中尾美穂「ときの忘れものの本棚から」第8回

谷口昌良・畠山直哉 共著『空蓮房―仏教と写真』と谷口昌良「1973-2011 写真少年」展

202107中尾美穂_00 『仏教と写真』『空蓮房―仏教と写真』
谷口昌良・畠山直哉 共著
一般発売日:2019年10月7日
デザイン:木村稔将
発行:赤々舎
サイズ:190 mm × 130 mm
ページ数:176 pages
並製本

 『空蓮房―仏教と写真』は、写真家であり浄土宗の僧侶である谷口昌良氏の思考と活動を、写真家の畠山直哉氏が丁寧に紹介した本である。両者はほぼ同年代で、1983年に今はなきツァイト・フォト・サロンでの畠山の個展で出会っていらいの友人という。

 谷口氏の美学は仏教の語彙をもとに語られる。それが問いと思索の蓄積であることを畠山氏が平明に解釈してくれる。<「滅びるのが定め」、「すべては思うようにならない」、「生きることは苦しい」、「実体は存在しない」といったお釈迦様の言葉>や、<優れた写真家、特に谷口さんが愛するような写真家の多くは、その「思うようにならない」ことの中にダイヴする><「思うようにならない」ことが「驚き」に姿を変える神秘>など、糸口になる言葉の数々が、無学の者にも腑に落ちる(ような気がする)。

 谷口氏は2006年、住職を務める長應院の境内に<見ることを学ぶ>ための瞑想ギャラリーを建立した。僧名にちなんで空蓮房と名づけられた小さな白い部屋には角がない。開廊いらい、彼が声をかけて理念を共有した作家の展覧会がここで行なわれてきた。まずはホームページを覗いてみてほしい。

◆空蓮房ホームページ
https://kurenboh.com/

 畠山氏との対話のなかで、谷口氏は今日の美術について<写真が特別な術として捉えられなくなってきた><知らずに過去を反復するような表現や、身勝手な自己表現><日本人ならではの感性を頼りにした写真というものが、朧(おぼろ)げになってきているように感じる>と懸念を示し、<こうした今の時代性を引き受けつつ、これからどうするか、というところが今回のこの書籍を通じた取り組み>と述べる。空蓮房の営みもそのプロセスにあり、ともに語り、考える場が必要と思ったのだそうだ。また<無を説く仏教が敢えて作った「有(う)」が芸術ではないか>として、美を見出す姿勢や本質を問いつづけることの重要さを説く。

 これらの核心にあるのが、多義的な「空(くう)」の概念である。谷口氏は<空を掴まんとして生きていくというのが、アーティストの姿として映ると思うんですよ>と語る。さらに「空を掴め/あとがきとして」では、表現者として<私は「空論」という哲学から慈悲を介して人間を探り、写真という発明と、その表現の限界を確かめようと試みてきました>と表明する。「空を掴め」は、詩人・石田瑞穂との近刊書および空蓮房で開かれた展覧会のタイトルにもなっている。

◆谷口昌良(写真)・石田瑞穂(詩譜)展 ー空を掴め/Catch the Emptinessー
2020年11月4日(水)~12月25日(金) *終了
https://kurenboh.com/archive2020/catch-the-emptiness/

 このリンクを送っていただき、興奮冷めやらぬまま、谷口昌良「1973-2011 写真少年」展の会場、iwao galleryで初めて氏に会った。開放的な一室に、三部作の写真集「写真少年」からニューヨーク・ロサンゼルス・日本での生活の断片や街の表情をとらえた作品や家族のスナップ。そして「空を掴め(む)(まんとす)」と推敲のある紙や、対象物のおぼろげな近作が象徴的に展示されている。眼鏡を外して眺めたおぼろげな世界の心地よさ、本堂を暗室代わりに趣味の写真を現像する祖父を手伝い、仏像を照らす光に魅了された少年時代、アメリカ現代写真の刺激的な展開に接した70~80年代、ギャリー・ウィノグランドらの優れた写真や自作について話していただく。

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 いずれも同展から

 とはいえ、今回は作品の披露が目的ではないという。副題「とある写真少年の70~90年代をみる」の通り、ある人生の在りようをみてもらい、誰もがさほど違わないことに気づき、(若い世代にも)自身の宿命を受け入れてどう生きるかの問題として共有されるようにとの思いが込められている。取材後にいただいたメモにも<「アート」とは人生のプロセスにあるのかもしれません>とある。

