土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」
21.『星と砂と 日録抄』~後編
本書は全体を通じて(とりわけ10,11では)旅がテーマの一つとなっているように思われ、「出発は遅くとも夜明けに」という印象的な句で結ばれています。10の冒頭部に記されているとおり、瀧口は「あまり旅行をしないたちの人間」だったにしろ、何度か旅に出たことは知られています。1958年の欧州旅行および73年の米国旅行は「自筆年譜」に記されているとおりですが、記されていない旅もいくつかあります。これまでに判明している戦後の瀧口の旅を、2回の海外旅行も含め挙げておきます(これ以外でご存じの方はご教示をお願いします。なお、1961年8月22日~28日の第2回個展「私の画帖から」(大阪北画廊)の際も、自らの個展の会場設営・展示を他人任せにするとは思われないので、大阪まで出向いているはずですが、今のところ記録・証言などの裏付けを確認できていないため、ここには記載していません)。
1) 1958年の欧州旅行:5月25日羽田発、10月12日帰国。ヴェネチア・ビエンナーレのコミッショナーを務める。フォンタナ、ムナーリ、ダリ、デュシャン、ミショー、ブルトンらと面会。旅程などの概要は、慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎ギャラリーでの「瀧口修造1958―旅する眼差し」展図録(慶應義塾大学アート・センター、2005年12月。図14)に、また旅行中に撮影された写真や綾子夫人に出された絵ハガキ(複製)などによる旅の全貌は、函入り豪華本『瀧口修造 1958 旅するまなざし』(慶應義塾大学出版会、2009年1月。図15)にまとめられています。
図14
図15
2) 1961年の富山訪問:10月8日、富山市公会堂で開催された第15回全国造形教育大会で、講演「今日の美術―オブジェを中心として」を行う。その後、母校富山高校に回り、在校生に向けに「美というもの」と題し講演。詳細は土渕信彦企画・構成「瀧口修造の光跡Ⅰ 美というもの」展図録(森岡書店、2009年7月。図16)所載の「講演記録」付記を参照。
図16
3) 1962年の蔵王旅行:2月7日・8日、バー「ガストロ」のマスター宮垣昭一郎・キヨ夫妻、東野芳明、榎本和子とスキー旅行に行き、宿泊した蔵王パラダイス・ロッヂで連作デカルコマニー45点を披露。うち何点かは贈呈され、海藤日出男などには郵送されたようである。詳細は土渕信彦「蔵王連作デカルコマニー、そしてバー『ガストロ』のことなど」(瀧口修造研究会会報「橄欖」第5号、2021年7月。図17)参照。
図17
4) 1963年の神戸訪問:2月18日~20日、神戸国際会館ギャラリーで開催された「瀧口修造作品展」(発起人:中根和生・志水楠男)の関連企画「瀧口修造氏を囲む会」(初日18日に開催)のため、神戸滞在。詳細は島敦彦「下村淑子さんのこと―関西の瀧口修造展」(瀧口修造研究会会報「橄欖」第3号、2015年7月。図18)参照。
図18
5) 1973年の米国旅行:9月18日羽田発、10月4日帰国。フィラデルフィア美術館・ニューヨーク近代美術館の「マルセル・デュシャン大回顧展」の開会式に招かれて、米国を訪問。具体的な日程などは、ときの忘れもののブログ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第18~22回参照。
なお、4)の神戸訪問に関しては、美術家河口龍夫先生から、概略以下のような話を伺ったことがあります。「展覧会のために神戸入りした志水さんに誘われて寿司屋に入ったが、『ホテルの瀧口さんに寿司を届けてほしい』と言われて、部屋までお届けした。その時に志水さんが注文したのは、「松」「竹」「梅」といった出来合いの折詰ではなく、瀧口さんがお好きだというネタを一つ一つ誂えた詰め合わせだった。いかにも志水さんらしいと思った・・・。」
本書で言及された文学者などを挙げると、2ではフランシス・ポンジュ、4で永井荷風、5でヘラクレイトス(および仏訳者イヴ・パスティーニ、序文執筆者ルネ・シャール)、6で巖谷國士、9でオクタヴィオ・パスおよびマルコム・ド・シャザールです。ポンジュ、ヘラクレイトス、ド・シャザールなどは、本書や1974年10月に発表された「寸秒夢あとさき」などで、アフォリズム風の断章が目に付くことと、何らかの関連性があるかもしれません。特にド・シャザールについては、『三夢三話』(第18回参照。図19,20)のⅡの末尾近くで、次のように触れられていました。本書が刊行された1973年は、欧州旅行から15年後ということになりますが、当時もなお、『サンス・マジック』を愛読していたことがわかります。なお、『三夢三話』では「ド・シャザル」と表記され、本書の表記「ド・シャザール」と異なっていますが、そのままにしてあります。
「プラタナスの押し葉 ― 私は1958年のパリではじめてマルコム・ド・シャザルの著書『サンス・プラスティック』や『サンス・マジック』などを見つけて買った。ド・シャザルはモリス島の詩人哲学者で、スウェデンボルグの弟子を先祖にもち、自身も隠秘思想の影響をうけたといわれる人、ブルトンの口からも彼の名を聞いた。私は『サンス・マジック』の1冊だけをいつも携えてスペインやベルギー、オランダなどを旅行した。それは3,4行のエピグラム風の句を集めたもので、その軽量の本はいつどこででも抜いたところを読めたからである。そしてパリの街路でふと拾ったプラタナスの小さな落葉が一枚、その本のあいだに挟んだまま残っている。」
図19
図20
「エピグラム風の句」の例として、以下に『サンス・マジック』(図21)の冒頭(1)と末尾(755)の、2つをご紹介します(筆者の試訳)。
“Une bicyclette roule sur la route.
