佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第55回
制作の近況1
前回の、ときの忘れものでの個展「囲い込みとお節介」から2年半ほど経ってしまった。「囲い込みとお節介」では主に木工作業で立体(写真機)を作っていたが、それ以降、拙いながらも金属溶接や鋳造などを自分の手を動かして触ることもし、造形の幅はわずかながらに増えつつある。わずかと書いたのは、自分のそれぞれの技術には当然ながら限界があるからだ。金属溶接はやはり既製品のナマ材(鋼材)の規格に従わざるをえない部分があるし、鋳造は金属を溶かして鋳込む際にそのドロドロの金属を適切に制御ができずに半ばコントロールしきれない形状が生まれ出る。それらは、自分の技術の限界、限定性を改めて痛感するし、また造形にある種の外因がするりと侵入してきたという事実でもある。もちろん木工においても木の反りや材質、そして手持ちの手道具による制作範囲(例えば、やはり直線、直角の加工がしやすい)はあるが、金属加工は熱を伴うのでより一層の”外圧”を感じる作業である。
ちなみに今手をつけている木材は、丸太の材をそのまま玉切りにして、チェンソーで四角い塊に成形している。「囲い込みとお節介」ではクリの板材を面として使って箱をつくったが、今回は中が密実な塊だ。その塊に、孔を穿ち、いくらかの内部と外部の輪郭を作り出そうとしている。生木のものもあるので、これからどのように暴れてくるかわからない。けれども、先ほどの金属加工での外圧と同じように、半ば制御できない木塊の形状変化にどのようにこちらが対応するか、の造形合戦がこれから待っていると考えれば、やはりそれは歓迎すべき外圧である。
前回同様、木材の整えとドローイングの作業は同時に、交互にやっているが、以前は鉛筆と色鉛筆だけで描いていたドローイングに、今回は日本画に使う顔彩の彩色を入れてみている。彩色作業は筆の運びというよりはむしろ紙の上に落とした色の水滴の表面張力具合を調整する作業だ。今にも溢れ出しそうな水滴の塊にメスを入れるように筆を入れ、横にゆっくりと引き伸ばしていく。そして、時々思わぬ部分にはみ出したり、まだ乾ききっていない隣の彩色部に滲み出ていったりする。あー、あー、と自分の技量の拙さを痛感しながらも、そのはみ出た新たな彩色部の輪郭を頼りに、今度は鉛筆で新たな像を足していく。彩色と鉛筆の造形合戦が繰り広げられている。紙の上のとても小さな部分で。もちろん作業は一人でコツコツ、コソコソ(だいたいドローイングは夜中に描いている)とやるのだが、そんな造形合戦は決して孤独な気がしないのが面白い。やはり自分自身を超え出た外圧、外の存在がいることの安心感だろう。
(制作途中1:鉛筆、顔彩、画用紙)
(制作途中2:鉛筆、顔彩、画用紙)
外の存在がいることの安心感、というのは実は常日頃の生業としている建築の設計、あるいは家具の大きさくらいを考えるときにも重要としていることだ。やはり生業上、仕事相手である人のため、人間のために建築や家具を作っているのだが、その人にとって「外の存在がいる」ことが良いと感じられるその存在を作りたいと思っている。存在という言葉はなかなか小難しく、正確に言葉を操れているのか自分は怪しいが、存在が”いる”、モノが”いる”という状況を作ろうとしている。そんな微妙で繊細な形を目指して、妖怪についての論を書き記してみたり、渋沢栄一の言う民具について調べてみたり、はたまた”カワイイ”という言葉について考え込んでみたり頭で色々とこねくり回し、今も引き続き悩んでいる。しかし、つまるところ、微妙な、としか言いようのないその感覚を生み出すには、造形に工夫を加え続けるしかない、というのが今の自分なりの決着点である。それを画用紙の上でも試みている。
(制作途中3:鉛筆、顔彩、画用紙)
(制作途中4:鉛筆、顔彩、画用紙)
次回投稿では、立体物の制作において、「外の存在がいることの安心感」について記してみたい。
(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。
・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●展覧会のご案内
「200年をたがやす」
オープンスタジオ期間「つくる」:2021年3月21日(日)~6月18日(金)
展示期間「みせる」:2021年7月1日(木)~9月26日(日)
会場:秋田市文化創造館ほか
主催:秋田市
企画・制作:NPO法人アーツセンターあきた
全体監修:服部浩之(インディペンデントキュレーター/秋田公立美術大学准教授)
*佐藤研吾「アキタノユメのイエ計画」
マタギ修行のために秋田・秋の宮へ移り住んだある友人の生活を起点に、マタギの山を視る眼差しと手つきを学びながら、彼のあるかもしれない秋田のイエの計画を練るーその構想を展開させていくプロセスを、自作カメラによる写真撮影とスケッチ、手記などによって捉え、アーカイブすることを試みます。
●本日のお勧め作品は五味太郎です。
五味太郎 GOMI Taro
《くまさん》
2002年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
9版9色
イメージサイズ:9.2×8.0cm
シートサイズ:20.0×20.0cm
Ed.300
サインあり
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
