチング、シルクスクリーンなど試みているがまだ最適なものとはならない。色彩の強さ、線の微細さといったことが、うまく画面の上に融合させられないわけである」とあるが、これ以降は技術的環境が整い、理想の版画を追求できたに違いない。〈絵空事〉はプロジェクトにおけるプラン以前の、コンセプトともいうべきものを像に仕立てた版画だといえる。東野芳明は「クロスカントリー7,500km」展カタログで、「関根伸夫は手で描くことのアイロニーを表面にうかびあがらせる。[中略] 手仕事の下手な痕跡を意識的に残すことによって、手仕事への事大主義を優しく嘲笑し、そのアイロニーから、一きょに独自な観念世界を開示するためなのである」と評した。

sekine_06_tukiwoyobusekine_09_esora-torii関根伸夫 左:月をよぶ(1975) 右:絵空事―鳥居(1975)

 「’82-’83企画―版画と立体による関根伸夫全国展」で発表した〈Project〉は、スケッチブックにある素描をそのままに、環境美術のプロジェクト案を多用したエッチングやリトグラフである。紙上に散りばめられた、かたちになる前のカタチともいうべき無数の線描が、見る者の創造的欲求をもかきたてる。版に直接描く銅版やリトは、素描を表現するのにふさわしい。関根は『Print communication』83号(1982年8月)で、「作らないプランの中に結構面白いものがあるという気がしてるわけ。例えば公共的な空間を作るとなると自ずと限定されますよね」、「究極的に作らなくてもいいんじゃないかと思うようなものね。つまり絵で表現した方がむしろそのプランにとって効果が出る、というプランもある」と語る。
 スケッチや模型など、制作の過程における生成物や習作的な位置づけの仕事は、美術館では完成した作品とは一線を画した資料、いわば作品に対する従属的なものとして扱われてきた。収蔵品における二次資料という区分は、このようなものを指す。そう考えると作家のスケッチは当時、回顧展などで展示されることもままある現在よりも、見る機会がずっと少ないものだったのだろう。まして作家が自らこれを明け透けにすることは、あまり一般的でないととらえられたのかもしれない。これは高校時代からのスケッチブックを展観した、ぎゃらりい・どりの「関根伸夫の出来事展」の記事に、次のようにあることからもうかがえる。「作家にとってはあまり他人にみせたくない“心の日記”的なデッサン群だが、若い彫刻家らしくすべてを一般に公開した勇気がおもしろい」(朝日新聞、1976年9月7日夕刊、5面)。

202105鏑木‗3_スケッチブック(1981)202105鏑木‗4_スケッチブック(1981)
関根伸夫 スケッチブック(1981年)

202105鏑木‗5_スケッチブック(1981)202105鏑木‗6_スケッチブック(1981)
関根伸夫 スケッチブック(1981年)

 関根はかねてから素描について、「無意識の地帯を明らかにする作業」と述べている。そしてそのような作業の痕跡ともいえる100冊ちかくのスケッチブックからは、これらが関根にとって版画の制作と切り離せないものであったことが見えてくる。関根はたえず手を動かしながら、実現の可否を問うことなく、紙上でどこまでも思考をひろげ、それをさまざまにかたちにしてきた。調査をつづけるうちに関根にとっての版画は、《位相―大地》から連綿とつづく、思考実験の延長上にあるメディアだったのかもしれない、と思い至った。

sekine_02_yoru-nizisekine_12_sankaku
関根伸夫 左:夜の虹のProject 右:三角の窓のProject(ともに1982年)