La route est la troisième roue
Qui roule les deux roues.”
「自転車は道の上を走る。道は3つ目の車輪、自転車の両輪を回す」
“Il n’y a
Que l’eau
Pour baiser
L’eau
Sur la bouche.”
「水に口づけできるのは水だけだ」
図21
言葉の領域における瀧口の主要な仕事のひとつとして、「手づくり諺」を挙げても異論は少ないと思われます。ジョアン・ミロとの詩画集『手づくり諺』(ポリグラファ社、1970年5月。図22、23)などは、その代表例といえるでしょう。上に試訳した2つの箴言から推測されるとおり、ド・シャザールの『サンス・マジック』は、マルセル・デュシャンの言葉の遊びなどと並んで、参考にした可能性のある先行例のひとつと思われます。
図22
図23
以上のとおり、本書は本文15頁の軽装版ですが、瀧口晩年のアフォリズム風断章や詩、夢の記録などがまとめられており、1冊だけでそのような様々な形のテクストに触れられる貴重な本です。限定特装版でなければ、ネットなどでも比較的リーズナブルな価格で出品されているようですので、是非とも入手され、斬新な装幀を実際に手に取って味われるようお勧めします。
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●この秋はじまる新連載はじめ執筆者の皆さんを9月4日のブログでご紹介しました。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
21.『星と砂と 日録抄』~後編
本書は全体を通じて(とりわけ10,11では)旅がテーマの一つとなっているように思われ、「出発は遅くとも夜明けに」という印象的な句で結ばれています。10の冒頭部に記されているとおり、瀧口は「あまり旅行をしないたちの人間」だったにしろ、何度か旅に出たことは知られています。1958年の欧州旅行および73年の米国旅行は「自筆年譜」に記されているとおりですが、記されていない旅もいくつかあります。これまでに判明している戦後の瀧口の旅を、2回の海外旅行も含め挙げておきます(これ以外でご存じの方はご教示をお願いします。なお、1961年8月22日~28日の第2回個展「私の画帖から」(大阪北画廊)の際も、自らの個展の会場設営・展示を他人任せにするとは思われないので、大阪まで出向いているはずですが、今のところ記録・証言などの裏付けを確認できていないため、ここには記載していません)。
1) 1958年の欧州旅行:5月25日羽田発、10月12日帰国。ヴェネチア・ビエンナーレのコミッショナーを務める。フォンタナ、ムナーリ、ダリ、デュシャン、ミショー、ブルトンらと面会。旅程などの概要は、慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎ギャラリーでの「瀧口修造1958―旅する眼差し」展図録(慶應義塾大学アート・センター、2005年12月。図14)に、また旅行中に撮影された写真や綾子夫人に出された絵ハガキ(複製)などによる旅の全貌は、函入り豪華本『瀧口修造 1958 旅するまなざし』(慶應義塾大学出版会、2009年1月。図15)にまとめられています。
図14
図152) 1961年の富山訪問:10月8日、富山市公会堂で開催された第15回全国造形教育大会で、講演「今日の美術―オブジェを中心として」を行う。その後、母校富山高校に回り、在校生に向けに「美というもの」と題し講演。詳細は土渕信彦企画・構成「瀧口修造の光跡Ⅰ 美というもの」展図録(森岡書店、2009年7月。図16)所載の「講演記録」付記を参照。
図163) 1962年の蔵王旅行:2月7日・8日、バー「ガストロ」のマスター宮垣昭一郎・キヨ夫妻、東野芳明、榎本和子とスキー旅行に行き、宿泊した蔵王パラダイス・ロッヂで連作デカルコマニー45点を披露。うち何点かは贈呈され、海藤日出男などには郵送されたようである。詳細は土渕信彦「蔵王連作デカルコマニー、そしてバー『ガストロ』のことなど」(瀧口修造研究会会報「橄欖」第5号、2021年7月。図17)参照。
図174) 1963年の神戸訪問:2月18日~20日、神戸国際会館ギャラリーで開催された「瀧口修造作品展」(発起人:中根和生・志水楠男)の関連企画「瀧口修造氏を囲む会」(初日18日に開催)のため、神戸滞在。詳細は島敦彦「下村淑子さんのこと―関西の瀧口修造展」(瀧口修造研究会会報「橄欖」第3号、2015年7月。図18)参照。