 こうしてフランク・シナトラ、マイルス・デイヴィス、日本のポップスなどのレコード盤、高校時代のスクラップブック、卒業後に渡米して本格的に写真を学んだころの日記、カメラ雑誌、文学・宗教・哲学書、ギターやカメラ、サブ・カルチャー情報満載の長い年譜が展示されていた。膨らんだスクラップには成績表、集合写真、定期券、ラブレター、TVに映るアイドルの画面撮り……。なんとオープンな。しかも同世代には眩いだろう、若くして文化の先端を吸収した証拠の展覧会やイベント案内、出会った美術作家の名刺の数々。実際にレコードをかけているギャラリーで、居合わせた方たちとこれらをめくった。古いマッチの箱を見て、まことしやかなうんちくや議論を含む音楽や文学の情報源だったジャズ喫茶の熱気を思う。同展のキャッチコピー(?)が「ノスタルジーでなくパッション」「パッションは足りているか?!」に喚起されてだろうか。

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 谷口氏の私物が資料として展示されている

 アートには気づきや共有感が必要だと谷口氏は強調する。作品を所有するのにも絆や積極的な問答が要るという。それは共有が生む<個と他との関係性><他の認識があってはじめて存在する個>という考えに基づく。たしかに個々の認識は自分勝手でしかない。そんな私たちがアートについて思い込んでいることの頼りなさは何だろう。ことにカメラが否応なく写す、意図しない光景にどう向き合えばいいのだろう。

 再び『空蓮房―仏教と写真』を手にとった。写真の表現に触れた個所がある。<空点から放たれた光の結晶は、実体と認識のくすぐったい関係でもあり、人間の無と知の葛藤でもある>。そして、その行為は<慈悲(無常への愛)によるものと思いたい>。仏教の教えに知恵と慈悲があり、慈悲は願い・救い、さらに人情や人として生きる権利を保証される安心でもあると聞いた。人間の思うようにならない、実体のない、また言語学的にはモノでしかない写像に表現を込める真摯な思いに一瞬、近づけそうになる。

 メモの最後に書かれていたのが<「時は流れず」「永遠の現在」「無常」が今の私の美学の根底にあるもの>だ。それでも<この機会を逃すまいと撮る。光に恵まれて撮る。記憶と記録、残したいと言う愛に従って撮る>そう思って撮ってきたと、会場のテキスト「写真欲」にある。さまざまな時の概念がかりそめのものとして、すべてが見ることに通じる。近刊『空を掴め Catch the Emptiness』の序文も「見るということ」。今日、異なる領域にあるかのような仏教、美学、哲学、おそらく科学も、文中の<何を見ようとしているのか><被写体とは何なのか>という大きな問いで繋がる。そんな探求を知って嬉しくはないか。

 すべて縁なんですよと氏はいう。iwao galleryも長應院のすぐ近く、蔵前にできた新しいギャラリーである。この場所はオーナー磯辺加代子氏の実家である玩具問屋の元・倉庫だそうだ。ホームページで同展の概要を見ることができる。

◆谷口昌良「写真少年 1973-2011」展 とある写真少年の70~90年代をみる
iwao gallery
2021年6月17日(木)~7月4日(日)*終了 
https://iwaogallery.jp/20210517/

なかお みほ

■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。
201603_collection池田満寿夫研究をライフワークとする中尾美穂さんの連載エッセイ「ときの忘れものの本棚から」奇数月の19日に掲載します。
次回は2021年9月19日の予定です。


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●蔵前 iwao gallery では「川上涼花 没後100年記念展」も開催していました。
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先日、資生堂で遺作展(3602G)を開いている川上涼花の小さな展覧会がありました。
綿貫さんの新聞雑誌切抜きと私が持っていた遺作展画集からまとめたギャラリー史の本文が、昭和11年以降の初紹介だったと思います。
その後田中淳さんにより萬鉄五郎記念館と平塚市美術館で展覧会が開催され、発見された作品が萬や和歌山などに収蔵されています。
これもギャラリー史から生まれた小さな功績のひとつと思います。
柴田卓


iwao galleryの磯辺と申します。
メールありがとうございます。
実は、私は(二年前に生まれ育った蔵前に戻ってくる前は)駒込に8年ほど住んでおりましたので、
「ときの忘れもの」には何度も伺ったことがあるのです!
なので、メールをいただけただけで嬉しいです。
そして「ときの忘れもの」さんが小さな画廊だとしたら、私のギャラリーはちっちゃなちっちゃなちっちゃなギャラリーです(笑)
下町・蔵前にお越しの際はぜひお立ち寄りください。
来月は、蔵前・空蓮房房主であり、僧侶であり、写真家でもある谷口昌良さんの写真展を開催する予定です。
磯辺加代子


蔵前 iwao galleryのオーナー磯辺加代子さんからメールをいただき、今回は中尾美穂さんに展覧会について本の紹介と共にレポートしていただきました。縁はつながるものですね。

●本日のお勧めは細江英公です。
36細江英公 Eikoh HOSOE
「鎌鼬#36, 1968」
1968年
ピグメント・アーカイバル・プリント
60.9×50.8cm
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。