 ヨーロッパに暮らし、美術と生活や環境へのかかわりを目の当たりにするとともに、どこか浮世離れして閉鎖的な現代美術の世界に違和感をもち始めた関根は、帰国して「社会的な仕事」をしようと決意した。その頃の心境がスケッチブックのメモから仔細に読み取れることは、第2回で触れた通りである。半ばアノニマスと化すことが必然となる環境美術の仕事へのシフトと、作家としての版画の制作。一見相反するようだが、共通点もある。
 ひとつは、ともに共同制作であること。環境美術の仕事における協働については、説明不要だろう。版画もまた、刷師との協働によって制作され、版元との協働によって頒布される。そして双方が、ある種の社会性や公共性という理念を掲げていたこと。環境美術の仕事は言わずもがな、版画においても通底し得る。これは関根がエディション制、共同版元というシステムによって版画、ひいては美術の普及をめざした、「運動体」(注)としての現代版画センターの趣旨に共鳴したことにこそ意味をもつ。おそらく美術館という施設への制度批判、オフ・ミュージアム的志向とも無関係ではない。関根はヨーロッパでの経験から、かたちに残る作品を制作し、流通させることの必要もまた、痛感していた。作家としてのあり方を逡巡した関根にとって、版画は自身の活動を社会的に意義あるものとすべく、理想を実現するための方策のひとつとしてあったとこともまた、考えられるのである。

注:「版画の景色―現代版画センターの軌跡」展(埼玉県立近代美術館、2018)では、現代版画センターの活動について「メーカー」、「オーガナイザー」、「パブリッシャー」の三つの軸を見出し、これらが互いに連動する「時代の熱気を帯びた多面的な運動体」ととらえた。
かぶらき あづさ

関根伸夫資料をめぐって 1(鏑木あづさ)
関根伸夫資料をめぐって 2(梅津元)
関根伸夫資料をめぐって 3(鏑木あづさ)

鏑木あづさ
1974年東京都生まれ。司書、アーキビスト。2000年より東京都現代美術館、埼玉県立近代美術館などに勤務し、美術の資料にまつわる業務に携わる。企画に「大竹伸朗選出図書全景 1955-2006」(東京都現代美術館、2006)、「DECODE / 出来事と美術―ポスト工業化社会の美術」の資料展示(埼玉県立近代美術館、2019)など。最近の仕事に『中原佑介美術批評選集』全12巻(現代企画室+BankART出版、2011~刊行中)、「〈資料〉がひらく新しい世界ー資料もまた物質である」『artscape』2019年6月15日号、「美術評論家連盟資料について」『美術評論家連盟会報』20号(2019)など。

~~~~~~~~~~~
『DECODE/出来事と記録―ポスト工業化社会の美術』展カタログ
DECODE出来事と記録―ポスト工業化社会の美術B5変形・95ページ+写真集47ページ
主催:埼玉県立近代美術館、多摩美術大学
図録執筆編集:梅津元石井富久平野到鏑木あづさ、多摩美術大学、小泉俊己田川莉那
発行:2020年/多摩美術大学
価格:税込2,400円 
*ときの忘れもので扱っています。
*この展覧会に関しては、土渕信彦さんのレビューをお読みください。


埼玉県立近代美術館『版画の景色 現代版画センターの軌跡』展 図録
1559188354814発行:埼玉県立近代美術館 2018年
ケース表紙:26.0×18.5cm
編集:梅津元、五味良子、鴫原悠(埼玉県立近代美術館)
資料提供:ときの忘れもの
デザイン:刈谷悠三+角田奈央+平川響子/neucitora
印刷製本:株式会社ニッショープリント
埼玉県立近代美術館にて2018年1月16日(火)~3月25日(日)に開催された「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展のカタログ。
価格:税込 2,750円 
*ときの忘れもので扱っています。


●本日のお勧め作品は関根伸夫です。
sekine_48関根伸夫
位相絵画《虹の門のproject》 (G10-184)
1989年
位相絵画(ミクストメディア、金)
53.0×45.0cm (F10号)
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●栃木県真岡市・久保記念観光文化交流館
真岡関根伸夫展(表)6月14日まで久保貞次郎旧蔵の版画と素描による「関根伸夫展」が開催中。
久保記念観光文化交流館については2018年11月19日ブログ「第一回久保貞次郎の会~真岡の久保講堂を訪ねて」をお読みください。
三回忌となる5月13日ブログ関根伸夫の位相絵画をご紹介します。

●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。