図185) 1973年の米国旅行:9月18日羽田発、10月4日帰国。フィラデルフィア美術館・ニューヨーク近代美術館の「マルセル・デュシャン大回顧展」の開会式に招かれて、米国を訪問。具体的な日程などは、ときの忘れもののブログ「瀧口修造とマルセル・デュシャン」第18~22回参照。
なお、4)の神戸訪問に関しては、美術家河口龍夫先生から、概略以下のような話を伺ったことがあります。「展覧会のために神戸入りした志水さんに誘われて寿司屋に入ったが、『ホテルの瀧口さんに寿司を届けてほしい』と言われて、部屋までお届けした。その時に志水さんが注文したのは、「松」「竹」「梅」といった出来合いの折詰ではなく、瀧口さんがお好きだというネタを一つ一つ誂えた詰め合わせだった。いかにも志水さんらしいと思った・・・。」
本書で言及された文学者などを挙げると、2ではフランシス・ポンジュ、4で永井荷風、5でヘラクレイトス(および仏訳者イヴ・パスティーニ、序文執筆者ルネ・シャール)、6で巖谷國士、9でオクタヴィオ・パスおよびマルコム・ド・シャザールです。ポンジュ、ヘラクレイトス、ド・シャザールなどは、本書や1974年10月に発表された「寸秒夢あとさき」などで、アフォリズム風の断章が目に付くことと、何らかの関連性があるかもしれません。特にド・シャザールについては、『三夢三話』(第18回参照。図19,20)のⅡの末尾近くで、次のように触れられていました。本書が刊行された1973年は、欧州旅行から15年後ということになりますが、当時もなお、『サンス・マジック』を愛読していたことがわかります。なお、『三夢三話』では「ド・シャザル」と表記され、本書の表記「ド・シャザール」と異なっていますが、そのままにしてあります。
「プラタナスの押し葉 ― 私は1958年のパリではじめてマルコム・ド・シャザルの著書『サンス・プラスティック』や『サンス・マジック』などを見つけて買った。ド・シャザルはモリス島の詩人哲学者で、スウェデンボルグの弟子を先祖にもち、自身も隠秘思想の影響をうけたといわれる人、ブルトンの口からも彼の名を聞いた。私は『サンス・マジック』の1冊だけをいつも携えてスペインやベルギー、オランダなどを旅行した。それは3,4行のエピグラム風の句を集めたもので、その軽量の本はいつどこででも抜いたところを読めたからである。そしてパリの街路でふと拾ったプラタナスの小さな落葉が一枚、その本のあいだに挟んだまま残っている。」
図19
図20「エピグラム風の句」の例として、以下に『サンス・マジック』(図21)の冒頭(1)と末尾(755)の、2つをご紹介します(筆者の試訳)。
“Une bicyclette roule sur la route.
La route est la troisième roue
Qui roule les deux roues.”
「自転車は道の上を走る。道は3つ目の車輪、自転車の両輪を回す」
“Il n’y a
Que l’eau
Pour baiser
L’eau
Sur la bouche.”
「水に口づけできるのは水だけだ」
図21言葉の領域における瀧口の主要な仕事のひとつとして、「手づくり諺」を挙げても異論は少ないと思われます。ジョアン・ミロとの詩画集『手づくり諺』(ポリグラファ社、1970年5月。図22、23)などは、その代表例といえるでしょう。上に試訳した2つの箴言から推測されるとおり、ド・シャザールの『サンス・マジック』は、マルセル・デュシャンの言葉の遊びなどと並んで、参考にした可能性のある先行例のひとつと思われます。
図22
図23以上のとおり、本書は本文15頁の軽装版ですが、瀧口晩年のアフォリズム風断章や詩、夢の記録などがまとめられており、1冊だけでそのような様々な形のテクストに触れられる貴重な本です。限定特装版でなければ、ネットなどでも比較的リーズナブルな価格で出品されているようですので、是非とも入手され、斬新な装幀を実際に手に取って味われるようお勧めします。
(つちぶち のぶひこ)
■土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。
◆土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の本」は毎月23日の更新です。
●この秋はじまる新連載はじめ執筆者の皆さんを9月4日のブログでご紹介しました。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
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