制作の近況1
前回の、ときの忘れものでの個展「囲い込みとお節介」から2年半ほど経ってしまった。「囲い込みとお節介」では主に木工作業で立体(写真機)を作っていたが、それ以降、拙いながらも金属溶接や鋳造などを自分の手を動かして触ることもし、造形の幅はわずかながらに増えつつある。わずかと書いたのは、自分のそれぞれの技術には当然ながら限界があるからだ。金属溶接はやはり既製品のナマ材(鋼材)の規格に従わざるをえない部分があるし、鋳造は金属を溶かして鋳込む際にそのドロドロの金属を適切に制御ができずに半ばコントロールしきれない形状が生まれ出る。それらは、自分の技術の限界、限定性を改めて痛感するし、また造形にある種の外因がするりと侵入してきたという事実でもある。もちろん木工においても木の反りや材質、そして手持ちの手道具による制作範囲(例えば、やはり直線、直角の加工がしやすい)はあるが、金属加工は熱を伴うのでより一層の”外圧”を感じる作業である。
ちなみに今手をつけている木材は、丸太の材をそのまま玉切りにして、チェンソーで四角い塊に成形している。「囲い込みとお節介」ではクリの板材を面として使って箱をつくったが、今回は中が密実な塊だ。その塊に、孔を穿ち、いくらかの内部と外部の輪郭を作り出そうとしている。生木のものもあるので、これからどのように暴れてくるかわからない。けれども、先ほどの金属加工での外圧と同じように、半ば制御できない木塊の形状変化にどのようにこちらが対応するか、の造形合戦がこれから待っていると考えれば、やはりそれは歓迎すべき外圧である。
前回同様、木材の整えとドローイングの作業は同時に、交互にやっているが、以前は鉛筆と色鉛筆だけで描いていたドローイングに、今回は日本画に使う顔彩の彩色を入れてみている。彩色作業は筆の運びというよりはむしろ紙の上に落とした色の水滴の表面張力具合を調整する作業だ。今にも溢れ出しそうな水滴の塊にメスを入れるように筆を入れ、横にゆっくりと引き伸ばしていく。そして、時々思わぬ部分にはみ出したり、まだ乾ききっていない隣の彩色部に滲み出ていったりする。あー、あー、と自分の技量の拙さを痛感しながらも、そのはみ出た新たな彩色部の輪郭を頼りに、今度は鉛筆で新たな像を足していく。彩色と鉛筆の造形合戦が繰り広げられている。紙の上のとても小さな部分で。もちろん作業は一人でコツコツ、コソコソ(だいたいドローイングは夜中に描いている)とやるのだが、そんな造形合戦は決して孤独な気がしないのが面白い。やはり自分自身を超え出た外圧、外の存在がいることの安心感だろう。
(制作途中1:鉛筆、顔彩、画用紙)
(制作途中2:鉛筆、顔彩、画用紙)外の存在がいることの安心感、というのは実は常日頃の生業としている建築の設計、あるいは家具の大きさくらいを考えるときにも重要としていることだ。やはり生業上、仕事相手である人のため、人間のために建築や家具を作っているのだが、その人にとって「外の存在がいる」ことが良いと感じられるその存在を作りたいと思っている。存在という言葉はなかなか小難しく、正確に言葉を操れているのか自分は怪しいが、存在が”いる”、モノが”いる”という状況を作ろうとしている。そんな微妙で繊細な形を目指して、妖怪についての論を書き記してみたり、渋沢栄一の言う民具について調べてみたり、はたまた”カワイイ”という言葉について考え込んでみたり頭で色々とこねくり回し、今も引き続き悩んでいる。しかし、つまるところ、微妙な、としか言いようのないその感覚を生み出すには、造形に工夫を加え続けるしかない、というのが今の自分なりの決着点である。それを画用紙の上でも試みている。
(制作途中3:鉛筆、顔彩、画用紙)
(制作途中4:鉛筆、顔彩、画用紙)次回投稿では、立体物の制作において、「外の存在がいることの安心感」について記してみたい。
(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。
・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●展覧会のご案内
「200年をたがやす」
オープンスタジオ期間「つくる」:2021年3月21日(日)~6月18日(金)
展示期間「みせる」:2021年7月1日(木)~9月26日(日)
会場:秋田市文化創造館ほか
主催:秋田市
企画・制作:NPO法人アーツセンターあきた
全体監修:服部浩之(インディペンデントキュレーター/秋田公立美術大学准教授)
*佐藤研吾「アキタノユメのイエ計画」
マタギ修行のために秋田・秋の宮へ移り住んだある友人の生活を起点に、マタギの山を視る眼差しと手つきを学びながら、彼のあるかもしれない秋田のイエの計画を練るーその構想を展開させていくプロセスを、自作カメラによる写真撮影とスケッチ、手記などによって捉え、アーカイブすることを試みます。
●本日のお勧め作品は五味太郎です。
五味太郎 GOMI Taro《くまさん》
2002年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
9版9色
イメージサイズ:9.2×8.0cm
シートサイズ:20.0×20.0cm
Ed.300
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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